ミシュランの星を持つ日本料理店「赤坂 おぎ乃」の店主・荻野聡士さんは、タレント片岡鶴太郎さんの三男として知られています。
では、そのお母さんはどんな人なのか。実は氏名も顔写真も公表されていないのですが、父・片岡鶴太郎さんが売れる前から芸を認めていた人だった、というから驚きですよね。
この記事では、荻野聡士さんの母親について公表されている情報だけを、時系列で整理してまとめました。
・荻野聡士の母親が一般人で、氏名や職業が公表されていないこと
・母親が大衆演劇の座長の娘で、父・片岡鶴太郎と舞台で出会って半年後に結婚したこと
・約30年の半別居を経て2017年3月に離婚するまでの経緯
荻野聡士の母親は一般人で名前は非公表
「赤坂 おぎ乃」の荻野聡士さんのお母さんについて、いま公表されている情報を整理しました。
父・片岡鶴太郎さんの側から語られてきた話が中心になりますが、そこから見えてくる家庭の形はかなりはっきりしています。
母親は一般人で名前が公表されていない
まず結論からお伝えしますね。
荻野聡士さんの母親は芸能活動をしていない一般の方で、氏名や顔写真、職業といったプロフィールは公表されていません。
ここ、気になっていた方も多いと思います。
父親がタレントの片岡鶴太郎さんで、聡士さん自身もミシュランの星を獲ったシェフとしてテレビに出ているので、「お母さんはどんな人なんだろう」と検索する人が多いんですよね。
ただ、片岡鶴太郎さんは長いキャリアのなかで家族についてかなりオープンに話してきた一方で、奥さんの氏名や顔を出す形での紹介は一度もしていません。
聡士さん本人も、NHK『あさイチ』などのテレビ出演時に父親の話題には触れていますが、母親について語った発言は確認できませんでした。
つまり、母親については「片岡鶴太郎さんの元妻である」という関係性だけが分かっていて、それ以上の個人情報は本人・家族のどちらからも公にされていない、という状況です。
一般の方ですから、これはむしろ当然の扱いだと思います。
ネット上には母親の名前や出身地を書いているサイトもありますが、公的な発表や大手メディアの報道で裏づけが取れる情報ではありません。
この記事では、本人や父親、大手メディアが実際に語った範囲だけを扱っていきますね。
母親の現在について分かっていること
2017年の離婚以降、母親がどこで何をしているかについての公表はありません。
ただ、片岡鶴太郎さんは離婚後のインタビューで、元妻に対して「食事会とかあったらいつでも誘ってね」と声をかけていると語っています。
離婚したあとも関係が断絶しているわけではなさそう、というくらいのことは読み取れます。
……なんか、こういう距離感はちょっといいですよね。
母親は大衆演劇の座長の娘だった
母親の素性で唯一しっかり分かっているのが、この出自の部分です。
荻野聡士さんの母親は、大衆演劇の一座を率いる座長の娘でした。
出会いの場は舞台です。
片岡鶴太郎さんがまだ売れていなかった若手時代、温泉旅館の営業で持ち芸だった小森和子さんのモノマネを披露したものの、客席の年配のお客さんにはまったくウケなかったという話が残っています。
そのとき、鶴太郎さんの才能を理解して身の回りの世話をしてくれていたのが、その一座の座長の娘さん、つまりのちに聡士さんの母親になる女性でした。
そして出会いから半年後、2人は一緒に上京して結婚しています。
この流れ、けっこうグッときませんか。
誰にもウケなかった芸を「この人は面白い」と見抜いた人と、半年で人生を一緒にする決断をしているわけですから。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 立場 | 大衆演劇の座長の娘 |
| 出会いの場 | 片岡鶴太郎の営業先の舞台 |
| 結婚までの期間 | 出会いから約半年 |
| 結婚後 | 3人の息子をもうける |
| 氏名・顔写真 | 非公表 |
つまり母親は、片岡鶴太郎さんが世に出る前から芸を認めていた、いわば最初の理解者だったということになります。
芸能一家というより、舞台の世界で出会った2人が家庭を作った、という言い方のほうが近いかもしれません。
父・片岡鶴太郎とは2017年3月に離婚
そんな2人ですが、長い年月を経て婚姻関係は解消されています。
片岡鶴太郎さんと聡士さんの母親は、2017年3月に離婚しました。
結婚期間は38年です。
離婚が公になったのは、鶴太郎さんがテレビ番組『ダウンタウンなう』で自ら明かしたことがきっかけでした。
当時は鶴太郎さんがヨガに没頭して激やせしていた時期と重なっていたため、世間では「ヨガ離婚」という言葉まで飛び交いました。
Wikipediaにも、本人が「ヨガに熱中してストイックな生活に没頭したため妻とのすれ違いが生じた」と語ったという記述が残っています。
ただ、鶴太郎さん本人が雑誌インタビューなどで説明している理由は、もう少し落ち着いたものでした。
それぞれに道ができて、60歳になるぐらいの時に、子どもも全員独立したんで、そろそろ離婚しましょうかってなって
3人の息子が全員独立し、夫婦そろって還暦を迎えたタイミングで、それぞれ別の道を生きることにした、という説明です。
子育てを終えたところで婚姻関係を卒業する形を選んだ、というのが本人の語る離婚の中身でした。
週刊誌では浮気説なども報じられましたが、本人はこれを否定しています。
父は30歳ごろから半別居状態だった
ここが、この家庭を理解するうえでいちばん大きなポイントかもしれません。
片岡鶴太郎さんは30歳ごろに自分の部屋を借り、そこから約30年間、半別居の状態が続いていました。
本人の言葉はこうです。
30歳くらいのときに自分の部屋を借りました。それからずっと半別居状態で、結婚はしてたけど結婚生活はしてないんです
鶴太郎さんは1954年12月生まれなので、30歳ごろというと1985年前後になります。
三男の聡士さんが1987年生まれですから、時期を並べてみると、聡士さんは物心つく前から父親が別の場所で暮らしている家庭で育った可能性が高いと考えられます。
住まいも、奥さんが暮らすマンションは新宿区、鶴太郎さんの自宅兼事務所は世田谷区と、離れた場所にありました。
別居していること自体は、業界内では広く知られていたそうです。
正直、ここを読んだときは少し胸がざわつきました。
3人の息子さんを日常的に見ていたのが誰だったのか、想像がつきますよね。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 1979年ごろ | 座長の娘と出会い、半年後に上京して結婚 |
| 1981年 | 長男・貴匡が誕生 |
| 1985年ごろ | 片岡鶴太郎が自分の部屋を借り、半別居に |
| 1986年 | 次男・綱久が誕生 |
| 1987年 | 三男・聡士が誕生 |
| 2017年3月 | 離婚(結婚期間38年) |
婚姻関係は38年続きましたが、そのうち約30年は別居に近い形だった、というのが実際のところです。
なお、鶴太郎さんは別居について「極端に言えば女房を世界一愛しているから別居もするし、浮気もするんです」という独特の言い方もしています。
これはさすがに、受け取り方が分かれるところだと思います。
離婚は妻より先に息子3人へ伝えられた
離婚の話には、もうひとつ印象的なエピソードがあります。
鶴太郎さんは離婚の意思を、妻本人よりも先に3人の息子に伝えていました。
息子たちに向けた言葉が、こちらです。
離婚しようと思ってるんだ……。俺の60歳からの生き方があるし、ママにはママの生き方がある
夫婦生活を卒業という形にしたい、という説明だったといいます。
これに対して息子3人は「ああ、わかった」「親父の気持ちもわかるよ」「いいんじゃないの」と、すんなり受け入れたそうです。
三男の聡士さんも当然この場にいたことになります。
反発も動揺もなかったというのは、両親の関係を子どもの頃から見て分かっていたからでしょうね。
鶴太郎さんは「子供の頃からなんでもオープンに話してきた」とも語っていて、家庭内で隠しごとをしない方針だったことがうかがえます。
また、妻に離婚を切り出す際には「君のお母さん、お父さんのことは今まで通りちゃんとしていくので」と伝えたという話も出ています。
つまり、妻の実家である義父母への支援は続ける、という約束です。
離婚という結論だけを見ると冷たく感じますが、実際は家族全員に順番に話を通したうえでの決断だったようです。
こういう終わり方なら、息子たちも受け止めやすかったのかもしれません。
荻野聡士の母親を調べる人向けの関連情報
母親のことを調べている方は、聡士さん本人や兄弟、お店のことも気になっているはずです。
ここからは、あわせてよく検索されている情報をまとめていきますね。
父は俳優で画家の片岡鶴太郎
あらためて父親の情報を整理しておきます。
荻野聡士さんの父親は、タレント・俳優・画家として活動する片岡鶴太郎さんです。
聡士さんは3人兄弟の三男にあたります。
片岡鶴太郎さんといえば、モノマネ芸から俳優へ、さらにプロボクサーのライセンス取得、そして画家・書家としての活動まで、まったく違う分野を次々に本気でやってきた人ですよね。
近年はヨガに没頭したストイックな生活でも話題になりました。
聡士さんはNHK『あさイチ』に出演した際、父親のヨガ生活について聞かれて「僕はゆっくり起きてます」と答えています。
さらに「ガリガリじゃないし朝は瞑想してない」という言い方で、自分は父とは違うタイプだと軽く笑いに変えていました。
声については「たまに言われる」と、父親に似ていることを認めています。
この距離感、けっこう好きなんですよね。
尊敬はしているけれど、同じ生き方をなぞるつもりはない、という感じが伝わってきます。
父が息子の店に修業に来たエピソード
2022年7月、『あさイチ』で親子共演が実現しました。
そのとき明かされたのが、鶴太郎さんが息子の店に料理を習いに行っていたという話です。
鶴太郎さんいわく「実は去年の7月に彼の店に行って修業したんです。どうしても料理覚えたくて。ゴボウの金山寺味噌を教えて頂き、今はぼくのオリジナルのメニューになってます」とのこと。
一方の聡士さんは「1回断ったんですが、熱い思いで。1カ月来たいというのを1日で」と、父の申し出をいったん断っていたことを明かしています。
1カ月通いたいと言う父を、1日に短縮させたわけです。
さらに「ぼくにとっては父ですがスタッフからするとテレビに出てる人なので迷惑がってました」と、店の現場目線でのコメントも残しています。
……最高じゃないですか、これ。
兄は2人で長男は飲食企業の社長
聡士さんには兄が2人います。
長男は荻野貴匡さんで、1981年11月13日生まれです。
貴匡さんは株式会社ネクストグローバルフーズの代表取締役社長を務めています。
もつ焼きで知られる「のんき」など、複数の飲食店を展開している会社です。
過去には俳優として活動していた時期もあったと伝えられています。
三男の聡士さんが日本料理店のオーナーシェフ、長男の貴匡さんが飲食企業の社長ということで、3兄弟のうち2人が食の世界で店や会社を持っているという並びになります。
同じ食の世界でも、片方はミシュラン一つ星の日本料理、もう片方はもつ焼きの大衆店という対照的な形なのが面白いところです。
次男の兄・荻野綱久は画家
次男の荻野綱久さんは、1986年生まれの画家です。
神獣をモチーフにした色彩豊かな作品で知られていて、ペルシャじゅうたんの絵師やアクリル板アーティストなど、いくつもの顔を持っています。
もともとはロックミュージシャンとして活動していました。
音楽でやっていけるか不安を抱えていた26歳のとき、父・鶴太郎さんから草間彌生さんのドキュメンタリーDVDを手渡されたことが、絵の道に進むきっかけになったそうです。
東スポの取材で綱久さんは、父の教育方針について「自分が好きなこと、楽しいと思えることを追及しろ」と言われて育ったと語っています。
料理人・飲食経営者・画家という3人の進路がバラバラなのは、この方針の結果とも読めますよね。
ちなみに鶴太郎さんは、綱久さんが対象を見ずに描くやり方を「すごくおもしろがっていた」とのこと。
自分は対象を見ながら描くタイプなので、息子のやり方が新鮮だったようです。
| 続柄 | 名前 | 生年 | 職業 |
|---|---|---|---|
| 長男 | 荻野貴匡 | 1981年 | 飲食企業ネクストグローバルフーズ代表 |
| 次男 | 荻野綱久 | 1986年 | 画家(元ロックミュージシャン) |
| 三男 | 荻野聡士 | 1987年 | 日本料理「赤坂 おぎ乃」オーナーシェフ |
年齢は1987年生まれの東京都出身
聡士さん本人のプロフィールも押さえておきましょう。
荻野聡士さんは1987年生まれ、東京都出身です。
2020年12月にNHK『あさイチ』へ生出演した時点で33歳と紹介されているので、計算も合いますね。
料理人を志したきっかけは、寿司屋でのアルバイトでした。
高校時代にお寿司屋さんで働いた経験から料理の道を選んだそうです。
大学へは進学せず、高校卒業後すぐに修業へ入っています。
出身高校名は公表されていません。
10代のうちに進路を決めて、そのまま京都へ飛び込んでいったわけですから、なかなかの覚悟だと思います。
シェフとしての修業先と経歴
修業先の並びが、とにかく本格派です。
高校卒業後、京都の「嵐山吉兆」で約8年間、日本料理の基礎を叩き込まれています。
その後は東京に戻り、銀座の「小十」で約5年間、奥田透さんのもとで学びました。
さらに姉妹店の「奥田」へ移り、2年間店長を任されています。
料理長になったのは30歳のときで、その職を3年務めたという記述もあります。
京都で8年、銀座で7年半あまり、合計すると15年を超える修業期間です。
しかもこの間、父親の名前を出さずに現場を渡り歩いてきたと伝えられています。
片岡鶴太郎さんの息子だと分かれば扱いが変わってしまう世界ですから、名前を伏せたというのは納得の判断ですよね。
片岡鶴太郎の三男という肩書きではなく、修業の積み重ねで店を持った料理人というのが聡士さんの実像です。
料理観についても本人が語っています。
「日本には数多くの誇れる宝がある。大きくいうと日本料理」という考えのもと、米・魚・農作物といった素材を丁寧に扱うのが信条だそうです。
とくに米への思い入れが強く、「米を食べた時の幸福感は他では変えられないものがある」という言葉を残しています。
ミシュラン一つ星の獲得
開店から1年も経たないうちに、大きな評価が届きました。
『ミシュランガイド東京2021』の日本料理部門で、一つ星を獲得しています。
2020年3月開店ですから、実質的には1年目での受賞です。
コロナ禍で飲食店が最も苦しかった時期の開業だったことを考えると、この結果はかなりすごいことだと思います。
店は赤坂の日本料理店おぎ乃
お店の情報もまとめておきますね。
荻野聡士さんが店主を務めるのは、東京・赤坂の日本料理店「赤坂 おぎ乃」です。
開店は2020年3月でした。
懐石・会席のスタイルで、ジャンルとしては王道の日本料理にあたります。
予約が取りにくい店として名前が挙がることも多いお店です。
30代前半で独立し、開店1年目でミシュランの星を得た店、という点がおぎ乃の分かりやすい特徴になります。
あさイチで公開しているレシピ
聡士さんの料理は、テレビでも見ることができます。
NHK総合『あさイチ』の料理コーナー「ハレトケキッチン」で、日本料理を担当しているためです。
2020年12月15日の生出演では「おうちクリスマス」の企画で前菜やデザートを紹介しました。
NHKの料理レシピサイト「みんなのきょうの料理」にも講師として登録されていて、家庭でも作れる形にしたレシピが公開されています。
星付きの日本料理店の味を、家のキッチンで再現できる形にしてくれているわけですね。
結婚や妻に関する公表はない
最後に、本人の結婚についてです。
荻野聡士さんの結婚の有無や、配偶者に関するプロフィールは公表されていません。
既婚か独身かという事実そのものが公にされていない状態で、氏名や職業といった情報も確認できませんでした。
料理人として名前は知られていますが、聡士さんは芸能人ではなく、あくまで飲食店の経営者でありシェフです。
テレビ出演も料理コーナーが中心なので、私生活が取材対象になる立場ではないんですよね。
母親の情報が出ていないのと同じで、ここは今後も公表されない可能性が高いと考えられます。
荻野聡士の母親のまとめ
- 荻野聡士の母親は一般人で、氏名や顔写真は公表されていない
- 職業や出身地などのプロフィールも公にされていない
- 母親は大衆演劇の座長の娘で、舞台で片岡鶴太郎と出会った
- 売れる前の鶴太郎の芸を理解し、身の回りの世話をしていたと伝えられる
- 出会いから約半年で一緒に上京し、結婚した
- 夫婦の間には3人の息子が生まれた
- 片岡鶴太郎は30歳ごろから自分の部屋を借り、約30年間の半別居状態だった
- 妻は新宿区、鶴太郎は世田谷区と住まいが離れていた
- 2017年3月に離婚が成立し、結婚期間は38年だった
- 離婚は『ダウンタウンなう』で本人が公表した
- ヨガへの没頭によるすれ違いが理由と語られ、ヨガ離婚とも報じられた
- 本人は子どもが全員独立したからという説明もしている
- 離婚の意思は妻より先に3人の息子へ伝えられた
- 息子3人は「親父の気持ちもわかるよ」と受け入れたという
- 荻野聡士は1987年生まれで、片岡鶴太郎の三男にあたる
- 京都の嵐山吉兆で8年、銀座の小十と奥田で7年半あまり修業した
- 2020年3月に赤坂 おぎ乃を開店し、ミシュランガイド東京2021で一つ星を獲得した
- 兄2人は飲食企業の代表と画家で、進路はそれぞれ異なる

