2026年9月30日に巨人から戦力外通告を受けた喜多隆介さん。
その父がどんな人なのか、気になっている方は多いのではないでしょうか。
実は喜多さんが野球を始めたきっかけは父と兄で、両親は2人ともバレーボール部の出身だったというから驚きですよね。
・喜多隆介さんの父の名前や職業が公表されているか
・父と兄の影響で野球を始めた経緯と、両親のスポーツ歴
・ドラフトや初ヒットで喜多さんが語った両親への感謝
喜多隆介の父はどんな人?野球を始めたきっかけと両親の素顔
喜多隆介さんの父については、名前や職業が表に出ていない一方で、本人のインタビューには何度も「父」や「両親」が登場します。ここでは、報道と本人の言葉から見えてくる父と家族の姿を順番に整理していきますね。
父の名前や職業は公表されていない
まず結論からお伝えすると、喜多隆介さんの父の名前・年齢・職業は公表されていません。
Wikipediaのプロフィールにも、巨人入団時から2026年までのスポーツ紙の記事にも、父の名前や仕事に触れたものは見当たりませんでした。
プロ野球選手の父が元選手や指導者だと、入団時に「父も元〇〇」と紹介されることが多いんですよね。
喜多さんの場合はそうした紹介が一度も出ていないので、父は野球界の関係者として名前が知られた人ではないと見てよさそうです。
ただ、だからといって父の存在感が薄いわけではありません。
むしろ本人の口から語られた話を追っていくと、喜多さんの野球人生の入口には、はっきりと父の姿があります。
つまり、父のプロフィールは非公表だけれど、喜多さんが野球を始めた理由の中心にいた人、というのが分かっている範囲の答えです。
本人の基本プロフィール
父の話に入る前に、喜多さん本人のプロフィールを簡単にまとめておきます(2026年10月9日時点)。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 喜多隆介(きた りゅうすけ) |
| 生年月日 | 1998年8月25日 |
| 出身地 | 石川県小松市 |
| ポジション | 捕手(一塁手も) |
| 投打 | 右投右打 |
| 経歴 | 矢田野小→南部中(小松ボーイズ)→小松大谷高→京都学園大(現・京都先端科学大) |
| プロ入り | 2020年育成ドラフト2位で巨人 |
| 2026年の状況 | 9月30日に巨人から戦力外通告(育成) |
小学2年で野球を始めたのは父と兄の影響
喜多隆介さんが野球を始めたのは、小学2年生のときです。
スポーツ報知の2021年8月のインタビューでは、父と兄の影響で、小学2年生の時に野球を始めたと紹介されています。
始めた場所は、地元・小松市の矢田野ベースボールクラブ。
矢田野小学校の2年生から軟式野球に取り組み、南部中学校では硬式の小松ボーイズに所属しました。
小・中学生のころはサイドスローの投手で、捕手に転向したのは小松大谷高校に入ってからです。
ちなみに、プロになってからの喜多さんの二塁送球は、腕の位置が低いスリークォーター気味の独特な投げ方。
これは小・中学生時代にサイドスローの投手だった名残だとされています。
父と兄に背中を押されて始めた少年野球のクセが、そのままプロの武器になったと思うと……ちょっといい話ですよね。
父が野球経験者かどうかは分からない
「父の影響で野球を始めた」と聞くと、父も野球をやっていたのかなと想像しますよね。
ただ、父が野球経験者だったと書いた報道は見当たりません。
むしろ後で紹介するとおり、本人は両親ともにバレーボール部の出身だったと話しています。
父がどんな形で野球に関わったのか、たとえば一緒にキャッチボールをしたのか、試合に連れて行ったのか、といった具体的な中身は明かされていません。
父が野球のきっかけだったことは確かでも、父自身の競技歴は野球ではなかった可能性があります。
父も母もバレーボール部の出身だった
意外だったのが、喜多さんの両親のスポーツ歴です。
『週刊ベースボール』2024年8月12日号のコーナーで、喜多さんは野球以外で身近だった競技としてバレーボールを挙げ、両親も女きょうだいもバレー部出身だったと話しています。
家には『リベロ革命』などのバレーボール漫画が置いてあり、それを読んでいるうちに自然と詳しくなったそうです。
子どものころは姉の練習に付き合ったり、試合を見に行ったりしていたとのことで、本人いわく「スポーツと言えば野球かバレーボール」という家庭だったんですね。
父も母もバレー部、姉もバレー、そして兄と隆介さんは野球。
え、そうだったの!?と思った方も多いのではないでしょうか。
テレビのバレーボール中継もよく見ていて、ネーションズリーグも観戦していたと語っています。
父と母はバレーボールで青春を過ごした人たちで、家族みんながスポーツ好きの家庭だったことが分かります。
なお、この話は本人が1つのインタビューで語ったもので、父がどのレベルでバレーをしていたかまでは触れられていません。
両親に一番感謝したいと語ったドラフト指名
喜多さんの言葉に父と母がはっきり登場するのが、2020年のドラフト指名のときです。
2020年10月26日のドラフト会議で、巨人から育成2位で指名された喜多さん。
11月5日に京都先端科学大学の京都亀岡キャンパスで巨人のスカウトから指名挨拶を受けた際、大学の公式ニュースにこんなコメントが残っています。
「ここまで野球をさせてくれた両親に、一番感謝したい」
チームメイトやスタッフへの感謝よりも先に、まず両親の名前を挙げているんですよね。
小学2年から大学4年まで、少年野球、ボーイズリーグ、高校、そして地元を離れた京都での大学生活。
道具代や遠征費、送り迎えなど、野球を続けさせるには家族の支えが欠かせません。
具体的にどんな支え方をしたのかは語られていませんが、「野球をさせてくれた」という言い方に、長い年月の重みがにじんでいる気がします。
……なんか、じんわりしますよね。
父と母は、喜多さんがプロになるまで野球を続けられる環境を用意してくれた存在だったと言えます。
大学は監督同士の縁で京都へ
喜多さんが地元・石川から京都学園大学(当時)に進んだのは、高校と大学の監督同士が同級生だった縁だと報じられています。
大学では人文学部心理学科で学び、3年春から正捕手に。
元プロの中島輝士監督に強肩を磨かれ、4年秋のリーグ戦では打率.389でベストナインを獲得し、プロへの道を開きました。
初ヒットのボールを両親にプレゼント
両親への思いが表れたもう1つの場面が、プロ初ヒットです。
2022年9月7日、東京ドームでのDeNA戦。
7回2死一、二塁で小林誠司選手の代打として打席に立った喜多さんは、坂本裕哉投手から左前に2点タイムリーを放ちました。
通算7打席目でつかんだ、プロ初安打・初打点です。
試合後のコメントは、スポーツ報知やサンスポなど複数の媒体がそろって伝えています。
「すごくうれしいです。初ヒットのボールは両親にプレゼントします」
ドラフトのときと同じく、真っ先に名前が挙がったのは両親でした。
育成から這い上がって支配下になり、2年目でようやく記録した1本。
その記念のボールを父と母に渡すと決めていたところに、喜多さんの人柄が出ていますよね。
節目のたびに両親への感謝を口にしてきたことからも、親子の関係の近さがうかがえます。
| 時期 | 出来事 | 両親に関する言葉 |
|---|---|---|
| 小学2年 | 矢田野ベースボールクラブで野球を始める | 父と兄の影響 |
| 2020年11月 | 巨人から育成2位で指名挨拶 | 「ここまで野球をさせてくれた両親に、一番感謝したい」 |
| 2022年9月7日 | プロ初安打・初打点 | 「初ヒットのボールは両親にプレゼントします」 |
| 2024年8月 | 週刊ベースボールのコーナー | 両親も女きょうだいもバレー部出身 |
8歳上の兄とボートレース好きの家族
父と並んで、喜多さんが野球を始めるきっかけになったのが兄です。
スポーツ報知の2021年1月の記事によると、喜多さんには8つ上の兄がいます。
この兄の影響で、小学生のころからボートレースが好きだったそうです。
巨人の寮に入るときには、阿部慎之助さん(当時2軍監督)の著書と一緒に、ボートレーサー・今垣光太郎選手のサイン色紙を持ち込んだとのこと。
小学校の同級生のお父さんが今垣選手だったという縁で、「サイン欲しい!」とお願いして書いてもらったものだそうです。
プロ入りの際に新しく作ったミットには、今垣選手と今村豊さんの登録番号「3388」「2992」を刺しゅうしたというから、筋金入りですよね。
さらに、前の見出しで触れたとおり、姉もバレーボール部の出身です。
父・母・兄・姉、そして隆介さんという、スポーツ好きのにぎやかな家族の中で育ったことが分かります。
子どものころからジャイアンツファン
家族の話とあわせて紹介したいのが、喜多さんが子どものころから巨人ファンだったことです。
地元の石川で巨人の試合があれば必ず観戦に行き、小笠原道大さんや高橋由伸さん、坂本勇人選手らに憧れていたと話しています。
練習見学のチケットが当たってラミレスさんとグータッチしたこともあったそうで、小学校のころは目標に「12球団1位」と書いていたとか。
石川から球場へ足を運ぶには家族の協力も必要だったはずで、家族ぐるみで野球を楽しんでいた様子が想像できます。
喜多隆介の父を調べる人向けの関連情報
ここからは、喜多隆介さんの父を調べている人がよく一緒に検索している話題をまとめていきます。いまの状況や手術、結婚についても気になりますよね。
現在は巨人から戦力外通告を受けた状況
喜多隆介さんは、2026年9月30日に巨人から戦力外通告を受けました。
この日、巨人は育成選手9人に来季の契約を結ばないことを伝えており、喜多さんもその1人です。
本人も同じ日にInstagramで「球団より来季の契約を結ばない旨を伝えられました」と報告し、ファンや球団関係者、チームメイトへの感謝をつづっています。
2026年は三軍で実戦に復帰して19試合に出場したものの、ファームの公式戦には戻れないままシーズンを終えました。
12球団合同トライアウトは2026年11月17日にバンテリンドームで行われる予定です。
2026年10月9日の時点では、喜多さんが現役を続けるのか、トライアウトを受けるのかといった今後の進路は発表されていません。
現在は、新しい所属先が決まっていない段階です。
右膝の手術から育成での再契約まで
喜多さんの近年を振り返るうえで外せないのが、2025年の右膝の手術です。
2025年8月14日、喜多さんは右膝外側半月板縫合術及び制動術を受けました。
この年は二軍で42試合に出場して打率.230でしたが、手術後はシーズン終了まで試合に出られませんでした。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 2020年 | 育成ドラフト2位で巨人に入団(背番号027) |
| 2021年8月30日 | 支配下登録(背番号94) |
| 2022年 | 初スタメン・初安打・初打点 |
| 2024年 | 一軍出場1試合、二軍で打率.289 |
| 2025年8月 | 右膝の手術 |
| 2025年10月 | 自由契約、育成での再契約を打診 |
| 2025年11月17日 | 育成で再契約(背番号020) |
| 2026年9月30日 | 戦力外通告 |
育成から支配下をつかみ、ケガで再び育成に戻り、そこから支配下復帰を目指していた6年間でした。
育成から支配下をつかんだ歩み
喜多さんのプロ生活は、育成選手としてスタートしました。
1年目の2021年は、育成ルーキーで唯一、2軍の春季キャンプからスタート。
8月3日のソフトバンクとのエキシビションマッチで一軍の試合に出場して安打を放ち、8月30日に支配下登録をつかみました。
二塁送球タイム最速1.77秒の強肩が持ち味で、2022年8月20日の阪神戦ではプロ初のスタメンマスクで盗塁を阻止しています。
オフには丸佳浩選手や若月健矢選手の自主トレにも参加し、捕手としての心構えを学んできました。
育成から這い上がった粘り強さが、喜多さんの野球人生の特徴です。
結婚や彼女についての報道
喜多さんの結婚や彼女について気になっている方もいますよね。
2026年10月9日の時点で、喜多さんが結婚を発表したという報道や、交際相手についての報道は見当たりません。
結婚・交際ともに公表されていない状況です。
サインを考えたのは高校の元同僚
喜多さんのサインには、ちょっとしたエピソードがあります。
スポーツ報知の2021年1月の記事によると、プロ入り後に使っているサインは、高校時代の野球部の元同僚で、書道アーティストの真弓将さんに考えてもらったものだそうです。
本人も「サインはかっこよくて気に入っています」と話していました。
仲間との縁を大切にしている喜多さんらしい話ですよね。
喜多隆介の父のまとめ
- 喜多隆介の父の名前・年齢・職業は公表されていない
- 父が野球界の関係者として紹介されたことはない
- 小学2年生のとき、父と兄の影響で野球を始めた
- 野球を始めたのは地元・小松市の矢田野ベースボールクラブ
- 小・中学生時代はサイドスローの投手で、送球フォームにその名残がある
- 本人によると両親はともにバレーボール部の出身
- 姉もバレー部出身で、家にはバレー漫画が置いてあった
- 父が野球経験者だったという報道はない
- 2020年の指名挨拶で「ここまで野球をさせてくれた両親に、一番感謝したい」と語った
- 2022年9月7日のプロ初安打のボールを両親にプレゼントすると話した
- 8つ上の兄の影響でボートレース好きになった
- 子どものころから巨人ファンで、地元・石川の試合は必ず観戦していた
- 2025年8月に右膝の手術を受け、11月に育成で再契約した
- 2026年9月30日に巨人から戦力外通告を受けた
- 2026年10月9日時点で今後の進路は発表されていない

