「こんにちは赤ちゃん」で知られる昭和の歌手・梓みちよさんについて、国籍を調べている方は多いようです。
実は、梓さんのプロフィールには「福岡市出身」と並んで、もう一つ気になる地名が書かれているんです。
この記事では、公的な情報で確かめられることと確かめられないことを分けながら、韓国籍という噂がどこから来たのかを整理していきます。
・梓みちよさんの国籍について公開情報で確かめられる範囲
・韓国籍という噂が出たきっかけと出生地の記載の食い違い
・出身地の福岡での生い立ちと、結婚・晩年・死因までの歩み
梓みちよの国籍は?公開情報で確かめられること
先に答えを言うと、梓みちよさんの国籍を示す公式な発表や公的な記録は見当たりません。ここでは、どの資料に何が書かれているのかを一つずつ確認していきます。
国籍を本人や事務所が公表した記録は見当たらない
まず気になるところから見ていきますね。
梓みちよさんの国籍について、本人が語った発言や所属事務所の発表は、調べた範囲では見つかりませんでした。
2020年2月に亡くなったことが公表された際、日刊スポーツ・毎日新聞・日本経済新聞・NHKなど多くのメディアが経歴を紹介しましたが、どの訃報にも国籍についての記載はありません。
各紙が書いているのは「福岡市出身」「福岡県出身」という出身地だけでした。
Wikipediaやコトバンクといった人物事典でも、国籍の欄や国籍に触れた記述は見当たりません。
| 資料 | 出身地・出生地の記載 | 国籍の記載 |
|---|---|---|
| 日刊スポーツ(訃報) | 福岡市出身 | なし |
| NHKアーカイブス | 福岡市生まれ/福岡県出身 | なし |
| 毎日新聞(訃報) | 福岡県出身 | なし |
| Wikipedia | 朝鮮釜山市生まれ/福岡市博多区出身 | なし |
| コトバンク | 朝鮮釜山生まれ | なし |
日本の歌手として60年近く活動し、紅白歌合戦にも何度も出場した方ですが、国籍そのものが話題として取り上げられたことはほとんどなかったようです。
つまり、梓みちよさんの国籍を断定できる一次情報は公開されていない、というのが現時点での実態です。
プロフィールには「朝鮮釜山生まれ」という記載がある
では、なぜ国籍が検索されているのでしょうか。
いちばん大きいのは、プロフィールに書かれた出生地だと思います。
Wikipediaには「日本統治下の朝鮮釜山市生まれ。福岡県福岡市博多区出身」と書かれています。
コトバンクの人物解説でも「昭和18年6月4日朝鮮釜山生まれ」とされていて、出生地を釜山とする資料は複数あります。
梓さんが生まれた1943年(昭和18年)は、朝鮮半島が日本の統治下にあった時代です。
当時の釜山は日本と朝鮮半島を結ぶ港町で、日本から移り住んだ人も多く暮らしていました。
そのため、釜山で生まれたという事実だけでは、その人の国籍や民族的なルーツまでは判断できません。ここ、見落とされやすいところですよね。
出生地の記載は国籍を示すものではない、という点は押さえておきたいところです。
「福岡市生まれ」とする資料もあり記載が分かれている
もう一つややこしいのが、資料によって出生地の書き方が違うことです。
NHKアーカイブスの人物紹介では、梓さんは「昭和18年福岡市生まれ」と紹介されています。
一方でWikipediaとコトバンクは釜山生まれとしていて、出生地については資料どうしで記載が一致していません。
「出身地」は福岡市ということで各資料がそろっているので、少なくとも育ったのは福岡市だったことは確かなようです。
どちらの記載が正しいのかを確かめられる、本人の発言や公的な記録は見つかりませんでした。
出生地は釜山説と福岡市説の2つがあり、どちらとも確定できない状態です。
戦後は「引き揚げ先」の福岡市で育ったと報じられている
出生地を考えるうえで手がかりになりそうなのが、日刊スポーツの訃報記事にある一文です。
そこには「引き揚げ先の同市(福岡市)で育ち福岡女学院高に進学」と書かれていました。
「引き揚げ」は、終戦後に朝鮮半島や旧満州などの外地から日本本土へ戻ってきたことを指す言葉としてよく使われます。
この記述とWikipediaの釜山生まれという記載を並べると、釜山で生まれ、終戦後に家族で福岡へ移ったという流れが考えられます。
ただし、これは2つの資料を組み合わせた推測で、梓さん自身が生い立ちを詳しく語った記録は見つかっていません。
「引き揚げ」という言葉が出てくるのも、確認できた範囲では日刊スポーツの1本だけでした。
釜山から福岡へ移った可能性はあるものの、家族の事情や国籍までは公開情報から読み取れない、というのが正直なところです。
韓国籍という噂が広まったきっかけ
ネット上では「梓みちよの国籍は韓国?」「在日韓国人なのでは?」という話題が見られます。
検索上位のまとめ記事でも、出生地が朝鮮釜山市であることを理由に、在日韓国人ではないかという噂が出ていると紹介されていました。
つまり噂の出どころは、プロフィールにある「朝鮮釜山市生まれ」という一文だと考えられます。
ただ、そのまとめ記事自身も、在日韓国人かどうかについては情報がなく、本人の口から語られたこともないと書いています。
先ほど触れたとおり、日本統治下の釜山で生まれたことは、国籍が韓国であることを意味しません。
地名だけが一人歩きして噂になってしまった……というのが、個人的な受け止め方です。
韓国籍説は出生地の記載から生まれたもので、裏づけとなる公的な情報は見当たりません。
両親や家族について分かっていること
国籍を考えるうえでは両親の出身も気になるところですが、ここも情報はかなり限られています。
一部のまとめ記事では、母親の名前が林芳子さんで、父親とは梓さんが5歳ごろに死別したと紹介されています。
ただしこれは1つのサイトにしか見られない情報で、ほかの資料では確認できませんでした。
本名は林美千代(はやし・みちよ)で、これは訃報各紙とWikipediaで一致しています。
両親の国籍や出身地について、公的な資料や本人の発言は見つかっていません。
家族の情報からも、国籍を判断できる材料は出てこないのが実情です。
梓みちよの国籍を調べる人向けの関連情報
国籍と一緒によく調べられている、出身地や結婚、晩年のことをまとめました。昭和を代表する歌手の歩みを振り返っていきます。
出身地は福岡市博多区で福岡女学院から宝塚へ
梓みちよさんの出身地は、各資料で福岡県福岡市(博多区)とされています。
地元の福岡女学院中学校・高等学校に進みましたが、1960年に高校を2年で中退して宝塚音楽学校に入学しました。
宝塚在学中に渡辺プロダクションのオーディションを受けて合格し、上京して契約しています(宝塚音楽学校は中退)。
約1年のレッスンを経て、1962年に「ボッサ・ノバでキッス」でデビューしました。
芸名の名付け親は渡辺プロ創業者の渡辺晋さんで、「梓弓のようにしなやかで強くなって欲しい」という意味が込められていたそうです。……素敵な由来ですよね。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1943年 | 6月4日生まれ(本名・林美千代) |
| 1960年 | 福岡女学院高校を2年で中退し宝塚音楽学校へ |
| 1962年 | 「ボッサ・ノバでキッス」でデビュー |
| 1963年 | 「こんにちは赤ちゃん」で日本レコード大賞 |
| 1974年 | 「二人でお酒を」が大ヒット |
| 2020年 | 1月29日に死去(76歳) |
梓さんの歌手としての原点は、福岡で育ち宝塚から渡辺プロへ進んだ10代の選択にあったことがわかります。
夫だった和田浩治との結婚と離婚
梓みちよさんの夫だったのは、俳優の和田浩治さんです。
2人は1971年に結婚し、翌1972年に離婚しています。
和田さんは日活のアクション映画で活躍したスターで、人気俳優と人気歌手の結婚として当時は大きな話題になりました。
ただ、結婚してまもなく別居状態になり、わずか1年ほどで離婚に至っています。
スピード離婚だったこともあり、当時はさまざまな憶測が飛び交ったようです。
和田さんはその後、別の女性と再婚しています。
梓さんの結婚は、1971年から72年までの約1年間だけだったということになります。
子供や家族について
梓みちよさんに子供がいたという情報は、訃報各紙や人物事典には見当たりません。
和田浩治さんとの結婚生活は約1年と短く、その後再婚したという記録もありません。
Wikipediaには晩年は一人暮らしだったと書かれていて、亡くなったあとの葬儀も「ご遺族の意志に基づき近親者のみ」で行われたと事務所が発表しています。
「こんにちは赤ちゃん」を歌った本人に子供がいなかった、というのは少し意外に感じる方もいるかもしれませんね。
実際、梓さんは曲を渡された当時「ママでもないのにどう歌えばいいんですか?」と作詞家の永六輔さんに泣きそうになりながら尋ねたと、後に振り返っています。
子供がいたという記録はなく、晩年は一人で暮らしていたとされています。
さんまにシャンパンをかけた騒動
梓みちよさんとさんまさんの話も、よく検索されています。
1986年10月、梓さんは『さんまのまんま』に出演した際、明石家さんまさんの言動に怒ってグラスのシャンパンをさんまさんにかけたという出来事がありました。
中日スポーツの記事では、収録中に梓さんが「わたし、激しい女なの」と言ってシャンパンをかけたと紹介されていて、今でも梓さんを語るときによく出てくるエピソードです。
ただ、梓さんは後日きちんと謝罪し、さんまさんにブレスレットをプレゼントしたと伝えられています。
ちなみに、騒動のあとに出したシングルのタイトルは『シャンペンでこんや破産』でした。……ちょっと笑ってしまいますよね。
シャンパン騒動は梓さんの気性の強さを示す一方で、後日の謝罪まで含めて語り継がれているエピソードです。
晩年も歌い続けた梓みちよ
晩年の梓さんは、ジャンルを問わず歌い続けていました。
大ヒット曲「こんにちは赤ちゃん」は、長いあいだ自ら封印してコンサートでは歌っていませんでした。
「重すぎて耐えられない、と思った時期もありました」と語っていたほどで、ヒットが重荷になっていたようです。
その封印を解いたのが2002年の40周年記念コンサートでした。
2006年には「この曲は私にとって世に出してもらうきっかけであり、一番の宝物」と語り、以後はステージで必ず歌うようになったそうです。なんか、じんわりしますよね。
晩年は「良い歌は古い歌でも後輩の歌でも関係なく歌っていきたい」と、Jポップやタンゴ、シャンソンまで幅広く歌っていました。
梓さんは亡くなる直前まで現役の歌手として活動を続けていました。
死因は心不全で76歳で死去
梓みちよさんが亡くなったことが公表されたのは、2020年2月3日です。
所属事務所によると、出演番組の打ち合わせで1月29日に自宅を訪れたマネジャーが、亡くなっている梓さんを見つけました。
事件性はなく、享年は76歳でした。
死因は心不全と伝えられていて、亡くなる1か月ほど前まで元気に仕事をしていたことから、関係者も驚いていたそうです。
葬儀は近親者のみで2月2日に行われ、2月9日にはBSテレ東で追悼の特番も放送されました。
正直、最後まで仕事の予定が入っていたというのは、胸に迫るものがあります。
梓さんは2020年1月、心不全により76歳で亡くなりました。
梓みちよの国籍のまとめ
- 梓みちよの国籍を示す本人・事務所の公表は見当たらない
- 訃報各紙や人物事典にも国籍の記載はない
- 本名は林美千代
- 生年月日は1943年6月4日
- 出身地は福岡県福岡市(博多区)で各資料が一致
- Wikipediaとコトバンクは出生地を日本統治下の朝鮮釜山としている
- NHKアーカイブスは福岡市生まれとしており出生地の記載は分かれている
- 日刊スポーツは引き揚げ先の福岡市で育ったと報じている
- 日本統治下の釜山生まれは国籍が韓国であることを意味しない
- 韓国籍説は出生地の記載から出た噂で裏づけはない
- 両親の国籍や出身を示す公的な資料は見つかっていない
- 1962年デビュー、1963年「こんにちは赤ちゃん」でレコード大賞
- 1971年に和田浩治と結婚し1972年に離婚
- 子供がいたという記録はなく晩年は一人暮らしとされる
- 2020年1月に心不全のため76歳で死去

