梅宮辰夫さんの国籍を検索すると、なぜか「中国人だったの?」という声が一緒に出てきます。
結論から言うと、梅宮辰夫さんが自分の国籍を公表した記録は確認できませんが、父も祖父も日本人で、本人は1946年に引揚者として日本へ帰ってきています。
この記事では、国籍をめぐる話がどこから生まれたのか、その出どころまで含めて整理していきますね。
・梅宮辰夫の国籍について確認できることと、確認できないこと
・父・祖父の出自と、満州国ハルビンで生まれた経緯
・中国人説が広まったきっかけになったプロフィールの表記
梅宮辰夫の国籍と中国人説が広まった理由
まずは梅宮辰夫さんの国籍について、公表されている情報と、そこから読み取れることを順番に見ていきます。
生まれた場所と、家族の来歴の2つを押さえると、話がすっきり整理できますよ。
国籍を公表した記録は確認できない
最初に、いちばん正直なところをお伝えしておきます。
梅宮辰夫さん本人が自分の国籍について語った発言や、国籍を明記した公的な記録は確認できませんでした。
芸能人のプロフィールというのは、生年月日・出身地・血液型あたりまでは載っていても、国籍の欄までは用意されていないことがほとんどです。
梅宮辰夫さんも同じで、事務所の公式プロフィールにも、映画会社の俳優紹介にも、国籍という項目自体がありません。
ここ、意外に思われるかもしれませんね。
ただ、国籍そのものが書かれていないからといって、何かを隠しているという話ではないんです。
そもそも日本の芸能人は、国籍を公表する習慣がありません。
ですのでこの記事では、断定できないところは断定せず、確認できる事実だけを積み上げていきます。
具体的には、生まれた場所、父と祖父の経歴、そして日本へ戻ってきたときの立場の3つです。
この3つを並べると、なぜ「中国人では?」という声が出るのかも、同時に見えてきます。
生まれは満州国のハルビン市
梅宮辰夫さんは1938年3月11日生まれです。
そして生まれた場所が、満州国浜江省ハルビン市でした。
現在の地図でいうと、中華人民共和国の黒竜江省ハルビン市にあたります。
ここが今回の話の出発点です。
満州国というのは、1932年から1945年まで中国東北部に存在した国家で、日本が深く関与して成立した経緯があります。
当時この地域には多くの日本人が仕事のために渡っていて、現地で子どもが生まれるというのは、まったく珍しいことではありませんでした。
梅宮辰夫さんもそのひとりです。
つまり、生まれた土地が今の中国にあることと、その人の国籍がどこかというのは、まったく別の話なんですよね。
ここが混ざってしまうと、話が一気にややこしくなります。
生まれた場所が現在の中国国内であることは事実ですが、それだけで国籍を判断することはできません。
ちなみに育った場所は日本国内で、茨城県水戸市で少年時代を過ごしています。
「出身地は満州、育ちは水戸」というのが、梅宮辰夫さんの正確な言い方になりますね。
父・次郎は満鉄病院に勤めた医師
では、なぜ一家は満州にいたのでしょうか。
理由は父親の仕事です。
梅宮辰夫さんの父・梅宮次郎さんは、満洲医科大学を卒業して医師になり、満州国ハルビン特別市の満鉄病院に勤務していました。
満洲医科大学は当時の満州にあった日本の医学教育機関で、満鉄病院は南満州鉄道が運営していた病院です。
どちらも、当時この地域に渡っていた日本人が働く場所でした。
お医者さんとして現地に赴任していた、ということですね。
梅宮辰夫さんは5人きょうだいの長男で、下に弟が2人、妹が2人います。
大家族が父の赴任先で暮らしていた、という光景が浮かびます。
後年、梅宮辰夫さんは釣り好きとしても知られましたが、その原点も満州時代にありました。
旧満州に住んでいた子どもの頃、医師だった父と一緒に川釣りを始めた、と本人が語っています。
……なんか、いいですよね。
豪快なイメージのある梅宮辰夫さんの、いちばん最初の趣味の記憶が、父親との川釣りだったというのは。
父・次郎さんは日本の医学教育を受けて満州へ赴任した日本人医師であり、一家が現地にいたのは仕事の都合でした。
先祖は会津若松で煙草を売る商家
もう少しさかのぼると、梅宮家のルーツも記録されています。
先祖は福島県会津若松市の城下で、梅宮屋という名前で煙草を売っていたとされています。
会津若松の城下町で商売をしていた家、ということですね。
屋号が今の名字にそのまま残っているというのも、なかなか味があります。
満州で生まれた人という印象が強い梅宮辰夫さんですが、家をたどっていくと東北の城下町に行き着くわけです。
祖父・辰次郎は日露戦争に従軍した軍人
父の代の話が出たので、そのもうひとつ上の世代も見ておきましょう。
梅宮辰夫さんの祖父は、梅宮辰次郎さんといいます。
この方は陸軍士官学校を卒業したあと日露戦争に従軍し、その後に満洲へ移住しました。
陸軍士官学校は日本陸軍の将校を養成する学校ですから、日本の軍人だったということになります。
そして日露戦争は1904年から1905年にかけての戦争です。
つまり、梅宮家が満州と関わりを持ち始めたのは、父の代ではなく祖父の代からだったんですね。
祖父が移住し、父がその地で医学を学んで医師になり、そこで長男として生まれたのが梅宮辰夫さん、という流れです。
三代にわたる話だと分かると、「なぜ満州で生まれたのか」がすんなり腑に落ちます。
ちなみに、辰夫さんと辰次郎さんで「辰」の字が共通しているのも気づきましたか。
祖父から一字を受け継いだ名前だった可能性がありますが、名付けの経緯そのものは公表されていないため、ここは推測にとどめておきますね。
祖父は日本の陸軍士官学校を出て日露戦争に従軍した人物であり、父方の家系は日本にたどることができます。
1946年に引揚者として博多港へ帰国
そして、国籍を考えるうえでいちばん分かりやすい事実がこれです。
一家は父の異動にともなって開原市(現在の中華人民共和国遼寧省)へ移り、その地で太平洋戦争の終戦を迎えました。
その翌年、1946年に他の引揚者らとともに信濃丸で博多港へ帰国しています。
ここで注目したいのが「引揚者」という言葉です。
引き揚げというのは、終戦にともなって、外地にいた日本人が日本へ戻ってきたことを指します。
つまり引揚船に乗って博多港へ帰国したという記録そのものが、一家が日本人として扱われていたことを示しています。
当時8歳の子どもだった梅宮辰夫さんにとって、これはかなり過酷な体験だったはずです。
正直、この時期の引き揚げの話は、どれを読んでも胸が詰まります。
ただ、梅宮辰夫さん自身がこのときの体験をどう語っていたかについては、まとまった記録を確認できませんでした。
ここは想像で埋めずに、事実だけを置いておきます。
終戦は父の異動先だった開原市で迎えた
生まれたのはハルビンですが、終戦を迎えた場所は開原市でした。
父・次郎さんの異動にともなう移動です。
ハルビンは現在の黒竜江省、開原は現在の遼寧省にあたるので、同じ中国東北部でもかなり離れた土地になります。
「梅宮辰夫はハルビン生まれ」という情報と「開原で終戦を迎えた」という情報が、別々のところに書かれていることがあるのはこのためです。
どちらも正しく、時期が違うだけなんですね。
中国人説の出どころはプロフィールの表記
さて、ここまで見てきた事実を踏まえて、いちばん気になるところに入ります。
なぜ梅宮辰夫さんに中国人説が出たのか、です。
大きな理由は、映画情報サイトなどのプロフィール欄に、出身地が「満州」、紹介文に「旧満州、現中国東北部の出身」と書かれていることだと考えられます。
実際に映画.comの俳優ページには、そう記載されています。
これ自体は、まったく正確な表記です。
生まれた土地は満州であり、その場所は現在の中国東北部にあたるわけですから、事実として何も間違っていません。
ただ、プロフィールを流し読みした人の目には「中国東北部の出身」という一行だけが残ります。
そこから「中国出身ということは、もしかして中国の人だったのか」と受け取られてしまう、という流れですね。
実際、Yahoo!知恵袋には、梅宮辰夫さんが中国人だったのかという趣旨の質問が投稿されています。
Googleの検索候補にも「梅宮辰夫 何人」という語が並んでいます。
疑問に思っている人が、ひとりやふたりではないということです。
もうひとつ、誤解を後押ししている可能性があるのが家族構成です。
妻の梅宮クラウディアさんはアメリカ生まれで、娘の梅宮アンナさんは日本人の父とアメリカ人の母のもとに生まれています。
一家に国際的なイメージが強いぶん、本人の出自についても「外国の方なのかな」という連想が働きやすいのかもしれません。
ただしこちらは、あくまで筆者がここまでの事実から組み立てた推測です。
家族の出自と本人の国籍は、まったく別の話ですからね。
整理すると、こうなります。
| 言われていること | 確認できる事実 |
|---|---|
| 中国生まれらしい | 満州国ハルビン市で生まれたのは事実。現在の中国黒竜江省にあたる |
| 中国の人なのでは | 父は日本の医学校を出た医師、祖父は陸軍士官学校を出て日露戦争に従軍 |
| 国籍はどこなのか | 本人の公表は確認できないが、1946年に引揚者として博多港へ帰国している |
中国人説の正体は、プロフィールに書かれた「現中国東北部の出身」という一行の読み違いだったと考えるのが自然です。
梅宮辰夫の国籍を調べる人向けの関連情報
ここからは、梅宮辰夫さんの国籍と一緒に検索されることが多い話題をまとめていきます。
本名や学歴、家族のことなど、人物像がぐっと立体的になる情報ばかりですよ。
本名は梅宮辰雄
梅宮辰夫という名前は芸名で、本名は梅宮辰雄さんです。
「夫」と「雄」の一字違いなので、ほとんど本名のまま活動していたことになります。
芸名というと、まったく別の名前に変えるケースが多いなかで、これはかなり素直な付け方ですよね。
読みも同じ「うめみやたつお」です。
国籍の話でよく持ち出されるのが「本名が違うのでは」という指摘ですが、梅宮辰夫さんの場合、その材料もありませんでした。
学歴は早稲田高校から日本大学法学部へ
梅宮辰夫さんは早稲田高等学校を卒業しています。
そのあと、医学部を受験しましたが不合格となり、日本大学法学部へ進学しました。
ただしこの大学は後に中退しています。
ここ、けっこう驚きませんでしたか。
豪快な役柄のイメージが強い方ですが、もともとは医学部を志していたわけです。
父・次郎さんが医師でしたから、その背中を見て同じ道を考えたとしても不思議はありません。
もっとも、本人が医学部を選んだ理由そのものは公表されていないため、断定はできませんが。
医師の家に生まれ、医学部を目指し、結果的に俳優になったという経歴が梅宮辰夫さんの出発点です。
若い頃は東映ニューフェイス5期生
俳優としてのスタートは、大学在学中でした。
1958年に東映ニューフェイス5期生に合格し、翌年には映画「少年探偵団 敵は原子潜航挺」シリーズで主演デビューを果たしています。
いきなり主演です。
その後はアクション映画や任侠映画といった硬派な役柄から、プレイボーイ役まで幅広く演じました。
代表作としてよく挙げられるのが、主演映画「不良番長」シリーズ、そして「仁義なき戦い」シリーズです。
テレビドラマでは「スクール☆ウォーズ」も広く知られていますね。
晩年は漬物のプロデュースや飲食業など、実業家としての顔でも親しまれました。
2019年12月12日、慢性腎不全のため神奈川県内の病院で亡くなっています。
81歳でした。
生前に6度のがん手術を受けていたことも知られています。
前妻・大門節子とは半年で離婚
梅宮辰夫さんの結婚歴を検索すると、前妻の名前が出てきます。
最初の結婚相手は大門節子さんで、1968年12月に結婚し、翌1969年5月に離婚しています。
結婚生活は、わずか半年ほどでした。
大門節子さんは銀座のクラブに勤めていた方で、梅宮辰夫さんが一目惚れしたと伝えられています。
離婚については、1969年2月に大門節子さんが流産したあと夫婦関係が冷えていった、という説明をしている記事が複数見られます。
ただ、これは当事者が公表した理由ではなく、後年の記事による説明です。
離婚の原因を断定できる材料はありませんので、そういう見方が伝えられている、という受け止め方がいいと思います。
この結婚は国籍とは直接関係ありませんが、「梅宮辰夫 前妻」で検索する方が多い項目なので触れておきました。
妻クラウディアはアメリカ生まれ
再婚相手が、よく知られている梅宮クラウディアさんです。
1972年3月に結婚し、梅宮辰夫さんが亡くなるまで連れ添いました。
おしどり夫婦として、テレビでもたびたび取り上げられていましたよね。
クラウディアさんは1944年3月20日、アメリカのロサンゼルス生まれです。
7歳のときに父親が日本人女性と再婚したことをきっかけに来日し、神奈川県鎌倉市で暮らし始めました。
ここで注意しておきたいのは、妻がアメリカ生まれだからといって、夫である梅宮辰夫さんの国籍が変わるわけではないという点です。
当たり前の話なのですが、検索の場面では意外と混同されがちなところなんですよ。
父はドイツ系・母はスペイン系のアメリカ人
クラウディアさんの父親はドイツ系アメリカ人で船舶会社に勤務、母親はスペイン系アメリカ人だったと伝えられています。
つまり、クラウディアさん自身も複数のルーツを持つ方だったということですね。
なお、クラウディアさんが日本に帰化したかどうかについては、確認できる記録が見つかりませんでした。
ここも断定せずに置いておきます。
娘・アンナと孫の百々果
梅宮辰夫さんとクラウディアさんの間に生まれたのが、モデル・タレントの梅宮アンナさんです。
生まれは1972年。
日本人の父とアメリカ人の母のもとに育った、いわゆるハーフということになります。
そして、アンナさんの娘である百々果さんは、梅宮辰夫さんの養子になっています。
孫を養子に迎えるというのは、なかなか聞かない形ですよね。
梅宮辰夫さんにとって、家族というものがどれだけ大きな存在だったかがうかがえます。
満州で生まれ、引き揚げで日本へ戻り、国際的な家族に囲まれて最後まで過ごしたのが梅宮辰夫さんの生涯でした。
梅宮辰夫の国籍のまとめ
- 梅宮辰夫本人が国籍を公表した記録は確認できない
- 公式プロフィールに国籍の項目自体が存在しない
- 生まれは1938年3月11日、満州国浜江省ハルビン市
- ハルビンは現在の中華人民共和国黒竜江省にあたる
- 育ちは茨城県水戸市
- 父・梅宮次郎は満洲医科大学を出た医師でハルビンの満鉄病院に勤務
- 祖父・梅宮辰次郎は陸軍士官学校を出て日露戦争に従軍した軍人
- 先祖は福島県会津若松の城下で梅宮屋の名で煙草を売っていたとされる
- 5人きょうだいの長男で弟2人と妹2人がいる
- 終戦は父の異動先だった開原市で迎えた
- 1946年に引揚者として信濃丸で博多港へ帰国している
- 中国人説の出どころはプロフィールの「現中国東北部の出身」という表記とみられる
- 本名は梅宮辰雄で、芸名とは一字違い
- 早稲田高校から日本大学法学部へ進み中退、1958年に東映ニューフェイス5期生
- 妻クラウディアはアメリカ生まれだが、それと本人の国籍は別の話である

