巨人のリリーフ左腕・森田駿哉さんに兄弟はいるのか、気になっている方は多いのではないでしょうか。
2026年10月には侍ジャパンにも選ばれ、家族のことを調べる方が増えています。
実は、森田駿哉さんのプロ入りを本人以上に喜んだのは弟さんだったんです。
・森田駿哉の兄弟の人数と弟との年の差
・弟の名前や職業が公表されているか
・ドラフト翌日に弟が見せた反応と富山市の実家
森田駿哉の兄弟は3歳年下の弟が1人
森田駿哉さんのきょうだいは、3歳年下の弟さんが1人です。
弟さんはどんな人なのか、新聞が書き残した言葉から分かることを順番に見ていきますね。
きょうだいは弟が1人の2人兄弟
森田駿哉さんは、弟さんが1人いる2人兄弟の長男です。
ここ、まず一番気になるところですよね。
新聞のプロフィール欄には、高校時代もプロ入りのときも同じ一文が載っています。
| 時期 | 載った媒体 | 家族の記述 |
|---|---|---|
| 2014年8月(富山商3年・甲子園初戦の完封) | 日刊スポーツ | 家族は両親と弟 |
| 2023年12月(巨人ドラフト2位で入団決定後) | サンスポ | 家族は両親と弟 |
9年あいだを空けて、別々の新聞が同じ書き方をしているので、家族は両親と弟の4人と見てよさそうです。
兄や姉、妹がいるという記述は、調べた範囲ではどこにもありませんでした。
弟さんとの年の差は、2023年10月の中日新聞の記事で3歳年下と書かれています。
森田駿哉さんは1997年2月11日生まれなので、弟さんは2000年前後の生まれということになりますね。
つまり森田駿哉さんは、両親と3歳下の弟さんの4人家族で育った長男です。
弟の名前や職業は公表されていない
弟さんの名前や職業、いま何をしているのかは、公表されていません。
弟さんは一般の方なので、名前や顔が出てこないのは自然なことかなと思います。
野球をしていたのかどうかも、調べた範囲では出てきませんでした。
プロ野球選手のきょうだいは、同じ野球の道に進んでいることも多いので、気になる方もいるかもしれませんね。
ただ、森田駿哉さんについて書かれた記事で弟さんが出てくるのは、プロフィール欄の「家族は両親と弟」と、後で紹介するドラフト翌日のエピソードくらいです。
弟さんは一般の方で、名前・職業・野球経験はいずれも公表されていません(2026年10月時点)。
ドラフト翌日に一番喜んだのは弟だった
弟さんの人柄が少しだけ見える話が、ドラフト会議の翌日の記事にあります。
2023年10月26日のドラフト会議で、森田駿哉さんは巨人から2位で指名されました。
翌27日、三重県鈴鹿市で球団の指名あいさつを受けたあと、中日新聞の取材にこう話しています。
10人ほどに電話をした中で、一番喜んでくれたのが3歳年下の弟で、「自分より興奮していた」と笑っていたそうです。
……なんか、いいですよね、これ。
本人は「昨日はあまり実感がなかった」と話していたので、指名された本人より弟さんのほうが先に盛り上がっていたわけです。
森田駿哉さんは法政大学時代の2018年にプロ志望届を出しながら指名されず、社会人のホンダ鈴鹿で5年を過ごしてからの指名でした。
長く待った兄の指名を、弟さんが自分のことのように喜んだ様子が伝わってきます。
ちなみにこの日、届いた祝福のLINEは約400通にのぼったそうです。
弟さんは、兄のプロ入りを本人以上に喜んだ人として記事に残っています。
弟と一緒に育った富山市の実家
森田駿哉さんと弟さんが育ったのは、富山県富山市の実家です。
森田駿哉さんは高校を卒業するまで富山市内の実家で過ごしたと、サンスポの連載「夢の扉」が書いています。
12月から2月は雪の季節で、冬は自宅のまわりの雪かきに追われたそうです。
富山商業高校には自転車で通っていましたが、冬は長靴をはいて雪道を約40分歩いて登下校していました。
大きなタッパーに白米とおかずを詰めたお弁当で体を作り、公式戦の前の勝負メシは赤身魚とトンカツだったとか。
同じ記事には、幼いころや小学生時代の写真が「家族提供」として載っています。
3歳下の弟さんも、この雪の多い富山の家で、兄の野球を間近に見ながら大きくなったのかもしれません。
森田駿哉さんは高校卒業後に法政大学へ進んだので、兄弟が同じ家で暮らしたのは、森田駿哉さんが18歳になるまでということになりますね。
兄弟がそろって過ごしたのは、富山市の実家での子供時代でした。
森田駿哉の兄弟を調べる人向けの関連情報
ここからは、森田駿哉さんの兄弟とあわせて調べられている家族や実家、経歴の話をまとめます。
学年や成績は、それぞれいつの時点の話かも書いておきますね。
家族は両親と弟の4人で母は利佳さん
森田駿哉さんの家族は、両親と弟さんの4人です。
お母さんの名前は利佳さんで、サンスポの取材にこう話しています。
「とにかく負けず嫌いで、よく悔し泣きをする子でした」
185センチの大きな左腕からは想像しにくいですが、子供のころは悔し泣きをするタイプだったんですね。
大学で左肘を2度痛め、ドラフトで指名されなかった時期を乗り越えてこられたのも、この負けず嫌いがあったからかもしれません。
お父さんの名前や職業は、公表されていません。
名前が分かっているのはお母さんの利佳さんだけで、お父さんと弟さんは公表されていません。
実家は富山市で能登半島地震も経験
森田駿哉さんの実家は、富山県富山市にあります。
2023年から2024年にかけての年末年始は、この実家に帰省していました。
そこで起きたのが、2024年1月1日の能登半島地震です。
富山市でも震度5強の揺れがあり、森田駿哉さんは「人生で初めての経験だった」と話しています。
自宅や親族に被害はなかったと、日刊スポーツと産経ニュースが伝えています。
家族が無事だったと分かって、ほっとした方も多いのではないでしょうか。
1月8日に川崎市のジャイアンツ寮に入寮した日には、「皆さんが無事であればいいなと思います」と被災地を気づかっていました。
実家は富山市で、能登半島地震では家族も家も無事でした。
大学は法政大学で左肘の手術を経験
森田駿哉さんの出身大学は、法政大学です。
富山商業高校では3年夏の甲子園でエースとしてベスト16に進み、2014年のU18アジア選手権の日本代表にも選ばれました。
そのとき一緒に代表だった岸田行倫さん、岡本和真さんとは、のちに巨人でチームメイトになっています。
法政大学では1年春のリーグ戦で開幕投手に抜てきされ、白星を挙げました。
ところが1年夏に左肘を痛め、2年冬には肘の骨を疲労骨折して手術を受けています。
手術で入れた2本のボルトは、プロ入りが決まった2023年12月の時点でも左肘に残っていたそうです。
リハビリは4年春まで続き、大学のリーグ戦は通算12試合で1勝2敗でした。
これはきつかったでしょうね…。
法政大学の4年間は、ほとんどが左肘のケガとリハビリの時間でした。
指名漏れから社会人5年目での指名
森田駿哉さんは、プロに入るまでに指名漏れを経験しています。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 2018年 | 法政大学4年でプロ志望届を出すが、ドラフトで指名されず |
| 2019年 | ホンダ鈴鹿に入社 |
| 2023年7月 | 都市対抗野球でトヨタ自動車の補強選手として優勝に貢献 |
| 2023年10月 | 巨人からドラフト2位で指名(社会人5年目・26歳) |
ホンダ鈴鹿では、エンジン工場で機械トラブルが起きたときのメンテナンスの仕事もしていました。
本人は「(社会人での)2年目が駄目だったので、縁がないと思っていた」と振り返っています。
27歳を迎えるシーズンでのドラフト指名は、巨人の球団史上最年長でした。
前半で紹介した、弟さんが本人以上に興奮したという話は、この指名の翌日のことです。
指名漏れから5年待った末の指名だったからこそ、家族の喜びも大きかったのだと思います。
一軍定着の2026年と侍ジャパン初選出
森田駿哉さんの一軍デビューは、プロ2年目の2025年7月31日の中日戦でした。
1年目の2024年は左肘のクリーニング手術があり、一軍では投げていません。
2025年は8月6日のヤクルト戦でプロ初勝利を挙げ、9試合で3勝4敗、防御率3.58でした。
3年目の2026年は主に中継ぎとして一軍に定着し、2026年10月7日時点で33試合に登板、防御率3.38という成績です。
そして2026年10月7日、11月に東京ドームで開かれる「アジアプロ野球チャンピオンシップ2026」の侍ジャパンに選ばれました。
29歳での選出で、本人は「想像もしていないことなので、ありがたい」と話しています。
大会は11月12日からで、どの試合で投げるかはまだ決まっていません。
2026年はリリーフとして一軍に定着し、プロで初めて日本代表に選ばれた年になりました。
結婚は発表されていない
森田駿哉さんの結婚は、2026年10月時点で発表されていません。
奥さんや子供についての報道も、調べた範囲では見つかりませんでした。
関連検索に結婚や彼女が出てくるのは、29歳という年齢もあって気になる方が多いからだと思います。
結婚の発表はなく、家族として分かっているのは両親と弟さんだけです。
森田駿哉の兄弟のまとめ
- 森田駿哉は2人兄弟の長男で、きょうだいは弟が1人
- 弟は3歳年下と2023年10月の中日新聞が報じている
- 家族は両親と弟の4人で、2014年と2023年の新聞プロフィールが一致
- 兄・姉・妹がいるという記述は見当たらない
- 弟は一般の人で、名前・職業・野球経験は公表されていない
- 2023年のドラフト翌日、約10人に電話した中で一番喜んだのが弟だった
- 本人は弟が「自分より興奮していた」と笑って話した
- 兄弟が育ったのは富山県富山市の実家
- 本人は高校卒業まで実家で過ごし、冬は雪道を約40分歩いて通学した
- 母の名前は利佳さんで、本人を「負けず嫌いで、よく悔し泣きをする子」と話した
- 父の名前や職業は公表されていない
- 能登半島地震のとき実家に帰省中だったが、自宅や親族に被害はなかった
- 法政大学で左肘を手術し、2018年のドラフトでは指名されなかった
- ホンダ鈴鹿で5年を過ごし、2023年に巨人からドラフト2位で指名された
- 2026年は中継ぎで33試合に登板し、10月に侍ジャパンに初選出された

