報道ステーションのメインキャスターとしておなじみの大越健介さんですが、実家がどこにあるのかご存じでしょうか。
実は新潟県の日本海に面した小さな港町で生まれ、3歳のときに家ごと引っ越しているんです。
そして実家の父は、家族が眠っている午前3時に起きて勉強を続けていた人でした。この話を知ると、あの落ち着いた語り口の背景が少し見えてきますよ。
・大越健介の実家がある場所と、3歳で引っ越すことになった経緯
・県庁職員から税理士へ転じた父と、県庁勤めだった母の人物像
・3兄弟の次男という立場と、父が63歳で急逝した日の実家の様子
大越健介の実家は新潟の港町・寺泊
報道ステーションでおなじみの大越健介さんですが、その実家がどこにあるのかは意外と知られていません。
ここでは実家の場所から両親の職業、そして大越家に代々伝わるルーツまで、順番に見ていきますね。
実家は新潟県寺泊町の小さな港町
大越健介さんの実家をたどると、行き着くのは新潟県の日本海側にある小さな港町です。
生まれたのは新潟県三島郡寺泊町、現在の長岡市寺泊エリアにあたる場所でした。
寺泊は「魚のアメ横」とも呼ばれる鮮魚店の並ぶ通りで知られる町で、目の前がすぐ日本海という土地です。
大越さん自身も、自分のブログの中で「僕は寺泊という、父母のふるさとである新潟県の小さな港町で生まれ、ごく幼い頃を過ごした」と書いています。
つまり寺泊は本人の出生地であるだけでなく、父方も母方もそろってルーツを持つ土地だということですね。
ニュースの現場で淡々と原稿を読むあの姿からは、なかなか潮の匂いのする港町は想像しにくいかもしれません。
……でも、こういう背景を知ってから画面を見ると、ちょっと印象が変わってきませんか。
大越健介さんの実家のおおもとは、新潟県寺泊町という日本海に面した港町にあります。
夏休みと冬休みは祖母のいる寺泊へ
寺泊は、生まれてすぐ離れたきりの場所というわけでもありません。
大越さんは幼少期、夏休みや冬休みになると祖母が暮らす寺泊へ帰る生活を送っていたと語っています。
長期休みのたびに海のある町へ戻る、というのは子どもにとってかなり贅沢な原体験ですよね。
新潟市で暮らしながらも寺泊とのつながりが切れなかったのは、この帰省の習慣があったからだと考えられます。
3歳で新潟市へ移った父の転勤
寺泊で生まれた大越健介さんですが、その町でずっと育ったわけではありません。
3歳ごろ、父親の転勤をきっかけに一家は新潟市へ引っ越しています。
父親が新潟県庁の職員だったため、県内での異動があったのだろうと推測できます。
そのため実家はどこかと聞かれたときの答えが、資料によって寺泊だったり新潟市だったりと揺れているんですね。
整理すると、こういう形になります。
| 時期 | 暮らした場所 | 位置づけ |
|---|---|---|
| 誕生〜3歳ごろ | 新潟県三島郡寺泊町(現・長岡市) | 出生地・父母のふるさと |
| 3歳ごろ〜高校卒業 | 新潟市内 | 少年時代を過ごした家 |
| 大学進学以降 | 東京 | 帰省先としての実家は新潟 |
少年時代を過ごしたのは新潟市内の一軒家だったと伝えられています。
新潟市東区の公立中学に通っていたことも分かっているので、生活の拠点は市の東側だったと見てよさそうです。
出生地は寺泊、育った家は新潟市というのが、大越健介さんの実家をめぐる正確な整理になります。
父は新潟県庁職員から税理士へ
大越健介さんの実家を語るうえで、どうしても外せないのが父親の存在です。
父親は新潟県庁の職員として長く働き、その後に税理士の資格を取って独立しています。
しかもこれ、若い頃から順風満帆に進んだ話ではありませんでした。
大越さんが文藝春秋に寄せたエッセイによると、父親はもともと大の勉強好きだったそうです。
ところが祖父が早くに亡くなったことで、長男として弟や妹を養う役目が回ってきました。
机に向かいたくても向かえないまま、働くことを優先するしかなかったんですね。
正直、この経緯を読んだときは胸が詰まりました。
その父親が勉強の時間として選んだのが、家族がまだ眠っている早朝でした。
午前3時ごろに起き出して資格の勉強をしていたといいますから、なかなかできることではありません。
高校受験を控えた大越さん自身が、深夜に起きたときに勉強中の父と鉢合わせしたこともあったと記されています。
受験生の息子と、資格取得を目指す父親が、同じ家で夜明け前に顔を合わせる。
……なんというか、この光景だけで一本の物語になりそうですよね。
そして念願の税理士資格を取ったあと、父親は定年までまだ時間があったにもかかわらず県庁を辞めています。
自宅に小さな税理士事務所を構え、儲けを追うよりも自分の志を優先する経営をしていたそうです。
大越さんはその姿を、一国一城の主として誇らしげだったと振り返っています。
つまり大越健介さんの実家は、県庁職員から税理士へと自力で道を切り開いた父親の家だった、ということです。
口癖は「健介、いい気になるな」
父親の人物像を一番よく表しているのが、この一言だと思います。
大越さんによると、父親は元気で調子に乗りやすい息子に対して「健介、いい気になるな」と口癖のように言い聞かせていました。
貧しい時代を堅実に生き抜いてきた父親から見ると、高度成長期に育つ息子の勢いはどこか危なっかしく映ったのでしょう。
ほめて伸ばすというより、足元を見ろと繰り返すタイプの父親だったわけですね。
報道の現場で長年、浮ついた表現を避け続けてきた大越さんの姿勢を思うと、この言葉が効いていたのかもしれないなと感じます。
週末はログハウスを建てるのが夢だった
もうひとつ、父親には温かいエピソードが残っています。
週末に山の土地へ通い、そこへ自分でログハウスを建てるのが夢だったと伝えられています。
平日は税理士として机に向かい、週末は山で汗をかく。
……いいですよね、こういう生き方。
母も県庁勤めで定年後は俳句が趣味
父親の話が濃いので影に隠れがちですが、母親についても情報が残っています。
母親も県庁に勤める公務員で、定年まで勤め上げたとされています。
夫婦そろって県庁職員という家庭だったわけで、実家はかなり手堅い共働き家庭だったと言えそうです。
定年後は俳句を趣味にしていて、大越さんが母親の作った句に感想を伝えることもあったといいます。
大人になってからも母親からは健ちゃんと呼ばれていたそうで、この距離感はちょっと微笑ましいですよね。
普段の母親は穏やかで泰然としたタイプだったとも伝えられています。
その母親が唯一、大きく取り乱したのが父親の訃報を受けたときでした。
ただし母親の職業や趣味については、大越さん本人が公の場で詳しく語っているわけではありません。
母親についての情報は父親ほど多くありませんが、県庁勤めを定年まで続け、俳句を楽しむ人だったと伝えられています。
屋号「わんしょ」と能登・輪島のルーツ
大越健介さんの実家を調べていくと、寺泊のさらに手前にもうひとつの土地が出てきます。
それが能登半島の輪島です。
きっかけは、亡くなった父親の法事でした。
20年ほど前に寺泊を訪ねた際、大越家が代々世話になっている寺の住職から、大越家のルーツについて初めて聞かされたと本人が語っています。
そこで出てきたのが、父方の実家に伝わる「わんしょ」という屋号でした。
この屋号の由来については、能登の輪島から寺泊へ移り住んだ輪島塗の職人にさかのぼるという説が伝わっています。
輪島塗の椀に由来する呼び名だと考えれば、屋号としては筋が通っている気がしますよね。
ただし、この由来を伝えているのは限られた情報源だけなので、確定した家系の記録として受け取るのは避けたほうがよさそうです。
なお、この話はあくまで能登から新潟への国内の移動を指しています。
海外にルーツがあるという類の話とは無関係である点は、押さえておきたいところです。
大越家のルーツは能登・輪島から寺泊へ渡ってきた一族にあるとされ、その名残が「わんしょ」という屋号に残っています。
3兄弟の次男で兄は医師
実家で育ったのは、大越健介さん一人ではありません。
大越さんは3兄弟の次男にあたります。
長男である兄と、三男である弟がいる真ん中の立場ですね。
兄弟それぞれの進路が、これがまたなかなかのものです。
| 続柄 | 分かっていること |
|---|---|
| 兄(長男) | 医師。新潟大学医学部を卒業し、日本歯科大学新潟生命歯学部の教授、日本歯科大学医科病院の病院長を務めたとされる |
| 本人(次男) | 東京大学文学部卒。NHKを経て報道ステーションのメインキャスター |
| 弟(三男) | 父の急逝当時は仙台の大学に在学中 |
兄は大越章吾さんという名前で、医療の世界で要職に就いた人物として名前が挙がっています。
医師と報道キャスターが兄弟というのは、なかなかインパクトのある家系ですよね。
もっとも、両親がそろって県庁職員で、父親が働きながら税理士資格を取るような家庭です。
そう考えると、兄弟がそれぞれ専門職の道へ進んだのは自然な流れだったのかもしれません。
弟については、大越さん自身のブログに仙台の大学に通う弟という記述が残っている程度で、その後の進路までは公になっていません。
大越健介さんは3兄弟の次男で、兄は医師として病院長を務めた人物だと伝えられています。
父が63歳で急逝した日の実家
大越健介さんの実家をめぐる話の中で、もっとも重い出来事がこれです。
父親は63歳という若さで急逝しました。
心臓発作だったと伝えられています。
税理士として独立し、これから自分の時間を楽しもうというところだったはずで、あまりにも早すぎる別れでした。
そして、その前日の状況がまた切ないんですよね。
大越さんのブログには、春分の日を挟んだ連休に、東京に住む兄と本人、仙台の大学に通う弟の3人が、申し合わせたわけでもないのに偶然そろって新潟の実家に帰省していた、という記述があります。
3兄弟がそろった翌朝に、父の死の知らせが届きました。
父親は、夢だったログハウスの準備小屋で幼なじみに発見されたと伝えられています。
正直、この流れを知ったときは言葉が出ませんでした。
普段は泰然としていた母親が、このときだけは大きく取り乱したというのも、読んでいて胸に来るものがあります。
偶然そろった帰省が、結果として父親と会える最後の機会になった。
……これを偶然と呼んでいいのか、ちょっと分からなくなりますよね。
3兄弟がたまたま実家に集まった翌朝に父が急逝したという出来事は、大越健介さんの実家を語るうえで欠かせないエピソードです。
大越健介の実家を調べる人向けの関連情報
ここからは、実家とあわせてよく調べられている学歴や家族についてまとめていきます。
新潟の実家を出たあと、大越健介さんがどんな道を歩いたのかが見えてきますよ。
学歴は新潟高校から東京大学
新潟市で育った大越健介さんは、地元の公立校から進学しています。
中学は新潟市東区にある新潟市立石山中学校、高校は新潟県立新潟高等学校です。
新潟高校は県内でもトップクラスの進学校として知られる学校ですね。
その後、1年間の浪人を経て東京大学の文科三類へ進み、文学部国文学科を卒業しています。
現役合格ではなく浪人を挟んでいるあたり、いい気になるなと言われ続けた家庭の空気を思い出します。
高校時代は野球部に所属していて、2年生のときは強肩の捕手、3年生では投手に転向しました。
春の県大会で準優勝、夏の県大会はベスト8という成績を残しています。
学歴は新潟県立新潟高等学校から1浪して東京大学文学部というルートです。
東大野球部では右サイドスロー投手
東京大学に進んでからも、大越健介さんは野球を続けています。
ポジションは右のサイドスロー投手でした。
東京六大学リーグでの通算成績は、なかなか具体的な数字が残っています。
| 項目 | 記録 |
|---|---|
| 登板 | 通算50試合 |
| 勝敗 | 8勝27敗 |
| 防御率 | 3.52 |
| 奪三振 | 142 |
負け数のほうが多いのは、当時の東大野球部の立ち位置を考えれば無理もないところです。
その中で早稲田大学から2度の完封勝利を挙げているのは、はっきり言ってすごい記録ですよ。
さらに1983年には日米大学野球選手権大会の日本代表にも選ばれています。
東大の投手が学生日本代表というのは、なかなか出てくる経歴ではありません。
東京六大学で50試合に登板し、早大から2度完封するなど、大越健介さんは本格派の学生投手でした。
妻と出会ったのは東京大学時代
大越健介さんは学生時代に出会った女性と結婚しています。
妻とは東京大学時代に出会い、24歳で結婚したとされています。
妻は看護師として医療の現場で働いた経験を持つ人物だと伝えられています。
一般の方なので、顔写真や詳しいプロフィールは公表されていません。
結婚後は3人の息子を育てながら、夫のキャリアを支えてきたといいます。
番組についても率直な感想を伝えるタイプだそうで、身近に厳しい視聴者がいる状態なんですね。
……それはそれで、キャスターとしてはありがたい環境かもしれません。
息子3人は全員が野球経験者
大越健介さんには息子が3人います。
夫婦と息子3人の5人家族ですね。
父親が東大の投手だっただけあって、息子たちも野球に取り組んでいます。
長男の遼介さんは日本大学第三高等学校の左腕エースとして、2005年夏の甲子園でベスト8まで進みました。
その後は明治大学の硬式野球部に所属し、社会人野球のチームでプレーしたのち2012年に引退しています。
現在はグラフィックデザイナーとして活動し、東京都小金井市の市制施行60周年シンボルマークを手がけたと伝えられています。
次男は日大三高から順天堂大学へ進み、アメリカの大学院で学んだのち日本オリンピック委員会に勤務しているという情報もあります。
三男については資源関連の分野でキャリアを築いているとされていますが、いずれも一般の方なので詳細は限られています。
なお2014年には孫が誕生していて、大越さんはすでにおじいちゃんでもあります。
息子3人はいずれも野球を経験し、長男は甲子園に出場したのちグラフィックデザイナーになっています。
現在は報道ステーションのメインキャスター
最後に、大越健介さんの現在の立ち位置も確認しておきましょう。
大学卒業後の1985年にNHKへ入局し、最初の4年間は岡山放送局に勤務しました。
1989年度からは報道局政治部で政治記者となり、橋本龍太郎氏の番記者や竹下派の担当を務めています。
2005年にワシントン支局へ配属され、2006年からは支局長を任されました。
帰国後の2010年3月29日からニュースウオッチ9のメインキャスターを務め、2015年3月27日に降板しています。
そして2021年6月30日にNHKを定年退職し、同年10月からテレビ朝日の報道ステーションでメインキャスターに就任しました。
2022年10月からは月曜から金曜までの担当となっています。
新潟の港町に生まれた少年が、いまは平日夜のニュースを毎日届ける立場にいるわけですね。
大越健介さんは現在、テレビ朝日の報道ステーションでメインキャスターを務めています。
大越健介の実家のまとめ
- 大越健介の出生地は新潟県三島郡寺泊町、現在の長岡市寺泊エリア
- 寺泊は日本海に面した港町で、父母双方のふるさとにあたる
- 3歳ごろに父の転勤で新潟市へ転居し、少年時代は新潟市内の一軒家で過ごした
- 夏休みや冬休みは祖母の暮らす寺泊へ帰る生活を送っていた
- 父は新潟県庁の職員で、のちに税理士資格を取って独立した
- 父は祖父を早く亡くしたため長男として弟妹を養い、勉強の時間を持てなかった
- 資格の勉強は午前3時ごろに起きて行っていたとされる
- 父の口癖は健介いい気になるなだった
- 週末に山の土地へログハウスを建てるのが父の夢だったと伝えられる
- 母も県庁勤めの公務員で、定年後は俳句を趣味にしていたとされる
- 父方の実家にはわんしょという屋号があり、能登・輪島から寺泊へ移った職人に由来するという説がある
- 大越健介は3兄弟の次男で、兄は医師、弟は当時仙台の大学生だった
- 父は63歳で急逝し、その前日には3兄弟が偶然そろって実家に帰省していた
- 学歴は新潟市立石山中学校、新潟県立新潟高等学校、1浪して東京大学文学部国文学科
- 妻とは東京大学時代に出会い、息子3人はいずれも野球を経験している

