竹中平蔵さんといえば、小泉内閣での「構造改革」の旗手として知られる経済学者ですが、その家族構成についてはあまり語られることがありません。
じつは、60数カ所もの骨折を負った兄の枕元でアメリカから帰国して経済を語り続けた──そんなエピソードを知ったら、竹中さんのことがちょっと違う目で見えてくるかもしれません。
この記事では、妻・節子さんや子供(娘)、父・那蔵さん、長兄・竹中宣雄さんまで、竹中平蔵さんの家族構成について徹底的にまとめました。
・妻・節子さんのプロフィールと竹中平蔵との学生時代からの馴れ初め
・父・那蔵が和歌山の履物店を営んだ職人で、政策哲学の原点となった背景
・兄・竹中宣雄の経歴とふたりの深い絆を象徴する感動エピソード
竹中平蔵の家族構成!妻・両親・兄弟を徹底紹介
竹中平蔵さんの家族について、妻・節子さんや子供(娘)、父・那蔵さん、母・明子さん、長兄・竹中宣雄さんまで、わかっている情報をまとめて紹介していきます。
妻・節子のプロフィールと馴れ初め
竹中平蔵さんの妻は、竹中節子さんです。
節子さんは津田塾大学のご出身です。
津田塾大学は女子大学として知られ、語学教育が特に有名な大学です。節子さんがそこでどんなことを学んでいたのかは公表されていませんが、知性派の女性であることは間違いなさそうです。
じつは節子さんと平蔵さん、ふたりの馴れ初めは学生時代に遡ります。
平蔵さん自身がかつてインタビューでこう語っています。「学生時代から付き合っていた今の妻と結婚し、今もなんとかもっている」と。この「なんとかもっている」というユーモラスな表現が、なんとも竹中さんらしいですよね。
ふたりが実際にどこで出会い、どんなきっかけで交際に発展したのかまでは明らかになっていません。ただ、学生時代からの交際を経て結婚したことは確かで、長年にわたり連れ添ってきた夫婦だということがわかります。
婦人公論への寄稿「竹中平蔵大臣の素顔」(2003年)
小泉政権時代に竹中さんが大臣を務めていた2003年、節子さんは「婦人公論」に寄稿しています。
その記事のタイトルは「妻が語る竹中平蔵大臣の素顔 お笑いと谷村新司と阪神をこよなく愛す」というものです。
竹中平蔵さんの「大臣の素顔」として、お笑いや谷村新司さん、阪神タイガースが好きだという一面が妻の口から語られたわけです。
政策論では「構造改革の旗手」として厳しい顔を見せる竹中さんですが、家では野球中継を観ながら笑っている普通のお父さんだったのかも…と想像すると、なんかちょっとほっこりしますよね。
学生時代から続く夫婦の絆と結婚の経緯
大学時代に出会い、長い交際を経て結婚したふたり。
竹中平蔵さんは1993年から1996年にかけて家族でアメリカに渡っています。ハーバード大学への留学・研究を機にしたものとみられ、妻・節子さんと子供も一緒にアメリカで生活していたことが明かされています。
海外での生活は、家族の絆をより強くするものです。政治の表舞台に出て激しいバッシングを受けることになった後年の竹中さんを、節子さんはずっとそばで支え続けていたことでしょう。
夫婦の具体的なエピソードはほとんど公表されていませんが、竹中さんの「なんとかもっている」という言葉には、照れ隠しのユーモアの中に、この人への信頼と愛情が透けて見えるような気がします。
学生時代からの交際を経て結婚し、半世紀近くを共に歩んできた夫婦です。
娘との微笑ましいゴミ出しエピソード
竹中平蔵さんには、娘さんがいるとされています。
詳細は公表されていませんが、竹中さんが大臣に就任した際のエピソードが語られています。
それは「ゴミ出し」にまつわる話です。大臣就任前は竹中さんが自分でゴミを出していたそうですが、大臣就任後は娘さんが「近所の目があるから私がやるよ」と言い出してゴミ出しを引き受けるようになったというのです。
……なんか、いいですよね。
お父さんが急に超有名人になって、近所から注目されるようになったから、娘さんが気を遣って「私がやる」と言い出した。そんな日常の一コマから、家族の温かさと、娘さんのやさしさが伝わってきます。
その後、大臣辞任後には元通り竹中さんがゴミを出すようになったとか。なんともほのぼのとしたエピソードです。
娘さんの存在は公式には明かされていませんが、このエピソードからその存在が広く知られるようになりました。
父・那蔵は和歌山の履物店を営んだ職人
竹中平蔵さんの父親は、竹中那蔵さんといいます。
那蔵さんは、和歌山城を望む商店街に小さな履物店「竹中履物店」を構えていた職人さんです。
もともと那蔵さん自身が下駄の商家に生まれ、丁稚奉公に出て一人前の職人になったという経歴を持っています。戦争で兵役に就き、終戦後に故郷・和歌山に戻って独立したのでしょう。
そんな父の背中を見て育ったのが、竹中平蔵さんです。
「父の背中を見て育った」竹中平蔵の発言
竹中平蔵さんはかつてこのような趣旨の言葉を語っています。
「朝から晩まで一人で草履の鼻緒をすげ替えている父親の背中を見て育った。だから父のような、コツコツ働く人が報われる社会であってほしい」
この言葉には、竹中さんの政策哲学の原点が詰まっているような気がします。「コツコツ働く人が報われる社会」を目指すという信念は、那蔵さんという一人の職人の父親への尊敬から来ているのです。
「構造改革」や「規制緩和」という言葉でよく語られる竹中平蔵さんですが、その原点は和歌山の小さな履物店の記憶にあるといえるかもしれません。
那蔵さんは既に他界されています。
母・明子から受け継いだ「3人仲良く」の教え
竹中平蔵さんの母親は、竹中明子さんといいます。
明子さんについての情報はあまり多くはありませんが、2023年に幻冬舎の雑誌「GOETHE」で行われた兄・宣雄さんとの対談記事の中で、印象的な言葉が紹介されています。
それが「とにかく3人仲良くしろ」という母の教えです。
男3人兄弟に対して、母・明子さんがいつも口にしていた言葉だそうです。この教えが今でも3兄弟の仲の良さの根底にあることが対談から伝わってきます。
竹中平蔵さんはこのインタビューで、母について「義務教育しか受けていなかったが、それ以上の教養があった」とも語っています。学歴がすべてではない、人間としての深みや教養を持った女性だったということでしょう。
那蔵さんと同様、明子さんも既に他界されています。2023年時点のGOETHE対談でも「父も母も他界している」と平蔵さんが語っていました。
兄・竹中宣雄はミサワホームの元社長・会長
竹中平蔵さんの長兄が、竹中宣雄さんです。
宣雄さんは1948年7月16日生まれで、平蔵さんより3歳上のお兄さんです。
法政大学社会学部を1972年に卒業後、ミサワホームに入社。各地域法人の社長を歴任し、2008年から2017年まで本社社長、2017年から2022年まで会長を務めました。
住宅業界の大手企業のトップとして長年活躍し、2017年には藍綬褒章、2022年には旭日重光章を受章しています。弟・平蔵さんとは全く異なる道を歩んできましたが、それぞれの分野でキャリアを積み上げてきた兄弟だということがわかります。
また、弟・平蔵さんが大臣・参院議員時代の選挙活動を手伝ったり、ゴルフで政界人との交際を担当したりといったサポートをしていたことも明かされています。
60数カ所骨折の交通事故に平蔵が帰国した感動エピソード
2023年のGOETHE対談では、宣雄さんが経験した大きな交通事故のエピソードが語られています。
宣雄さんはかつて、60数カ所もの骨折を伴う大事故を経験したことがあるそうです。
その時、弟・平蔵さんはアメリカにいました。それでも、兄の事故を知って帰国し、入院中の枕元で経済の話を教えていたというのです。
……読んでいてこちらまで温かくなりました。
怪我で苦しんでいる兄のそばに駆けつけ、経済の話で気を紛らわせようとした弟。お互いがよく知る共通の話題で兄を元気づけようとした平蔵さんの行動に、兄弟の絆の深さが感じられます。
竹中平蔵の家族構成を調べる人向けの関連情報
ここでは、竹中平蔵さんの実家や兄弟の詳細、家族をめぐるエピソードなど、関連情報を深掘りしていきます。
実家は和歌山市商店街に構えた履物店
竹中平蔵さんが育った実家は、和歌山市の小松原通り商店街にある「竹中履物店」です。
和歌山城を望む場所にあったとされるこの商店街の一角に、父・那蔵さんが終戦後に開いた小さな履物店がありました。店の奥が家族の住居になっており、竹中さんは幼少期をその場所で過ごしています。
実家は、近所では「比較的裕福な家庭」だったとされています。ただ、それは大きな豊かさではなく、職人として丁寧に仕事を積み重ねた那蔵さんが家族を養ってきた、というものでしょう。
また、実家に近い場所に、叔父さんが小さなメガネ屋を経営していたことも知られています。竹中平蔵さんはこうした商人・職人の家系で育ったわけです。
和歌山の商店街で育ったという原体験が、「働く人が報われる社会」を目指すという竹中さんの政策哲学の根底に流れているのかもしれません。
三男はアメリカに在住・男3人兄弟の全貌
竹中平蔵さんは男3人兄弟の次男です。
長男は先述の竹中宣雄さん(1948年生まれ)、次男が竹中平蔵さん(1951年生まれ)です。そして三男が存在しますが、こちらは名前や職業などの詳細は明らかになっていません。
ただ、アメリカに在住していることが2023年のGOETHE対談記事で語られています。
兄弟3人のうち、2人は日本、1人はアメリカという構成です。ちなみに、竹中平蔵さん自身も1993年から1996年にかけてアメリカに住んでいた時期があります。三男の渡米がいつ頃のことなのかは不明ですが、国際的な視野を持つ竹中家の中で、海外を生活の拠点にした兄弟がいるのも興味深いですね。
| 続柄 | 名前 | 生年 | 主な活動 |
|---|---|---|---|
| 長男 | 竹中宣雄 | 1948年 | ミサワホーム元社長・会長、日本在住 |
| 次男 | 竹中平蔵 | 1951年 | 経済学者・元大臣、日本在住 |
| 三男 | 非公表 | 非公表 | アメリカ在住(詳細不明) |
仲良し兄弟の絆が伝わる対談エピソード
竹中平蔵さんと長兄・宣雄さんの関係性は、2023年にGOETHE(幻冬舎刊)が掲載した対談記事で詳しく伝えられています。
この対談で、宣雄さんは弟についてこう語っています。「弟は昔から本当にずっと勉強していた」と。一方、平蔵さんは兄を「色々な道を開拓してくれた憧れの存在だった」と表現しています。
特に印象的なのは、平蔵さんが東京の大学に進学することになったきっかけについてのエピソードです。「東京の大学に進学するという道を開いてくれたのも兄だった」と平蔵さんは語っています。和歌山の商店街で育った平蔵さんにとって、先に上京していた宣雄さんの存在が、東京で学ぶという選択肢を具体的なものにしたのでしょう。
また、平蔵さんが東京に出てきてから、2人で後楽園球場(阪神vs巨人戦)を観戦した思い出も対談で語られています。
宣雄さんが小泉政権時代の選挙を手伝った話もあり、公私にわたって深い絆で結ばれた兄弟だということが伝わってきます。
家族のプライバシーを大切にする姿勢
竹中平蔵さんは、家族のプライバシーに関する情報についてはかなり慎重な姿勢を保っています。
妻・節子さんや子供(娘さん)については、ほとんど公の場で語られることがなく、公式なプロフィール等にも記載されていません。節子さんが2003年に婦人公論に寄稿した際も、あくまで「妻の視点から語る夫の素顔」という内容であり、節子さん自身の詳細なプロフィールはそこでも明かされていません。
子供の存在については、大臣就任時のゴミ出しエピソードなどから娘さんがいることが広く推測されていますが、公式には認めておらず、名前や年齢、現在の生活については一切公表されていません。
政治家・経済学者として常に世間の注目を集めてきた竹中平蔵さんにとって、家族が公の議論の対象になることは避けたかったのかもしれません。特に小泉改革の時代には賛否両論を巻き起こした人物でもあり、家族への影響を最小限にしようという配慮があったとも考えられます。
公的な顔と私的な家族を明確に分けるという姿勢は、節子さんをはじめとする家族への敬意と保護の表れといえます。
竹中平蔵の家族構成のまとめ
- 竹中平蔵の妻は竹中節子さんで、津田塾大学卒業のインテリな女性
- 節子さんとは学生時代からの交際を経て結婚し、現在も連れ添っている
- 節子さんは2003年に婦人公論へ寄稿し、夫の素顔(お笑い・谷村新司・阪神好き)を語った
- 子供については非公表だが、大臣就任時のゴミ出しエピソードから娘がいるとみられる
- 娘は大臣就任後、「近所の目があるから」と自らゴミ出しを引き受けるようになった
- 父・那蔵は和歌山市・小松原通り商店街で「竹中履物店」を経営していた職人
- 那蔵は下駄の商家生まれで丁稚奉公を経て自立し、終戦後に独立開業した
- 「コツコツ働く人が報われる社会を」という平蔵の信念は父への敬意から来ている
- 母・明子は義務教育しか受けていなかったが、それ以上の教養を持つ女性だったとされる
- 母の教え「とにかく3人仲良くしろ」が兄弟の絆の原点となっている
- 父・那蔵と母・明子は共に他界している
- 長兄・竹中宣雄はミサワホームの元社長・会長で、2017年藍綬褒章、2022年旭日重光章を受章
- 宣雄は弟・平蔵の大臣時代の選挙を手伝い、政界人とのゴルフ接待も担当した
- 宣雄が60数カ所骨折の大事故に遭った際、平蔵はアメリカから帰国し枕元で経済を語った
- 男3人兄弟のうち三男はアメリカに在住していることが2023年のGOETHE対談で明かされた

