栃木県知事を6期にわたって務めている、福田富一(ふくだとみかず)さん。
市議、県議、宇都宮市長、そして県知事。ここまで長く政治の世界にいる人だと、たいてい「親も政治家だったのでは」と思いますよね。
ところが福田富一さんの家系図をたどっていくと、行き着くのは政治家一族ではなく、日光の山あいで代々続いてきた農家でした。
しかも本人は、その実家と一度きれいに切れています。
この記事では、福田富一さんの家系図でわかっていることを世代ごとに整理したうえで、農家の長男が半ば勘当同然で家を出るまでの経緯まで解説します。
福田富一の家系図|政治家の血筋ではなく日光の農家だった
まず結論からお伝えします。
福田富一さんの家系図には、いわゆる世襲政治家の系譜はありません。父も祖父も政治家ではなく、農業を営む家です。
政治家が出てくるのは、福田富一さん本人と、その次男の代からになります。
福田富一の家系図でわかっているのは3世代分
資料で名前まで確認できるのは、次の3世代です。
父・佐市 → 福田富一 → 次男・陽という縦の線ですね。
横に広げると、父・佐市さんの妻である母、そして福田富一さんの妻・喜江子さん、二男一女の子どもたちが並びます。
福田富一の家系図は、農業を営む父の代と、政治の道に入った本人・次男の代とではっきり性格が分かれています。
その一方で、祖父にあたる人物の氏名や経歴は、公になっている資料では確認できません。
旧家として名前が知られてきた家ではなく、地域のふつうの農家だったということでもあります。
父・福田佐市は農業一筋|2024年3月に92歳で死去
福田富一さんの父は福田佐市(ふくだ さいち)さんです。
政治の表舞台に立った人ではなく、栃木の地で農業を続けてきた方でした。
佐市さんは2024年3月27日に92歳で亡くなっています。日本経済新聞をはじめとする各紙が「栃木県知事の父」として訃報を伝えました。
92歳という年齢から逆算すると、生まれたのは1931年ごろ。戦中戦後の農村をそのまま生きてきた世代です。
息子が県庁を辞めて政治の世界に飛び込むと言い出したとき、この父が何を思ったのか。後半でその話にふれます。
母と、農作業から帰る両親を待っていた少年時代
母の名前は美枝さんと記載している資料がありますが、これは一つの系譜サイトにしか出てこない情報です。ここは断定せずに置いておきます。
ただ、母親を含めた両親の像は、福田富一さん本人の言葉からかなり具体的に浮かび上がってきます。
楽しみは土産のオニヤンマと蜂の巣だった
福田富一さんはインタビューで、子どものころ「農作業を終えて帰ってくる両親のお土産をよく楽しみにしていた」と語っています。
そのお土産というのが、菓子でも玩具でもありません。
生まれたばかりの色白のオニヤンマや、蜂の巣だったといいます。
田んぼや畑で見つけたものを、そのまま持って帰ってきてくれたわけですね。
買ってくるお土産ではなく、その日の仕事場で拾ってきたお土産。福田家がどういう暮らしをしていたかが、この一点でよくわかります。
実家は旧今市市木和田島|農家の長男として生まれた
福田富一さんが生まれたのは1953年(昭和28年)5月21日、栃木県今市市木和田島です。今市市は市町村合併により、現在は日光市の一部になっています。
後援会の公式サイトには「父・佐市に抱かれて(於:旧今市市木和田島の自宅)」という説明のついた幼少期の写真が掲載されています。
福田富一は、その木和田島の農家に長男として生まれました。
農家の長男というのは、この時代だと家を継ぐ前提で見られる立場です。
後の進路選択が両親との衝突になっていくのは、ここが出発点になっています。
妻・喜江子との結婚|家族構成は二男一女
福田富一さんの妻は喜江子さんです。
後援会の公式プロフィールに記載されている家族構成は「妻・二男一女」。つまり、息子が2人と娘が1人の5人家族ということになります。
結婚したのは福田富一さんが28歳のころとされています。28歳といえば、県庁を辞めて設計事務所を立ち上げた1981年前後。
安定した公務員の職を手放した直後の時期にあたります。
喜江子さん自身が表に出ることはほとんどなく、経歴や出身についての公表情報はありません。
次男・福田陽は宇都宮市議を経て宇都宮JC理事長へ
家系図の中でもっとも情報が多いのが、次男の福田陽(ふくだ あきら)さんです。
1984年生まれで、農業に従事しながら政治の道へ進みました。
2019年の宇都宮市議会議員選挙で初当選。父が知事を務める県の県庁所在地で、市議としてのキャリアをスタートさせています。
その後、2024年1月には宇都宮青年会議所の第58代理事長に就任しました。
父が農家から政治へ出たのに対し、次男は農業と政治の両方に足を置いている形になります。
2020年知事選の文書配布問題で市議を辞職している
ただし、市議としての在職期間は短いものでした。
2020年11月の栃木県知事選挙をめぐり、告示前に福田富一さんへの投票を呼びかける法定外文書を郵送したとして、2020年12月21日、栃木県警は福田陽さんを含む6人を公職選挙法違反の疑いで書類送検します。
福田陽さんはこの件を受けて、2021年4月に宇都宮市議を辞職しました。
親子で同じ県の政治にかかわるということが、そのまま追い風になるわけではない。そのことがはっきり出た一件でもありました。
長男と長女の情報が出てこない理由
家族構成は二男一女ですから、次男のほかに長男と長女がいることになります。
ところが、この2人については氏名も職業も公表されていません。
理由ははっきりしていて、政治や公職に就いていないからです。
次男の福田陽さんの情報が出ているのは「知事の息子だから」ではなく「市議として公職に立候補したから」。選挙に出た時点で、経歴も生年も公開情報になります。
逆にいえば、公職に就いていない長男と長女は一般の方であり、名前が出る場面がそもそもありません。
「福田元」という名前が出回っているのは誤読の可能性
ネット上には、福田富一さんの長男の名前を「福田元(はじめ)」と書いている記事がいくつかあります。
これは、下野新聞が報じた「知事次男の福田元市議、宇都宮JC理事長に就任」という見出しが元になっているとみられます。
この「元市議」は、名前ではなく「前の市議=もと市議」という意味です。市議を辞職した福田陽さんを指しています。
つまり「福田・元市議」を「福田元・市議」と区切って読んでしまったことで生まれた名前、ということになります。
家系図を調べるときにいちばん混乱しやすいところなので、覚えておくと役に立ちます。
家を出た福田富一が知事になるまでの歩み
ここからは、農家の長男だった福田富一さんが、どうやって政治の世界に入っていったのかを追います。
家系図の話とつながっているのは、この道のりの途中で一度、実家と切れているからです。
猪倉小・大沢中・宇都宮工業高|バスケ部キャプテンだった中高時代
福田富一さんが通ったのは、猪倉小学校、大沢中学校、そして栃木県立宇都宮工業高校です。
小学生のころには長期入院を経験しており、遅れを取り戻すために日曜日に補習授業をしてもらったと本人が振り返っています。
中学・高校ではバスケットボール部に所属し、キャプテンとしてチームをまとめる立場にいました。
身長180cmという体格は、このころからのものでしょう。
建築家志望から栃木県庁へ|実家の農業との両立を考えた進路
工業高校へ進んだのは、建築家になりたかったからでした。
ところが卒業後に選んだのは設計の道ではなく、1972年4月、栃木県庁への入庁です。
その理由を本人はこう説明しています。「実家の農業の手伝いとの両立を考え、栃木県庁に就職することにしました」。
つまり、この時点ではまだ実家の農業を背負う長男としての選択をしているんですね。
県庁に勤めながら日本大学理工学部建築学科にも通い、1979年3月に卒業しています。
県庁で見た「黒を白にしようとする政治家」
転機は、その県庁勤務のなかで訪れました。
福田富一さんは当時のことを「黒を白にしようとする政治家を目の当たりにしたのです」と語っています。
行政の内側にいたからこそ見えてしまった光景でした。
1981年、9年間勤めた県庁を退職し、福田富一設計事務所を開設します。建築設計と行政書士の事務所でした。
独立して身軽になったところから、政治への準備が始まります。
両親の猛反対を押し切り、半ば勘当同然で家を出た
そして、家系図の話に戻ってきます。
政治家を志すと伝えたとき、両親は猛反対しました。福田富一さんはその反対を押し切り、半ば勘当同然で家を飛び出して政治活動を始めています。
農家の長男が、家を継がないどころか政治に出ると言い出したわけです。父・佐市さんの反対は、当時の農村の感覚からすればごく自然なものでした。
福田富一の家系図に政治家の先祖がいないのは、本人が家の反対を振り切って第一号になったからということになります。
その父が92歳まで生き、息子が知事を6期務め、孫が市議になるところまで見届けた。そう考えると、この勘当話の後日談はずいぶん長いものになりました。
宇都宮市議から県議・宇都宮市長を経て栃木県知事へ
家を出てからの歩みは、一段ずつ積み上げるものでした。
1983年に宇都宮市議会議員に初当選し2期。1991年に栃木県議会議員となり2期。1999年には宇都宮市長に就任して2期を務めます。
そして2004年12月、栃木県知事に就任。以後、2024年12月時点で6期目に入っています。
市議から知事まで、すべて選挙で勝ち上がってきた形です。地盤も看板も引き継いでいない人の経歴としては、かなり重い積み上げ方だといえます。
座右の銘「先憂後楽」に表れている福田富一の姿勢
福田富一さんの座右の銘は「先憂後楽(せんゆうこうらく)」です。
人より先に憂い、人より後に楽しむ。為政者の心得としてよく引かれる言葉ですね。
趣味はハイキング、好きな食べ物は「ご飯とみそ汁、漬け物」。
知事を6期務めてなお、好物として挙がるのがこの3つというのは、木和田島の農家で育った人らしい答えのように思えます。
福田富一の家系図のまとめ
最後に、この記事の内容を整理します。
・福田富一の家系図に政治家の血筋はなく、実家は旧今市市木和田島(現・日光市)の農家
・父は福田佐市さん。農業を続け、2024年3月27日に92歳で死去
・母の名前は美枝さんとする資料があるが、単独ソースのため確定はしていない
・妻は喜江子さん。家族構成は妻・二男一女
・次男は福田陽さん(1984年生まれ)。2019年に宇都宮市議初当選、2021年4月に辞職、2024年1月に宇都宮青年会議所理事長へ就任
・長男と長女は公職に就いていないため、氏名などは公表されていない
・「福田元」という長男の名前はネット上に見られるが、新聞見出しの「元市議」の誤読とみられる
・福田富一さん自身は農家の長男として生まれ、両親の猛反対を押し切り、半ば勘当同然で家を出て政治の道へ進んだ
政治家一族の家系図を期待して調べると、拍子抜けするかもしれません。
けれど、農作業から帰る父がオニヤンマを土産に持ってきた家から、6期20年の知事が出た。家系図としてはそちらのほうがよほど面白い線だと思います。

