岩谷直治の家系図は父・邦吉郎から孫・直樹まで!長男が実はニチガスを創業してた

岩谷直治の家系図は父・邦吉郎から孫・直樹まで!長男が実はニチガスを創業してた

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岩谷産業の創業者・岩谷直治さんの家系図を調べていると、名前がどんどん増えていって途中で分からなくなりますよね。

実は長男の岩谷徹郎さんが、あのニチガスを別に立ち上げていたというから驚きです。

この記事では父・邦吉郎さんの代から孫の代まで、続柄をひとつずつ整理していきますね。

この記事を読むとわかること
・岩谷直治の家系図が父母・妻・子ども・孫までどうつながっているか
・長男・徹郎がニチガスを、直治が岩谷産業を率いた二社体制の成り立ち
・卓球の石川佳純と遠縁だと言われる根拠と、分かっていないこと

岩谷直治の家系図と一族のつながり

岩谷直治さんの家系図は、島根の農村から始まって、いまの岩谷産業とニチガスという2つの会社につながっていきます。

ここでは父母の代から孫の代まで、名前と続柄を順番に追いかけていきますね。

家系図の起点は父・邦吉郎と母・ミサ

岩谷直治さんの家系図をたどると、いちばん上に来るのが父・邦吉郎さんと母・ミサさんです。

直治さんは1903年(明治36年)3月7日、島根県安濃郡長久村(現在の大田市)で生まれました。

この夫婦の家がどんな家だったのかというと、いわゆる大地主の家ではありません。

岩谷産業の公式サイトによると、父・邦吉郎さんは地元の豪農の総支配人を務めていた人でした。

つまり、資産家そのものではなく、資産家の財産を預かって切り盛りする立場だったわけです。

ここ、家系図を見るときにけっこう大事なポイントだと思います。

邦吉郎さんは総支配人という立場に安住せず、信州まで出向いて養蚕と製糸を学び、横浜まで生糸を売りに行ったと伝えられています。

明治から大正にかけての島根の農村で、そこまで足を伸ばす人はそう多くなかったはずです。

商いの勘という意味では、直治さんは父親の背中をかなり近くで見ていたことになりますよね。

教育の面では「謙虚であれ」と厳しく言い聞かせた人だったそうです。

一方の母・ミサさんは、家事のいっさいをこなす努力家として伝えられています。

公式サイトには、ミサさんが「人をさげすむことは恥ずかしい」と息子に諭したという話が残っています。

のちに直治さんが掲げた「買う人に利益を与えたら会社は必ず伸びる」という商売の考え方は、この母親の言葉とどこか地続きに見えます。

岩谷家の家系図は、財産ではなく商いの型と人への構えが受け継がれた家系図だといえます。

五男五女の末っ子として生まれた

直治さんの生まれ順も、家系図を読むうえで見落とせません。

邦吉郎さんとミサさんの間には五男五女の子どもがおり、直治さんはそのうちの五男、つまり男の末っ子でした。

10人きょうだいの下から数えたほうが早い位置ですね。

当時の家の常識でいえば、家業や田畑を継ぐのは長男の役目です。

末っ子の五男に回ってくるものは、基本的にありません。

そう考えると、15歳で神戸へ丁稚奉公に出たという進路は、本人の意欲だけでなく、家系図上の立ち位置がそのまま押し出した結果とも読めます。

家を継げない末っ子だったからこそ、自分で商売を起こす側へ回った。

家系図を眺めていると、そういう順番の話が経歴の説明にもなっているのが分かります。

妻・後藤ソチと二人で始めた創業

家系図の次の段は、結婚です。

直治さんの妻は後藤ソチさんで、27歳のときに結婚しています。

そして注目したいのが、この結婚と創業がほぼ同時だったことです。

1930年5月、直治さんは大阪市港区市岡浜通に岩谷直治商店を開きました。

The社史の記述によれば、このスタートは妻・ソチさんと二人だけだったとされています。

社員ゼロ、夫婦だけの商店です。

扱っていたのは酸素やカーバイド、溶接材料といった工業用のガスと資材でした。

家系図の話をしているつもりが、そのまま創業史になってしまうのが岩谷家の面白いところですよね。

閨閥学によると、ソチさんは岩谷産業の取締役を務めた後藤寛一さんの姉にあたるとされています。

こちらは1つのソースにしか見当たらない情報なので断定は避けますが、事実だとすれば、妻の実家からも会社の役員が出ていることになります。

夫婦二人で始めた商店が、やがて親族を巻き込みながら会社の形になっていきました。

岩谷家の家系図では、妻・ソチさんは創業者の妻であると同時に、共同創業者に近い位置に置かれる人物です。

長男・徹郎はニチガスを創業した

ここからが、家系図のいちばん見ごたえのあるところかもしれません。

長男の岩谷徹郎さんは1933年生まれ。1955年に岩谷産業へ入社しています。

普通なら、創業者の息子が父の会社に入り、順番に出世したという話で終わります。

ところが徹郎さんの場合、入社したのと同じ1955年7月に、東京で別の会社を立ち上げているんです。

それが、家庭用LPガスの専業会社・日本瓦斯、いまのニチガスです。

え、そうだったの、と思いませんでしたか。

The社史の日本瓦斯の項によれば、切り分けの理由ははっきりしています。

産業用LPガスを軸に商社へ伸びていく岩谷産業の本業と、各家庭に器具を売ってガス工事をして団地へ一括供給する家庭用の営業は、相手も現場の手間もまるで違います。

だからグループから家庭用の機能を切り出して、専業会社として独立させたという整理です。

発足時は資本金250万円、社員5人という小さな会社でした。

初代社長には元島根県副知事の本山修策さんが就き、32年にわたって経営を担ったとされています。

島根出身の創業者が、島根の元副知事に東京の新会社を託した形ですね。

徹郎さん自身は岩谷産業でも階段を上がっていきます。

1962年に取締役、1963年に専務、1970年に副社長、そして1999年に会長へ進みました。

つまり岩谷家の家系図は、直治さんの代で岩谷産業、長男・徹郎さんの代でニチガスという、上場企業2社にまたがる形になっているわけです。

会社設立・創業岩谷家の関わり
岩谷直治商店1930年5月岩谷直治さんと妻・ソチさんが創業
岩谷産業1945年2月直治さんが設立し初代社長。1985年に会長
日本瓦斯(ニチガス)1955年7月長男・徹郎さんが設立。のちに会長

次男・学と長女・冴子、養子の達郎

長男以外の子どもたちも、家系図の上できちんと役割を持っています。

閨閥学がまとめている岩谷家の系図によると、直治さんとソチさんの子どもは長男・徹郎さん、次男・学さん、長女・冴子さんの3人です。

そこに養子として岩谷達郎さんが加わります。

次男の岩谷学さんは1935年生まれとされ、岩谷産業に入社したあと1969年に取締役へ就いています。

長男が会長まで上がり、次男も30代半ばで役員になっています。

創業から四半世紀ほどの会社としては、かなり身内が前に出た体制だったことがうかがえますよね。

養子・岩谷達郎は長女・冴子の夫

養子の岩谷達郎さんについては、少し補足が要ります。

系図上、達郎さんは長女・冴子さんの夫にあたり、そのうえで直治さんの養子として岩谷姓に入った形になっています。

いわゆる婿養子ですね。

娘の夫を養子に迎えて姓を継がせるのは、事業を持つ家ではよくある型です。

血のつながりだけで家を数えると、この達郎さんは家系図から抜け落ちてしまいます。

でも会社という視点で見ると、婿養子は家名と事業を薄めずに人材を1人増やす仕組みでもあります。

岩谷家の家系図は、実子3人に婿養子1人を足した4人で次の世代を構えた形だといえます。

なお、この養子縁組と冴子さんの婚姻に関する記述は閨閥学の1ソースにしか見当たりません。

そのため、ここではそう整理されているという範囲にとどめておきます。

孫・岩谷直樹へ続く三代目の系譜

三代目に当たるのが、長男・徹郎さんの子どもたちです。

なかでも名前がよく出るのが、1966年生まれの岩谷直樹さん。直治さんから見れば孫にあたります。

直治の直の字が入っているのが、なんとも分かりやすいですよね。

直樹さんは1990年に岩谷産業へ入社しています。

閨閥学の記載では、2009年に執行役員、2011年に取締役、2015年に常務、2019年に専務執行役員という順で役職が上がっています。

ここで正直にお伝えしておくと、直樹さんの現在の肩書については情報が食い違っています。

閨閥学は2019年時点の専務執行役員までを記していますが、検索で出てくる役員情報のなかには監査役とするものもありました。

役員の職位は数年単位で動くものなので、最新の肩書を確かめたい場合は岩谷産業の会社情報を直接見るのが確実です。

直樹の弟・治樹といとこの英治

三代目は直樹さんだけではありません。

徹郎さんには長男・直樹さんのほかに、1971年生まれの次男・治樹さん、そして長女と二女がいるとされています。

また次男・学さんの側にも、1967年生まれの長男・岩谷英治さんがいます。

直樹さん、治樹さん、英治さんはいとこ同士という関係ですね。

こちらもいずれも閨閥学の記載が中心で、他のソースで裏が取れていない部分があります。

名前と生年までは押さえつつ、その後の経歴については確定情報として扱わないほうがよさそうです。

家系図に並ぶ姻戚は西山家と平木家

岩谷家の家系図をもう一段広げると、ほかの企業家の家とつながっていきます。

閨閥学によると、長男・徹郎さんの妻は西山紀子さんで、室町通商の社長だった西山大介さんの長女とされています。

次男・学さんの妻は平木基子さんで、山陽特殊製鋼の専務だった平木徳男さんの長女だと記されています。

二人とも、企業の経営層の家から嫁いできた形です。

つまり岩谷家の二代目は、兄弟そろって実業家の家と縁組みしていることになります。

創業家がこういう縁組みを重ねるのは、当時としては珍しいことではありませんでした。

取引や資金の面でも、家同士のつながりが効く時代でしたからね。

続柄名前実家の関係
岩谷直治の妻後藤ソチ岩谷産業取締役・後藤寛一の姉とされる
長男・徹郎の妻西山紀子室町通商社長・西山大介の長女とされる
次男・学の妻平木基子山陽特殊製鋼専務・平木徳男の長女とされる

ただ、この姻戚関係はすべて閨閥学の記述に依っています。

企業側の公式資料で確認できたものではないので、家系図の枝として押さえておく程度がちょうどいい距離感かなと思います。

岩谷家の家系図は、島根の農村から始まって二代目で関西の実業家の家々とつながる形に広がりました。

岩谷直治の家系図を調べる人向けの関連情報

ここからは、家系図そのものからは少し離れた話題をまとめていきます。

実家の場所、意外な有名人とのつながり、岩谷姓のルーツなど、家系図を調べていると必ず引っかかってくるところですよ。

実家は島根県大田市の旧・長久村

家系図の出発点になる場所は、島根県です。

直治さんが生まれたのは島根県安濃郡長久村で、いまの大田市にあたります。

大田市といえば、世界遺産の石見銀山があるところですね。

日本海に面していて、山陰のなかでも西寄りの位置になります。

生家についての細かい住所や、建物がいまも残っているかどうかまでは、公開されている資料からは確認できませんでした。

ただ、この土地が直治さんの人格形成に効いていたことは、経歴からもはっきり読み取れます。

進学したのは安濃郡立農業学校(のちの大田農学校、現在の島根県立大田高等学校)で、財団の記録では1918年3月に卒業しています。

そしてその年、15歳で神戸の楫野海陸運送店へ丁稚奉公に出ました。

農業学校を出て農業に進まず、いきなり神戸の運送会社へ向かったわけです。

家を継げない五男の進路として、当時としてはかなり思い切った選択だったはずです。

農業学校の恩師・大橋清蔵の言葉

実家の話をするときに欠かせないのが、農業学校時代の恩師です。

岩谷産業の公式サイトによると、直治さんは大橋清蔵先生からダーウィンの進化論を教わっています。

そして「世の中に出て、その人の得意の方向に向かって努力すれば必ず成功する」と励まされたと伝えられています。

農村の学校で進化論の話を聞かされた15歳が、その言葉を70年以上たっても引き合いに出していました。

……なんか、いいですよね、こういう話。

なお神戸に出てからは、寝坊で失敗したことをきっかけに5時前起床を生涯の習慣にし、経済日誌をつけて相場の動きを体で覚えたとされています。

石川佳純とは遠縁の親戚にあたる

家系図を調べていて、いちばん驚かれるのがここだと思います。

卓球の石川佳純さんは、岩谷直治さんの遠縁の親戚にあたります。

これは噂レベルの話ではありません。

石川佳純さんのWikipediaでは、基本情報の血縁者の欄に岩谷直治さんの名前が入っています。

人物の節にも「岩谷直治、岩谷時子は遠縁の親戚」とはっきり書かれています。

しかもここに出てくる岩谷時子さんは、愛の讃歌や君といつまでもの訳詞・作詞で知られる、あの岩谷時子さんです。

エネルギー商社の創業者と作詞家と卓球選手が、遠縁でつながっている。

知ったときびっくりしませんでしたか。

ちなみに石川佳純さんの親族には、元岩手大学農学部学長の石川武男さんが大叔父として、アナウンサーの三上大進さん、HKT48の豊永阿紀さん、声優の豊永実紀さんがはとことして並びます。

石川家自体が、かなり多方面に枝を伸ばした家系なんですね。

具体的な続柄までは分かっていない

気をつけたいのは、遠縁の中身までは確定していないという点です。

家系図を扱う個人ブログのなかには、石川佳純さんの父方の曽祖父・石川晋さんが1917年(大正6年)に岩谷カナさんという女性と結婚しており、そこが接点ではないかと指摘するものがあります。

ただ、この指摘をしているブログ自身が確認されていないと断っています。

現時点で確実にいえるのは遠縁の親戚であるところまでで、直治さんから何親等かという具体的な続柄は公表されていません。

家系図として線を引きたくなるところですが、ここは無理につなげないほうが誠実だと思います。

岩谷姓のルーツは石見にあるという説

もう一段さかのぼって、岩谷という姓そのものの由来を扱っている記事もあります。

ある個人ブログは、岩谷姓を清和源氏の流れとして説明しています。

八幡太郎こと源義家から数代あとの新田義重に始まり、南北朝期に活躍した新田義貞の一族が石州(現在の島根県西部)で戦い、南朝が敗走したあとに大田市川合の岩屋に潜んだ。

やがて尼子と毛利の戦いを経て、深兵衛義直の子である忠兵衛が岩谷姓を名乗るようになった、という筋書きです。

そして岩谷姓は石見をルーツとしていると結論づけています。

読み物としては面白いのですが、これは公的な系譜資料で裏づけられたものではありません。

この説を紹介しているのは個人ブログの1件のみで、岩谷産業や岩谷直治記念財団の公式資料にはこうした由来の記述はありません。

そもそも直治さんの家系図として公表されているのは、父・邦吉郎さんの代から下だけです。

そこより上、江戸期や中世までさかのぼる部分は、確認できる資料が存在しないと考えたほうがよさそうです。

とはいえ、大田市に岩屋という地名の由来があって、そこに岩谷姓の家が集まっていたとすれば、地名由来の姓という説明としては筋が通ります。

そういう仮説として受け止めるのが、ちょうどいい距離感かなと思います。

岩谷直治記念財団に残したもの

家系図とあわせてよく検索されているのが、岩谷直治記念財団です。

直治さんは1973年に財団法人岩谷直治記念財団を設立しています。

現在は公益財団法人として、岩谷科学技術研究助成、給付型奨学金、岩谷直治記念賞といった事業を続けています。

社名でも家名でもなく、個人名をそのまま冠した財団というのが特徴的ですよね。

Googleで岩谷直治と打つと、サジェストの一番上に出てくるのがこの財団の名前です。

家系図を調べて来た人と、研究助成や奨学金を調べて来た人が、同じ名前の入口で合流している格好になります。

直治さんは財団のほかにも、NHK交響楽団への協賛など文化事業に力を入れていたと伝えられています。

会社と一族を残しただけでなく、名前を冠した財団を通じて研究者や学生を支える枠組みまで作りました。

岩谷家の家系図に載らない部分でいえば、この財団こそが直治さんが残したもうひとつの継がれるものだといえます。

なお受章歴も財団の記録に整理されています。

受章・叙位
1961年通商産業大臣 保安功労賞
1963年藍綬褒章
1965年紺綬褒章
1973年勲三等旭日中綬章
1985年勲二等瑞宝章
2005年従四位(叙位)

創業家は岩谷産業の経営にどう関わるか

家系図を追ってきた人がいちばん知りたいのは、たぶんここだと思います。

いまの岩谷産業は、創業家が持ち回りで社長を出す会社ではありません。

創業者の直治さんが1945年から1985年まで40年にわたって社長を務めたあと、2代目以降は創業家以外から社長が出ています。

The社史がまとめている歴代社長を見ると、その流れがはっきり分かります。

社長在任
1代岩谷直治1945年〜1985年
2代斎藤興二1985年〜1997年
3代楊井立夫1998年〜2000年
4代牧野明次2000年〜2012年
5代野村雅男2012年〜2017年
6代谷本光博2017年〜2020年
7代間島寬2020年〜

直治さんが会長へ退いたのは1985年12月、82歳のときでした。

創業から数えて55年の経営に区切りをつけて、2代目の斎藤興二さんへ引き継いだ形です。

100歳を超えて生きた人が、82歳で社長の座を降りています。

つまり岩谷産業は、創業家が株と役員の席では残りつつ、社長は専門経営者に任せる体制へ早い段階で切り替えた会社だといえます。

孫の直樹さんが役員として名前を残しているのは、その体制のなかでのことですね。

家系図をたどった人たちの反応

岩谷直治さんの家系図が話題になるときの反応は、だいたい3つの方向に分かれています。

ひとつは、石川佳純さんとのつながりに対する驚きです。

卓球選手の血縁者欄にエネルギー商社の創業者が入っているのは、なかなか見ない並びですからね。

ふたつめは、長男・徹郎さんがニチガスを作っていたことへの驚きです。

岩谷産業とニチガスをどちらも知っている人ほど、あの2社が親子だったのかと反応しています。

みっつめが、102歳という長寿への反応です。

1903年生まれで2005年まで生きた人が、日本のプロパンガスの普及を一代でやり切りました。

家系図を眺めていると、この一族が扱ってきたのが結局ずっとガスだったことに気づきます。

岩谷直治さんの家系図は、島根の農家の五男が始めた商いを、息子と孫が形を変えながら受け継いできた記録そのものです。

岩谷直治の家系図のまとめ

  • 岩谷直治は1903年3月7日、島根県安濃郡長久村(現・大田市)に生まれた
  • 父は岩谷邦吉郎、母はミサで、直治は五男五女の末っ子にあたる
  • 父・邦吉郎は豪農の総支配人で、養蚕や生糸の商いにも足を運んだ人物とされる
  • 妻は後藤ソチで、27歳で結婚した年に岩谷直治商店を創業している
  • 創業時は夫婦二人だけのスタートで、酸素やカーバイドを扱っていた
  • ソチは岩谷産業取締役・後藤寛一の姉とされるが、単独ソースの記述にとどまる
  • 子どもは長男・徹郎、次男・学、長女・冴子の3人で、ほかに養子の達郎がいる
  • 養子の岩谷達郎は長女・冴子の夫にあたる婿養子とされる
  • 長男・岩谷徹郎は1933年生まれで、1999年に岩谷産業会長に就いた
  • 徹郎は1955年7月に家庭用LPガス専業の日本瓦斯(ニチガス)を設立している
  • 次男・岩谷学は1935年生まれとされ、1969年に岩谷産業の取締役になった
  • 孫にあたる岩谷直樹は1966年生まれで、1990年に岩谷産業へ入社している
  • 二代目の妻は西山家・平木家の出とされ、実業家の家との縁組みが重なっている
  • 卓球の石川佳純と作詞家の岩谷時子は遠縁の親戚だが、具体的な続柄は公表されていない
  • 岩谷産業の社長は1985年以降、創業家以外から出る体制に切り替わっている

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