2026年10月5日にオリックスから戦力外通告を受けた寿賀弘都さん。
現役続行を希望していると報じられ、あらためて「どんな家で育った選手なんだろう?」と気になった方も多いのではないでしょうか。
実は、プロ入りして寮に入るとき、寿賀弘都さんはお父さんから渡された「ある石」を持ち込んでいたんです。
・寿賀弘都の実家がある場所と、父の地元・庵治とのつながり
・入寮時に父から託された庵治石の石仏のエピソード
・甲子園で応援した父と兄2人、実家について公表されていないこと
寿賀弘都の実家は香川県高松市で父の地元は庵治
寿賀弘都さんの実家は、生まれ育った香川県高松市にあるとみられます。お父さんの地元・庵治とのつながりや、家族が見守ってきた野球人生を順番に見ていきましょう。
実家があるのは生まれ育った香川県高松市
まず、寿賀弘都さんがどこの出身なのかを整理しておきますね。
寿賀弘都さんは2005年6月16日生まれで、出身地は香川県高松市です。
Wikipediaのほか、日刊スポーツのインタビュー記事(2025年)でも「香川・高松市出身」と紹介されています。
小学校から高校まで、通っていた学校もすべて香川県内でした。
| 時期 | 所属 | 場所 |
|---|---|---|
| 小学生 | 香西小学校(香西汐風クラブで2年から野球) | 香川県高松市 |
| 中学生 | 高松市立勝賀中学校(高松リトルシニア) | 香川県高松市 |
| 高校生 | 英明高校 | 香川県高松市 |
| 2024年〜 | オリックス・バファローズ(育成) | 大阪府 |
香西小・勝賀中という地元の学校から、同じ高松市内の英明高校へ進んでいます。
実家の正確な町名や住所は公表されていませんが、子どものころから高校卒業まで高松市で過ごしていることから、実家も香川県高松市にあると考えるのが自然です。
2024年1月にオリックスの寮へ入るまでは、ずっと地元・香川で野球を続けてきたんですね。
父の地元は庵治石で知られる庵治
寿賀弘都さんの家族について、本人の口から出てきた数少ない情報が、お父さんの地元の話です。
2024年1月の入寮時、寿賀弘都さんは日刊スポーツの取材に「お父さんの地元が(香川の)庵治(あじ)。庵治石が有名なので」と話しています。
庵治は香川県の北東部にある地域で、そこで採れる庵治石は、香川を代表する石材として知られています。
サンスポも「故郷・香川の北東部の庵治地方で採れる庵治石」と伝えていました。
つまり、寿賀弘都さん本人の出身は高松市、お父さんのルーツは同じ香川県の庵治ということになります。
庵治は現在、高松市に含まれる地域なので、父方の家も実家からそれほど遠くない場所にあるのかもしれません。
ただ、お父さんの実家の場所や家業については報じられていないので、ここは推測の域を出ないところです。
入寮時に父から託された庵治石の石仏
この記事でいちばん紹介したかったのが、このエピソードです。
2023年のドラフトで育成1位指名を受けた寿賀弘都さんは、2024年1月にオリックスの寮へ入りました。
そのとき持ち込んだのが、お父さんに渡された庵治石の石仏です。
日刊スポーツの写真には、小さなお地蔵さんを手にした寿賀弘都さんの姿が写っていました。
本人は「ケガをしない意味でも、それを持って1年目から頑張っていこうという思い」と話しています。
サンスポによると、この仏像には「身体安全」の御利益があるといい、寿賀弘都さんは「けがをしたくない」と語っていたそうです。
……なんか、じんわりしますよね。
18歳で親元を離れる息子に、自分の地元の石でできた仏様を持たせる。言葉にしなくても、ケガなく続けてほしいという父の思いが伝わってくる贈り物だと思います。
父は甲子園のスタンドで最後の夏を見守った
お父さんは、寿賀弘都さんの高校野球もずっと近くで見てきました。
2023年夏、英明高校は12年ぶりに夏の甲子園へ出場します。
初戦の智弁学園戦では、英明のアルプススタンドに約800人の応援団が駆けつけ、その中にお父さんの姿もありました。
試合前、KSB瀬戸内海放送の取材にお父さんはこう話しています。
「ここに来れてうれしいような、最後やから悲しいような複雑な気持ちが入り混じっています」
この試合、寿賀弘都さんは4番打者として同点タイムリー三塁打を放ち、9回のサヨナラのピンチではマウンドに上がって相手を抑えました。
それでも試合は延長10回タイブレークの末、6対7でサヨナラ負け。
試合後のお父さんの言葉がこちらです。
「よく強豪相手に最後まで粘り強く頑張ってくれたと思います。ありきたりですけど、『お疲れ様』と声を掛けてやりたいです」
正直、読んでいてちょっと胸が熱くなりました。
息子の最後の夏を、勝ち負けより「よく頑張った」でねぎらう、あたたかいお父さんなのが伝わってきますよね。
実家の住所や両親の職業は非公表
ここ、気になっている方も多いと思うので、はっきり書いておきますね。
寿賀弘都さんの実家の住所・家業・両親の職業は、どの媒体でも公表されていません。
お母さんについても、今回調べた範囲では報道が見つかりませんでした。
分かっていることを整理すると、次のとおりです。
| 項目 | 分かっていること |
|---|---|
| 実家の場所 | 香川県高松市とみられる(町名・住所は非公表) |
| 父 | 地元は香川の庵治。甲子園で取材に応じている |
| 母 | 報道なし |
| 兄弟 | 兄が2人(甲子園で取材に応じている) |
| 家業・両親の職業 | 非公表 |
寿賀弘都さんのご家族は一般の方なので、名前や仕事が表に出ていないのは当然といえば当然です。
実家について確かめられるのは「高松市で育ったこと」と「父の地元が庵治であること」の2つと考えておくのがよさそうです。
地元・高松で育った野球少年時代
実家のある高松市で、寿賀弘都さんはどんなふうに野球を続けてきたのでしょうか。
野球を始めたのは香西小学校2年生のとき、地元の香西汐風クラブでした。
勝賀中学校では硬式の高松リトルシニアに入り、1学年上の浅野翔吾さん(現・巨人)とバッテリーを組んでいたそうです。
同じ高松の地元チームから、2人ともプロ野球選手が出ているのはすごいですよね。
英明高校に進むと、1年秋からベンチ入りし、センターと投手の二刀流で活躍しました。
2年秋には四国大会で優勝し、明治神宮大会ではチーム初勝利。3年生では春夏連続で甲子園に出場しています。
本人によると、英明の練習試合はほとんどがビジターで、県外のチームとずっとバスで移動していたとのこと。
「バス移動は、めっちゃきつかったです」と笑って振り返っていました。
高松の実家から通いながら、地元で力をつけてプロまでたどり着いた選手だといえます。
寿賀弘都の実家を調べる人向けの関連情報
寿賀弘都さんの実家と一緒によく調べられている、兄のことや現在の状況、オリックスでの成績についてもまとめました。
兄は2人いて甲子園で弟の打撃を見届けた
寿賀弘都さんには、お兄さんが2人います。
2023年夏の甲子園・智弁学園戦では、お父さんと一緒にお兄さん2人もスタンドで応援していました。
寿賀弘都さんが3回に同点のタイムリー三塁打を放った場面で、お兄さんたちはKSBの取材にこう答えています。
お兄さんの1人は「最高の打球です。気持ちよかったです」。
もう1人のお兄さんは「僕が仕込んだバッティングなので、それを出してくれて良かったです」。
……いいですよね、この一言。
弟のバッティングを「仕込んだ」と言えるくらい、子どものころから兄弟で野球をしてきたのが伝わってきます。
高校時代に「打者としては高校生離れしたミート力」と評価された打撃の裏には、お兄さんたちの存在があったのかもしれません。
なお、お兄さんたちは一般の方なので、この記事では名前や現在の仕事には触れないでおきます。
現在は戦力外通告を受けて現役続行を希望
寿賀弘都さんの現在についても触れておきます。
2026年10月5日、オリックスは寿賀弘都さんを含む6選手に、来季の契約を結ばないことを通知したと発表しました。
育成選手として入団してから3年目、21歳でのことです。
Full-Countの報道によると、寿賀弘都さんは現役続行を希望しています。
これからトライアウトや他球団、独立リーグなど、どの道で野球を続けるのかは、2026年10月9日の時点ではまだ決まっていません。
まだ21歳ですし、あの甲子園の打撃や投球を覚えている方も多いはず。
次の行き先がどこになるのか、続報を待ちたいところです。
オリックスでの3年間の成績は?
オリックスでの寿賀弘都さんは、育成選手としてファーム(2軍)で登板を重ねてきました。
1軍での登板はなく、3年間の成績は次のとおりです。
| 年 | リーグ | 登板 | 防御率 |
|---|---|---|---|
| 2024年 | ウエスタン・リーグ | 4試合 | 8.10 |
| 2025年 | ウエスタン・リーグ | 7試合 | 1.13 |
| 2026年 | ファーム・リーグ | 8試合 | 2.31 |
1年目は初登板で2失点と苦しみましたが、その後の登板はすべて1回無失点に抑えています。
2025年には防御率1.13と数字を大きく良くしました。
2026年は11回2/3で10失点したものの、自責点は3にとどまっています。
最速145キロのストレートと鋭いスライダーが持ち味の左腕なので、数字は少しずつ上向いていた3年間だったといえそうです。
寿賀弘都の実家のまとめ
- 寿賀弘都は2005年6月16日生まれ、香川県高松市出身
- 実家は生まれ育った香川県高松市にあるとみられる
- 実家の町名・住所は公表されていない
- 香西小・勝賀中・英明高とすべて高松市内の学校に通った
- 父の地元は庵治石で知られる香川の庵治
- 2024年1月の入寮時、父に渡された庵治石の石仏を持参した
- 石仏には身体安全の御利益があるとされ、ケガをしないよう願っていた
- 父は2023年夏の甲子園でスタンドから応援した
- 父は敗戦後「お疲れ様と声を掛けてやりたい」と語った
- 兄が2人おり、甲子園で弟のタイムリーを見届けた
- 兄の1人は「僕が仕込んだバッティング」とコメントした
- 母についての報道は見当たらない
- 家業・両親の職業は非公表
- 中学時代は1学年上の浅野翔吾とバッテリーを組んだ
- 2026年10月5日にオリックスから戦力外通告を受け、現役続行を希望している

