「時を越えて」「My Own Road」——全国の卒業式や合唱コンクールで歌い継がれる名曲を生み出してきた作曲家・栂野知子さん。
でも実は、栂野さんはもともとプロの音楽家ではなく、長年教壇に立ち続けた「先生」だったことをご存じでしょうか?
この記事では、栂野知子さんの生い立ちから作曲家としての転身の経緯、代表曲の誕生秘話まで、詳しく掘り下げていきます。
📋 この記事を読むとわかること
- 栂野知子さんの生い立ちと学歴(千葉大学での音楽学生時代)
- 教師から作曲家へ転身した経緯と大田区・山崎朋子との関係
- 「時を越えて」「My Own Road」など代表曲の誕生秘話
栂野知子の生い立ちと教師から作曲家への軌跡
栂野知子さんの生い立ちを追うと、「なぜあの曲がこんなに子どもたちの心に届くのか」がよくわかります。
千葉大学で音楽を学び、全国各地の学校で教壇に立ち続けた経験——子どもたちの本音をそばで聞き続けた日々が、あの歌の言葉を生み出した土台です。
作曲家デビューの華やかなエピソードではなく、ひとりの教師としての地道な歩みが「栂野知子の生い立ち」のすべてです。
栂野知子のプロフィール|名前の読み方や職業・経歴を解説
栂野知子(とがの ともこ)さんは、日本を代表する合唱曲作曲家のひとりです。
主に小学生・中学生向けの合唱曲を手がけており、「時を越えて」「My Own Road〜僕が創る明日〜」など、学校の卒業式や合唱コンクールで歌い継がれる名曲を数多く世に送り出してきました。
名前の読み方は「とがの ともこ」です。
「栂野」という苗字はなかなか読み慣れない漢字ですが、「とがの」と読みます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 栂野知子(とがの ともこ) |
| 職業 | 作曲家・元小中学校教諭 |
| 出身校 | 千葉大学教育学部中学校教員養成課程音楽科専攻 |
| 代表作 | 時を越えて、My Own Road〜僕が創る明日〜、君と歩こう、明日へつなぐもの |
| 出版社 | 音楽之友社 など |
プロフィールを見てわかるように、栂野知子さんはもともと教師として長年キャリアを積んできた人物です。
「作曲家・栂野知子」が誕生するには、教育の現場での経験が欠かせない背景がありました。
千葉大学でヴィオラを担当した音楽学生時代
栂野知子さんは、千葉大学教育学部中学校教員養成課程音楽科専攻を卒業しています。
将来の音楽教師を養成するための専攻で学び、音楽の理論や指導法を身につけました。
在学中は大学のオーケストラに所属し、弦楽器のヴィオラを担当していたことが知られています。
ヴィオラはバイオリンとチェロの中間の音域を担う楽器で、オーケストラの”縁の下の力持ち”的存在です。
目立つパートではないけれど、アンサンブル全体を支える大切な役割——後の栂野さんの音楽にも、どこかこのヴィオラのような「他者を支える温かさ」を感じるのは偶然ではないかもしれません。
大学時代にオーケストラで培ったアンサンブルの感覚と、音楽教育の専門知識。
この2つが、のちに子どもたちの心に届く合唱曲を生み出す土台になったのでしょう。
卒業後に選んだのは千葉県の中学校教師という道
大学卒業後、栂野知子さんはそのまま音楽の道へ……かと思いきや、選んだ道はあくまで「教師」でした。
卒業後は千葉県内の公立中学校で音楽科の教諭として勤務しています。
大学で音楽教育を学んでいますから、当然といえば当然の選択でもあります。
でも、あのとき栂野さんが「先生の道」を選んでいなければ、後に多くの子どもたちに愛される合唱曲は生まれなかったかもしれません。
教育の現場に立つことで、栂野さんは子どもたちの「生」の声をそばで聞き続けました。
どんな言葉が子どもたちに届くのか、どんな歌が生徒の気持ちを動かすのか——教壇に立ち続けた経験こそが、作曲家・栂野知子の「原材料」だったのです。
夫の転勤で出会った各地の子どもたちとの絆
教師として千葉県でキャリアをスタートさせた栂野知子さんでしたが、結婚後は夫の転勤に伴い、全国各地の学校に赴任することになります。
そのなかでも特に印象深いエピソードとして知られているのが、札幌の小学校での「産休代替」としての勤務期間です。
突然赴任した学校で、知らない子どもたちと打ち解けるために——栂野さんが選んだのは、自分で歌の曲を作って、朝の会で子どもたちと毎日一緒に歌うことでした。
そのとき生まれた自作の曲が、後に『レッツゴー!あしたへ』として出版されることになります。
「先生が自分たちのために作った曲」という体験は、きっと子どもたちの記憶にも深く刻まれたはず。
全国各地を渡り歩くことになったのは偶然の巡り合わせかもしれませんが、各地で出会った子どもたちとの縁が、栂野さんの音楽をより豊かにしていったのだと感じます。
大田区立御園中学校で始まった「作曲の原点」
やがて東京・大田区の中学校に赴任した栂野知子さん。
この「大田区時代」が、作曲家としての本格的なキャリアのスタート地点になります。
大田区立御園中学校在職中に、卒業式用楽曲『終わらない旅へ』を生徒と共に制作しました。
作詞は栂野さんではなく、なんと御園中学校の卒業生たちが担当したというのも素敵なエピソードです。
この曲は2008年1月号の音楽専門誌『教育音楽』に掲載され、多くの音楽関係者の目に触れることになりました。
その時点での栂野さん本人の気持ちは、「一生に一度、こんな曲が作れたから満足」というものだったといいます。
まさか、この後に次々と名曲を生み出し続ける作曲家になるとは、このとき本人も思っていなかったのかもしれません。
山崎朋子との出会いが呼び覚ました本格的な作曲活動
「終わらない旅へ」の制作で満足していた栂野知子さんに、ある転機が訪れます。
作曲家・山崎朋子さん(「大切なもの」などで知られる)の公開授業を参観する機会があり、そこで目撃した光景が栂野さんの心を大きく揺さぶりました。
先生自身が作った曲を、生徒たちが生き生きと楽しそうに歌っている——その姿を目の当たりにして、栂野さんは強い衝撃を受けます。
「私もそういう曲が作りたい」
そのシンプルな思いが、本格的な作曲活動の扉を開きました。
もし山崎朋子さんの公開授業に出向いていなければ、私たちは「時を越えて」も「My Own Road」も知らないままだったかもしれません。
人との出会いが、人生の方向を大きく変える——そんな栂野さんの転機を知ると、今まで以上にその楽曲が特別に感じられますね。
栂野知子の生い立ちを調べる人向けの関連情報
ここからは、栂野知子さんの代表作や現在の活動について深堀りしていきます。
「時を越えて」「My Own Road」が生まれた背景を知ると、楽曲がまた違って聴こえてくるはずです。
教え子の甲子園出場が生んだ合唱曲「時を越えて」誕生秘話
栂野知子さんの代表作「時を越えて」には、心が熱くなる誕生秘話があります。
きっかけは、教え子が甲子園に出場したことでした。
大切な教え子が夢の舞台・甲子園に立っている——その姿を目にした栂野さんは、強い感動を覚えます。
「あれだけ厳しい練習に耐えて、最後に泣ける。この子は一生これを忘れないで、これを糧にして生きていけるんだろうな」という思いが、そのまま曲のコンセプトになりました。
歌詞に登場する「この日」は夢や目標が実を結んだ今この瞬間を、「あの日」はそれを振り返って思い出す未来の自分を意味しています。
そして、曲の根幹にあるメッセージは——
「結果がどうであれ、頑張ってきた時間がいつしか人生の財産になる」
今すぐ結果が出なくても、積み上げてきた努力は必ず未来の自分に返ってくる。
そんな栂野さんの想いが込められたこの曲が、なぜ今も全国の卒業式や合唱コンクールで歌い継がれているのか、よくわかる気がします。
合唱コンクールで愛される「My Own Road」に込めたメッセージ
「時を越えて」と並ぶ栂野知子さんの代表曲「My Own Road〜僕が創る明日〜」も、多くの中学生・高校生から強く支持されています。
混声三部合唱曲で、ポップス的なリズム感と合唱ならではの厚いハーモニーが融合した個性的な楽曲です。
テーマは「自分の道を、自分の足で歩いていく」こと。
誰かと同じ道じゃなくていい。自分のペースでいい。不安があっても、自分が選んだ道には意味がある——そんなメッセージが、進路の岐路に立つ中学生・高校生の心にまっすぐ刺さります。
合唱コンクールの自由曲として特に人気が高く、「体力も表現力も要る難曲」としても知られています。
卒業や進路の節目など、環境が大きく変わるタイミングで歌われることも多く、ステージに立つ生徒たちにとっても特別な意味を持つ楽曲になることが多いようです。
栂野知子の作品一覧と合唱曲の特徴
栂野知子さんは、混声合唱・同声合唱と幅広いジャンルで多くの楽曲を発表しています。
以下に主な作品をまとめました。
混声合唱(代表作)
| 楽曲名 | 特徴 |
|---|---|
| 時を越えて | 卒業式の定番。教え子の甲子園出場がきっかけ |
| My Own Road〜僕が創る明日〜 | 合唱コンクール自由曲として高人気 |
| 君と歩こう | 友情・仲間への感謝がテーマ |
| Under the Same Sky | 壮大なスケール感 |
| 終わらない旅へ | 大田区御園中学校卒業生との共同制作 |
| 言葉さがして | 人との絆がテーマ |
| 僕らの奇跡 | 仲間と歩む青春がテーマ |
同声合唱(代表作)
| 楽曲名 | 特徴 |
|---|---|
| 明日へつなぐもの | 小学校〜中学校で幅広く使用される |
| 青空に深呼吸 | 明るく爽やかな旋律 |
| レッツゴー!あしたへ | 札幌の産休代替時代が原点の曲 |
| 世界でひとつのハーモニー | 音楽朝会向け。全学年で歌える設計 |
| 小さな勇気 | 優しさ・勇気がテーマ |
| ありがとうの約束 | 感謝の気持ちがテーマ |
栂野知子さんの楽曲に共通するのは、「今を生きる子どもたちへのエール」というテーマです。
難しすぎず、かといって単純すぎない——子どもたちが心から楽しんで歌えるよう、常に受け手の視点に立って作曲している姿勢が、楽曲の一つひとつから伝わってきます。
現在も続く作曲活動と教育現場への想い
現在の栂野知子さんは、精力的に作曲活動を続けていることが知られています。
音楽之友社から楽曲集や合唱指導の書籍を継続して発表しており、『クラス合唱名曲秘話 楽譜に書ききれなかったこと』(音楽之友社)などの著書も手がけています。
DVD教材として若松歓氏と共同で中学校・小学校向けの合唱指導映像も制作しており、楽曲提供だけでなく指導者への情報発信にも力を入れています。
楽曲はSpotifyなどの音楽ストリーミングサービスでも配信されており、広く聴かれ続けています。
小学校勤務時に「中学年向けの選曲に苦労した」という経験から、3〜4年生が「易しすぎず難しすぎない」と感じられる楽曲の開発にも継続して取り組んでいます。
教師として感じた「現場の困り感」を、今度は作曲家として解決しようとする姿勢は、栂野さんならではの強みといえるでしょう。
栂野知子に向けられた世間の声と評価
「時を越えて」をはじめとした栂野知子さんの楽曲は、長年にわたって多くの子どもたちや音楽関係者から支持されています。
Yahoo!知恵袋には「栂野知子さんは今生きているのか」「今も学校の先生をされているのか」といった投稿が見られました。
これは有名人の安否を心配するというよりも、「大好きな曲を作ってくれた先生に、今もどこかで活動していてほしい」という純粋なファン心理から来ているようです。
合唱指導者の渡瀬昌治さんは、「時を越えて」に初めて出会ったとき、「いつか『旅立ちの日に』と同じように、全国の卒業式で歌われる曲になる」と確信したと語っています。
合唱の専門家がそこまで評価する楽曲を、教師として教壇に立ちながら生み出してきた——その事実が、栂野知子さんの作曲家としての凄さを物語っています。
「先生が子どものために作った曲」という信頼感が、栂野知子さんの楽曲の一番の強みかもしれません。
栂野知子の生い立ちのまとめ
栂野知子さんの生い立ちをまとめると、「教育の現場で生まれた音楽」という言葉がぴったりです。
千葉大学でヴィオラを学び、千葉県の中学校で教師として第一歩を踏み出した栂野さんは、夫の転勤で全国各地の子どもたちと出会いながら、徐々に作曲の世界へと足を踏み入れていきました。
大田区立御園中学校での「終わらない旅へ」制作、そして山崎朋子さんの公開授業での感動が、作曲家・栂野知子誕生のきっかけとなりました。
栂野知子さんの楽曲が子どもたちの心に届くのは、作曲家である前に「先生」だったからこそ——長年教壇で肌で感じてきた子どもたちへの想いが、あの歌の言葉に詰まっているからではないでしょうか。
「時を越えて」「My Own Road」をはじめとした名曲たちが、これからも全国の教室や体育館で歌い継がれていくことを願っています。

