「もしかしてPARTⅡ」の作曲家としても知られる美樹克彦さん。
検索窓に名前を入れると「国籍」という言葉が出てきて、気になった方も多いのではないでしょうか。
実は、公式に確認できる情報をたどると、京都で幼稚園児のころから子役として活動していた意外な経歴が見えてきます。
・美樹克彦さんの国籍について公式に確認できる範囲
・出身地・本名・子役時代など国籍の手がかりになるプロフィール
・奥さんの木暮美紀さんや娘の朝日奈藍さんなど家族と現在の様子
美樹克彦の国籍は非公表|公式プロフィールで分かること
まずは結論から。
美樹克彦さんの国籍は、本人や事務所からはっきり公表されていません。
ここでは、公式プロフィールや報道で確認できる事実だけを使って、国籍の手がかりになる情報を整理していきますね。
本人や事務所が国籍を公表した記録はない
ここ、いちばん気になるところですよね。
美樹克彦さんの所属事務所・株式会社オフィスコットンの公式プロフィールには、生年月日・出身地・星座・干支・身長・体重・趣味が載っていますが、国籍の欄はありません。
Wikipediaやオリコンのプロフィール、レコチョクのアーティスト紹介も確認しましたが、いずれも「日本のシンガーソングライター・音楽プロデューサー」「京都市出身」といった記載にとどまり、国籍そのものを明記したものは見当たりませんでした。
また、本人がインタビューで国籍や家のルーツについて語った記事も、今回の調査では確認できていません。
2023年に日刊ゲンダイの取材を受けた際も、話題は4度目の結婚や作曲家としての仕事、健康のことが中心でした。
「在日」などの言葉と一緒に検索してみても、具体的な根拠を示した記事は出てきませんでした。
つまり、美樹克彦さんの国籍は「日本」とも「それ以外」とも公式には示されておらず、現時点では非公表というのが正確なところです。
そもそも芸能人の国籍は、本人が話題にしない限り表に出ないのが普通です。
公表されていないこと自体は、特別なことではないんですよね。
公式プロフィールの出身地は京都府
国籍の手がかりとしてまず見ておきたいのが出身地です。
公式プロフィールでは、美樹克彦さんの出身地は京都府となっています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生年月日 | 1948年10月22日 |
| 出身地 | 京都府(京都市) |
| 身長 | 166cm |
| 体重 | 67kg |
| 趣味 | ゴルフ・麻雀・競馬 |
| 職業 | 歌手・作曲家・音楽プロデューサー |
レコチョクのプロフィールやオリコンのデータでも「京都市出身」「京都」とされていて、複数の情報源で一致しています。
ただし、出身地が日本だからといって国籍まで決まるわけではありません。
出身地から分かるのは「京都で生まれ育った」ということまでで、国籍を示す根拠にはならない点は押さえておきたいところです。
生まれは京都市右京区とされている
Wikipediaでは、さらに細かく京都市右京区の生まれと紹介されています。
右京区は嵐山や太秦の撮影所があるエリアで、映画の街として知られる場所ですね。
幼いころから映画に出ていたという経歴を考えると、なんだか納得の土地柄です。
本名は目方誠で美樹克彦は1965年からの芸名
実は「美樹克彦」は芸名で、本名は目方誠(めかた まこと)さんです。
本名はWikipedia・レコチョク・Weblio辞書などで共通して紹介されています。
最初は本名のまま活動していて、子役時代も、1962年のビクターレコードからの歌手デビュー(「トランジスター・シスター」)も目方誠名義でした。
その後、日本大学鶴ヶ丘高校2年だった1965年に今の芸名「美樹克彦」へ改名し、日本クラウンから「俺の涙は俺がふく」で再デビューしています。
オリコンのプロフィールでは、改名を1966年としているので、年については資料によって1年のずれがあります。
「目方」という名字は全国的に見ても珍しい部類ですよね。
ただ、名字の由来やルーツについて本人が語った記録は見当たらず、本名からも国籍を判断できる材料はありません。
子役時代から京都と東京で育った経歴
美樹克彦さんの経歴を見ると、日本の芸能界のど真ん中で育ってきたことが分かります。
1954年、幼稚園児の終わりごろに京都市内の劇団「ペチカ」に入団。
京都市立衣笠小学校、衣笠中学校と進みながら、子役として70本近くの映画に出演していました。
事務所のプロフィールでは、俳優としての出演作は「謎の逢い引き」「二等兵物語」「銭形平次」など80本とされています。
本人も日刊ゲンダイの取材で「2023年で芸能生活70年」と話していて、5歳から芸能界にいたことになります。
……幼稚園児から70年って、すごいキャリアですよね。
中学2年のときに歌手を目指して上京し、新宿区立四谷第一中学校へ転校。
その後はフジテレビ「三匹の侍」などのテレビ映画にも出演しました。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1948年 | 京都市で誕生 |
| 1954年 | 劇団「ペチカ」に入団し子役に |
| 1962年 | 目方誠名義で歌手デビュー |
| 1965年 | 美樹克彦に改名し再デビュー |
| 1967年 | 「花はおそかった」で紅白歌合戦に出場 |
| 1984年 | 小林幸子さんとの「もしかしてPARTⅡ」がヒット |
京都と東京で日本の学校に通い、幼いころから日本の映画・音楽業界で活動してきたことは確かですが、それも国籍を直接示すものではありません。
国籍が検索される理由として考えられること
では、なぜ「美樹克彦 国籍」と検索されているのでしょうか。
噂の出どころになった報道や本人の発言は、今回の調査では見つかりませんでした。
ここからは、公開されている事実をもとにした私なりの推測になります。
芸名と本名が違うこと
ひとつは、芸名と本名がまったく違うことです。
「美樹克彦」と「目方誠」は名字も名前も別物なので、本名を知った人が「なぜ名前を変えたの?」と気になり、そこから出自や国籍まで調べる流れはありそうです。
ただ、昭和の歌謡界では芸名で活動するのはごく当たり前のことでした。
芸名を使っていることは国籍とは関係がないので、ここは誤解しないようにしたいですね。
海外の歌手や俳優への楽曲提供
もうひとつは、作曲家として海外の人と仕事をしてきたことです。
1985年にはジャッキー・チェンさん主演の映画「ファースト・ミッション」日本公開版のエンディング曲「東京サタデーナイト」を作詞・作曲。
2000年には、韓国出身で日本でも活動する歌手・チェウニさんの「Tokyoに雪が降る」の作詞を手がけています。
こうした仕事から海外とのつながりを連想する人がいてもおかしくありません。
とはいえ、楽曲提供はあくまで仕事上の関わりです。
どちらも美樹克彦さん本人の国籍を示すものではなく、検索のきっかけになりうる材料というだけだと考えています。
美樹克彦の国籍を調べる人向けの関連情報
ここからは、美樹克彦さんの国籍と一緒によく調べられている学歴や家族、今の暮らしについてまとめました。
結婚歴4回という波乱の私生活も含めて見ていきましょう。
学歴は日本大学藝術学部映画学科を中退
美樹克彦さんの最終学歴は、日本大学藝術学部映画学科の中退です。
| 学校 | 備考 |
|---|---|
| 京都市立衣笠小学校 | 子役として映画に出演 |
| 京都市立衣笠中学校 | 中学2年で上京 |
| 新宿区立四谷第一中学校 | 転校先 |
| 日本大学鶴ヶ丘高校 | 2年のときに改名・再デビュー |
| 日本大学藝術学部映画学科 | 1969年に2年で中退 |
高校時代にはすでにヒット曲を連発していたので、大学との両立はかなり大変だったはずです。
子役として映画の現場を知り尽くしていた人が映画学科を選んだというのも、なんだか筋が通っていますよね。
奥さんは37歳年下の歌手で作詞家・木暮美紀
現在の奥さんは、歌手で作詞家の木暮美紀さんです。
2022年9月24日に入籍し、美樹克彦さんにとっては4回目の結婚でした。
日刊ゲンダイの取材では、歌の師匠と弟子として知り合って9年、37歳も年下のため「彼女の両親には大反対されましたよ」と明かしています。
| 結婚 | 時期 | 相手 |
|---|---|---|
| 1回目 | 1977年(2年で離婚) | 一般女性 |
| 2回目 | 1981年(4年後に離婚) | 女優の田中美智子さん(榊みちこさん) |
| 3回目 | 40歳のころ(2015年に離婚) | 元歌手の女性 |
| 4回目 | 2022年9月 | 木暮美紀さん |
3回目の奥さんとは取材の10年前に別居し、7年前に離婚していて、当時は「ボクには結婚は向いてない、もうしない」と思っていたそうです。
それでも再び結婚を決めたんですから、よほどの出会いだったんでしょうね。
美紀さんは「年の差は感じていません」と話していて、TikTokやYouTubeでの発信や健康を考えた食事作りで夫を支えています。
2人で作った曲もあり、2022年5月には奥さんが作詞、美樹克彦さんが作曲した「じんせいいちどだろ」をリリースしました。
娘はタレントの朝日奈藍
美樹克彦さんの長女は、タレントの朝日奈藍さんです。
2017年には初のDVDを発売し、日刊スポーツやサンケイスポーツでも「作曲家・美樹克彦の娘」として取り上げられました。
当時は27歳で、父とのデュエット曲の話題も報じられています。
親子そろって芸能の道に進んでいるのは、なんだかいいですよね。
なお、朝日奈藍さんの母親がどの結婚相手なのかは、確認できる資料では明らかにされていません。
息子について本人が語っていること
息子については、はっきりした公表情報は見当たりません。
2023年の日刊ゲンダイの取材では、美樹克彦さんが「芸能プロダクションを経営し23歳のROKUZOと、15歳の学斗という子を育てています」と話しています。
ただ、この言葉は芸能プロダクションの話の流れで出てきたもので、2人が実の息子なのか、所属タレントとして育てている若手なのかは記事からは読み取れません。
学斗さんとは2022年に水前寺清子さんの「運否天賦で行こうじゃないか」の作詞を共作していて、音楽の仕事を一緒にしている関係であることは確かです。
また、奥さんの美紀さんとの間には子どもはおらず、美樹克彦さんは「彼女以上にボクの方が子どもが欲しいかもしれません」と語っていました。
今は千葉県木更津市で暮らしている
美樹克彦さんは今、千葉県木更津市で奥さんと暮らしています。
トイプードルなどの犬2匹と茶トラの猫2匹を飼っていて、「2人と4匹の家族」なんだそうです。
木更津には昔からお世話になっている人がいて、前の奥さんと別居する際に「おいで」と声をかけてもらったのがきっかけで移り住みました。
仕事面では、2014年から自身が経営する美樹克彦音楽教室(株式会社オンガック)でカラオケ講師をしていて、千葉テレビや大分放送のカラオケ番組にもレギュラー出演していました。
清水アキラさん、アリスの矢沢透さん、元プロ野球の柴田勲さんらと「Ge’s(ジイズ)」というグループも結成しています。
一方で、2023年の取材の3年ほど前には心臓の血管が詰まり、手術を6回受けたことも明かしています。
これはきつかったでしょうね…。
病気をきっかけにたばこをやめ、「元気で長生きしないとね」と話していました。
年齢は1948年生まれの77歳
美樹克彦さんは1948年10月22日生まれで、2026年9月時点で77歳です。
2026年10月22日の誕生日で78歳になります。
団塊の世代にあたり、10代でアイドル歌手として一世を風靡した世代ですね。
2015年のテレビ番組では、日サロ通いが日課だと話していました。
花はおそかったは1967年の紅白歌唱曲
美樹克彦さんの代表曲といえば、1967年3月発売の「花はおそかった」です。
作詞は星野哲郎さん、作曲は米山正夫さんで、この曲の大ヒットで一躍アイドル歌手になりました。
同じ年の第18回NHK紅白歌合戦にもこの曲で出場しています。
「かおるちゃん 遅くなってごめんね」というセリフ部分は今も有名で、三遊亭好楽さんが大喜利の回答でたびたび替え歌にしていたことでも知られていますよね。
本人は「50、60歳になっても『かおるちゃん』なんて泣いて歌うのはイヤだな」と思って作曲家に転身したと語っていて、ちょっと笑ってしまうエピソードです。
その後は小林幸子さんの「もしかして」「もしかしてPARTⅡ」を手がけ、PARTⅡは約30万枚を売り上げて日本レコード大賞金賞を受賞しました。
美樹克彦の国籍のまとめ
- 美樹克彦の国籍は本人・事務所ともに公表していない
- 事務所の公式プロフィールに国籍の記載はない
- 国籍について語ったインタビューも確認できない
- 公式プロフィールの出身地は京都府、京都市出身と複数の資料が一致
- Wikipediaでは京都市右京区の生まれとされる
- 本名は目方誠で、1965年に美樹克彦へ改名したとされる
- 1954年に劇団ペチカへ入団し、子役として70本近くの映画に出演
- 出身地や本名は国籍を示す根拠にはならない
- 検索される理由は芸名と本名の違いや海外への楽曲提供と推測されるが噂の出どころは不明
- 最終学歴は日本大学藝術学部映画学科の中退
- 2022年9月に37歳年下の木暮美紀と4回目の結婚
- 長女はタレントの朝日奈藍
- 息子については公表情報がない
- 現在は千葉県木更津市で妻と犬猫4匹と暮らす
- 代表曲は1967年の紅白で歌った花はおそかった

