笠智衆の国籍は非公表!熊本の寺に生まれ、りゅうと読む姓のルーツとは

笠智衆の国籍は非公表!熊本の寺に生まれ、りゅうと読む姓のルーツとは

記事内に広告を含みます

昭和の映画を語るうえで欠かせない名優、笠智衆さん。

そのお名前を初めて見たとき、読み方に戸惑った方も多いのではないでしょうか。

実は国籍が検索される背景には、りゅうと読むあの珍しい姓が関係しているんです。

この記事を読むとわかること
・笠智衆の国籍について公的資料でどこまで確認できるのか
・生家である熊本県玉名の来照寺と、本名にまつわる事実
・りゅうと読む笠姓の分布と、外国籍と誤解される理由

笠智衆の国籍と出自を公的資料から確認

笠智衆さんの国籍について、まず何がどこまで確認できるのかを整理していきますね。

生まれた場所や生家といった出自の部分は、公的な資料や自治体の紹介ページからしっかりたどることができますよ。

国籍を明記した公的資料は確認できない

最初に、いちばん大事なところからお伝えします。

笠智衆さんの国籍をはっきり明記した公的資料や公式プロフィールは、今回の調査の範囲では確認できませんでした。

これは「隠している」という話ではなく、そもそも俳優のプロフィールに国籍欄が設けられること自体がほとんどない、というだけの話ですね。

所属していた松竹の資料でも、公表されているのは生年月日・出身地・出演作といった項目で、国籍という欄は見当たりません。

笠智衆さんが亡くなったのは1993年3月16日で、当時はまだインターネットで公式プロフィールが常時公開される時代でもありませんでした。

ですから「国籍は◯◯です」と一次情報で断言できる材料は、正直なところ手元にないんです。

ただ、確認できないのは国籍の記載だけで、出自そのものは驚くほどはっきり残っています。

生まれた村の名前、実家の寺の名前、父親の名前まで残っているんですよ。

そこを順番に見ていけば、読者の方が知りたいことにはかなり近づけるはずです。

生まれは熊本県玉名郡の玉水村立花

笠智衆さんが生まれたのは、1904年(明治37年)5月13日です。

生まれた場所は熊本県玉名郡玉水村立花で、その後の合併を経て、現在は熊本県玉名市天水地区にあたります。

この出身地は、Wikipedia だけでなく玉名市の公式サイトでも紹介されている内容です。

玉名市は笠智衆さんを地元ゆかりの人物として扱っていて、市の公式ページで「日本のおじいちゃん 笠 智衆さん」として顕彰しているんですね。

自治体が公式に「玉名市出身」と紹介しているというのは、出自を確認するうえでかなり強い材料になります。

項目 内容
生年月日 1904年(明治37年)5月13日
出生地 熊本県玉名郡玉水村立花(現・玉名市天水)
没年月日 1993年3月16日(満88歳)
本名 笠智衆(芸名ではない)

つまり、生まれも育ちも熊本県という点については、自治体の公式資料も含めた複数のソースで一致しています。

生家は浄土真宗本願寺派の来照寺

出自の話でいちばん具体的なのが、この実家の情報ですね。

笠智衆さんの生家は、浄土真宗本願寺派の海月山 来照寺というお寺です。

現在の玉名市天水地区にあり、国道501号沿いには「笠智衆の生誕寺」という看板まで立てられているそうですよ。

境内には記念碑があり、そこには「Actor Chishu Ryu」と英語表記で刻まれています。

さらに、玉名市の絵師が描いたという出演映画の看板が何枚も飾られているとのこと。

……なんか、いいですよね。生まれた寺が今も地元で大切にされているというのは。

一度は住職を継いでいた

意外と知られていないんですが、笠智衆さんは一時期、実際にこの来照寺の住職を継いでいます。

1925年に父・淳心さんが亡くなったことで寺を継ぐことになったのですが、最終的には兄にその座を譲り、翌1926年に再び上京して俳優の道へ進みました。

なお、寺を訪れた人の記録によると、来照寺の現住職はお兄さんのお孫さんにあたるとのことです。

こちらは一つの情報源による記述なので参考程度にとどめますが、寺が笠家に受け継がれてきたこと自体は、生家という言い方とも矛盾しません。

珍しい名前だが芸名ではなく本名

ここが検索されている理由に直結する部分だと思います。

「笠智衆」は芸名ではなく、戸籍上の本名です。

Wikipedia、複数の芸能系メディアがそろって「本名」と記載していて、ここは矛盾がありません。

読み方は「りゅう ちしゅう」で、姓の「笠」を「りゅう」と読みます。

「智衆」という名前も、生家が浄土真宗のお寺だったことを考えると、仏教的な響きを持つ名づけとして自然に受け止められますよね。

芸名らしい芸名ではなく、生まれたときからの名前でそのまま俳優をしていた、ということになります。

外国籍と誤解される理由は読み方の珍しさ

では、なぜ国籍が検索されるのか。

材料をたどっていくと、行き着くのは「笠(りゅう)」という姓の読み方です。

「りゅう」という響きは、日本の姓としてはあまり耳にしません。

そのため、名前の字面と読みだけを見た人が「もしかして外国出身の方なのかな」と受け取ってしまう、という流れが考えられます。

実際、芸能系メディアの中にも「外国籍と思われることもあるが日本人」という趣旨の記述をしているところがあります。

ただしこれは出典が示された記述ではないので、この記事では「そう書いている媒体がある」という事実として扱っておきますね。

もう一つ、名字の由来を解説するサイトの中に「りゅう氏は北九州地方の出自で、渡来系と伝わっているが詳細は不明」という記載をしているものがあります。

これはあくまで姓の由来についての伝承の紹介であって、笠智衆さん個人の出自を裏づけるものではありません。

姓の読みが珍しいことと、その人の国籍は別の話なので、ここを混同しないことが大事です。

笠姓は福岡と熊本に集中する希少姓

「笠」という姓そのものを見てみると、誤解が生まれる理由がもう少し立体的に見えてきますよ。

名字を扱う複数のデータベースによると、笠姓の全国人口はおよそ4,000人から4,200人ほどとされています。

全国順位は3,000位台で、かなり珍しい部類に入る姓ですね。

都道府県 おおよその人数
福岡県 約2,000〜2,300人
熊本県 約520〜600人
東京都 約200〜300人

※数値はデータベースによって差があるため、あくまで目安として見てください。

笠姓は福岡県と熊本県に集中していて、笠智衆さんの出身地である熊本県は全国2位の分布ということになります。

つまり、珍しい姓ではあるものの、九州北部という限られた地域にはちゃんと根づいている姓なんですね。

読み方についても、熊本県では「1124年に祇園祭の勅使となって崇徳天皇から装束の笠を賜り、衣笠姓を名乗った後に略して笠姓にした」という由来が伝わっているとする解説があります。

これも伝承の域を出ませんが、少なくとも「日本国内に由来が語られてきた姓である」ということは押さえておきたいところです。

総合すると、熊本の寺に生まれ、本名のまま俳優として生き、地元自治体が公式に顕彰している——国籍そのものの記載は確認できないものの、出自をたどれる材料は日本国内に一貫してそろっている、というのが実際のところです。

笠智衆の国籍を調べる人向けの関連情報

ここからは、笠智衆さんの国籍を調べている人が一緒に気にしていることをまとめていきます。

家族構成や学歴、俳優としての歩み、そして晩年のことまで、出自と地続きの話が多いので合わせて読んでみてくださいね。

父は住職の淳心、母はトシで次男

家族構成は、出自を考えるうえでいちばん近い材料になります。

父は来照寺の住職を務めていた笠淳心さん、母はトシさんです。

笠智衆さんはこのご夫婦の次男として生まれました。

上に兄がいたため、本来なら寺を継ぐのは兄の役目だったのですが、その兄は台湾へ渡っていたため、笠智衆さんが継ぐ想定になっていた時期があったようです。

そして実際に、父の死をきっかけに一度は住職を継ぎます。

それでも俳優への思いが勝ち、兄に寺を託して東京へ戻る、という流れになりました。

住職の家に生まれた次男が、家を継ぐ道といったん向き合ったうえで俳優を選んだ——これが笠智衆さんのスタート地点です。

学歴は玉名中学から東洋大学印度哲学科へ

学歴もかなりはっきり残っています。

玉水村立玉水尋常小学校を出たあと、熊本県立玉名中学校(現在の熊本県立玉名高等学校)へ進みました。

その後、京都の龍谷大学に進学します。

浄土真宗の寺の子ですから、順当な進路と言えますよね。

ところが本人に寺を継ぐ気がなく、大学にほとんど通っていないことが父親に知られてしまい、中退することになりました。

……これ、当時の父親の心境を想像すると、なかなかですよね。

その後あらためて旧制の東洋大学印度哲学科に入学しますが、こちらも1925年に中退しています。

進学先が2校とも仏教に関わる学びだったという点は、生家との結びつきを感じさせるところです。

若い頃は10年続いた大部屋時代

1925年、笠智衆さんは松竹キネマ蒲田撮影所の第一期研究生として入所しました。

ただ、そこからすぐに売れたわけではありません。

およそ10年もの間、大部屋俳優としての下積みが続いたと伝えられています。

10年ですよ。正直、心が折れてもおかしくない年月だと思います。

なお、若い頃の顔立ちがプロ野球選手のイチローさんに似ていると話題になったこともあり、比較画像がSNSで出回ったこともあるそうです。

晩年の「日本のおじいちゃん」というイメージが強いだけに、これは意外に感じる人が多いかもしれませんね。

小津安二郎作品で開いた俳優人生

長い下積みを終わらせたのが、小津安二郎監督との出会いでした。

小津監督に見いだされ、『大学よいとこ』への抜擢をきっかけに脚光を浴びます。

以降は小津作品を代表する俳優として知られ、黒澤明監督、木下惠介監督、山田洋次監督といった名だたる監督からも起用されました。

とくに山田洋次監督の『男はつらいよ』シリーズでは、柴又帝釈天の御前様役として全シリーズに出演しています。

自由奔放な寅さんをたしなめる存在として、シリーズに欠かせない役どころでしたよね。

寺の跡取りとして生まれた人が、映画の中で住職を演じ続けたというのは、なんとも不思議な巡り合わせだと思います。

妻・花観と息子、孫の笠兼三

家族については、公表されている範囲でこんな情報があります。

妻は花観(はなみ)さんという方で、結婚前は松竹蒲田撮影所の脚本部に所属していたと伝えられています(こちらは一つの媒体による記述です)。

物静かな笠智衆さんに対して、しっかり者で教育熱心な方だったそうで、下積み時代の苦しい家計を支えたとされています。

続柄 名前 概要
長男 笠徹 東宝関連の会社で映画広告制作に携わる
次男 笠鉄三 一般企業に勤務
笠兼三 俳優。『相棒』『利家とまつ』などに出演

面白いのが、1967年の映画『日本のいちばん長い日』で、総理大臣役の笠智衆さんと秘書役の長男・徹さんが共演していることです。

さらに2015年のリメイク版には、孫の兼三さんが宮内庁職員役で出演しています。

親子三代が同じタイトルの作品に関わっているというのは、なかなかない話ですよね。

死因と北鎌倉・成福寺にある墓

笠智衆さんが亡くなったのは1993年3月16日、満88歳のときでした。

膀胱がんを患っていたことは知られていますが、死因そのものは公表されていないとする記述もあり、がんが直接の死因だったかどうかは断定できません。

手術を勧められても断り、仕事を続けていたと伝えられています。

晩年は体への負担を考えて『男はつらいよ』の撮影が自宅で行われるようになり、出番も少しずつ減っていきました。

それでも演技への意欲は最後まで持ち続け、遺作は1992年の『男はつらいよ 寅次郎の青春』となりました。

お墓は神奈川県の北鎌倉にある成福寺で、こちらも浄土真宗の寺院です。

生前から自分でお墓を建てていたとのことで、最終的に実家と同じ宗派の寺に眠ることになりました。

生家が浄土真宗の寺で、眠る場所も浄土真宗の寺——笠智衆さんの人生は、最初から最後まで実家の宗派と地続きだったんですね。

笠智衆の国籍のまとめ

  • 国籍を明記した公的資料・公式プロフィールは確認できなかった
  • 生年月日は1904年5月13日で、没年月日は1993年3月16日
  • 出生地は熊本県玉名郡玉水村立花(現・熊本県玉名市天水)
  • 玉名市が公式サイトで地元ゆかりの人物として顕彰している
  • 生家は浄土真宗本願寺派の海月山 来照寺で、父が住職を務めていた
  • 国道501号沿いには「笠智衆の生誕寺」の看板が立つ
  • 境内の記念碑には「Actor Chishu Ryu」と英語表記で刻まれている
  • 「笠智衆」は芸名ではなく本名で、読みは「りゅう ちしゅう」
  • 国籍が検索される背景には「りゅう」という姓の読みの珍しさがある
  • 名字サイトには「りゅう氏は渡来系と伝わる」とする記述もあるが、姓の由来の伝承であり本人の出自の裏づけではない
  • 笠姓の全国人口はおよそ4,000〜4,200人とされる希少姓
  • 分布は福岡県が最多で、熊本県が2番目に多い
  • 熊本県の笠姓には衣笠姓を略したとする由来の伝承がある
  • 父は住職の淳心、母はトシで、笠智衆は次男として生まれた
  • 龍谷大学を中退後、旧制東洋大学印度哲学科へ進み、こちらも中退している
  • 1925年に松竹キネマ蒲田撮影所へ入所し、約10年の大部屋時代を経験した
  • 小津安二郎監督に見いだされ『大学よいとこ』で脚光を浴びた
  • 『男はつらいよ』では御前様役で全シリーズに出演した
  • 長男は笠徹、次男は笠鉄三、孫は俳優の笠兼三
  • 墓は北鎌倉の成福寺にあり、実家と同じ浄土真宗の寺院である

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)