朝井リョウさんの父親って、どんな人なんだろうと気になって検索された方も多いのではないでしょうか。
調べてみると父親はごく普通の会社員で、顔写真も勤務先も公開されていませんでした。
ただ、あのペンネームの「リョウ」に両親の読書趣味が深く関わっていたと知ったら、きっと見え方が変わると思いますよ。
・朝井リョウの父親の職業と、直木賞受賞当時の年齢
・名前の「遼」が司馬遼太郎から取られたという名付けの由来
・町民栄誉賞の授与式に父母が代理出席した経緯と、父親の現在
朝井リョウの父親の人物像と親子のエピソード
朝井リョウさんの父親について、いま分かっていることを公的な記録や本人の発言をもとに整理していきます。
職業や年齢はもちろん、あのペンネームの「リョウ」に父親が深く関わっていた話まで、順番に見ていきますね。
父親は会社員だったと記録にある
まず結論からお伝えします。
朝井リョウさんの父親は、芸能界や出版業界の人ではなく、ごく一般的な会社員です。
直木賞の受賞記録をまとめている資料でも、父親の肩書きは「会社員」と記されています。
つまり二世作家でも、文壇のサラブレッドでもないんですね。
作家の家庭に生まれたわけでも、出版社にコネがあったわけでもない。
岐阜県の地方の町で会社勤めをする父親と、その家庭から、23歳の直木賞作家が出てきたわけです。
ここ、けっこう驚きませんでしたか?
一般の方なので、勤務先の会社名や具体的な職種、役職といった情報は公表されていません。
顔写真も公開されていませんし、メディアの取材に本人が単独で応じたという記録も見当たりませんでした。
このあたりは、朝井リョウさんが家族のプライバシーをしっかり守ってきた結果でもあると思います。
ただ、まったく表に出ていないわけではないんですよ。
地元・岐阜県垂井町での公的な式典に、両親そろって出席したことが記録に残っています。
その話は後ほど詳しくお伝えしますね。
一般人だからこそ見える普通の家庭の姿
父親が一般の会社員だという事実は、朝井リョウさんの作風を考えるうえで無視できないポイントかなと思います。
彼が描いてきたのは、『桐島、部活やめるってよ』の高校生であり、『何者』の就活生であり、『正欲』の市井の人々でした。
特別な世界の住人ではなく、どこにでもいる人たちの内面を、これでもかというほど細かく描いてきた作家です。
その原点に、会社員の父親と地方の家庭があったと考えると、なんだか腑に落ちる感じがしませんか。
もちろんこれは筆者の見方なので、断定はできません。
ただ、家庭環境と作品世界のあいだに何らかのつながりを感じ取る読者は少なくないはずです。
父の年齢は直木賞受賞当時59歳
年齢についても記録が残っています。
朝井リョウさんが『何者』で第148回直木三十五賞を受賞したのは2013年1月のこと。
このとき父親は59歳、母親は51歳だったと記されています。
朝井リョウさんが1989年5月31日生まれですから、父親とは35歳前後の年齢差ということになりますね。
単純に逆算すると、父親の生まれは1953年から1954年ごろ。
2026年時点では72歳前後という計算になりますが、これはあくまで受賞当時の年齢から割り戻した数字です。
現在の年齢や近況について、本人や関係者からの公表は確認できませんでした。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 職業 | 会社員(一般人) |
| 年齢(2013年1月時点) | 59歳 |
| 生年(逆算) | 1953〜1954年ごろ |
| 顔写真 | 非公開 |
| 勤務先 | 非公開 |
なお、父親が59歳という年齢で息子の直木賞受賞を迎えたというのは、定年が視野に入る時期だったということでもあります。
会社員としての時間が終盤にさしかかったところで、23歳の息子が文学界最高峰の賞を取った。
……なかなかドラマチックなタイミングですよね。
名前の遼は司馬遼太郎から取られた
ここが父親の話でいちばん面白いところかもしれません。
朝井リョウさんの本名は佐々井遼(ささい りょう)さんです。
ペンネームの「リョウ」はこの本名の「遼」をカタカナにしたもの。
そしてこの「遼」の一字は、歴史小説家・司馬遼太郎さんから取られたものだと記録されています。
つまり、朝井リョウという作家名の半分は、父親が愛読していた作家の名前が由来になっているわけです。
これ、知ったときちょっと鳥肌が立ちませんでしたか。
小説家の名前から一字をもらった子どもが、23年後に日本を代表する文学賞を取る。
出来すぎた話のようですが、記録に残っている事実です。
司馬遼太郎さんといえば『竜馬がゆく』『坂の上の雲』『燃えよ剣』などで知られる、戦後日本を代表する国民的作家。
その名前を我が子に付けようと考えるくらいですから、父親の司馬遼太郎さんへの傾倒はかなりのものだったと想像できます。
名付けは父親と母親、両方の思いだった
この名付けについては、父親が文学好きだったからと説明されることもあれば、両親がそろって司馬遼太郎の大ファンだったからと説明されることもあります。
複数の資料を見比べると、父親だけの趣味ではなく、夫婦そろっての読書趣味だったという記述のほうが多く見つかりました。
どちらか一方が押し切ったというより、本が好きな夫婦が二人で決めた名前だったのでしょうね。
個人的には、そのほうがずっといい話だなと思います。
父も母も無類の読書好きだった
名付けのエピソードからも想像がつく通り、朝井リョウさんの両親はそろって本好きでした。
父親も母親も無類の読書好きで、家の中には常に本があったというのが、複数の資料に共通して書かれている内容です。
これ、作家が育つ環境としてはこれ以上ない条件ですよね。
本を読みなさいと言われて育ったのではなく、親が勝手に読んでいる。
その本が家じゅうに置いてある。
子どもからすれば、本は勉強ではなく、ただそこにあるものだったはずです。
朝井リョウさん自身も、幼い頃から文章を書いたり話を創作したりするのが好きだったと語っています。
読む環境が先にあって、書く欲求が後から出てきた。
そういう順番だったのかなと思います。
家にあったのは宮部みゆきや東野圭吾
では、具体的にどんな本が家にあったのか。
記録によると、家の中には宮部みゆきさんや東野圭吾さんの小説が置かれていたそうです。
いわゆる純文学の全集がずらりと並んでいた、という感じではないんですね。
宮部みゆきさんも東野圭吾さんも、エンターテインメント小説の第一線を走り続けてきた作家です。
読者を最後まで引っ張る力が圧倒的に強い、いわば面白い小説の代表格。
そこに司馬遼太郎さんが加わるわけですから、朝井家の本棚はかなりの読ませる小説揃いだったことになります。
朝井リョウさんが小説すばる新人賞でデビューし、その後も直木賞・本屋大賞という読者に届く文学の賞を取り続けてきたことを思うと、この本棚のラインナップは象徴的だなと感じます。
……なんか、いいですよね、こういうつながり方。
町民栄誉賞の授与式に父母が代理出席
父親が公の場に姿を見せた記録が、ひとつだけ確認できます。
朝井リョウさんの出身地である岐阜県不破郡垂井町は、直木賞受賞をきっかけに、それまで存在しなかった町民栄誉賞の条例を新しく制定しました。
町にとって、それだけ大きな出来事だったということです。
そして2014年1月7日に行われたその授与式。
朝井リョウさん本人は東京にいて出席できなかったため、父親と母親が代理で式に出席し、大変光栄なことだというコメントを残しています。
息子の代わりに、地元の町から贈られる初めての栄誉賞を受け取る。
会社員として岐阜で暮らしてきた父親にとって、これはどんな時間だったんでしょうね。
想像すると、ちょっとじんわりします。
直木賞の贈呈式には両親と姉が出席
もうひとつ、家族が公の場に現れた記録があります。
直木賞の贈呈式には、両親と3つ上の姉が出席していたと記されています。
23歳、男性としては史上最年少での直木賞受賞。
平成生まれとしても初の受賞者でした。
その晴れ舞台に、父・母・姉の3人がそろって足を運んでいたわけです。
家族4人のうち、本人以外の全員が来ている。
言葉にされていなくても、この事実だけで家族の空気感が伝わってくる気がしませんか。
父親の現在について公表はない
最後に、いちばん気になるところをお伝えしておきます。
朝井リョウさんの父親の現在について、公表されている情報はありません。
健在かどうか、どこで暮らしているか、勤めを終えたあとに何をしているか。
いずれも本人や関係者からの発信は確認できませんでした。
これは情報が隠されているというより、そもそも一般の方だから、というのが正確なところです。
朝井リョウさん自身、エッセイやラジオで自分のことは相当オープンに話す人ですが、家族の個人情報については一貫して線を引いてきました。
2017年に結婚した妻についても職業・年齢・顔写真すべて非公開ですし、そのスタンスは家族全体に及んでいるように見えます。
読者としては物足りない部分もありますが、一般の方である家族を守るという意味では、これがいちばん健全な形だと思いますよ。
朝井リョウの父親を調べる人向けの関連情報
ここからは、父親のことを調べている人が一緒に気になりがちなポイントをまとめました。
本名や母親、姉、実家の場所まで、まとめてチェックしていきましょう。
本名は佐々井遼
朝井リョウさんの本名は佐々井遼(ささい りょう)さんです。
ペンネームの「リョウ」は本名の「遼」と読みがそのまま同じ。
つまり下の名前はほぼ本名のまま使っているんですね。
一方で苗字は佐々井から朝井に変わっています。
この朝井という筆名をどこから取ったのかについては、公表されている情報が見つかりませんでした。
音の響きが近いことから本名をもとに考えたのではないか、という見方はできますが、本人が由来を語った記録は確認できていません。
母親は主婦でパートに出ていた
母親についても、記録が残っています。
直木賞受賞当時(2013年1月)で51歳。
職業については主婦でパートに出ていたと記されている資料がある一方、専業主婦と紹介している情報もあり、ここは記述が分かれています。
いずれにせよ母親も一般の方であり、勤務先などの詳細は公表されていません。
父親と同じく無類の読書好きで、司馬遼太郎さんの愛読者だったこと。
そして息子の名前に「遼」の字を選んだ側の一人であること。
朝井リョウさんという作家の出発点を語るうえで、母親の存在も父親と同じくらい大きいと言えそうです。
3つ上の姉が創作の出発点だった
実はここ、朝井リョウさんの創作の原点として本人が語っている、かなり重要なエピソードなんです。
朝井リョウさんには3つ年上の姉がいます。
そして最初の創作は、その姉が絵本を描いているのを真似したことだったと本人が明かしています。
親から本を読めと言われたわけでも、教室に通わされたわけでもない。
姉がやっていたから、真似した。
それが日本最年少の男性直木賞作家の第一歩だったわけです。
……最高じゃないですか、これ。
姉についても一般の方なので、名前や職業などの情報は公表されていません。
ただ、直木賞の贈呈式には両親とともに出席していたことが記録されています。
実家は岐阜県不破郡垂井町
朝井リョウさんの出身地、つまり実家があるのは岐阜県不破郡垂井町です。
関ヶ原の隣にある、歴史のある町ですね。
前述の通り、この垂井町は朝井リョウさんの直木賞受賞をきっかけに町民栄誉賞の条例を制定し、朝井リョウさんに賞を贈っています。
町にとっては、それくらいの大ニュースだったということです。
また、朝井リョウさんはエッセイ集『風と共にゆとりぬ』のなかで、14歳のときに垂井町の姉妹都市であるカナダ・カルガリー市へホームステイに派遣された経験を書いています。
町の派遣メンバー選抜試験を受けて選ばれた、という話ですね。
地元との結びつきは今も続いており、2020年11月には岐阜市で開かれた中高生向けの短編小説発表会で講評を担当しています。
なお、実家の具体的な住所や外観については公表されていません。
高校は大垣北で大学は早稲田
学歴も整理しておきますね。
| 段階 | 学校名 |
|---|---|
| 高校 | 岐阜県立大垣北高等学校 |
| 大学 | 早稲田大学文化構想学部 |
高校時代はバレーボール部に所属していました。
デビュー作『桐島、部活やめるってよ』がバレー部を軸にした物語だったことを思うと、この経歴は納得ですよね。
大学は早稲田大学文化構想学部。
在学中の2009年、第22回小説すばる新人賞を受賞してデビューしています。
つまり大学生のうちにプロの小説家になっているわけです。
岐阜の会社員家庭から早稲田へ進み、在学中にデビュー、卒業後まもなく直木賞。
改めて並べると、なかなかとんでもない歩みだなと思います。
2015年まで会社員と作家を兼業
ここ、父親の職業を調べている人にはぜひ知ってほしい話です。
朝井リョウさんは直木賞を受賞した後も、すぐには専業作家にならず、2015年まで会社員と作家を兼業していました。
直木賞作家でありながら、平日は会社に通っていたということです。
23歳で文学賞の最高峰を取った作家が、それでも会社員を続けた。
父親が会社員だったことと直接つなげる材料は見当たりませんが、働きながら書くという選択をした事実は残っています。
兼業を解消したのは2015年。
デビューから約6年、直木賞受賞から約2年が経ったタイミングでした。
結婚した妻と子供の公表状況
家族の話として、現在の家庭についても触れておきます。
朝井リョウさんは2017年に一般女性と結婚し、そのことを2018年にラジオ番組『高橋みなみと朝井リョウ ヨブンのこと』で公表しました。
自分の口でラジオで明かす、というのがなんとも朝井リョウさんらしい発表の仕方ですよね。
妻の職業・年齢・顔写真はいずれも非公開で、一般の方であること以外は明かされていません。
子どもについても、公的な発表は確認できませんでした。
いる・いないのどちらについても言及がないため、現時点では判断できないというのが正直なところです。
両親・姉・妻と、家族については徹底して情報を出さない。
そのスタンスがここでも一貫しています。
朝井リョウの父親のまとめ
- 朝井リョウの父親は芸能・出版関係者ではなく一般の会社員
- 勤務先や職種、顔写真はいずれも非公開
- 直木賞受賞時(2013年1月)の父親の年齢は59歳
- 生年は逆算すると1953〜1954年ごろとみられる
- 母親は同時点で51歳
- 母親の職業は主婦でパートに出ていたとされるが、専業主婦との記述もある
- 朝井リョウの本名は佐々井遼
- 名前の「遼」は司馬遼太郎から一字を取ったもの
- 父も母も無類の読書好きで家中に本があった
- 家に置かれていた本には宮部みゆきや東野圭吾の小説があった
- 最初の創作は3つ上の姉が絵本を描くのを真似したことだった
- 直木賞の贈呈式には両親と姉の3人が出席した
- 出身地の岐阜県垂井町は受賞を機に町民栄誉賞の条例を制定した
- 2014年1月7日の授与式には本人に代わり父母が出席し光栄だとコメントした
- 父親の現在の状況について公表された情報はない

