NHK交響楽団の第1コンサートマスターを務めるヴァイオリニスト、郷古廉さん。
世界の舞台で結果を出してきた人だけに、ご両親も音楽家なのでは…と思ってしまいますよね。
ところが本人は「両親は音楽家ではなく、ごく普通の家庭でした」と語っていて、練習を強制されたこともなかったというんです。
・郷古廉の両親の職業が公表されているかどうか
・練習を強制しなかったという母の考えと、父が大切にした時間
・姉2人の発表会から始まったヴァイオリンとの出会いと家族構成
郷古廉の両親は音楽家ではない一般家庭
ヴァイオリニストの郷古廉さんについて調べていると、まず気になるのが「どんな家庭で育ったのか」ですよね。
ここでは両親の職業から、練習を強制しなかったという教育方針、ヴァイオリンとの出会いまでを順番に見ていきます。
両親の職業は公表されていない
まず結論からお伝えすると、郷古廉さんのご両親の職業は公表されていません。
音楽の世界で世界的な結果を出している人だと、つい「親も演奏家なのでは」と考えたくなりますよね。
ですが郷古さんの場合、そこがまったく当てはまらないんです。
ご両親はいわゆる一般の方で、どんな仕事をしているかを本人が語った記録も、メディアが報じた記録も見当たりません。
これは情報が隠されているというより、そもそも公にする立場の人ではないということかなと思います。
演奏家本人はステージに立つ仕事ですが、ご家族は違いますからね。
ネット上には「5歳でヴァイオリンを買ってもらえたのだから裕福だったのでは」という見方も出回っています。
ただこれは、楽器の値段から逆算した推測にすぎません。
子ども用の分数楽器は大人用ほど高額ではありませんし、音楽教室に通う家庭が特別に珍しいわけでもないので、そこから家庭の経済状況まで決めつけるのは無理があるかなというのが正直なところです。
名前や顔写真も表に出ていない
職業と同じく、ご両親の氏名や顔写真も出ていません。
演奏会のプログラムや公式プロフィールに載るのは本人の経歴だけで、家族についてはほとんど触れられていないんですね。
本人がインタビューで家族の話をするときも、エピソードとして語るだけで、個人を特定できるような情報は出していません。
このあたりは、一般の方であるご家族への配慮なのかなと感じます。
「ごく普通の家庭」と本人が語る
職業は分からないと書きましたが、家庭の雰囲気については本人の言葉が残っています。
郷古さんは朝日新聞のインタビューで、「両親は音楽家ではなく、ごく普通の家庭でした」と語っています。
そのうえで「だから僕に何も強制しなかった」と続けているんですね。
ここ、地味にすごい話だと思うんです。
クラシックの世界って、親が演奏家で、幼い頃から英才教育というイメージが強いじゃないですか。
実際そういう経歴の演奏家も少なくありません。
でも郷古さんの家には、音楽で食べていくための設計図みたいなものは最初から無かったわけです。
音楽家の家系ではないところから、国際コンクールを勝ち抜くところまで行ったということになります。
……なんか、それだけで少し胸が熱くなりませんか。
親の職業が分からないことを物足りなく感じる人もいると思うのですが、この一言のほうが、どんな家庭だったかをよく表している気がします。
母は練習を強制しなかった
ご両親の教育方針として繰り返し紹介されているのが、お母さんの考え方です。
お母さんがずっと持っていたのは「音楽だけの人間になって欲しくない」という想いだったと伝えられています。
だから練習を強制することは一切しなかったそうです。
楽器を習わせている家庭だと、つい「今日はまだ練習してないでしょ」と言いたくなりそうなものですよね。
しかも息子は幼い頃から明らかに上達していく。
期待をかけたくなる場面はいくらでもあったはずです。
それでもお母さんが優先したのは、本人が楽しく音楽に向き合える環境のほうでした。
伸ばすために押すのではなく、嫌いにならないように押さないという判断だったのかなと思います。
なお、この方針を郷古さん本人がどこかで直接言葉にしているわけではなく、家庭の様子として紹介されている内容です。
とはいえ、本人が語った「何も強制しなかった」という発言とはきれいに重なります。
強制しないという一点で、父と母の姿勢がそろっていた家庭だったと言えそうです。
父はサイクリングで自然へ連れ出した
お父さんについては、趣味がサイクリングだったという話が紹介されています。
故郷の海岸である荒浜に、よく息子を連れて行ってくれたそうです。
これ、個人的にすごく好きなエピソードなんですよね。
ヴァイオリンの練習をさせるのではなく、自転車で海まで走る。
「音楽だけの人間になって欲しくない」というお母さんの想いと、やっていることが完全に同じ方向を向いています。
練習室の外にある時間を、親のほうから用意していたわけです。
宮城の海沿いを自転車で走る時間が、後の演奏にどう効いたのかは本人にしか分かりません。
ただ、音楽以外の記憶をたくさん持っている人の音と、練習室しか知らない人の音が同じになるとは思えないんですよね。
ちなみにこのサイクリングの話は、複数の媒体で確認できたわけではないため、そこまで裏づけの強い情報ではありません。
その点は差し引いて読んでいただければと思います。
5歳の誕生日にヴァイオリンを贈った
ご両親が息子にした一番大きな決断が、この楽器のプレゼントかもしれません。
郷古さんがヴァイオリンを始めたのは5歳のときです。
5歳の誕生日に、ご両親からヴァイオリンを贈られたと紹介されています。
やりたいと言い出したのは2、3歳の頃なので、口にしてから実際に手にするまで2年ほど空いている計算になりますね。
この間があるのが、なんだかこの家庭らしいなと思います。
子どもが言った瞬間に飛びついて習わせるのでもなく、かといって聞き流して終わりでもない。
言い続けているのを見たうえで、誕生日という区切りに渡している。
ここでも「押さないけれど、望んだものは用意する」という姿勢が一貫しているように見えます。
なお、誕生日に贈られたという部分は一つの媒体で紹介されている内容なので、細部の記憶に幅がある可能性はあります。
ただ、5歳でヴァイオリンを始めたこと自体は複数の情報で共通しています。
きっかけは姉2人の発表会だった
そもそも、なぜ2、3歳の子どもがヴァイオリンをやりたいと言い出したのか。
きっかけは家の中にありました。
郷古さんには姉が2人いて、その2人が音楽教室に通っていたんです。
姉たちが出た発表会で、初めてヴァイオリンの音を聴いたことが出発点でした。
本人はこの出来事を、インタビューでこう語っています。
姉の発表会でヴァイオリンの音に触れて、2、3歳ぐらいのときにやりたいと言ったらしいです、親が言うには
「親が言うには」という言い方がいいですよね。
本人にはもう記憶がなくて、家族の証言としてだけ残っている出来事なんです。
同じインタビューでは「なんか高い音が好きだと言っていたみたい」とも話しています。
理屈ではなく、音そのものに反応した2、3歳の話ということになります。
郷古さんは楽器を始めた明確な記憶がないとも語っていて、「気がついたらもう音楽がずっと生活にあった」という感覚なのだそうです。
親が敷いたレールではなく、姉の発表会という家庭の中の偶然が入口だったわけですね。
家族構成は両親と姉2人
ここまでの情報を整理すると、郷古さんが育った家庭の構成が見えてきます。
| 家族 | 分かっていること |
|---|---|
| 父 | 一般の方。職業は非公表。趣味はサイクリングと紹介されている |
| 母 | 一般の方。職業は非公表。「音楽だけの人間になって欲しくない」という考え |
| 姉(2人) | 音楽教室に通っていた。発表会が本人とヴァイオリンの出会いになった |
| 本人 | 1993年12月2日生まれ。5歳でヴァイオリンを始める |
つまり両親と姉2人、そして本人の5人家族ということになります。
姉2人が音楽教室に通っていたということは、この家庭に音楽そのものが無かったわけではないんですよね。
音楽家の家ではないけれど、子どもに音楽を習わせる家ではあった。
職業としての音楽ではなく、暮らしの中の音楽があった家庭という表現がしっくりきます。
なお、姉2人のその後については公表されていません。
郷古廉の両親を調べる人向けの関連情報
ご両親のことを調べている方は、郷古廉さん本人の経歴や現在の家族についても気になっているのではないでしょうか。
ここからは出身地や学歴、コンクールの実績、そして現在の家族についてまとめていきます。
出身は宮城県多賀城市
郷古廉さんは1993年12月2日、宮城県多賀城市の生まれです。
公式プロフィールでも一貫して多賀城市出身と紹介されています。
実家の場所などは当然ながら公表されていませんが、故郷との縁はいまも続いていて、2025年1月にはみやぎ絆大使に就任しました。
お父さんが連れて行ってくれたという海岸も、この宮城の海です。
生まれ育った土地と今の活動がつながっているのが分かりますね。
学歴は多賀城小から桐朋学園へ
学歴もたどってみましょう。
まず1999年に桐朋学園大学音楽学部附属子供のための音楽教室の仙台分室に入室しています。
その後、多賀城市立多賀城小学校、仙台育英学園秀光中等教育学校を経て、桐朋学園大学ソリスト・ディプロマコースに在籍しました。
10代のうちにウィーンへ留学し、海外で研鑽を積んでいます。
師事したのは勅使河原真実さん、ゲルハルト・ボッセさん、辰巳明子さん、パヴェル・ヴェルニコフさんといった顔ぶれです。
なお、留学先の大学名は媒体によって表記が揺れている点だけ補足しておきますね。
音楽教室の仙台分室から始まって、桐朋学園、そしてウィーンへという道のりでした。
メニューイン国際コンクール最年少優勝
郷古さんの名前が広く知られるきっかけになったのが、10代前半での国際コンクール制覇です。
主な実績を並べると次のようになります。
| 年 | 実績 |
|---|---|
| 2004年 | 全日本学生音楽コンクール第1位 |
| 2006年 | 第11回ユーディ・メニューイン青少年国際ヴァイオリンコンクール ジュニア部門第1位(史上最年少優勝) |
| 2007年12月 | デビュー |
| 2013年8月 | ティボール・ヴァルガ シオン国際ヴァイオリン・コンクール優勝、聴衆賞・現代曲賞 |
| 2019年 | 第29回出光音楽賞 |
| 2024年4月 | NHK交響楽団 第1コンサートマスターに就任 |
とくに2006年の史上最年少優勝はインパクトが大きいですよね。
1993年12月生まれなので、12歳から13歳での快挙ということになります。
そして現在はNHK交響楽団の第1コンサートマスターを務めています。
ソリストとしてだけでなく、オーケストラの要の位置に立っているわけです。
使用楽器は1682年製ストラディヴァリ
使っている楽器も気になるところですよね。
郷古さんの使用楽器は1682年製のアントニオ・ストラディヴァリ(Banat)です。
個人の所有者から貸与を受けて演奏していると公式プロフィールに明記されています。
名器はこうした貸与の形で演奏家の手に渡ることが多く、本人の所有物というわけではありません。
340年以上前に作られた楽器が、いまもコンサートホールで鳴っているというのは、あらためて考えるとすごい話です。
結婚して子供が2人いる
現在の家族についても触れておきます。
郷古さんは結婚していて、お子さんが2人います。
奥さんは一般の方で、氏名や職業などは公表されていません。
お子さんについても同様で、詳細は明かされていないんですね。
育てられる側だった人が、育てる側になっているわけです。
「音楽だけの人間になって欲しくない」と願われて育った人が、いまどんな親をしているのか。
そこはちょっと知りたくなりますよね。
郷古廉の両親のまとめ
- 郷古廉の両親は音楽家ではなく、職業は公表されていない
- 両親の氏名や顔写真も公表されていない
- 本人は朝日新聞の取材で「ごく普通の家庭でした」と語っている
- 同じ取材で「だから僕に何も強制しなかった」とも話している
- 母は「音楽だけの人間になって欲しくない」という想いを持っていたとされる
- そのため練習を強制することは一切しなかったと紹介されている
- 父は趣味のサイクリングで故郷の海岸へ連れ出していたとされる
- ヴァイオリンを始めたのは5歳で、5歳の誕生日に両親から贈られたとされる
- やりたいと言い出したのは2、3歳の頃だった
- きっかけは姉2人が出演した音楽教室の発表会だった
- 本人は楽器を始めた明確な記憶がないと語っている
- 家族構成は両親と姉2人、本人の5人
- 出身は宮城県多賀城市で、2025年1月にみやぎ絆大使に就任
- 2006年にユーディ・メニューイン青少年国際ヴァイオリンコンクールで史上最年少優勝
- 2024年4月からNHK交響楽団の第1コンサートマスターを務めている

