藤田田の家系図|「田」の一字は母の信仰から!息子2人と491億円の行方

藤田田の家系図|「田」の一字は母の信仰から!息子2人と491億円の行方

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日本にマクドナルドを持ち込み、トイザらスまで上陸させた実業家・藤田田(ふじた でん)さん。

「田」と書いて「でん」。この珍しい名前を、一度見たら忘れないという方も多いですよね。

ただ、藤田田さんの家系図をたどると、驚くのは名前の由来のほうです。あの一字は、母親の信仰から生まれたものでした。

この記事を読むとわかること
・藤田田の家系図を、父・母・妻・息子2人・孫まで一枚で整理した全体像
・「田」という名前が母親の信仰からつけられた理由と、大阪・千里山で育った生い立ち
・長男と次男がそれぞれ継いだ会社と、遺産491億円を相続したのが誰だったのか

藤田田の家系図|父・母・妻・息子2人・孫までを整理する

まず結論からお伝えします。

藤田田さんの家系は、父・藤田良助さんと母・睦枝さんのもとに生まれ、妻・悦子さんとの間に息子が2人、そして孫の代へと続いています。

財界の名門から出た人ではなく、大阪の一家庭から身を起こした人物なんですね。

藤田田の家系図を一枚で整理すると

血縁関係を並べると、次のようになります。

続柄 名前 肩書き・特徴
藤田良助
藤田睦枝 熱心なキリスト教徒
本人 藤田田 藤田商店・日本マクドナルド・日本トイザらス創業者
藤田悦子 いわさきちひろの作品を愛好
長男 藤田元 1952年生まれ。藤田商店 代表取締役社長
次男 藤田完 1955年生まれ。藤田商店 代表取締役副社長
藤田舞

息子は2人とも、父が20代で立ち上げた藤田商店の経営に入っています。

マクドナルドという巨大な看板の裏側で、一族は自分たちの会社をきちんと守り続けてきたわけです。

父は藤田良助、母は睦枝|「田」の一字は母の信仰からつけられた

藤田田さんの両親は、父が藤田良助さん、母が睦枝さんです。

この家系図で最初に触れておきたいのが、母・睦枝さんの存在ですね。

睦枝さんは熱心なキリスト教徒で、「田」という一字は、その信仰から名づけられたものでした。

「田」という字を分解すると、「口」の中に十字架の形が入っています。

「口から十字架のような、よい言葉を語る人になってほしい」という母の願いが、そのまま名前になったのです。

読み方も「た」ではなく「でん」。一度聞いたら忘れられない名前を、生涯そのまま使い続けました。

のちに『ユダヤの商法』を書き、「銀座のユダヤ人」と呼ばれた人物の出発点に、母親の一神教の信仰があった。家系図をたどるとき、ここは外せない一点だと思います。

生まれは大阪市東淀川区、3歳から千里山で育つ

藤田田さんが生まれたのは、1926年(大正15年)3月13日です。

出生地は大阪府大阪市東淀川区で、3歳のときに一家で千里山へ移り住んでいます。

千里山は当時、鉄道の開通にあわせて開発が進んでいた郊外の住宅地でした。

実家のあった場所としてよく語られるのも、この千里山のほうですね。

大阪商人の街の空気と、新しくつくられた郊外の住宅地。その両方を吸って育った少年時代だったことになります。

旧制北野中学から東大法学部へ|学歴だけを見れば官僚コースだった

藤田田さんの学歴は、当時としてはかなりの秀才コースです。

時期 学校
小学校 千里第二尋常小学校
中等教育 旧制北野中学
高等教育 旧制松江高校
1944年入学 東京大学法学部
1951年 東京大学法学部 卒業

旧制北野中学は、大阪でも屈指の進学校として知られた学校です。

そこから旧制松江高校を経て東大法学部というのは、そのまま進めば官僚か法曹という進路でした。

1944年入学から1951年卒業まで7年かかっているのは、間に戦争と戦後の混乱をはさんでいるためです。

そして藤田田さんは、卒業を待たずに動き出します。

在学中の1950年、輸入雑貨の販売店「藤田商店」を創立しました。

東大法学部の学生が、卒業前に自分の商売を始めてしまったわけですね。家系図のなかで、藤田家の「商売の家」としての歴史は、ここから始まっています。

妻・藤田悦子はいわさきちひろの絵を愛した人

藤田田さんの妻は、悦子さんです。

悦子さんは、絵本画家・いわさきちひろさんの作品の愛好家として知られています。

ハンバーガーで日本の食卓を変えた夫と、やわらかな水彩画を愛した妻。この対比は、家系図の資料を追っていて印象に残る部分です。

表舞台に立って発言するタイプではなかったようで、経歴の詳細はほとんど公表されていません。

ただ、のちに触れる相続の場面で、悦子さんは中心に登場することになります。

藤田田の家系のその後|息子2人が継いだ会社と、491億円の行方

ここからは、藤田田さんが亡くなったあとの藤田家を見ていきます。

藤田田さんは2004年4月21日午前5時56分、心不全のため東京都内の病院で亡くなりました。78歳でした。

残されたのは、莫大な資産と、一族の会社です。

長男・藤田元は藤田商店の社長|東京タワー蝋人形館の館長も務めた

長男は、1952年生まれの藤田元(ふじた げん)さんです。

藤田商店の代表取締役社長を務め、東京タワー蝋人形館の館長も務めていました。

藤田商店は、父・田さんが東大在学中に立ち上げた輸入雑貨の会社です。

日本マクドナルドや日本トイザらスは、いずれもこの藤田商店を母体に、アメリカ企業との合弁という形で生まれました。

つまり藤田商店こそが、藤田家の資産と事業の本体にあたります。

マクドナルドの経営そのものは外資の資本論理で動きますが、一族の会社は長男が引き継いだ形ですね。

次男・藤田完は藤田商店の副社長

次男は、1955年生まれの藤田完(ふじた かん)さんです。

藤田商店の代表取締役副社長を務め、日本マクドナルドの副社長も務めたとされています。

兄が社長、弟が副社長という並びです。

資料を見るかぎり、兄弟が経営権をめぐって表立って争ったという話は出てきません。

創業者一族というと分裂の話が付きものですが、藤田家についてはその種の報道が見当たらないのが特徴です。

孫の代には藤田舞の名前がある

藤田田さんの家系図には、孫として藤田舞さんの名前が挙がっています。

ただし、職業や現在の活動について公表された情報はほとんどありません。

息子2人までは経済人として名前が残っていますが、孫の世代は表に出ていないということですね。

創業者の一族が、三代目で一般の生活へ戻っていくのは珍しいことではありません。

遺産総額は約491億円、相続税は122億円

藤田田さんの家系を語るとき、避けて通れないのが遺産の話です。

藤田田さんの遺産総額は約491億円。当時、歴代6位という規模でした。

項目 金額
遺産総額 約491億円
相続税額 約122億円

相続税だけで122億円です。

ちなみに、こうした金額が外部に知られるのは、高額納税者の公示制度(いわゆる長者番付)が当時まだ残っていたためです。

491億円を相続したのは妻と長男だった

では、この491億円は誰が受け継いだのか。

相続したのは、妻の悦子さん(当時75歳)と、長男の元さん(当時52歳)の2人でした。

ここで名前が挙がっていないのが、次男の完さんです。

報じられた相続人が妻と長男の2人だったことから、藤田家の資産は長男に集約される形で承継されたと見られます。

もっとも、次男の完さんは藤田商店の副社長として経営に残っています。

資産の名義と、会社での役割。この2つを分けて考えたほうが、藤田家の場合は実態に近いのだと思います。

藤田田が築いたもの|藤田商店からマクドナルド、トイザらスまで

あらためて、藤田田さん本人の足跡を整理しておきます。

できごと
1950年 東大在学中に輸入雑貨販売店「藤田商店」を創立
1971年 日本マクドナルドを設立。7月に銀座へ1号店を出店
1989年 日本トイザらスを設立
1991年 日本ブロックバスターを設立
2002年7月 日本マクドナルド社長を辞任
2004年4月21日 心不全のため死去。78歳

1971年の銀座出店から、ハンバーガーは日本の外食に定着しました。

「日本人の食生活を変えた」と言われるほどの変化を、一代でつくった人物です。

母の信仰から名前をもらった大阪の少年が、アメリカ企業と組んで日本の食卓を塗り替えた。家系図を頭に入れてから経歴を見ると、その落差がよく分かります。

孫正義が「師」と仰いだ人物でもあった

藤田田さんを語るとき、必ず出てくるのが孫正義さんとのエピソードです。

高校生だった孫正義さんが藤田田さんのもとを訪ね、「これからはコンピュータだ」という助言を受けたという話は、繰り返し語られています。

孫さんはその後アメリカへ渡り、ソフトバンクを創業しました。

藤田田さんの影響は、藤田家の血筋の内側だけでなく、こういう形でも次の世代に渡っているんですね。

まとめ|藤田田の家系図から見えてくるもの

藤田田さんの家系図を、もう一度整理しておきます。

続柄 名前 ポイント
藤田良助
藤田睦枝 熱心なキリスト教徒。「田」の名づけ親
藤田悦子 遺産の相続人の1人
長男 藤田元 藤田商店 社長。遺産の相続人
次男 藤田完 藤田商店 副社長
藤田舞 公の情報はほとんどない

財界の名門でもなければ、政略結婚で広がった閨閥もありません。

大阪の一家庭から出た一人の男が、母の信仰を名前に背負って商売を始め、一代で491億円を築いた。

そして残ったのは、息子2人が守る藤田商店という会社でした。

藤田田さんの家系図は、日本の戦後にこういう成り上がり方があったことを、そのまま記録しているのだと思います。

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