綿引勝彦さんの国籍について、韓国籍ではないかという話を目にして気になった方も多いのではないでしょうか。
調べてみると、出身地や本名、そして旧芸名「綿引洪」の読み方に、噂を考えるヒントがありました。
國村隼さんとの兄弟説や妻・樫山文枝さんとの歩みもあわせて、確認できる情報をまとめました。
・綿引勝彦さんの国籍が日本の可能性が高いといえる根拠
・韓国籍説と旧芸名「綿引洪」の関係
・國村隼さんとの兄弟説が生まれた理由
綿引勝彦の国籍は日本の可能性が高い理由
綿引勝彦さんの国籍は、確認できる資料をたどると日本の可能性が高いです。
本人が国籍を語った記録はないので、その点も含めて一つずつ見ていきますね。
国籍を本人が語った記録は見つからない
まず前提として、綿引勝彦さんが自分の国籍について語ったインタビューや発言は見つかっていません。
所属事務所の発表や新聞各社の訃報も、生年月日・出身地・代表作・死因を伝える内容で、国籍そのものには触れていないんです。
ただ、これは綿引さんに限った話ではありません。
日本で生まれ育った俳優さんの場合、わざわざ「日本国籍です」と書くことはまずないので、記載がないこと自体はごく普通のことなんですよね。
一方で、プロフィールの書かれ方を見ると、方向ははっきりしています。
Wikipediaでは冒頭で「日本の俳優」と紹介され、NHKアーカイブスの人物ページも「東京都出身」の俳優として経歴をまとめています。
中国の百科事典サイト・百度百科のプロフィール欄にも「国籍 日本」と記載されていました。
国籍を明記した公的資料はないものの、日本以外の国籍を示す材料も見当たらない、というのが現状です。
出身は東京都で本名も綿引勝彦
国籍を考えるうえで手がかりになるのが、出身地と本名です。
綿引さんは1945年11月23日生まれで、出身は東京都。
Wikipediaでは東京都武蔵野市の出身とされています。
本名は芸名と同じ「綿引勝彦」で、旧芸名として「綿引洪(ひろし)」を名乗っていた時期がありました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生年月日 | 1945年11月23日 |
| 出身 | 東京都(武蔵野市とされる) |
| 本名 | 綿引勝彦(芸名と同じ) |
| 旧芸名 | 綿引洪(ひろし) |
| 学歴 | 日本大学鶴ヶ丘高校卒業、日本大学藝術学部中退 |
| 経歴 | 劇団民藝を経て1985年に退団、のちに劇団「綿帽子」を主宰 |
| 没年 | 2020年12月30日(75歳) |
学生時代はプロ野球選手を目指していて、中学までは飛び抜けてうまかったそうです。
ところが日大鶴ヶ丘高校の野球部にはすごい選手がゴロゴロいて、夢はそこで砕けてしまったんだとか。
その後、仲代達矢さん主演の舞台『令嬢ジュリー』を観て新劇に目覚め、役者の道へ進みました。
東京で生まれて東京の学校に通い、本名も日本の姓名そのもの。
経歴のどこを見ても、日本以外にルーツがあることを示す話は出てきません。
韓国籍説が出たきっかけは旧芸名の綿引洪?
それでも「綿引勝彦 国籍」と検索されるのは、韓国籍ではないかという話が一部で出ているからです。
はっきりした出どころは分かりませんが、個人的に気になったのが旧芸名の「綿引洪」です。
「洪」という漢字は、韓国では「ホン」と読む代表的な名字として知られています。
そのため、字面だけを見て韓国と結びつけた人がいたのかもしれません。
ただ、綿引さんの場合、「洪」は名字ではなく下の名前で、読みは「ひろし」。
「洪」を「ひろし」と読む名前は日本にもあり、名字はあくまで「綿引」のままです。
綿引洪の名義は、1979年の土曜ワイド劇場『ブルートレイン寝台特急殺人事件』などで確認できて、1982年の作品では綿引勝彦名義に変わっています。
旧芸名の一字だけで国籍を判断するのは、さすがに無理があると思います。
なお、これは噂の出どころを考えるためのひとつの見方で、韓国籍説そのものを裏づける情報は見つかっていません。
強面の役柄も印象に残りやすかった
綿引さんは民藝を退団してフリーになったあと、強面を生かして東映のヤクザ映画などに数多く出演しました。
『極道の妻たち』シリーズや『鬼龍院花子の生涯』など、迫力ある役どころの印象が強い俳優さんです。
こうした役のイメージと旧芸名が重なって、いろいろな想像を呼んだ面もあるのかなと感じます。
綿引勝彦の国籍について世間の声
Googleで綿引さんの名前を調べると、「国籍」と並んで「兄弟」「國村隼」といった語が一緒に検索されています。
国籍そのものより、「あの俳優さんと似ている」「家族はどんな人?」という関心から調べ始めた人が多いのかもしれません。
SNSでは、時代劇『鬼平犯科帳』を観た人が「綿引さんと國村隼さんが兄弟役をやったら違和感ゼロ」と投稿していて、2人を重ねて見ている人がいることが分かります。
Yahoo!知恵袋にも、ドラマで綿引さんを見かけて、子どものころに観た特撮作品にも出ていなかったかと尋ねる投稿がありました。
亡くなってから数年がたった今でも、作品をきっかけに綿引さんを調べる人は多いんですよね。
國村隼さんとの関係は、次の章で詳しく紹介しますね。
世間の声を見ても、韓国籍説を裏づける具体的な話はどこにも出てきていません。
綿引勝彦の国籍を調べる人向けの関連情報
ここからは、綿引勝彦さんの国籍を調べる人がよく一緒に検索している、兄弟・家族・死去などの情報をまとめます。
兄弟について分かっていること
「綿引勝彦 兄弟」と検索する人も多いのですが、綿引さんの兄弟について公表された情報は見つかりませんでした。
インタビューや訃報でも、兄弟の名前や職業は出てきていません。
綿引さんは私生活をあまり表に出さないタイプだったようで、病気のことも親しい人以外には伏せていたほどです。
兄弟がいるかどうかも含めて、家族のことは妻の樫山文枝さん以外ほとんど語られていないのが実情です。
國村隼と兄弟と間違われた理由
兄弟説でよく名前が挙がるのが、俳優の國村隼さんです。
結論からいうと、2人は血縁関係のない別の俳優です。
國村さんは1955年生まれで熊本県出身、幼いころに兵庫県尼崎市、そのあと大阪へ移って育っています。
綿引さんは1945年生まれの東京都出身なので、年齢も育った場所もまったく違うんですよね。
間違われる理由はシンプルで、2人とも渋い強面で存在感のある脇役を得意としていたから。
先ほど紹介した「兄弟役をやったら違和感ゼロ」という投稿のとおり、並べてみると雰囲気がよく似ています。
國村隼は韓国映画で大きな賞を受賞
ちなみに國村隼さんは、2016年の韓国映画『哭声/コクソン』で青龍映画賞の男優助演賞と人気スター賞を受賞しています。
外国人俳優として初めての受賞で、韓国でも広く知られる俳優さんです。
綿引さんとは直接関係のない話ですが、國村さんが韓国で知られた俳優さんだということは、覚えておいて損はないと思います。
妻は女優の樫山文枝
綿引勝彦さんの妻は、女優の樫山文枝さんです。
樫山さんは1941年生まれで、東京都武蔵野市吉祥寺の出身。
NHK連続テレビ小説『おはなはん』の主演で知られ、父は哲学者の樫山欽四郎さんです。
2人は劇団民藝の先輩と後輩で、樫山さんは綿引さんより2年先輩でした。
出会いのきっかけは、日生劇場の『アンネの日記』の公演です。
綿引さんが急きょ代役に抜擢されたとき、アンネ役だった樫山さんから「いい声してるわね」と褒められたそうです。
当時の綿引さんは無名で、弾き語りのアルバイトで生計を立てていました。
人気女優と無名の若手の結婚に、世間はかなり驚いたといいます。
それでも綿引さんは、夫婦共演のCMの話をすべて断っていたそうで、そこに役者としての意地を感じますよね。
子供は何人?夫婦に子供はいない
「綿引勝彦 子供 何人」と検索する人もいますが、綿引さんと樫山さんの間に子供はいません。
子供がたくさんいるイメージを持たれやすいのは、ドラマ『天までとどけ』で13人の子供を持つ父親を演じた影響が大きいと思います。
実生活では夫婦2人で暮らし、最期まで樫山さんが寄り添いました。
画面の中の大家族のお父さんと、実際の綿引さんの暮らしは別物だったというわけです。
岡江久美子と天までとどけで演じた夫婦
岡江久美子さんは、TBS系の昼ドラマ『天までとどけ』で綿引さんの妻役を演じた女優さんです。
『天までとどけ』は1991年から1999年まで8シリーズ続いた作品で、綿引さんは13人の子供を育てる父・丸山雄平を演じました。
ドラマが終わったあとも、綿引さんと岡江さんは子供役だった俳優たちと食事会を開くなど、交流を続けていたそうです。
その岡江さんは2020年4月、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなりました。
そして約9か月後の2020年12月に、綿引さんも旅立っています。
ドラマの両親が同じ年に相次いで亡くなったことに、胸が締めつけられたファンも多かったのではないでしょうか。
死去と死因は膵臓がん
綿引勝彦さんは、2020年12月30日に膵臓がんのため75歳で亡くなりました。
訃報は年が明けた2021年1月13日に、所属事務所から書面で発表されています。
2018年8月に膵臓の嚢胞を取る手術を受けた際にがんが見つかり、翌年には肺への転移も判明しました。
2020年には本格的な化学療法を受けていましたが、11月には積極的な治療を終え、自宅で療養していたそうです。
最期の言葉は「投了すると伝えてくれ」
喪主を務めた樫山文枝さんのコメントによると、綿引さんは「病気のことは誰にも言わないでほしい」と強く望んでいました。
療養中は自宅と信州の山小屋で花を植えたり、好きな将棋を指したりして過ごしていたそうです。
最期は夢うつつの中で「投了すると伝えてくれ」とつぶやき、眠るように息を引き取ったといいます。
将棋好きの綿引さんらしい言葉で、読んでいてじんわりきました。
最後まで周りに心配をかけず、身の回りをきちんと整理してから旅立った、綿引さんらしい最期でした。
綿引勝彦の国籍のまとめ
- 綿引勝彦の国籍は日本の可能性が高い
- 本人が国籍について語った記録は見つかっていない
- 事務所の発表や訃報も国籍そのものには触れていない
- Wikipediaは「日本の俳優」、NHKアーカイブスは「東京都出身」と紹介
- 1945年11月23日生まれで東京都(武蔵野市とされる)出身
- 本名は芸名と同じ綿引勝彦
- 旧芸名は綿引洪で、洪は下の名前として「ひろし」と読む
- 韓国籍説は旧芸名の字面が関係している可能性があるが、裏づける情報はない
- 兄弟について公表された情報はない
- 國村隼とは雰囲気が似ているだけで血縁関係はない
- 國村隼は韓国映画『哭声/コクソン』で青龍映画賞を受賞している
- 妻は劇団民藝の先輩で女優の樫山文枝
- 夫婦の間に子供はいない
- 『天までとどけ』で岡江久美子と13人の子供を持つ夫婦を演じた
- 2020年12月30日に膵臓がんのため75歳で死去した

