「13歳、真夏の大冒険」の名実況で知られるフジテレビの倉田大誠さん。
実家は長野県長野市にあり、2021年に流行語大賞にノミネートされたとき、倉田さんはちょうどその実家に帰省していました。
しかもそのタイミングには、亡くなったばかりのお父さんとの不思議なつながりがあったんです。
・倉田大誠さんの実家がある場所と、流行語ノミネートの日に帰省していた話
・五輪直前に亡くなった父が実家から送ってくれていたスクラップと、父のスーツのエピソード
・3つ上の姉と母がいた長野での子供時代と、実家近くから送ったジャニーズ応募
倉田大誠の実家は長野県長野市!父との思い出と家族
倉田大誠さんの実家は長野県長野市です。
ここでは実家の場所に加えて、実家で暮らしていたお父さん・お母さん・お姉さんとのエピソードをまとめていきます。
実家がある場所は長野県長野市
まず結論からお伝えすると、倉田大誠さんの実家は長野県長野市にあります。
Wikipediaや「WEBザテレビジョン」のプロフィールでは出身地が長野県長野市と明記されていて、フジテレビの公式プロフィールでも出身地は長野県となっています。
倉田さん本人もインタビューで「私は長野県出身なのですが」と話していて、大学進学で上京するまで長野で育ったことがわかります。
2021年には「遅めの夏休みに地元・長野へ帰省中」だったと語っていて、社会人になってからも長野の実家に帰る習慣が続いていたようです。
一方で、実家の詳しい住所や町名、家の規模などは公表されていません。
アナウンサーとはいえ一般のご家族が住んでいる家なので、ここは明かされていないのが自然ですよね。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 実家の場所 | 長野県長野市 |
| 生年月日 | 1982年3月4日 |
| 高校 | 長野日本大学高等学校 |
| 大学 | 日本大学藝術学部放送学科(東京) |
| 入社 | 2004年フジテレビ |
父は五輪直前の2021年5月に他界
倉田さんのお父さんは、2021年5月に亡くなっています。
これはマイナビニュースのインタビューで、倉田さん本人が明かしたことです。
2021年は、延期になっていた東京オリンピックが7月に開かれた年。
倉田さんはスケートボード男子・女子ストリートの実況を担当することが決まっていて、お父さんもそのことを知っていました。
ところが、お父さんは本番を見ることができないまま亡くなってしまったんです。
息子の晴れ舞台を楽しみにしていたはずなのに、その2カ月前に……と思うと、正直、読んでいて胸が痛くなりました。
お父さんの職業や年齢などは公表されていませんが、倉田さんは「スポーツは詳しくないけれど見ることが好き」な人だったと話しています。
オリンピックの実況を誰よりも楽しみにしていたのが、長野の実家にいたお父さんだったということです。
父が送ってくれた信濃毎日新聞のスクラップ
お父さんとのエピソードで、個人的にすごく好きなのがこの話です。
倉田さんはスピードスケートなどの実況も担当していて、お父さんは地元紙の信濃毎日新聞に載ったスピードスケートの記事を切り抜き、3カ月分くらいまとめて東京の倉田さんに送ってくれていたそうです。
長野県はスピードスケートが盛んな土地で、地元紙には全国紙よりも詳しい記事が載ることがあります。
倉田さん自身も「父が送ってくれる資料は、結構参考にしていました」と語っていて、実況の準備にしっかり役立っていたんですね。
……なんか、いいですよね。
口で「がんばれ」と言うのではなく、実家で新聞を切り抜いて、まとめて息子に送る。
派手さはないけれど、ずっと息子の仕事を気にかけていたことが伝わってきます。
長野の実家は、倉田さんにとって実況の資料が届く場所でもあったわけです。
流行語ノミネートは長野の実家に帰省中だった
2021年11月、倉田さんが実況で発した「13歳、真夏の大冒険」が、ユーキャン新語・流行語大賞にノミネートされました。
このニュースを聞いたとき、倉田さんは遅めの夏休みで長野の実家に帰省していたそうです。
本来なら自分が担当する『めざまし8』の生放送で伝えたかったはずなので、タイミングとしては不運でした。
それでも倉田さんは、このめぐり合わせに運命的なものを感じていたと話しています。
本人の言葉をまとめると、ノミネートのときに長野の実家に帰っていたのは「父に報告するためだったのかもしれない」ということ。
そして、ノミネートという形で「父に捧げられたのかな」という思いが少しあったそうです。
思わず涙が出そうになるエピソードですよね。
流行語ノミネートの日に倉田さんが実家にいたのは偶然ですが、本人はそれを亡き父への報告だったのかもと受け止めていました。
実家に服がなく父のスーツでリモート出演
このノミネートには、もうひとつ続きがあります。
発表の日の夜、番組スタッフから「明日の朝の放送のために、この後コメントを収録させてもらっていい?」と急な電話がかかってきました。
ところが帰省中の倉田さんは、まさかそんな機会があるとは思っておらず、きちんとした服を持ってきていなかったんです。
そこで倉田さんが着たのが、亡くなったお父さんのスーツでした。
翌日の『めざまし8』には、長野からリモートで登場しています。
倉田さんは「今思い返すといろいろとつながって…」と振り返っていて、お父さんに引き寄せられたような感覚があったようです。
実家に帰っていたから、父のスーツがそこにあった。
……これ、なんか分かりませんか?
父のスーツで流行語ノミネートのコメントを届けたのは、長野の実家にいたからこそ起きた出来事でした。
母と3つ上の姉がいた子供時代
倉田さんには3つ上のお姉さんがいます。
めざましmediaのインタビューによると、小さい頃はあまり仲が良くなかったそうです。
お母さんがお姉さんに「一緒に買い物行く?」と聞くと、お姉さんは「行く」と答えます。
でも、お母さんが「大誠は?」と聞いて倉田さんが「僕も行く」と言うと、お姉さんは「大誠が行くなら、私行かない」と断ったんだとか。
そりゃちょっと傷つきますよ、そんなこと言われたら。
倉田さん本人は「一般的に姉弟間でよく見られる仲の悪さ」と笑って話していて、どこにでもある家庭の風景だったようです。
家族構成については、お父さん・お母さん・お姉さん・倉田さんの顔ぶれがインタビューに登場しますが、ほかにきょうだいがいるかどうかは語られていません。
長野の実家では、お母さんと3つ上のお姉さんに囲まれて育ったことがわかります。
実家近くのイトーヨーカドーから送ったジャニーズ応募
倉田さんは小学生のころ、ジャニーズ事務所に7回応募しています。
きっかけは、お姉さんが光GENJIのファンだったこと。
「光GENJIみたいになれば姉に好かれるかもしれない」と思ったのが応募の理由だったそうです。
え、そうだったの!?って感じですよね。
当時はネットがなかったので、アイドル雑誌を頼りに応募方法を調べ、近所のイトーヨーカドーの証明写真機でスピード写真を撮って、切って貼ってハガキで送っていました。
誰にも相談せず自分で勝手に送っていたので、お姉さんは知らなかったはずだと本人は話しています。
結果はすべて不合格で、Wikipediaにも「ジャニーズ事務所をはじめ様々な芸能事務所に応募したものの、全て不合格」と書かれています。
ただ、このときに芽生えたテレビへの興味が、のちに日本大学藝術学部の放送学科を選ぶ理由につながっていきました。
実家近くの証明写真機から始まった芸能界への憧れが、結果的にテレビの仕事へ続いていたんです。
長野五輪を地元で見た少年時代
倉田さんは1998年、地元・長野で開かれた長野オリンピックも現地で体験しています。
金メダルを獲ったスキージャンプ団体は、会場でその瞬間を目撃したそうです。
その夜には「日本が金メダルを獲ったら、ある焼肉屋さんに行くらしい」といううわさを聞いて店へ行き、裏口に回ったところで選手たちが出てきたんだとか。
そこで原田雅彦さんにサインをもらい、今でも家にあると話しています。
長野で育ったからこそのエピソードで、読んでいてこちらまで笑顔になりました。
それから23年後、倉田さんは今度は東京オリンピックで金メダルの瞬間を実況する立場になりました。
地元・長野での五輪体験が、のちのオリンピック実況と一本の線でつながっているように感じます。
倉田大誠の実家を調べる人向けの関連情報
ここからは、倉田大誠さんの実家とあわせて検索されている、学歴や結婚、年収などの情報をまとめます。
学歴は長野日大高校から日本大学藝術学部
倉田さんの学歴は、長野日本大学高等学校から日本大学藝術学部放送学科です。
高校までは長野の実家から通い、大学進学で上京しました。
日本大学藝術学部の卒業生インタビューによると、高校3年生のときは「国語より算数ができたから」という理由で理系コースを選んでいたそうです。
それでも進路を考えたときに思い浮かんだのはテレビ番組制作の仕事で、放送学科のテレビ制作コースへ進みました。
本人は「長野県出身なので東京の大学のことは全然わからなかった」と振り返っていて、調べていくうちに日芸を見つけたそうです。
大学では友人と映像制作サークルを立ち上げ、ショートムービーを作って学園祭で上映していました。
就職は氷河期で、テレビ局が本命だったものの「せめて先に行われるアナウンサー試験を受けてみよう」と場慣れのつもりで受けたところ、フジテレビに合格しています。
もともとはドラマを作る側を目指していた人が、アナウンサーになったというのは意外ですよね。
中学時代は陸上で北信越大会に出場
倉田さんは中学・高校と陸上部に所属していました。
中学時代には1500メートル走で長野県代表として北信越大会に出場した経験があります。
県代表になるというのはかなりの実力で、長野の実家で過ごした中学時代は陸上に打ち込んでいたことがわかります。
本人も、中学・高校は陸上部の活動に打ち込んでいたので、アイドルや芸能界への興味は薄れていたと話しています。
結婚は?彼女や奥さんの情報
倉田さんの結婚について、公式に結婚を発表した情報は見当たりません。
2021年12月のマイナビニュースのインタビューでは、結婚願望はあると話していました。
「好きな人ができたら待つタイプではなく、ガンガン行くほう」だけれど「大体跳ね返されてしまう」と笑い、自分のことを「究極に不器用な男」と表現しています。
彼女や奥さんについて検索されることも多いですが、特定の相手の名前が報じられたことは確認できませんでした。
2021年の時点では独身で、結婚願望はあると本人が語っていた状態です。
年収は公表されていない
倉田さんの年収は公表されていません。
現在はフジテレビのアナウンス部門で副部長を務めていて、日本ダービーや有馬記念といった大舞台の競馬実況も任されています。
会社員アナウンサーなので、給与はフジテレビの社員としての待遇に準じる形だと考えられます。
具体的な金額については、あくまで推測の域を出ないため、ここでは断定を避けておきます。
倉田大誠の実家のまとめ
- 倉田大誠の実家は長野県長野市
- 実家の詳しい住所や町名は公表されていない
- 大学進学で上京するまで長野で育った
- 父は東京五輪直前の2021年5月に他界
- 父はスポーツに詳しくないが見るのが好きな人だった
- 父は信濃毎日新聞のスピードスケート記事を切り抜いて送ってくれていた
- 2021年の流行語ノミネートは長野の実家に帰省中に知った
- 実家に帰っていたのは父に報告するためだったのかもと本人が語っている
- 翌日のめざまし8には父のスーツを着て長野からリモート出演
- 3つ上の姉がいて、小さい頃はあまり仲が良くなかった
- 姉が好きだった光GENJIに憧れ、ジャニーズに7回応募
- 近所のイトーヨーカドーの証明写真機で応募写真を撮影
- 1998年の長野五輪ジャンプ団体を会場で見て原田雅彦のサインを入手
- 長野日本大学高校から日本大学藝術学部放送学科へ進学
- 2021年時点で独身、結婚願望はあると語っていた

