徳永有美さんの実家がどこにあって、どんな家庭だったのか気になっている方は多いのではないでしょうか。
調べてみると、実家は石川県金沢市で、祖父母まで一緒に暮らす7人家族だったことが分かりました。
片付けなかった教科書を母親に捨てられたというエピソードまで残っていて、読んでいるとご家族の顔つきまで見えてくるんです。
・徳永有美の実家がある場所と7人家族の顔ぶれ
・放送局に勤めていた父親と、しつけに厳しかった母親の人物像
・実家が金持ちだと言われる説にどこまで根拠があるのか
徳永有美の実家は石川県金沢市の7人家族
徳永有美さんの実家がどこにあって、どんな家族だったのか。
ここでは場所・家族構成・ご両親の人物像まで、わかっていることを順番に見ていきますね。
実家は金沢市で祖父母と同居の7人家族
まず場所から確認しておきましょう。
徳永有美さんの実家は石川県金沢市にあります。
生まれは1975年8月14日で、幼少期を過ごしたのも金沢市内です。
そして家族の人数がなかなかのボリュームなんですよ。
本人がインタビューで語った言葉として複数の媒体が伝えているのが、両親と祖父母、弟2人の7人家族という構成です。
「ここが自分を育ててくれた環境でした」という趣旨の発言も紹介されていて、実家の空気をかなり大事に思っていることが伝わってきます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 実家の場所 | 石川県金沢市 |
| 同居家族 | 父・母・祖父・祖母・本人・弟2人の7人 |
| 本人の立場 | 3人きょうだいの長女 |
| 幼少期の住まい | 金沢市内(のちに横浜へ転居) |
ちなみに「5人家族」と書いている記事もあります。
これは矛盾しているというより、祖父母を含めるかどうかの差ですね。
両親と子ども3人だけを数えれば5人、同居していた祖父母を足せば7人になる、というだけの話です。
つまり徳永有美さんの実家は、金沢市で三世代がひとつ屋根の下に暮らす大家族だったということになります。
今の時代だと、けっこう珍しい育ち方かもしれませんね。
父親は金沢の放送局に勤めていた
実家の話で一番よく検索されているのが、お父さんの職業です。
複数の媒体が共通して伝えているのは、父親が金沢市の放送局に勤めていたということ。
つまりテレビ関係のお仕事ですね。
娘さんがのちにテレビ朝日のアナウンサーになったことを考えると、ここはかなり効いている情報だと思います。
家庭での様子も少し伝わっています。
お父さんは「きょうだいは大事」「皆で仲良く」というのが口ぐせだったそうで、家族が一緒にいることをとても大切にする人だったとのこと。
背景として、お父さん自身が一人っ子だったという話も紹介されています。
自分にきょうだいがいなかったからこそ、子どもたちには仲良くいてほしかった。
……なんか、いいですよね、この感じ。
一方で、娘の部活動には反対していたという意外な一面も伝えられています。
家族と過ごす時間が削られるのが嫌だったのかもしれません。
勤務先の局名は特定されていない
ここは正直に書いておきますね。
「金沢の放送局」までは複数の記事が一致していますが、具体的な局名を確定させた情報はどこにもありません。
NHK金沢放送局ではないか、北陸朝日放送ではないか、といった名前が挙がることはありますが、いずれも書き手の推測にとどまっています。
一般の方ですから、勤務先が公表されていないのはむしろ自然なことです。
なお、東京で5年ほど勤務した時期があったという話も伝わっていて、これが後述の横浜転居につながっていきます。
母親は片付けに厳しい人だった
お父さんが「和やかで家族思い」なら、お母さんはしつけ担当だったようです。
伝えられているのは整理整頓と料理に厳しい人だったという人物像。
とくに片付けについてはかなりのもので、置きっぱなしにしていた教科書を捨てられてしまったというエピソードまで紹介されています。
教科書を、ですよ。
これはなかなかの厳しさですよね。
ただ、こういう家庭で育った人がのちに生放送のニュース番組を長く担当していると思うと、妙に納得してしまうところもあります。
段取りと片付けができる人でないと、あの仕事は回りませんから。
現在は孫の世話をしている
厳しかったお母さんですが、今は徳永有美さんの子育てを支える側に回っているそうです。
孫たちの世話をしてサポートしている、という話が伝えられています。
娘がフリーアナウンサーとして忙しく働けているのは、実家のこうした支えがあってこそなのかもしれませんね。
三世代で暮らしていた実家の距離感が、形を変えて続いている感じがします。
弟2人の長女として育った
きょうだい構成もはっきりしています。
徳永有美さんは3人きょうだいの長女で、下に弟が2人います。
弟さんたちについては名前も年齢も公表されていません。
一般の方なので、そこは調べても出てこないというのが正直なところです。
ただ、長女で弟が2人という並びは、性格を考えるうえでけっこう大きいと思うんですよ。
年下2人の面倒を見る立場で、しかも祖父母もいる7人の家。
自然と、まわりを見ながら動く役回りになりますよね。
お父さんが繰り返していた「きょうだいは大事」という言葉は、長女である徳永有美さんが一番受け止めていた可能性が高いです。
祖母の言葉が勝ち気な性格をつくった
実家のエピソードで、個人的にいちばん印象に残ったのがこれです。
同居していたおばあさまは、徳永有美さんが中学1年の頃に乳がんで亡くなっていると伝えられています。
そのおばあさまが遺した言葉として紹介されているのが、「勝たなきゃつまらないよ」という趣旨のひと言。
負けん気の強さは、この人から受け継いだものだった、という話です。
多感な時期に、身近な大人を病気で見送っているんですよね。
想像するだけで、けっこうきついものがあります。
三世代同居の家で育つというのは、こういう別れも含めて経験するということなんだなと思わされます。
ちなみに、この時期は父親の転勤による転居とも重なっています。
中学に上がったばかりのタイミングで、祖母との別れと引っ越しが続いた形です。
父の転勤で横浜へ移り高2で金沢に戻る
実家の話をややこしくしているのが、この転居です。
お父さんの東京転勤にともなって、一家は神奈川県横浜市へ引っ越しています。
そして高校2年生のときに、また石川県へ戻っているんですね。
つまり金沢 → 横浜 → 金沢という移動をしています。
| 時期 | 住まい | できごと |
|---|---|---|
| 生まれ〜中学入学頃 | 石川県金沢市 | 祖父母を含む7人で暮らす |
| 中学時代 | 神奈川県横浜市 | 父の東京転勤にともない転居 |
| 高校1年 | 神奈川県 | 県立荏田高校に入学 |
| 高校2年〜 | 石川県 | 金沢へ戻り金沢女子高校へ転校 |
転居の時期については、中学1年のときとする記事と中学2年のときとする記事があり、そこは一致していません。
いずれにしても中学生の間の出来事だった、という理解でよさそうです。
実家が金沢にありながら横浜暮らしの時期もあった、というのが徳永有美さんの育ちの特徴です。
高校で転校を経験しているというのも、なかなかハードですよね。
実家が金持ちという噂の根拠
「実家 金持ち」で調べている方も多いテーマなので、ここも触れておきます。
結論から言うと、実家が資産家だったことを示す具体的な情報は見当たりません。
父親が金沢の放送局勤務、母親については専業か勤めかも公表されていない。
ここから読み取れるのは「安定した勤め人の家庭」までで、資産の話につながる材料はないんです。
では、なぜお金持ちのイメージが出てくるのか。
考えられるのは、三世代同居できる広さの家に住んでいたという印象と、徳永有美さん自身の現在の収入が混ざっていることです。
年収1億円超という試算は本人の話
ネット上には「年収1億円超」といった数字が出回っています。
ただしこれはフリーアナウンサーとしての徳永有美さん本人の推定年収であって、実家の資産とはまったく別の話です。
しかも、1日あたりの出演料をいくらと置くかという仮定から逆算した試算にすぎません。
事務所や本人が公表した数字ではないので、あくまで目安として見るのが妥当です。
実家の話とごちゃまぜにしないほうがよさそうですね。
実家についての世間の声
徳永有美さんの実家に関して、ネット上でよく見かける反応をまとめておきます。
- 三世代7人暮らしという環境に驚いたという声
- 父親が放送局勤務と知って「納得した」という反応
- 教科書を捨てる母親のしつけエピソードへの驚き
- 転校を繰り返しても明るくやってきたことへの感心
- 現在も実家の支えを受けていることへの好意的な受け止め
全体として、批判的な話題が出るテーマではありません。
家族の仲の良さが伝わるエピソードが多いぶん、好意的な反応が中心です。
徳永有美の実家を調べる人向けの関連情報
実家から少し広げて、学歴や現在の家族についてもまとめておきますね。
検索されることが多いポイントだけを絞って並べます。
学歴は荏田高校から金沢女子高校へ
高校は転校を挟んでいます。
入学したのは神奈川県立荏田高等学校で、これは横浜に住んでいた時期にあたります。
そして高校2年生のときに石川県立金沢女子高等学校へ転校しました。
小学校については金沢市内の公立校とされていますが、校名までは公表されていません。
中学校も同様で、金沢と横浜の両方に在籍していたことは分かるものの、校名は出てきません。
高校2年での転校って、人間関係がもう固まっている時期なんですよね。
そこに入っていって馴染むというのは、相当な気の強さがないと難しいと思います。
おばあさまから受け継いだという負けん気が、ここで効いていたのかもしれません。
大学は大妻女子大学社会情報学部
大学は大妻女子大学社会情報学部を卒業しています。
高校で金沢に戻ったあと、大学進学でふたたび上京した形ですね。
社会情報学部という選択も、テレビの世界を意識していたと考えると腑に落ちます。
そして1998年4月、テレビ朝日に入社します。
金沢の実家 → 横浜 → 金沢 → 東京という流れの先に、アナウンサーという仕事があったわけです。
高校時代は陸上部で短距離を走った
学生時代は陸上部に所属していました。
種目は短距離で、朝練と土日の練習がある、わりと本格的な活動だったと伝えられています。
お父さんが部活動に反対していたという話を思い出すと、この陸上部はけっこう頑張って続けたものだったのかもしれませんね。
テレビ朝日に入社してからスポーツ関連のニュースを担当することが多かったのも、この経験と無関係ではなさそうです。
走っていた人だからこそ分かる感覚って、たしかにありますから。
テレビ朝日を志したのは父の影響
進路の話です。
複数の媒体が共通して伝えているのが、父親の仕事を見て育ったことがマスコミを志すきっかけになったということ。
金沢の放送局で働くお父さんの姿を、子どもの頃からずっと見ていたわけですよね。
「テレビの仕事」が、遠い世界ではなく生活の中にあった。
そう考えると、実家がそのままキャリアの出発点になっていることが分かります。
実家を調べると本人の仕事の理由まで見えてくる、という珍しいパターンだと思います。
子供は内村光良との間に2人
現在の家族についても触れておきます。
徳永有美さんは2005年4月23日に内村光良さんと再婚し、お子さんが2人います。
女の子が1人、男の子が1人という構成です。
お子さんの名前や学校については公表されていません。
前述のとおり、子育てでは徳永有美さんのお母さん、つまりお子さんたちにとっての祖母が支えているという話も伝わっています。
自分が祖父母と暮らして育った人が、今度は自分の子どもを祖母に支えてもらっている。
……なんだか、きれいにつながっていますよね。
徳永有美の実家のまとめ
- 実家は石川県金沢市にある
- 幼少期は両親・祖父母・弟2人との7人暮らしだった
- 祖父母を除いて数えると5人家族となり、記事によって人数表記が違う
- 3人きょうだいの長女で、下に弟が2人いる
- 弟2人は一般人で、名前や年齢は公表されていない
- 父親は金沢市の放送局に勤めていた
- 父親の勤務先の局名は特定されておらず、挙がる名前はいずれも推測
- 父親は一人っ子で「きょうだいは大事」が口ぐせだったとされる
- 母親は整理整頓と料理に厳しく、教科書を捨てたというエピソードがある
- 母親は現在、孫の世話をして子育てを支えているとされる
- 同居していた祖母は本人が中学1年の頃に乳がんで亡くなった
- 祖母の「勝たなきゃつまらない」という言葉が勝ち気な性格を育てたという
- 中学時代に父の東京転勤で神奈川県横浜市へ転居した
- 高校2年で石川県へ戻り、荏田高校から金沢女子高校へ転校した
- 実家が資産家だとする具体的な根拠はなく、年収1億円超の試算は本人の推定値

