1975年のウィンブルドン女子ダブルスで、日本人として初めて四大大会のタイトルを手にした沢松和子(さわまつ かずこ)さん。
その名前を調べていくと、姉も、義兄も、姪もテニス選手という一族の名前が次々に出てきて、「いったいどういう家系なのか」と気になった方も多いのではないでしょうか。
結論からお伝えすると、沢松和子さんの家系図は、祖父の代から続く兵庫・西宮のテニス名門一家です。自宅にテニスコートがある環境で姉妹は育ち、その血筋は姪の沢松奈生子さんまで受け継がれました。
そして家系図にはもう一本の系譜があります。1975年の優勝と同時に引退した和子さんは、翌年、千葉県柏市の旧家・吉田家へ嫁いでいるのです。
この記事を読むとわかること
- 沢松和子さんの家系図に並ぶ4代のテニス選手とその関係
- 姪・沢松奈生子さんや義兄・沢松忠幸さんとのつながり
- 嫁ぎ先である柏・吉田家の歴史と、和子さんの現在
沢松和子の家系図|祖父の代から続くテニス一家の系譜
まずは生家である沢松家の家系図から見ていきます。テニス選手が偶然何人も出た家ではなく、環境そのものがテニスとともにあった家でした。世代を追いながら、それぞれがどんな選手だったのかを整理していきましょう。
沢松和子のプロフィール|1951年生まれ・西宮出身の元テニス選手
沢松和子さんは1951年1月5日生まれ、兵庫県西宮市の出身です。2026年で75歳を迎えます。
神戸松蔭女子学院大学を卒業。身長174cmという当時の日本人女子選手としては際立った体格で、右利きのプレーヤーでした。
経歴を並べると、その突出ぶりがよく分かります。
- 1967年(16歳):全日本テニス選手権・全日本室内テニス選手権で優勝
- 同年:ジュニアの登竜門「オレンジボウル選手権」女子シングルス優勝
- 1969年:全仏オープン・ウィンブルドンのジュニア女子シングルスで優勝
- 1973年:全豪オープン女子シングルスでベスト4
- 1975年:ウィンブルドン女子ダブルス優勝、シングルスでもベスト8
さらに国内では192連勝という記録を残しています。日本人初のプロテニス選手としても知られる存在です。
家系図の起点は祖父|自宅にテニスコートがあった沢松家
沢松家がテニス一家になった起点は、和子さんから見て祖父の代にさかのぼります。
西宮市の自宅にはテニスコートがあり、和子さんと姉の順子さんはその環境の中で自然にラケットを握るようになりました。「習わせた」というより、生活の延長線上にコートがあった形です。
姪にあたる沢松奈生子さんから数えると、この一家のテニスは曽祖父の代からのものということになります。つまり家系図の縦軸は、少なくとも4世代にわたってテニスでつながっているわけです。
姉・沢松順子|和子とペアを組んでウィンブルドン8強
和子さんの姉が、沢松順子(さわまつ じゅんこ)さんです。1948年4月10日生まれで、和子さんの3つ上にあたります。
順子さんも同じ兵庫県西宮市出身、同じ神戸松蔭女子学院大学の卒業。全日本ランキングでは1965年に7位、1967年と1969年には3位に入りました。
特筆すべきは1970年のウィンブルドンです。妹の和子さんとペアを組み、女子ダブルスでベスト8まで進んでいます。姉妹ペアでウィンブルドンの8強というのは、それ自体が家系図の中でも大きな出来事でした。
全日本室内テニス選手権の女子ダブルスでも1968年・1969年・1971年と優勝しています。
義兄・沢松忠幸|姉の夫もウィンブルドン出場選手
順子さんの夫、つまり和子さんから見て義理の兄にあたるのが沢松忠幸(さわまつ ただゆき)さんです。
立教大学の卒業で、順子さんとは大学在学中に知り合ったと伝えられています。そして忠幸さんもまたテニス選手でした。
1974年のウィンブルドンでは、混合ダブルスに和子さんと組んで出場しています。義理の兄妹でウィンブルドンのコートに立っているわけで、家系図の横のつながりまでテニスで結ばれていることが分かります。
姪・沢松奈生子|家系図の三代目として世界14位へ
順子さんと忠幸さんの娘が、テレビでもおなじみの沢松奈生子(さわまつ なおこ)さんです。1973年3月23日生まれで、和子さんにとっては姪にあたります。
夙川学院高等学校を経て、母や叔母と同じ神戸松蔭女子学院大学へ進学しました。
- 1988年:15歳6か月で全日本テニス選手権女子シングルス初優勝
- 1990年:シンガポール・オープンでWTAツアー初優勝
- 1995年:全豪オープンでベスト8(自己最高成績)
- 1998年:全米オープン2回戦敗退を最後に現役引退
両親と叔母がそろってウィンブルドン経験者という家で育ち、自身は世界のトップ選手として戦いました。引退後は日本テニス協会普及本部の環境委員、日本オリンピック委員会の事業広報専門委員などを務め、テレビ・ラジオでの解説でも活躍しています。
甥・沢松登|実業団の監督として続いていく血筋
奈生子さんには弟がいます。沢松登(さわまつ のぼる)さんです。和子さんから見れば甥にあたります。
同志社大学体育会テニス部を経て東レに入社し、現在は同社テニス部の監督を務めています。
選手として世界を回る道ではありませんが、指導する側として一家のテニスをつないでいる形です。家系図の末端まで、関わり方を変えながらテニスが残っているのが沢松家の特徴といえます。
沢松和子の家系図でたどる4代のテニス系譜
ここまで登場した人物を、家系図の形で整理しておきます。
| 続柄 | 名前 | テニスでの主な記録 |
|---|---|---|
| 祖父の代〜 | 沢松家 | 西宮の自宅にテニスコート。一家の起点 |
| 姉 | 沢松順子 | 1970年ウィンブルドン女子ダブルス ベスト8 |
| 姉の夫(義兄) | 沢松忠幸 | 1974年ウィンブルドン混合ダブルス出場 |
| 本人 | 沢松和子 | 1975年ウィンブルドン女子ダブルス優勝 |
| 姪 | 沢松奈生子 | 1995年全豪オープン ベスト8 |
| 甥 | 沢松登 | 東レテニス部監督 |
祖父の代から数えると4世代。しかも「経験者がいる」という水準ではなく、ウィンブルドンに複数人が立っている家系です。
沢松和子の嫁ぎ先・吉田家の家系図と現在
沢松和子さんの家系図には、もう一本の系譜があります。1975年のウィンブルドン優勝と引き換えるように現役を退いた翌年、和子さんは千葉県柏市の吉田家へ嫁ぎました。この吉田家がまた、地元の歴史に名前が残る旧家です。
夫・吉田宗弘|吉田記念テニス研修センターを率いる
和子さんの夫は、吉田宗弘(よしだ むねひろ)さんです。結婚後、和子さんの姓は吉田和子となりました。
吉田さんは千葉県柏市にある「吉田記念テニス研修センター(TTC)」の理事長を務めています。同センターは吉田俊二さん・吉田宗弘さんの寄付によって設立された施設で、選手や指導者の強化育成に加え、児童生徒・高齢者・障害者へのテニスや車いすテニスの普及を目的に掲げています。
屋外コート8面、屋根付き屋外コート2面、屋内コート4面にフィットネスセンターまで備えた規模で、和子さん自身も常務理事として運営に関わってきました。
なお設立年については1988年とする記述と1990年とする記述の両方が見られ、資料によって揺れがあります。
1976年に嫁いだ吉田家|相馬氏の流れをくむ家系
和子さんが吉田家に嫁いだのは1976年のことです。ウィンブルドン優勝の翌年にあたります。
嫁ぎ先の吉田家は、平安期の相馬氏に連なる家系とされる千葉・柏の旧家でした。江戸期には名主を務めた家柄です。
柏の郷土史をたどる個人サイトには、吉田家の家系図では現当主が43代目にあたるという記述も見られます。テニスの名門から、地域の歴史そのものと言えるような家へ嫁いだ形になります。
吉田家と醤油|花野井醤油をキッコーマンへ譲った歴史
吉田家の家業も、家系図をたどるうえで外せません。
江戸中期から金融業に進出し、その後「花野井醤油」の醸造を手がけるようになります。明治期には、幕府の放牧地だった「小金牧」の開墾事業にも携わりました。
そして1922年、醤油の経営権を野田醤油(現在のキッコーマン)へ売却しています。醤油づくりから手を引いたこの判断が、次の事業展開につながっていきました。
「関東の宝塚」を目指した吉田甚左衛門|柏競馬場を開業
吉田家の名前を柏の街に刻んだのが、昭和期の当主・吉田甚左衛門(よしだ じんざえもん)さんです。
掲げた構想は「関東の宝塚」の建設でした。実際に手がけた事業は次のようなものです。
- 1928年:柏競馬場を開業
- 翌1929年:ゴルフ場をオープン
- 「柏劇場」の経営
- 乗合自動車会社「栄自動車」の設立
娯楽と交通をまとめて整え、街ごと観光地にしようとした人物です。ここでひとつ気づくことがあります。スポーツ施設を核にして街をつくるという発想が、のちの吉田記念テニス研修センターと重なるのです。和子さんが嫁いだのは、そういう土壌を持つ家でした。
192連勝とウィンブルドン優勝|家系図に刻まれた日本人初の快挙
家系図を離れて、和子さん自身の到達点も押さえておきましょう。
1975年のウィンブルドン女子ダブルス決勝、和子さんはアン清村さんと組み、デュール(フランス)/ストーブ(オランダ)組と対戦しました。スコアは7-5、1-6、7-5。日本の女子選手として初めて四大大会のタイトルを獲得した瞬間です。
本人は後年、この試合を「作戦がすべて当たってうまくいきました」と振り返っています。
さらに重要なのは、この年に引退することをあらかじめ決めていたという点です。「最後の年だということでかけていました」という言葉が残っています。16歳での全日本制覇、国内192連勝という記録の先に置かれた、計算ずくの最後の一年でした。
沢松和子(吉田和子)の現在|日本テニス協会副会長・文化功労者
現在の和子さんは、選手ではなくテニス界を支える側に立っています。
2019年度からは公益財団法人日本テニス協会の副会長を務めています。夫が理事長を務める吉田記念テニス研修センターの運営にも、常務理事として関わってきました。
そして2022年には文化功労者に選ばれています。現役時代には日本プロスポーツ大賞の殊勲賞も受賞しました。
なお、和子さんのお子さんについては、公開されている資料の中に具体的な情報は見当たりませんでした。テニス界での役職は公表されている一方で、家庭内のことは表に出していない形です。
まとめ|沢松和子の家系図は「テニスの名門」と「柏の旧家」が交わった系譜
沢松和子さんの家系図を整理すると、性格の違う2つの系譜が見えてきます。
- 生家・沢松家:祖父の代から続く西宮のテニス名門。姉・沢松順子さん、義兄・沢松忠幸さん、姪・沢松奈生子さん、甥・沢松登さんまで、4世代がテニスでつながる
- 嫁ぎ先・吉田家:平安期の相馬氏に連なる柏の旧家。花野井醤油の醸造から柏競馬場の開業まで手がけ、現在は吉田記念テニス研修センターを運営
1975年のウィンブルドン優勝を花道に引退し、翌1976年に吉田家へ。姓は吉田和子となり、いまは日本テニス協会副会長として競技の側から日本のテニスを支えています。2022年には文化功労者にも選ばれました。
ラケットを置いてからのほうが長い時間を、和子さんは別の形でテニスに費やしてきたことになります。

