岸朝子の家系図は琉球王家と牡蛎王の血筋!姉・尚道子ら一族9人の職業

岸朝子の家系図は琉球王家と牡蛎王の血筋!姉・尚道子ら一族9人の職業

記事内に広告を含みます

「おいしゅうございます」の一言で、料理番組の空気をぜんぶ持っていってしまう人がいました。

料理記者・岸朝子さん。

あの上品な物腰は生まれつきなのかな、と思って調べはじめると、想像していたのとはまったく違う家系図が出てきます。

母方をたどれば琉球王国の王家、父方をたどれば「日本の牡蛎王」と呼ばれた実業家。

しかも姉はたこさんウィンナーの考案者で、弟は競馬の必勝法を世に出した評論家です。

この記事では、岸朝子さんの家系図に並ぶ一族9人を、一人ずつ顔と職業が見えるかたちで整理していきます。

この記事を読むとわかること

  • 岸朝子の家系図が琉球王家(第二尚氏)とつながる理由と、その血筋のたどり方
  • 父・宮城新昌が「牡蛎王」と呼ばれるまでにやり遂げたことと、石巻に建つ顕彰碑の話
  • 姉・尚道子、弟・宮城昌康、長女・西澤直子ら、一族それぞれの職業と実績

岸朝子の家系図に並ぶ琉球王家と牡蠣王の血筋

岸朝子さんの家系図は、父方と母方でまったく毛色が違います。片方は海の産業を一代で切り開いた実業家、もう片方は琉球王国の王統につながる家柄です。まずは一族の全体像から見ていきましょう。

家系図に並ぶ一族9人の顔ぶれ

岸朝子さんは1923年11月22日生まれ、2015年9月22日に91歳で亡くなった料理記者・食生活ジャーナリストです。

旧姓は宮城(みやぎ)といいます。

ご本人が生まれたのは東京ですが、ご両親はどちらも沖縄の出身でした。

この「沖縄」というルーツが、家系図をたどるときの入口になります。

まず、岸朝子さんを中心に置いたときに名前が挙がる一族9人を一覧にしておきますね。

続柄 名前 職業・立場
宮城新昌 水産実業家。「日本の牡蛎王」
つる 琉球王国第二尚氏の後裔
母方の祖父 親泊朝擢 大宜味尋常小学校校長・教育者
叔父(母の弟) 親泊朝省 陸軍大佐・大本営報道部員
尚道子 料理研究家。たこさんウィンナー考案者
姉の夫 尚明 日本住宅公団元副総裁
宮城昌康 競馬評論家。AB-XY方式の発案者
岸秋正 陸軍士官学校出身の職業軍人
長女 西澤直子 農芸化学者・東京大学名誉教授

並べてみると壮観ですよね。

料理・水産・教育・軍・住宅政策・競馬・農学と、分野がまったく重なっていません。

岸朝子の家系図は、一つの家業を継いだ一族ではなく、それぞれが別の分野で名を残した人たちの集まりだといえます。

沖縄県公文書館に残る「家系図 岸秋正・朝子」

ちなみに、岸家の家系図は個人の記憶の中だけにあるものではありません。

沖縄県公文書館の資料目録には「家系図 岸秋正・朝子(旧宮城)」という資料が収められています。

夫の秋正さんと朝子さんが連名で、旧姓の宮城とあわせて記録されている形です。

沖縄では家系(門中)の記録を大切に残す文化があるので、その流れの中に岸家の系譜も置かれている、ということなんでしょうね。

父・宮城新昌は日本の牡蛎王と呼ばれた実業家

家系図の父方をたどると、いきなり大きな名前が出てきます。

父の宮城新昌(みやぎ しんしょう)さんは、1884年5月14日生まれ。

沖縄県国頭郡大宜味村の出身です。

職業は水産実業家で、日米でカキ養殖法を開発・普及させた人物として知られています。

その功績から「日本の牡蛎王」「世界の牡蠣王」、あるいは「カキ養殖の父」と呼ばれてきました。

呼び名がいくつもあること自体が、評価の大きさを物語っていますよね。

垂下式養殖法という発明

宮城新昌さんの名前を残したのは、垂下式養殖法(すいかしきようしょくほう)という技術です。

カキを海底ではなく、いかだなどから吊り下げて育てる方法だと考えるとイメージしやすいと思います。

この方式が宮城県石巻の万石浦で実を結び、そこから日本各地へ広まっていきました。

いま私たちがスーパーで手に取るカキも、この技術の延長線上にあるわけです。

沖縄生まれの人が、宮城県の海で日本のカキ養殖の土台をつくった。

……なんだか、それだけで一本の物語になりそうな話ですよね。

石巻に再建された顕彰碑と、娘としての岸朝子

宮城新昌さんの功績をたたえる顕彰碑は、石巻に建てられていました。

この碑が再建された際、次女である岸朝子さんが感謝を述べたことが琉球新報で報じられています。

ここで気づくのは、岸朝子さんが宮城家の「次女」だという点です。

つまり上に姉がいる、ということですね。その姉が誰なのかは、このあとで詳しく触れます。

父の地元・沖縄県大宜味村からも、1998年に岸朝子さん本人が文化功労賞を受けています。

父が生まれた村が、その娘の仕事も評価した形になりました。

父・宮城新昌は、家系図の中で「沖縄から出て日本の食産業を変えた人」という位置に立っています。

母つるは琉球王国第二尚氏の後裔

続いて母方です。ここが「岸朝子 家系図」を調べる人がいちばん驚くところだと思います。

母の名は、つるさん。

つるさんは、琉球王国第二尚氏3代・尚真王の長男である尚維衡(しょう いこう)の後裔にあたります。

尚真王といえば、琉球王国の体制を整えた王として名前が出てくる人物です。

その長男の血筋、というところまで系譜がつながっているわけですね。

「廃嫡された長男」という補足

ただし、ここは少していねいに書いておく必要があります。

尚維衡は尚真王の長男でありながら廃嫡され、王位を継いでいません。

つまり岸朝子さんの母方は、王位そのものを継承した本流とは分かれた家系だということになります。

それでも王家に連なる家柄であることに変わりはなく、沖縄では相応の格をもつ系譜として扱われてきました。

「琉球王家の血を引く料理記者」という言い方は、この経路を指しています。

母方の祖父・親泊朝擢は小学校長を務めた教育者

母つるさんの父、つまり岸朝子さんの母方の祖父が、親泊朝擢(おやどまり ちょうたく)さんです。

職業は教育者で、大宜味尋常小学校の校長を務めていました。

ここでちょっと面白いことに気づきませんか。

父・宮城新昌さんの出身地も、同じ大宜味村なんです。

片方は村の学校の校長、片方はその村から出て海の産業を切り開いた青年。

公式に語られている経緯があるわけではありませんが、同じ村を舞台に両家の縁が結ばれたと考えるのは自然だろうと思います。

王家につながる家の娘と、村から身を起こした人物。

この二つが合流した地点に、岸朝子さんが生まれたことになります。

叔父・親泊朝省は終戦翌日に一家で自決した陸軍大佐

家系図の中で、いちばん重い名前がここです。

母つるさんの弟、岸朝子さんにとっての叔父にあたるのが、親泊朝省(おやどまり ちょうせい)さん。

1903年9月18日生まれ、沖縄県の出身です。

陸軍士官学校37期の騎兵科を首席で卒業しました。

その後は騎兵の教官や参謀本部の職を経て、1942年には第38師団の参謀としてガダルカナルの戦いに従軍しています。

最終階級は陸軍大佐。

終戦時は大本営報道部員、内閣情報局の情報官という、まさに国の発表を担う立場にいました。

1945年9月2日という日付

親泊朝省さんの没日は、1945年9月2日です。

降伏文書の調印が行われた日と重なります。

この日、朝省さんは妻、13歳の長女、9歳の長男とともに自決しました。

……正直、この一行を書くのはきついものがあります。

報道を担う立場にいた人が、伝えるべきものを伝え終えた日に、家族ごと命を絶った。

この出来事はのちに、作家・澤地久枝さんの『自決 こころの法廷』で掘り下げられています。

岸朝子の家系図には、料理や産業の華やかさだけでなく、沖縄と戦争が交わる場所に立った一族の記憶も刻まれています。

姉・尚道子はたこさんウィンナーを考案した料理研究家

ここから、また空気が変わります。

岸朝子さんの姉が、料理研究家の尚道子(しょう みちこ)さんです。

1920年2月9日生まれ、2002年2月15日没。東京都の出身です。

NHKの『きょうの料理』で長く講師を務めた方で、料理の世界では岸朝子さんに先んじて名を知られていました。

そして尚道子さんには、日本中のお弁当箱を変えた発明があります。

たこさんウィンナーの考案者が、この人なんです。

幼稚園のお弁当から生まれた発明

たこさんウィンナーが生まれたきっかけは、とても家庭的な話でした。

幼稚園に上がった次男のお弁当のおかずとして、ウィンナーに切り込みを入れる工夫をしたのが始まりだとされています。

わが子のお弁当のためにやったことが、数十年経っても全国の弁当箱に入り続けている。

……なんか、いいですよね。

このエピソードはNHKの『プロジェクトX』でも取り上げられ、2021年7月6日に4Kリストア版として放送されています。

姉が家庭料理の側から、妹が料理ジャーナリズムの側から。

宮城家の姉妹はどちらも「食」で名を残したことになります。

姉の夫・尚明は尚泰の孫でダイニングキッチンの生みの親

姉・尚道子さんの夫が、尚明(しょう あきら)さんです。

この方の家柄がまた際立っています。

琉球王国最後の国王・尚泰の孫にあたる人物なんです。

職業は日本住宅公団の元副総裁。

そして日本におけるダイニングキッチンの考案者として知られています。

台所と食卓を一つの空間にまとめる、いまでは当たり前のあの間取りですね。

戦後の団地とともに広まった発想の出どころが、ここだったわけです。

「尚」という姓が二度出てくる理由

ここで整理しておきたいのが、家系図に「尚」の姓が二度出てくる点です。

岸朝子さんの母つるさんは、尚維衡の後裔として第二尚氏につながる家系。

姉・道子さんの嫁ぎ先である尚明さんは、最後の国王・尚泰の孫。

母方の血筋でも王家に連なり、姉の婚姻でも王家に連なっている、という二重の構造になっています。

系譜としての本流と分流という違いはありますが、どちらも第二尚氏という同じ源に行き着く形です。

時代を挟んで、離れた枝がもう一度つながったようにも読めますね。

弟・宮城昌康はAB-XY方式を考案した競馬評論家

弟の宮城昌康(みやぎ まさやす)さんは、昭和期に活躍した競馬評論家です。

知られているのは、高額配当を狙う馬券攻略法として名前が残ったAB-XY方式の発案者だという点。

いまでも競馬ファンの間で語られる買い方の一つで、応用形が独自に発展しているほどです。

料理の姉妹、教育者の祖父、軍人の叔父ときて、弟が競馬評論家。

この振れ幅、なかなかすごくないですか。

弟の妻は映画女優・若松和子

宮城昌康さんの妻は、大映に所属していた映画女優の若松和子さんです。

芸能の世界とも、ここでつながっていたことになります。

姪の夫は中央競馬の調教師・中舘英二

宮城昌康さんと若松和子さんの間に生まれた娘、つまり岸朝子さんから見た姪にあたる方がいます。

その姪の夫が、中央競馬の調教師・中舘英二さんです。

騎手として長く活躍したのち調教師に転じた、競馬ファンにはおなじみの名前ですね。

弟が馬券の攻略法をつくり、その娘婿が実際に馬をつくる側に回った。

偶然にしては出来すぎた並びだと思います。

家系図の一角には、競馬という一つの世界で評論と実務の両側に人が立っている形が残っています。

岸朝子の家系図を調べる人向けの関連情報

ここからは、岸朝子さん自身の家庭と歩みを見ていきます。夫と娘、そして「おいしゅうございます」が生まれるまでの経歴を押さえておくと、家系図の全体像がぐっとつかみやすくなりますよ。

夫・岸秋正は陸軍士官学校出身の職業軍人

宮城朝子さんが岸朝子さんになったのは、岸秋正(きし あきまさ)さんとの結婚によるものです。

秋正さんは陸軍士官学校出身の職業軍人でした。

母方の叔父・親泊朝省さんも陸軍士官学校の出身ですから、家系図には陸士出身者が二人並ぶことになります。

結婚後の岸家は、戦後すぐに大きく生活を変えています。

千葉でのカキ養殖から東京へ

1947年から、岸朝子さんは千葉県でカキ養殖業に従事しました。

父・宮城新昌さんが切り開いた事業の流れをくむ仕事だったわけですね。

しかしこの養殖業は1953年に廃業となり、一家は東京へ移ります。

職業軍人だった夫と、家業を失った家庭。

戦後という時代を考えると、生活の立て直しは相当に大変だっただろうと想像します。

ここから岸朝子さんの「書く仕事」が始まるので、この廃業は結果的に転機になりました。

長女・西澤直子は東京大学名誉教授の農芸化学者

岸朝子さんには4人の子どもがいます。

そのうち名前が知られているのが、長女の西澤直子(にしざわ なおこ)さんです。

1945年8月11日生まれ、旧姓は岸。

職業は農芸化学者で、東京大学名誉教授を務めています。

植物の栄養に関する研究の分野で知られる研究者です。

母が「食べる側」から食を語り、娘は「植物が栄養をどう取り込むか」を研究する。

領域は違うのに、どちらも同じテーマの周りを回っているように見えますよね。

祖父・母・娘で続く「食」の三代

あらためて縦にたどってみると、この家系の一貫性が見えてきます。

世代 人物 食との関わり方
宮城新昌 カキを育てる技術をつくる
本人 岸朝子 食を取材し、言葉で伝える
長女 西澤直子 作物の栄養を科学で解き明かす

生産・報道・研究と、立ち位置は三者三様です。

岸朝子の家系図をたてに読むと、三代にわたって食に関わり続けた家であることがわかります。

生い立ちと女子栄養学園卒業までの経歴

岸朝子さんが食の道に入る入口は、学校にありました。

1942年、女子栄養学園(現在の女子栄養大学)を卒業しています。

戦時下に栄養学を学んだ、という時代背景も押さえておきたいところです。

その後、千葉でのカキ養殖を経て上京し、1955年に主婦の友社へ入社しました。

ここから料理記者としてのキャリアが始まります。

『栄養と料理』編集長としての10年

大きな転機は1968年でした。

女子栄養大学出版部の『栄養と料理』編集長に就任し、10年間その職を務めます。

在任中には食べ歩きや食器の使い方といった新しい企画を打ち出し、雑誌の部数を大きく伸ばしました。

さらに、料理の計量単位の普及にも力を注いでいます。

いま私たちがレシピで見る「大さじ1」「小さじ1」が当たり前になった背景には、この時期の仕事があるわけですね。

1979年には編集プロダクション「株式会社エディターズ」を設立し、独立しました。

おいしゅうございますが生まれた料理の鉄人時代

岸朝子さんの名前を全国区にしたのは、やはりあの番組でしょう。

1993年からの6年間、フジテレビ『料理の鉄人』で審査員を務めました。

試食したときの「おいしゅうございます」という言い回しがブームになり、そのままトレードマークになります。

ほめ言葉なのに、どこか品があって、かつ有無を言わせない。

あの一言が効いたのは、半世紀近く現場で食を取材してきた人の言葉だったからだと思います。

受賞歴に見る評価の広がり

岸朝子さんの評価は、テレビの人気だけにとどまりませんでした。

受賞・栄典 贈った側
1997年 食生活文化金賞
1998年 文化功労賞 沖縄県大宜味村
1999年 バッカス賞 オーストリア政府
2006年 農事功労章シュヴァリエ フランス政府

海外政府からの叙勲まで並ぶのは、料理記者としては異例のことです。

著書も『全国 五つ星の手みやげ』『東京五つ星の手みやげ』など多数あり、手みやげ選びの定番として長く読まれました。

死因は心不全、91歳で亡くなるまでの晩年

岸朝子さんは2015年9月22日に亡くなりました。

死因は心不全、享年91です。

1923年生まれですから、大正・昭和・平成の三つの時代を生き抜いたことになります。

戦時下に栄養学を学び、戦後はカキ養殖に従事し、そこから編集者として立ち上がって、70代で全国区のタレント的存在になった。

一つの人生に入っている情報量が、ちょっと多すぎますよね。

姉の尚道子さんが2002年に亡くなっているので、姉妹そろって食の世界に足跡を残したまま、13年の間をおいて世を去った形になります。

岸朝子の家系図は、琉球王家の系譜と沖縄発の産業、そして三代にわたる食との関わりが一本に束ねられた、かなり特異な家の記録だといえます。

岸朝子の家系図のまとめ

  • 岸朝子は1923年11月22日生まれ、2015年9月22日没の料理記者・食生活ジャーナリスト
  • 旧姓は宮城で、両親はともに沖縄出身、本人は東京生まれ
  • 父は「日本の牡蛎王」と呼ばれた水産実業家・宮城新昌
  • 宮城新昌は沖縄県国頭郡大宜味村の出身で1884年生まれ
  • 垂下式養殖法を開発し、宮城県石巻の万石浦から全国へカキ養殖を広めた
  • 石巻で顕彰碑が再建された際、次女の岸朝子が感謝を述べたと報じられた
  • 母つるは琉球王国第二尚氏3代・尚真王の長男、尚維衡の後裔とされる
  • 尚維衡は廃嫡されており、王位を継いだ本流とは分かれた家系にあたる
  • 母方の祖父・親泊朝擢は大宜味尋常小学校の校長を務めた教育者
  • 母の弟・親泊朝省は陸軍大佐で、1945年9月2日に家族とともに自決した
  • 姉は料理研究家の尚道子で、たこさんウィンナーの考案者として知られる
  • 姉の夫・尚明は尚泰の孫で、日本住宅公団元副総裁かつダイニングキッチンの考案者
  • 弟は競馬評論家の宮城昌康で、AB-XY方式の発案者、妻は女優の若松和子
  • 姪の夫は中央競馬の調教師・中舘英二
  • 夫・岸秋正は陸軍士官学校出身の職業軍人で、長女・西澤直子は東京大学名誉教授の農芸化学者

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)