陰陽師・石田千尋の生い立ちは?金スマで有名になり2021年大晦日に息を引き取った経緯を解説

陰陽師・石田千尋の生い立ちは?金スマで有名になり2021年大晦日に息を引き取った経緯を解説

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「現代の陰陽師」として金スマやアンビリバボーに出演し、「ふるべゆらゆらとふるべ」という呪文と怨霊退治で一世を風靡した石田千尋さん。

実は、渋谷に1億円超の豪邸を買ったのに「呪われた家」と言われていたという驚くべき事実があります。

その後テレビから姿を消し、Qアノンにのめり込み、2021年の大晦日に静かに息を引き取るまでの波乱万丈な半生を、生い立ちから振り返ります。

この記事を読むとわかること
・石田千尋の生い立ち・プロフィール・出身地と家族情報
・金スマ・アンビリバボーでの怨霊退治から転落までの経緯
・2021年大晦日の変死・死因と晩年の孤独な生活の実態

陰陽師・石田千尋の生い立ちと一世風靡した経緯

2000年代前半の「超常現象ブーム」を牽引した人物のひとり、石田千尋さんの生い立ちや活動の軌跡を時系列で詳しく追っていきます。

プロフィール・年齢・出身地まとめ

石田千尋(いしだ ちひろ)さんは、「現代の陰陽師」「平成の陰陽師」として一時代を築いた人物です。

まず基本的なプロフィールを整理しておきましょう。

項目 内容
本名 石田千尋(いしだ ちひろ)
別名 胸形千尋(むなかた ちひろ)
生年月日 1967年10月15日(推定)
出身地 北海道(詳細未公表)
職業 陰陽師、人生アドバイザー、占い師
活動期間 2001年〜2021年
死亡日 2021年12月31日

生年月日について少し補足しておきます。

石田さんは公式プロフィールに生年月日を明記していませんでしたが、ご自身のTwitterで誕生日が10月15日であること、そして2016年の誕生日に「数え年で50歳(満年齢で49歳)」と発言していたことから、生年月日は1967年10月15日と推定されています。

なお一部では「1955年生まれ」とする情報もネット上で流れていますが、Twitterでの本人発言をもとに計算すると1967年生まれが有力です。

出身地については公式に公表されていません。

ただ、ネット上には「北海道北見市出身、実家は『石田テント』という店」「北見北斗高校商業科出身で生徒会長も務めていた」「高校卒業後は大阪に移り調理系の学校に通った」という情報が流れています。

真偽の確認は難しいのですが、2022年に「週刊FLASH」が変死を報じた際、記事の中で「北海道に住む石田の叔父」への取材コメントが掲載されており、出身地が北海道であるという噂の信ぴょう性は一定程度あると言えそうです。

生年月日についての諸説

石田さんの生年をめぐっては、2つの説がネット上に存在します。

ひとつは「1955年生まれ(66歳で死亡)」とする説。もうひとつは「1967年生まれ(54歳で死亡)」とする説です。

前者は「どこから来た情報なのか」が不明確で、出典があいまいです。一方、後者は石田さん自身がTwitterに「甲子の日、誕生日」「数え年で50」と投稿した発言から逆算でき、根拠が明確です。

現在流れている情報を総合すると、石田千尋さんは1967年10月15日生まれ、2021年12月31日に54歳で亡くなったと考えるのが最も整合性が高いです。

実家・家族構成と陰陽師を始めたきっかけ

石田さんは、家族について積極的に語ることのない人物でした。

石田さん自身は長男とされています。兄弟は妹と弟がいるというネット上の情報がありますが、確証はありません。実際、2021年に石田さんが亡くなった際、A氏(支援者)が警察に通報した後、警察が弟を探し当てており、弟の存在については「週刊FLASH」の取材でほぼ確認されています。

また、北海道に叔父がいることも同誌の取材で明らかになっています。ただし、その叔父は「千尋が死んだかどうかは知りません。そもそも15年近く、音信不通。親戚とはほとんど縁を切った状態ですよ」と話しており、晩年の石田さんが家族・親族とほぼ縁を切った状態だったことが伺えます。

結婚については、過去の出演番組で「結婚していて妻と息子がいる」と紹介されたことがあったとも言われていますが、これも真偽が確認できていません。

石田さんが陰陽師を名乗るようになったきっかけについては、公式に語られた情報がほとんど残っていません。

実家は「陰陽師や神道の家系ではない」とするネット上の情報があります。もしそうであれば、家系から自然に受け継いだわけではなく、何らかの個人的な経験や学びから陰陽師の道に入ったのかもしれません。

金スマ・アンビリバボーで怨霊退治を披露した活動

石田さんが世に広く知られたのは、2001年頃からのテレビ出演がきっかけです。

ちょうどこの時期、野村萬斎さんが主演した映画「陰陽師」(2001年公開)が話題を集めており、日本社会に「陰陽師ブーム」「超常現象ブーム」が巻き起こっていました。石田さんはそのブームの波に乗るようにしてテレビの世界に飛び込み、一気に注目を集めます。

主な出演番組は以下の通りです。

番組名 放送局
奇跡体験!アンビリバボー フジテレビ
中居正広の金曜日のスマイルたちへ(金スマ) TBS
うたばん TBS

番組での石田さんのスタイルは非常に個性的なものでした。

平安時代の陰陽師を彷彿とさせる和装束に身を包み、「ふるべゆらゆらとふるべ」「ほれえほれうらと」といった耳慣れない呪文を唱えながら、依頼者の身体から悪霊・怨霊を追い出して見せるというパフォーマンスが強烈な印象を残しました。

和装束を着た男が何度も呪文を唱えると、両手を合わせた依頼者が突然床に倒れ込む……という展開は、テレビ的な迫力があり視聴者を引きつけました。知ってる人は「懐かしい!」ってなりますよね。

テレビ出演以外にも、「携帯陰陽師石田千尋」という携帯サイトで開運コンテンツの配信や悩み相談サービスを展開。ニコニコ動画での公式チャンネルでのライブ配信も行い、「人生アドバイザー」として幅広く活動していました。

石田さんの活動のピークは2001年〜2008年頃で、この時期は現在の陰陽師ブームの先駆けとして多くの視聴者の記憶に刻まれています。

出演番組での呪文:「ふるべゆらゆらとふるべ」とは

石田さんが番組内で唱えていた「ふるべゆらゆらとふるべ」という言葉は、古神道の「振魂(たまふり)」という儀式に由来します。

「ふる」は「振る」、つまり魂を振り動かすという意味。古来、魂に活力を与えたり、悪いものを払ったりする際に唱えられたとされる言霊のひとつです。

もうひとつの呪文「ほれえほれうらと」については、正確な意味や由来は諸説あり、解釈が定まっていない部分もあります。

渋谷の豪邸を購入していた羽振りのよい時代

テレビ出演で一世を風靡した石田さんは、2000年代に入って非常に羽振りのよい時期を過ごしていました。

その象徴が、2008年に渋谷区に購入した1億円以上の豪邸です。

石田さんの知人によれば「当時は非常に羽振りがよく、自宅兼オフィスとして渋谷に豪邸を購入した」とのこと。場所は小田急電鉄の代々木上原駅から徒歩5分ほどの洋風の建物で、石田さんが過去に投稿した写真から特定されています。

それほどの資産を築いていたということは、テレビ出演料だけでなく、占い鑑定サービスや携帯コンテンツ、トークイベントなどでも相当の収入があったと考えられます。

「呪われた家」と言われた理由

この渋谷の豪邸には、興味深い「逸話」がありました。

知人の証言によれば、この家は「買った人が皆、住まいを失う”呪われた家”と言われていた」というのです。

除霊のプロである陰陽師がよりによって「呪われた家」を購入してしまったという皮肉が、後になって注目を集めることになりました。

結果として石田さんは2014年に自治体による差し押さえでこの豪邸を手放しており、「呪われた家」の噂が現実のものとなった形です。

差し押さえの詳しい経緯は明かされていませんが、固定資産税などの税金の長期滞納によるものと考えられています。

豪邸を手放してから始まった転落と異変

渋谷の豪邸を2014年に手放してから、石田さんの人生は急速に変化していきます。

知人の証言では「そのころから、彼に”異変”が見られるようになった」とのこと。具体的には次のような変化が報告されています。

  • 占いの仕事で客とのトラブルが増えた
  • 金銭トラブルを抱えるようになった
  • SNSで外国人差別などのヘイト発言を繰り返すようになった

2008年にテレビ出演が事実上なくなり、2014年に豪邸も失った。収入や社会的地位が失われていく中で、精神的にも追い詰められていったのではないかと感じます。

テレビを去った後の活動と孤独な晩年

豪邸を手放した後も、石田さんはしばらくの間、活動を続けていました。

2020年頃まではトークライブや占い鑑定を不定期ながら行っており、2015〜2016年には新宿ロフトプラスワンでのトークライブも複数回開催し、ある程度の集客をしていたとされます。

ただし、2019年頃から石田さんの発信内容は大きく変わっていきます。アメリカ発の陰謀論団体「Qアノン」にのめり込み始め、「胸形千尋」という別名で複数のTwitterアカウントを開設。トランプ前大統領を支持するツイートや、アメリカへの渡航を望む投稿を繰り返すようになります。

この頃から、孤独が深まっていった様子もSNSから読み取れます。

2019年7月には「もう体力もあまり無い、精神力も弱くなった」「犬だけが何時も一緒。話し相手も犬だけ。全てを失った」とツイートしており、社会的孤立が進んでいたことがわかります。

豪邸を失った後、石田さんはかつて自身の会社で働いていたA氏が所有する関東某所の一軒家に身を寄せるようになりました。愛犬と一緒に暮らし、近隣住民には「徒歩20分以上離れた神社にお参りする姿」が目撃されていたといいます。

かつての華やかなテレビの世界から完全に離れ、社会的にも孤立した晩年を過ごしていた石田さん。その生き様は、何とも言えない寂しさを感じさせます。

陰陽師・石田千尋の生い立ちを調べる人向けの関連情報

石田千尋さんの死因や晩年の詳細、世間の反響など、気になる関連情報をまとめました。

Qアノンにのめり込んだ晩年の変化

2019年頃から石田さんの発信は一変します。

Qアノンとは、「世界の裏側を支配する秘密結社と戦うため、トランプ大統領が暗躍している」という陰謀論を中心とした米国発の思想グループです。日本でも一定数の信奉者がいましたが、石田さんはその熱心な支持者のひとりになっていきました。

石田さんは「胸形千尋」の名前で計3つのTwitterアカウントを開設し(最初のアカウントは2013年12月開設)、プロフィール欄には「トランプ大統領閣下とQと一緒に戦う日本人」と記していました。

投稿内容はトランプ支持やQアノン関連の内容が中心でしたが、後期になると「自衛隊の航空機が自分の住処の周りを執拗に飛行してくる」「自衛隊に嫌がらせを受けている」といった内容も多く見られるようになりました。

これを読んでいると、精神的に追い詰められている状態だったのかなと感じます。かつて人々の悩みを解決しようとした陰陽師が、自らは誰にも助けを求められず孤独に苦しんでいたとしたら、胸が痛いですよね。

変死・死因は何だったのか

石田さんの死については、多くの謎が残ったままです。

2021年12月31日、石田さんはA氏が所有する関東某所の一軒家で死亡しているのをA氏に発見されました。A氏が発見した際には「すでに息がない状態」だったといいます。

警察には「変死」として届け出られ、その後の捜査や解剖の有無などの詳細は明かされていません。

「変死」という扱いについて補足しておくと、自宅などで死亡した場合、現場でその場で死因を特定することができないため、まずは「変死」として扱います。その後に監察医が解剖や調査を経て死因を特定するのが通例です。

石田さんの正式な死因は公表されていませんが、亡くなる前から深刻な体調不良を訴えていたことは確かです。

A氏の証言によれば、石田さんは何らかの持病を抱えており、通院を強く勧めても頑なに拒んでいたとのことです。「年が明けたら病院に連れていきますからね」と約束した矢先に亡くなったと語っています。

公表された情報だけでは死因を断定することはできませんが、数週間にわたる高熱・喘息・極度の体力低下が死につながった可能性が高いと推測されます。

死の直前のTwitterに残された体調不良の記録

石田さんは亡くなる直前まで、Twitterに体調の悪化を訴える投稿を続けていました。

以下はその記録です。

日付 投稿内容(要約)
2021年12月13日 「喘息の発作としてかなり深刻で恐ろしい状態。外出時は壁に凭れかかって休まないといけない」
2021年12月16日 「もう異常体調病状悪化で日常生活が成り立たない。辛い」「車椅子や介添えが必要」
2021年12月20日 「体調病状悪化で辛い。早く助けて欲しい」
2021年12月21日 「かなり危険な状態。兎に角倒れる状態。免疫力低下で辛い」「動け無い。辛い。薬を飲んでから少し食事。もうダメだ」
2021年12月26日 「今、10:31急に意識を失い倒れた。もう終わりだ」「疲れて何も出来ない。仲間と一緒に最後居たい」
2021年12月29日 「まだまだ十分戦える。諦めない。」(最後のツイート)

12月13日には喘息が深刻な状態で外出もままならないと訴え、12月16日には「車椅子が必要」「5日間も熱が下がらない」と記し、12月26日には意識を失って倒れた瞬間をリアルタイムで発信しています。

そして29日に「まだまだ戦える」と投稿したのを最後に、更新は止まりました。

2日後の12月31日、石田さんは息がない状態で発見されました。

なお、亡くなる直前の時期には、長年一緒に暮らしてきた愛犬を他の人に引き渡したことを、SNSで静かに報告していたとも伝えられています。

……これほどまで苦しんでいたのに、病院にも行けず、連れていける人も側にいなかったということが、なんとも言えない気持ちにさせます。愛犬だけが友達という時間が長かったのに、最後はその犬ともお別れしての旅立ちだったと思うと、なおさら胸が痛くなります。

死亡が世に知られた経緯

石田さんの死亡が広く知られるようになったのは、死亡からおよそ半年以上が経過した2022年8月のことでした。

2022年8月16日号の「週刊FLASH」が石田さんの変死を報じ、これが大きな反響を呼びました。

記事の中では、知人A氏への直接取材、不動産登記の確認、北海道の叔父への電話取材など、具体的な証言が複数掲載されており、事実関係がほぼ確認されました。

石田さんのSNSがひっそりと更新を停止したことでファンの間では「何かあったのでは」という心配の声は出ていましたが、週刊誌の報道によって初めて変死という事実が公になったのです。

また、2024年3月1日には「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」2時間SPで過去の石田さんの出演映像が取り上げられ、改めて多くの視聴者の間で話題となりました。SNSでは「懐かしすぎる」「リアタイで見てた」「亡くなってたの知らなかった」といった投稿が相次ぎました。

家族・弟はどんな対応をした?

石田さんが亡くなった後、遺骨と遺品は弟が引き取ったことが「週刊FLASH」の取材で明らかになっています。

A氏が警察に通報した後、警察が石田さんの弟を見つけ、連絡が取られたとのことです。弟は取材に対して「仕事後にもう一度電話いただけますか?」と答えたものの、その後は電話に出ることがなかったといいます。

遺骨・遺品のすべてを弟が持ち帰ったという事実は、兄弟間の縁が完全に切れていたわけではなかったことを示しています。

一方で、北海道に住む叔父は「音信不通で縁を切った状態」と話しており、石田さんの人間関係が晩年にかけていかに細くなっていたかが伝わってきます。

かつては大勢の視聴者を魅了し、渋谷に豪邸を構えた人物が、最期は身内とも連絡が取れないままひとり過ごしていた……。そう考えると、複雑な気持ちになりますね。

死に対する世間の声

石田さんの変死が報じられると、ネット上ではさまざまな反応が生まれました。

「金スマの陰陽師企画を覚えている」という懐かしむ声が多かった一方で、「テレビから消えてからあんなことになっていたとは知らなかった」という驚きの声も多くありました。

石田さんを知るかつてのファンからは「厳しい顔もあるが、その人にとってためになる話をしてくれる方だった」「自分に厳しすぎる方だったのでは」という、人物像を偲ぶコメントも見られました。

また、霊的なことを商売にすることへの難しさや、テレビに消費された後の芸能人・タレントの境遇についての議論も起きました。

2024年の金スマSPで再び映像が公開された際には「懐かしすぎる」「リアタイしてた」「お亡くなりになっていたの知らなかった」といったSNSの反応が相次ぎ、石田さんの存在が改めて多くの人の記憶に残っていることが示されました。

陰陽師・石田千尋の生い立ちのまとめ

  • 石田千尋さんは「現代の陰陽師」「平成の陰陽師」として知られる人物
  • 本名・石田千尋(いしだ ちひろ)、別名・胸形千尋(むなかた ちひろ)
  • 生年月日は1967年10月15日(推定)、出身地は北海道とされるが公式未公表
  • 実家は陰陽師の家系ではないとされ、詳細な生い立ちは明らかにされていない
  • 2001年頃の超常現象ブームを背景にフジテレビ「アンビリバボー」・TBS「金スマ」等に出演
  • 和装束に身を包み「ふるべゆらゆらとふるべ」などの呪文で怨霊退治を披露した
  • 活動のピークは2001年〜2008年頃で多くの視聴者の記憶に残っている
  • 2008年に渋谷区の1億円以上の豪邸を購入、当時は非常に羽振りがよかった
  • 購入した豪邸は「買った人が皆、住まいを失う”呪われた家”」と言われていた
  • 2014年に自治体の差し押さえで豪邸を手放してから生活が急変した
  • 豪邸喪失後から占いの客とのトラブル・金銭トラブル・ヘイト発言が増えたとされる
  • 2019年頃からQアノンの熱心な信奉者となり、複数のSNSアカウントで陰謀論を発信
  • 晩年はかつての会社員A氏に部屋を借りて愛犬と暮らす孤独な生活を送っていた
  • 2021年12月に入り喘息・高熱・意識喪失など深刻な体調不良をTwitterで訴え続けた
  • 2021年12月31日、A氏が息のない状態で発見。警察は「変死」として扱った
  • 正式な死因は公表されていないが、持病の悪化が関係しているとみられる
  • 遺骨・遺品は弟が引き取り、叔父は「15年近く音信不通」と証言
  • 変死が公になったのは2022年8月の「週刊FLASH」報道で、死亡から半年以上後のことだった

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