東京女子医科大学の元理事長として知られる岩本絹子さん。
実は姪が宝塚歌劇団の元トップスターだったというから、驚きですよね。
この記事では、吉岡一族との関係や家族構成、そして逮捕に至った経緯まで、岩本絹子さんの家系図を徹底的に解説していきます。
・岩本絹子さんと吉岡一族との具体的な血縁関係
・母や父、姪・甥など家族に関する情報
・理事長就任から逮捕に至るまでの経緯
岩本絹子の家系図から見る吉岡一族との関係
東京女子医科大学の元理事長として知られる岩本絹子さん。
ニュースで名前を聞いて「家系図がすごいらしい」と気になった方も多いのではないでしょうか。
ここではまず、岩本絹子さんの家系図と、大学経営を代々担ってきた吉岡一族との関係を詳しく見ていきます。
家系図の概要とされる吉岡一族との関わり
岩本絹子さんの名前を調べると、必ずと言っていいほど「吉岡一族」というキーワードが出てきます。
吉岡一族とは、東京女子医科大学の創立者・吉岡彌生さんの血筋にあたる一族のことで、代々この大学の理事長や学長といった経営の中枢を担ってきた家系のことです。
岩本絹子さんは苗字こそ「岩本」ですが、母方をたどると吉岡家につながっているとされ、吉岡一族の一員として東京女子医科大学の運営に深く関わってきた人物というのが実態です。
産婦人科の開業医だった岩本絹子さんが、2019年に突然大学のトップである理事長に就任した背景には、この吉岡一族との血縁関係があったと見られています。
正直、一開業医がいきなり大学のトップに立つというのはなかなか珍しいことですよね。
その謎を解くカギが、これから紹介する家系図にあります。
高祖父・曾祖父まで遡る家系図説
岩本絹子さんの家系図については、佐賀県唐津市(旧・東松浦郡入野村、現在の唐津市肥前町)を本籍とする吉岡家が、代々地域医療に携わってきたという情報もあります。
高祖父や曾祖父の代から医療に携わっていたという説もありますが、この部分は一部のサイトのみが伝えている情報で、具体的な人物名までは複数のソースで裏付けが取れていません。
そのため、「江戸時代から続く医者の家系らしい」という程度の噂として捉えておくのが無難かなと思います。
はっきりしているのは、岩本絹子さんの母親の代から少なくとも産婦人科医が続いており、医療一家で育ったということです。
創業者・吉岡彌生の大姪にあたる続柄
岩本絹子さんと吉岡一族の関係で、複数のサイトが共通して伝えているのが「大姪」という続柄です。
大姪というのは、自分の甥や姪の子供にあたる関係ではなく、ここでは祖父母の代のきょうだいの孫にあたる関係、つまり「はとこ」よりもう少し年配の世代に近い親族を指す言葉として使われています。
東京女子医科大学の創立者である吉岡彌生さんは、明治33年(1900年)に女性医師の育成を目的として東京女医学校を創立した人物です。
済生学舎を卒業し、日本で27番目の女性医師になったと言われている、まさに女性医療教育の先駆者ですね。
吉岡彌生さんの夫は吉岡荒太さんという方で、荒太さんには複数の弟がいました。
岩本絹子さんは、この吉岡荒太さんの弟のうちの一人の孫にあたる、というのが家系図の骨格部分です。
つまり、岩本絹子さんは血のつながりとしては吉岡彌生さんの夫側の親族であり、創業者本人の直系ではないものの、吉岡一族の一員として扱われてきたということになります。
どちらの弟の孫にあたるかは諸説あり
ここで少し注意したいのが、「吉岡荒太さんの何番目の弟の孫にあたるか」という部分です。
サイトによって「2番目の弟の孫」としているところと、「3番目の弟・松造さんの孫」としているところがあり、情報が分かれています。
どちらが正しいのか、現時点で公式な家系図が公表されているわけではないため断定はできません。
ただ、荒太さんの弟のうち医師になったのは3番目の松造さんと4番目の正明さんの2人だったという情報もあり、岩本絹子さんが医師の家系に生まれたことを踏まえると、医師になった弟の系統の孫である可能性はありそうだなと個人的には感じます。
いずれにしても、岩本絹子さんが吉岡荒太さんの弟のいずれかの孫にあたる、という大枠自体は各サイトで一致しています。
前理事長・吉岡俊正とはとこの関係
岩本絹子さんの前に東京女子医科大学の理事長を務めていたのが、吉岡俊正さんです。
この吉岡俊正さんと岩本絹子さんの関係は「はとこ」だと紹介されています。
はとことは、祖父母のきょうだいの孫同士にあたる間柄のことで、吉岡俊正さんは吉岡荒太さんの別の弟(4番目の正明さんとする情報が多いです)の孫にあたるとされています。
つまり、岩本絹子さんと吉岡俊正さんは、祖父の代でそれぞれ吉岡荒太さんの弟だった人物同士、というつながりを持つ親戚同士なんですね。
2014年、東京女子医科大学で入院中の2歳の男児に鎮静剤プロポフォールを過剰投与して死亡させるという痛ましい医療事故が起きました。
当時、理事長だったのが吉岡俊正さんで、岩本絹子さんは副理事長という立場でした。
この事故を受けて大学の信頼が大きく揺らぐ中でも、2人は辞任を固辞したと伝えられています。
国からさまざまな勧告が出る状況の中、強行するような形で学長選を開催し、結果として吉岡俊正さんが学長の座に就いたという経緯もあったようです。
このとき岩本絹子さんは、大学同窓会組織である「至誠会」の会長も務めており、この立場を使って吉岡俊正さんの学長就任を後押ししたのではないか、という見方もあります。
一族で大学の経営権を守ろうとした、という構図が見えてきますよね。
母は代々医者家系出身の産婦人科医
岩本絹子さんの家族の中で、はっきりと分かっているのが母親の職業です。
岩本絹子さんは自身が受けたインタビューの中で、次のように語っています。
「医師の家系が代々と続いていて、母も産婦人科医でした。そんな環境の中育った私は、小学校1年生くらいには『将来は医師になろう』と思うようになっていました」
この発言からもわかる通り、母親は産婦人科医であり、岩本家(もしくは母の実家)は代々医師を輩出してきた家系だったということが本人の口から明かされています。
小学1年生の頃にはすでに医師になる夢を持っていたというのは、かなり早い段階からの決意ですよね。
母親の背中を見て育った影響は相当大きかったのだろうなと感じます。
なお、岩本絹子さんが「岩本」という苗字を名乗っているのは、吉岡家出身の母親が結婚によって岩本姓になった可能性が高いと考えられます。
母がどのような経緯で吉岡家から岩本家に嫁いだのか、その詳細までは公表されていません。
父親の職業は明らかにされていない
母親については産婦人科医という情報がはっきりしている一方で、父親の職業については公式な情報が見当たりません。
分かっているのは、幼い頃の岩本絹子さんに対して「医師か弁護士になりなさい」と言い聞かせていたというエピソードです。
父の教えの通りに医師の道を選んだ岩本絹子さんですが、この「医師か弁護士か」という選択肢を提示していたことから、父親自身が医師や弁護士といった専門職に就いていた、あるいはそうした業界に近い環境にいた可能性はありそうだなと思います。
とはいえ、これはあくまで発言内容から推測できる範囲の話であって、父親の具体的な職業を裏付ける公式情報は今のところ見つかっていません。
教育熱心な父親のもとで育ったということだけは間違いなさそうです。
結婚歴や子供の有無
岩本絹子さんは、現時点までの報道を見る限り結婚しておらず、子供もいないとされています。
若い頃から医学の道一筋で歩んできたことを考えると、仕事に人生を捧げてきた方なのかもしれませんね。
独身を貫きながら、産婦人科医として、そして大学経営者として第一線で活躍し続けてきた岩本絹子さん。
配偶者や実子はいないものの、後述する姪や甥といった親族とは非常に密接な関わりを持っていたことが、さまざまな報道から見えてきます。
兄弟姉妹の有無について
岩本絹子さんに兄弟や姉妹がいるかどうかについては、本人からの明確な公表は見当たりません。
ただし、後ほど紹介する宝塚歌劇団出身の姪や、専属運転手を務めていたとされる甥がいることから、岩本絹子さんには少なくとも1人以上、姉か妹がいるのではないかと推測されています。
姪たちの旧姓や出身地から考えると、母方ではなく岩本絹子さん自身のきょうだいの子供にあたる可能性が高そうです。
詳細が公式に語られる日が来るかどうか、今後の情報にも注目したいところです。
岩本絹子の家系図を調べる人向けの関連情報
ここまでは家系図や吉岡一族との関係を中心に見てきましたが、ここからは岩本絹子さん本人のプロフィールや経歴、さらに姪・甥との関係、そして逮捕に至った経緯まで、関連する情報をまとめて紹介していきます。
出身地は佐賀県唐津市
岩本絹子さんの出身地は、佐賀県唐津市です。
唐津市は玄界灘に面した港町で、唐津くんちや虹の松原といった観光地でも知られる地域ですね。
一部の情報では、唐津市(旧・東松浦郡入野村、現在の唐津市肥前町)を本籍とする吉岡家が、代々この地域の医療を支えてきたとも伝えられています。
地方の医者家系に生まれ育った岩本絹子さんが、上京して東京女子医科大学に進学し、そのまま東京で医師としてのキャリアを積んでいったという流れは、地元でも大きな話題になっていたのではないでしょうか。
産婦人科医からの経歴とプロフィール
岩本絹子さんのプロフィールと、これまでの経歴を表にまとめました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | 岩本絹子(いわもと きぬこ) |
| 生年月日 | 1947年6月27日 |
| 出身地 | 佐賀県唐津市 |
| 学歴 | 東京女子医科大学卒業(1973年)、同大学院で医学博士号取得(1977年) |
| 職業 | 産婦人科医、経営者 |
続いて、これまでの主な経歴を年表形式で見ていきましょう。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1973年 | 東京女子医科大学 産婦人科入局 |
| 1979年 | 葛西中央病院 産婦人科部長 |
| 1981年 | 葛西産婦人科 開設・院長就任 |
| 2001年 | 東京女子医科大学 評議員 |
| 2008年 | 東京女子医科大学 理事 |
| 2013年 | 至誠会(東京女子医科大学同窓会)代表理事(会長)就任(〜2023年) |
| 2014年 | 東京女子医科大学 副理事長就任 |
| 2019年 | 東京女子医科大学 理事長就任 |
| 2024年 | 理事長を退任 |
40年以上にわたって地域の産婦人科医として活動しながら、大学同窓会のトップと大学経営のトップを兼務するまでになったのが、岩本絹子さんのキャリアの大きな特徴です。
1981年に開業した「葛西産婦人科」は、親しい友人と2人で立ち上げたクリニックとされ、40年以上の歴史の中で親子二代にわたって出産を担当したケースもあるのだとか。
地域に根差した産婦人科医として長年信頼を積み重ねてきた一方で、2019年に理事長へ就任してからは、研究費や病院部門の予算削減、人員整理などを進めて大学の財政を黒字化させたことでも知られています。
ただし、その裏で厳しい経費削減や人件費カットが行われ、多くの医師や看護師が退職するなど、医療現場では混乱も生じていたと言われています。
姪は宝塚元トップスターの彩輝なお
岩本絹子さんの家族の話題で欠かせないのが、宝塚歌劇団に関する2人の姪の存在です。
岩本絹子さんは大の宝塚ファンとして知られており、その熱の入れようは単なるファンの域を超えていたとも言われています。
なぜなら、姪自身が宝塚歌劇団の元トップスターだったからです。
姪・彩輝なおのプロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名(宝塚時代) | 彩輝なお(彩輝直) |
| 本名 | 矢野小恵子 |
| 生年月日 | 1971年1月7日 |
| 出身地 | 神奈川県横浜市 |
| 経歴 | 1990年 宝塚歌劇団入団/2004年 月組トップスター就任/2005年 退団 |
| 現在 | 太田プロダクション所属で女優として活動 |
岩本絹子さんは、彩輝なおさんがまだ無名だった頃から熱心に応援し、いわゆる「パトロン」として支えてきたそうです。
その支援もあってか、彩輝なおさんは2004年に月組のトップスターにまで上り詰めました。
子供がいない岩本絹子さんが、彩輝なおさんを自分の後継者にしたいと話していたという報道もあり、単なる叔母と姪という関係を超えた強い結びつきがあったことがうかがえます。
無名時代から応援し続けた姪がトップスターになる瞬間を見届けられたなんて、なんだかじんわりくるエピソードですよね。
もう一人の姪・彩那音のプロフィール
彩輝なおさんには妹がおり、こちらも宝塚歌劇団に所属していました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | 彩那音(あやな おと) |
| 生年月日 | 11月9日(生年は非公表) |
| 出身地 | 神奈川県横浜市 |
| 出身高校 | 高木学園女子高等学校 |
| 経歴 | 1999年 宝塚歌劇団入団(男役)/2011年 退団 |
彩那音さんは退団後、芸能活動はしていないとされています。
なお、彩輝なおさんの所属事務所プロフィールには「釣具店の四姉妹の長女」という記載があり、実は4人姉妹だったということも分かっています。
姪2人が宝塚歌劇団に入団し、うち1人がトップスターにまで上り詰めるというのは、なかなか華やかな一族ですよね。
甥を専属運転手にした疑惑
岩本絹子さんをめぐっては、姪だけでなく甥との関係についても話題になりました。
報道によると、岩本絹子さんの専属運転手として、甥が業務委託先の企業を通じて雇われていたとされています。
その報酬は月額66万円で、これは東京女子医科大学の准教授クラスに相当する金額だったと伝えられています。
運転手の報酬としてはかなり高額な部類に入るのではないでしょうか。
姪だけでなく甥にまで手厚い待遇があったとされる点は、身内を重用しすぎているのではという批判につながった要因の一つと言えそうです。
新校舎建設を巡る背任容疑で逮捕
岩本絹子さんをめぐる一連の話題の中でも、特に大きな出来事となったのが2025年1月の逮捕です。
警視庁は2025年1月13日、東京女子医科大学(東京都新宿区)の新校舎建設工事をめぐり、大学に約1億1700万円を不正に支出させたとして、同大元理事長の岩本絹子容疑者(78歳、江戸川区東葛西在住)を背任容疑で逮捕したと報じられています。
大学の財政を黒字化させた立役者として評価されていた一方で、その裏で不透明な資金の流れがあったとして刑事事件に発展したというのが、この件の実態です。
背任というのは、自分の任務に背いて会社や組織に損害を与える行為のことを指す言葉です。
大学というお金の流れが厳しくチェックされるべき組織のトップだっただけに、この容疑はかなり重く受け止められています。
正直、ここまで詳しく経歴を見てきただけに、この結末には複雑な気持ちになりますよね。
なお、これまでにも指摘されていた姪の夫が役員を務める企業「株式会社ケネス&セルジオ」との業務委託契約についても、公私混同ではないかという声が上がっていました。
2012年に設立されたこの会社は不動産売買やシステム企画、芸能タレントの育成・マネジメントなどを目的とした会社とされ、大学運営の実績が見当たらない中で2年間に1億円を超える業務委託費が支払われていたと報じられています。
こうした一連の不透明な資金の流れが積み重なった結果が、今回の逮捕につながったと見ることもできそうです。
世間の声
岩本絹子さんに関する一連の報道を受けて、SNS上ではさまざまな声が上がっています。
創業者一族というだけで開業医だった人物が突然大学病院のトップに就任し、大学の評価にも影響を与えてしまったのではないかという批判的な意見が目立ちます。
一方で、度重なる不祥事を受けて理事長が交代したことで、ようやく現場の医師や患者の声を尊重した正常な大学運営に戻ってほしいという期待の声も見られました。
女性医師の地位向上を目指した吉岡彌生さんの理念からすると、今回の一連の騒動は少し残念な形になってしまったなと感じる方も多いのではないでしょうか。
岩本絹子の家系図のまとめ
- 岩本絹子は東京女子医科大学の元理事長で、産婦人科医としても活動してきた
- 創立者・吉岡彌生の夫、吉岡荒太の弟の孫にあたるとされ、吉岡彌生の大姪という続柄
- 前理事長・吉岡俊正とは「はとこ」の関係とされる
- どちらの弟の孫にあたるかはサイトによって情報が分かれている
- 母は産婦人科医で、医師の家系が代々続いていたと本人が語っている
- 父の職業は非公表だが「医師か弁護士になれ」と言われて育った
- 結婚はしておらず、子供もいないとされる
- 兄弟姉妹の詳細は非公表だが、姪や甥の存在からきょうだいがいる可能性が高い
- 出身地は佐賀県唐津市
- 1973年に東京女子医科大学を卒業し、1981年に葛西産婦人科を開設
- 2019年に東京女子医科大学の理事長に就任し、大学財政を黒字化させた
- 姪の彩輝なおは宝塚歌劇団の元月組トップスター
- 彩輝なおの妹・彩那音も宝塚歌劇団に所属していた
- 甥を専属運転手として雇い、月額66万円の報酬を支払っていたとされる
- 2025年1月に新校舎建設工事をめぐる背任容疑で逮捕された

