剣豪の家として知られる柳生一族と、俳優の柳生博さん。
同じ名字というだけの偶然なのか、それとも本当に血がつながっているのか、気になっている方は多いのではないでしょうか。
調べていくと、いちばん有名な柳生十兵衛の血筋がすでに途絶えていたという事実にぶつかって、思わず手が止まりました。
・柳生博が柳生宗厳の末裔にあたる家系だとされる根拠
・直系子孫かどうかを言い切れない理由と、十兵衛の血筋が絶えた経緯
・妻・二階堂有希子と息子2人まで続いた柳生家の現在
柳生博の家系図と柳生一族とのつながり
柳生博さんの家系図をたどると、行き着くのは剣豪で知られるあの柳生一族です。
ここでは一族とのつながりから、妻や2人の息子まで順番に見ていきますね。
家系は柳生新陰流の柳生宗厳の末裔
まず結論からお伝えします。
柳生博さんは、柳生新陰流で知られる柳生宗厳(やぎゅう むねよし)の末裔にあたる家系に生まれた人物です。
これはファンのあいだの噂話ではなく、Wikipediaの本人記事にもはっきり書かれている内容なんですよ。
柳生宗厳は戦国時代から江戸時代初期にかけての武将で、上泉信綱から新陰流を相伝した人物です。
のちに石舟斎(せきしゅうさい)と号したことでも知られていますね。
その一族が徳川将軍家の剣術指南役をつとめたことから、柳生の名は「剣豪の家」として今日まで残り続けました。
その血筋につらなる家に、俳優の柳生博さんが生まれた——と聞くと、ちょっと背筋が伸びる感じがしませんか。
生まれは1937年1月7日、茨城県稲敷郡舟島村(現在の阿見町)です。
奈良の柳生の里からは遠く離れた土地ですが、名字だけが偶然一致したというより、一族の系統が各地に広がった結果と考えるのが自然でしょう。
なお、長男の柳生真吾さんのWikipedia記事にも「剣豪として知られる柳生氏の末裔」という記述があります。
つまり父子2代にわたって、同じ説明のされ方をしているわけですね。
柳生家に伝わっていたとされるしきたり
まとめ系メディアでは、柳生家に「男子は12歳になったら一人旅をさせる」というしきたりがあったと紹介されています。
柳生博さん自身も中学時代に一人旅を経験し、それがその後の生き方に影響したと語られてきました。
ただしこれは一次資料で確認できる話ではなく、単独ソースの情報です。
家風を伝えるエピソードとして受け取るくらいがちょうどよさそうですね。
直系の子孫かどうかは確定していない
ここが、家系図を調べている人がいちばん知りたいところだと思います。
そして正直に書くと、柳生博さんが柳生家の直系子孫かどうかは、公開されている資料からは確定できません。
Wikipediaの記述は「柳生宗厳(柳生氏)の末裔にあたる家系に誕生」という書き方で止まっています。
「末裔にあたる家系」という言い回しは、宗厳から本人まで系図を一本でつなげたという意味ではありません。
実際、この話題を扱っている個人ブログの多くも「詳しい関係まではわかりませんでした」と結論づけています。
Yahoo!知恵袋では、テレビ出演時に柳生家の家紋入りの甲冑や太刀を所持していたという話も出ていますが、これも真偽を裏づける公的な資料は見当たりません。
ここ、期待して調べに来た人ほど肩透かしを食らう部分かもしれませんね。
ただ、後ほど見ていく通り、そもそも柳生家は途中で本流が分岐したり血筋が絶えたりしている一族です。
「直系か傍系か」を一言で言い切れないのは、むしろ柳生という家の歴史そのものが理由だと言えます。
系図の起点は石舟斎と三人の息子
柳生博さんの家系を語るうえで、出発点になるのが柳生宗厳(石舟斎)の代です。
宗厳には複数の息子がいましたが、歴史に名前を残しているのは主に3人ですね。
| 人物 | 続柄 | どんな人か |
|---|---|---|
| 柳生厳勝 | 宗厳の長男 | 筒井順慶との戦いで鉄砲により戦傷を負った |
| 柳生宗章 | 宗厳の四男 | 中村一氏に仕官した |
| 柳生宗矩 | 宗厳の五男 | 家康・秀忠・家光に仕え、大名にまで栄進した |
注目したいのは、家を大きくしたのが長男ではなく五男の宗矩だったという点です。
宗矩は最終的に1万2,500石を領するところまで上りつめました。
剣術の家がそのまま大名になるというのは、当時としてもかなり異例のことですよね。
そして宗矩の子として生まれたのが、時代劇でおなじみの柳生十兵衛こと柳生三厳です。
十兵衛は父の跡を継いで藩主となりますが、一代で旗本に戻っています。
十兵衛の血筋は曾孫の代で絶えた
家系図をたどるときにいちばん引っかかるのが、この十兵衛の代です。
柳生十兵衛の子は娘2人だけで、それぞれ他家に嫁ぎ、曾孫の代で血筋が途絶えています。
つまり、いちばん有名な十兵衛のラインは現代までつながっていないんですね。
知ったとき、ちょっと驚きませんでしたか。
では柳生家そのものが消えたのかというと、そうではありません。
十兵衛の死後、弟の柳生宗冬が家督を相続して大名に復帰しています。
以後、柳生藩は明治維新まで存続しました。
1869年の版籍奉還では最後の藩主だった俊郎さんが華族に列し、1884年には子爵位を授けられています。
その後は婿養子の俊久さんが継ぎ、さらに息子の重五さんが相続したという流れです。
ここで押さえておきたいのは、柳生の家名は「十兵衛の直系」ではなく、弟の宗冬の系統によって守られたということ。
家系図を「十兵衛の子孫かどうか」で追いかけると、そもそも行き止まりになってしまうわけですね。
江戸柳生と尾張柳生に分かれた系譜
柳生家を調べていると、必ず出てくるのが「江戸柳生」と「尾張柳生」という2つの呼び名です。
ここを整理しておくと、家系図がぐっと見やすくなりますよ。
| 系統 | 中心人物 | 立ち位置 |
|---|---|---|
| 江戸柳生 | 柳生宗矩の嫡流(宗冬の系統) | 大和柳生藩を領有し、幕府の剣術指南役として続いた |
| 尾張柳生 | 柳生利厳の系統 | 尾張藩に仕え、新陰流の正統な道統を継ぐ立場を現在も維持 |
利厳は宗矩の甥にあたる人物で、系統としては長男・厳勝のラインにつながります。
つまり、いわゆる「柳生家」はひとつの直線ではなく、早い段階から二股に分かれていたわけです。
しかも、大名として家名を残したのは江戸柳生、剣術の道統を残したのは尾張柳生と、残したものまで分かれています。
……こうして見ると、柳生という家の面白さがちょっと分かってきませんか。
柳生博さんがどちらの系統に近いのかまでは公表されていませんが、少なくとも「柳生家=一本の家系図」という前提そのものが成り立たないことは押さえておきたいところです。
妻は初代峰不二子役の二階堂有希子
ここからは、柳生博さん自身が築いた家族のほうを見ていきましょう。
妻は女優・声優の二階堂有希子さんです。
アニメ『ルパン三世』の第1シリーズで、初代の峰不二子を演じた方といえば分かる人も多いのではないでしょうか。
グレース・ケリーやオードリー・ヘプバーンの吹き替えも担当していた実力派で、洋画ファンにもおなじみの声でした。
結婚と出産を機に芸能界の第一線からは退き、その後は八ヶ岳倶楽部の運営を家族とともに支えています。
まとめ系メディアによると本名は柳生加津子さん、1940年10月27日生まれとされていますが、こちらは単独ソースの情報です。
なお、2013年ごろに認知症を発症し、のちに特別養護老人ホームへ入居したとも報じられてきました。
こちらも一次資料で確認できる情報ではないため、断定はできません。
ただ、夫婦がそろって公の場から距離を取り、八ヶ岳の暮らしに軸を移していったのは確かなようです。
長男・柳生真吾は園芸家として活躍
柳生博さんの長男が、園芸家の柳生真吾さんです。
1968年3月3日生まれ、東京都出身で、玉川大学農学部を卒業しています。
幼いころから祖父や父・博さんの影響で植物や動物に親しみ、園芸家を志したと語られていますね。
大学卒業後はいきなり表に出るのではなく、花の生産農家で3年間の修行を積んでいます。
このあたり、家の名前に頼らない歩き方をした人なんだなと感じます。
NHK『趣味の園芸』のキャスターとして
真吾さんの名前を全国区にしたのが、2000年から務めたNHK『趣味の園芸』のキャスターです。
それまで年配層のイメージが強かった番組の空気を変えた立役者として知られています。
2007年からはNHK教育テレビ『モリゾー・キッコロ 森へいこうよ!』にも出演し、八ヶ岳から季節の便りを写真で届けていました。
八ヶ岳倶楽部の代表もつとめ、父の始めた森づくりを実務の面から引き継いだ存在です。
47歳での早すぎる死
その真吾さんは、2015年5月2日、咽頭がんのため47歳の若さで亡くなりました。
これは、正直に言って読んでいて胸が痛くなる話です。
父より先に息子が旅立つという順序になってしまったわけですから、家族の受け止め方は想像するしかありません。
家系図を調べていてここに行き着き、手が止まった人もいるのではないでしょうか。
次男・柳生宗助が八ヶ岳倶楽部を継承
長男の死後、八ヶ岳倶楽部を引き継いだのが次男の柳生宗助さんです。
1972年、東京生まれ。
八ヶ岳倶楽部の公式サイトによると、大学時代に1年間休学して倶楽部を手伝った経験があるそうです。
その後の経歴が少し意外で、卒業後は商社に勤め、次いで外資系の香料会社へ移り、タイに2年・シンガポールに2年と海外駐在を経験しています。
芸能でも園芸でもない道を歩いていたんですね。
そして42歳で八ヶ岳倶楽部に戻り、兄・真吾さんのあとを継いで2020年から3代目の社長をつとめています。
運営会社は有限会社八ヶ岳プランニングです。
孫は7人とされる
まとめ系メディアの記述では、柳生博さんの孫は7人とされています。
内訳は長男・真吾さんに4人、次男・宗助さんに3人という説明です。
ただしこれは単独ソースの情報で、公式に発表された人数ではありません。
参考程度に受け止めるのがよさそうですね。
柳生博の家系図を調べる人向けの関連情報
家系図と一緒によく検索されているのが、学歴の噂や代表番組、そして最期についてです。
ここからはそのあたりをまとめて整理していきますね。
東大に合格したという説の真偽
「柳生博 東大」で検索している人、けっこう多いんですよ。
結論から書くと、柳生博さんは東京大学の卒業生ではありません。
進学したのは東京商船大学(現在の東京海洋大学)です。
では東大の話はどこから来たのか。
まとめ系メディアや新聞コラムでは、「東大にも合格していたが、あえて2期校の東京商船大学へ進んだ」という説明がされています。
当時の国立大学は1期校・2期校に分かれており、1期校の東大や京大に受かりながら2期校へ進む学生も珍しくなかった——という時代背景も添えられていますね。
ただ、この「東大合格」の部分は本人の公式プロフィールで確認できるものではなく、単独ソースの域を出ません。
確実に言えるのは、出身高校が茨城県立土浦第一高等学校で、進学先が東京商船大学だったということです。
東京商船大学を中退して俳優座へ
その東京商船大学も、柳生博さんは卒業していません。
船員を志して入学したものの、視力の問題で断念し、体調も崩して中退したと伝えられています。
海の仕事をあきらめた人が、そこから俳優の道に進むというのは、なかなか大きな方向転換ですよね。
中退後は劇団俳優座の養成所に入所し、役者を志します。
俳優としての活動開始は1960年からです。
そこから60年以上にわたって画面に出続けたわけですから、進路変更としては大成功だったと言っていいでしょう。
ちなみに晩年の2019年には、20年ぶりのドラマ出演として『やすらぎの刻〜道』に登場しています。
本人によれば、これが最後のドラマ出演になりました。
100万円クイズハンターの司会を12年
柳生博さんといえば、この番組を思い出す人が多いはずです。
テレビ朝日『100万円クイズハンター』の司会を、1981年9月28日から1993年10月1日まで、12年にわたってつとめました。
「ハンターチャンス」や「ゴールデンハンマー」といった名物のかけ声・アイテムは、当時の子どもたちにもしっかり刷り込まれていましたよね。
俳優としてのシリアスな顔と、昼のクイズ番組で見せる柔らかい顔。
その両方を持っていたことが、幅広い世代に名前が届いた理由なのだと思います。
死去が報じられたときも、多くのメディアが「100万円クイズハンターの司会で親しまれた」という見出しを立てていました。
八ヶ岳倶楽部を1989年に開設
家系図の話からは少し離れますが、柳生家の「いま」を語るうえで外せないのが八ヶ岳倶楽部です。
1989年、山梨県大泉村(現在の北杜市)にギャラリー・レストランとして開設されました。
建物、雑木林、囲炉裏、枕木を使った散策路——これらの設計や作庭は、柳生博さんと真吾さんら家族の手によるものです。
もともとは長男がいじめを受けていたことをきっかけに、東京との二重生活を始めたと伝えられています。
家族の事情から始まった移住が、30年以上続く森づくりに育っていったわけですね。
柳生博さんは松の人工林を買い取り、紅葉やブナを植える活動にも力を注ぎました。
その積み重ねが評価され、八ヶ岳倶楽部の森は2025年12月に国の「自然共生サイト」に認定されています。
剣の家として知られた柳生の名前が、いまは森を育てる名前として続いている。
……なんだか、いいですよね。
なお柳生博さんは、2004年4月17日に日本野鳥の会の第5代会長に就任し、2019年6月19日に名誉会長となっています。
死因は自宅での老衰だった
最後に、柳生博さんの最期についても触れておきます。
2022年4月16日午前9時40分、山梨県北杜市の自宅で老衰のため亡くなりました。85歳でした。
訃報が発表されたのは同月21日です。
息子さんの発表によれば、入院はせず、家族と倶楽部のスタッフ、在宅ケアのスタッフに囲まれ、愛した八ヶ岳の森のなかで息を引き取ったといいます。
自分で育てた森の中で最期を迎えるというのは、この人らしい終わり方だったのではないでしょうか。
同じ年の7月30日には、八ヶ岳倶楽部でお別れ会が開かれました。
剣豪の家に生まれ、俳優として名を知られ、最後は森の人として生きた——柳生博さんの家系図をたどると、そんな一本の線が浮かび上がってきます。
柳生博の家系図のまとめ
- 柳生博は柳生新陰流で知られる柳生宗厳の末裔にあたる家系に生まれた
- ただし直系子孫かどうかは公開資料からは確定できない
- Wikipediaの記述も「末裔にあたる家系に誕生」という表現にとどまる
- 家系図の起点となる宗厳の息子は厳勝・宗章・宗矩の3人が知られる
- 家を大名に押し上げたのは五男の宗矩で、1万2,500石を領した
- 宗矩の子が時代劇でおなじみの柳生十兵衛(三厳)
- 十兵衛の子は娘2人で、曾孫の代で血筋が絶えたとされる
- 十兵衛の死後は弟の宗冬が家督を継ぎ、柳生藩は明治維新まで続いた
- 柳生家は江戸柳生(宗矩の嫡流)と尾張柳生(利厳の系統)に分かれている
- 柳生博の出身地は茨城県稲敷郡舟島村(現在の阿見町)
- 妻は『ルパン三世』初代 峰不二子役の二階堂有希子
- 長男・柳生真吾は園芸家で、2015年5月2日に咽頭がんのため47歳で死去
- 次男・柳生宗助は2020年から八ヶ岳倶楽部の3代目社長
- 学歴は東京商船大学中退で、東大合格説は単独ソースにとどまる
- 2022年4月16日に山梨県北杜市の自宅で老衰のため85歳で死去

