平山あやの実家は栃木県那須塩原市!玄関に貼られた平山家10ヵ条とは?

平山あやの実家は栃木県那須塩原市!玄関に貼られた平山家10ヵ条とは?

記事内に広告を含みます

平山あやさんの実家がどこにあるのか、気になって調べにきた方も多いのではないでしょうか。

答えは栃木県那須塩原市なのですが、この記事で本当に面白いのは場所そのものより、その家に貼られていた10ヵ条の家訓のほうです。

門限は午後4時、食事中は正座。厳しさとあたたかさが同居した平山家の様子を、家族構成や上京のきっかけまで含めてまとめました。

この記事を読むとわかること
・平山あやの実家がある栃木県那須塩原市の場所と周辺の様子
・玄関に貼られていた平山家10ヵ条と、両親の職業について分かっていること
・5歳上の姉との4人家族と、遠縁の親戚である森三中・大島美幸との関係

平山あやの実家は栃木県那須塩原市

平山あやさんの実家がどこにあって、どんな家庭だったのか。

ここでは場所・家族構成・家庭のルールまで、分かっている情報をまとめて整理していきますね。

場所は旧黒磯市の田んぼに囲まれた郊外

平山あやさんの実家があるのは栃木県那須塩原市です。

ただ、平山あやさんが生まれ育った当時、この街の名前はまだ那須塩原市ではありませんでした。

1984年1月13日に平山あやさんが生まれたのは栃木県黒磯市で、この黒磯市が2005年に西那須野町・塩原町と合併して、いまの那須塩原市になっています。

なので、プロフィールによって「栃木県黒磯市出身」と書かれていたり「那須塩原市出身」と書かれていたりするのですが、指しているのは同じ場所ですよ。

那須塩原市は栃木県の北部にあって、那須連山のふもとに広がるエリアです。

新幹線の那須塩原駅があるので都心からのアクセスは意外と悪くないのですが、駅前を少し離れると景色は一気に田園地帯に変わります。

平山あやさんの実家があったのは、まさにその郊外側だと伝えられています。

実家の周辺は田んぼに囲まれた自然豊かな土地で、いわゆる「ザ・田舎」と表現されるような環境だったそうです。

つまり平山あやさんは、新幹線が停まる街の中心部ではなく、田んぼが広がる郊外で少女時代を過ごしたということになります。

待ち合わせ場所が「田んぼの前」だった

実家周辺の様子が伝わってくるエピソードとして、友達との待ち合わせ場所の話が知られています。

平山あやさんの地元では、待ち合わせ場所が「誰々さんちの田んぼの前」だったというのです。

これ、ちょっといいですよね。

コンビニでも駅前でもなく、個人の名前がついた田んぼが目印になる。

裏を返せば、目印になるような建物がそもそも少ない土地だったということでもあります。

芸能界に入ってからの都会的なイメージとのギャップが大きくて、正直ちょっと意外に感じた方も多いんじゃないでしょうか。

両親の職業は公表されていない

実家について調べていると、必ず気になってくるのがご両親の仕事です。

結論から書くと、平山あやさんの父親・母親の職業について、本人や事務所から公表された情報は確認できません。

芸能人の親御さんが一般の方である場合、名前も職業も伏せられるのが普通なので、これ自体は珍しいことではないですね。

会社経営者だった、医者だった、といった具体的な肩書が語られたこともなく、実家が資産家だという情報も出てきません。

ネット上では「実家がお金持ちなのでは」という見方をされることもありますが、これは平山あやさんが15歳という早さで芸能界に入っていること、そして上京して私立の堀越高校に通ったことから連想されている面が大きそうです。

ただ、その上京のきっかけになったオーディションは応募総数が3万通を超える公募型のもので、家柄やコネで選ばれる類のものではありませんでした。

このあたりは後ほど詳しく触れますね。

分かっているのは職業ではなく「どういう家庭だったか」のほうで、こちらはかなり具体的なエピソードが残っています。

家訓「平山家10ヵ条」は門限が午後4時

平山あやさんの実家を語るうえで、いちばん有名なのがこの家訓の話です。

平山家には「平山家10ヵ条」と呼ばれる決まりごとがあって、それが玄関に貼り出されていたと伝えられています。

家訓が壁に貼ってある家、いまどきなかなかないですよね。

伝わっている内容を並べると、こんな感じです。

条項として伝わっているもの 内容
門限 午後4時までに帰宅する
食事 食事中は正座
お金 友達とお金の貸し借りをしない
作法 畳の縁を踏まない

門限が午後4時というのは、小学生・中学生の感覚でもかなり早いです。

学校が終わって家に帰り、少し遊んだらもう戻らないといけない時間ですから、友達と過ごせる時間はかなり限られていたはずです。

平山あやさん自身も、この門限のせいで遊べる時間が短かったと振り返っています。

食事中は正座、畳の縁を踏まない、というのも、行儀作法をかなり重視する家庭だったことがうかがえますね。

実家の平山家は、しつけに関してはかなり厳格な家庭だったというのが共通した見方になっています。

ただ、これらの条項は本人がテレビなどで語った内容が広まったもので、10ヵ条すべての中身が公開されているわけではありません。

伝わっているのは、印象に残りやすい数項目だけです。

父は巨人ファンで勝てば焼肉だった

厳しい家庭というと堅苦しい印象になりますが、平山家にはちゃんと楽しみもありました。

平山あやさんの父親は熱心な巨人ファンで、試合に勝った日には家族で焼肉を食べに行く習慣があったと語られています。

これ、なんかいいですよね。

門限4時・食事中は正座という話を聞いた直後だと、同じ家の話とは思えないくらい柔らかいエピソードです。

野球の勝敗で夕飯が決まるわけですから、子どもだった平山あやさんにとっては巨人の成績がそのまま自分の楽しみに直結していたことになります。

しつけには厳しいけれど、家族で食卓を囲む時間はちゃんと大事にしていた。

そういう家庭の温度感が伝わってくる話だと思います。

なお、この焼肉のエピソードは複数の媒体で確認できる情報ではなく、一部のメディアで紹介されているものになります。

家族は両親と5歳上の姉の4人

平山あやさんの実家の家族構成は、父・母・5歳年上の姉・本人の4人とされています。

平山あやさんは平山家の次女として生まれました。

家族 分かっていること
一般の方。職業は非公表。巨人ファン
一般の方。職業は非公表
5歳年上。一般の方で情報は非公開
本人 1984年1月13日生まれの次女

お姉さんについては、名前・職業・顔写真といった具体的な情報は一切公開されていません。

一般の方なので当然といえば当然ですね。

兄や弟がいるという情報はなく、平山あやさんは2人姉妹の下の子として育ったということになります。

5歳差というのは、姉が中学生のときに妹が小学校低学年、という距離感です。

同じ土俵で張り合うというより、面倒を見てもらう側だったのかもしれませんね。

遠縁の親戚に森三中の大島美幸

実家まわりの話で、いちばん驚かれるのがこれです。

平山あやさんの遠縁の親戚に、森三中の大島美幸さんがいます

続柄としては従叔母(いとこおば)にあたるとされています。

え、そうだったの!?って感じですよね。

芸風もキャラクターもまったく違うお二人なので、初めて知るとかなり意外に感じるはずです。

この血縁関係は一部で話題になっただけの噂話ではなく、時事通信の「実は血縁関係があると知って驚く有名人ランキング」で3位に入るなど、広く知られた話になっています。

2人に共通しているのは栃木と1月13日

血縁以外にも、この2人には重なる部分があります。

大島美幸さんも同じ栃木県の出身で、こちらは大田原市です。

大田原市は那須塩原市の隣にある市で、地理的にもかなり近い場所になります。

さらに、大島美幸さんと平山あやさんは誕生日が同じ1月13日だという情報もあります。

大島美幸さんのほうが4歳年上とされているので、同じ日に生まれた4歳差の親戚、ということになりますね。

ただし、誕生日が一致するという話と、母親といとこ同士だという具体的な続柄の説明については、出どころが1つの情報に限られます。

親戚関係そのものは確かな情報ですが、細かい部分は幅を持って読んでおくのがよさそうです。

実家を離れて上京したきっかけ

平山あやさんが栃木の実家を出たのは、中学卒業のタイミングです。

きっかけになったのは第23回ホリプロタレントスカウトキャラバン「女優誕生」でした。

1998年に開催されたこのオーディションで、平山あやさんは応募総数38,127通の頂点に立ち、グランプリを受賞しています。

当時は中学3年生、15歳です。

3万人を超える中からの1人ですから、これはもうとんでもない確率ですよね。

応募の動機については、2つの説明が流れています。

語られている動機 出どころ
本屋で雑誌を立ち読み中に募集を見つけ、憧れの鈴木保奈美さんに会えるかもと思って応募した 本人インタビュー系の記事
堀越高校に通いたかったから 人物データベース系の記事

どちらか一方が間違いというより、応募のきっかけと、芸能界に入ることを決めた理由が別々に語られている可能性が高そうです。

本人は受賞を知ったときのことを「まさか自分が」と振り返っていて、狙って獲りにいったというより、ふとした思いつきから始まった挑戦だったことがうかがえます。

実家を出た直後は「毎日泣いていました」

グランプリ受賞後、平山あやさんはすぐに女優としての仕事を始めます。

1999年1月放送のドラマ『かわいいだけじゃダメかしら?』で女優デビューを果たしました。

ただ、そこからが大変だったようです。

演技経験がまったくないまま撮影が始まり、本人は当時を「毎日泣いていました」と振り返っています。

デビュー作では三浦友和さんや野際陽子さんといったベテラン俳優と共演していて、そのプレッシャーも相当なものだったそうです。

15歳で、田んぼに囲まれた実家を離れて、いきなりその現場ですからね。

……これはきつかったと思います。

一方で、本人には「高校を卒業したら田舎を出て東京で仕事をしてみたい」という気持ちが元々あったとも語られています。

結果的に、その上京は本人が思い描いていたより3年ほど早く実現したことになります。

なお、中学卒業のときには、本人のメッセージと顔写真が旧・黒磯市の広報誌に掲載されたという記録も残っています。

地元にとっても、それだけ大きな出来事だったということですね。

平山あやの実家を調べる人向けの関連情報

実家や家族のことを調べていると、その流れで気になってくる話題がいくつか出てきます。

ここからは学歴・結婚・現在の活動まで、周辺の情報をまとめて見ていきますね。

学歴は黒磯中学校から堀越高校へ

平山あやさんの学歴は、地元の公立校から東京の私立高校へ、という流れになります。

学校 名称
小学校 黒磯市立東原小学校
中学校 黒磯市立黒磯中学校(現・那須塩原市立黒磯中学校)
高校 堀越高等学校 普通科トレイトコース
大学 進学せず

小学校・中学校はどちらも地元の公立校で、実家から通える範囲です。

高校で一気に東京へ出て、堀越高等学校のトレイトコースに進学しました。

堀越高校のトレイトコースは、芸能活動をしながら通える環境が整っているコースで、同時期には松本潤さんや水川あさみさんが在籍していたとされています。

大学へは進学せず、高校卒業後はそのまま芸能活動に専念しています。

中学時代には不登校の時期があった

学歴の流れだけ見ると順調に映りますが、中学時代には苦しい時期もありました。

平山あやさんは中学生のときに一時期不登校になり、フリースクールに通っていたことを明かしています。

入学後に柔道部へ入部したものの、すぐに退部したという話も残っています。

そこからオーディションを受けてグランプリを獲るところまでいくわけですから、中学3年間の振れ幅がすごいですよね。

教室に通えなかった時期を経て、3万人の頂点に立ったという流れになります。

若い頃はキャベツを1日1個食べていた

デビュー当時の平山あやさんを知っている方には、キャベツの印象が強いかもしれません。

19歳のころ、平山あやさんはキャベツを1日1個食べ続けていたと語られています。

1日1玉です。

健康法なのかダイエットなのか、いずれにしても徹底ぶりがすごいですよね。

当時のバラエティ番組では、この食生活が天然キャラのエピソードとして扱われることも多かったです。

ちなみに、ホリプロの公式プロフィールでは趣味・特技に料理が挙げられていて、食への関心の高さは今も変わっていないようです。

旦那は俳優の速水もこみち

平山あやさんは、2019年8月8日に俳優の速水もこみちさんと結婚しています。

料理の腕とオリーブオイルで知られる速水もこみちさんと、料理が特技の平山あやさん。

食の趣味という点では、かなり相性のよさそうな組み合わせですよね。

結婚から5年が経った2024年8月8日には、お互いの公式インスタグラムに同じツーショット写真が投稿されました。

結婚記念日に夫婦で同じ写真を上げるという形で、関係が良好であることが示されています。

子供についての公表はあるのか

結婚のニュースとセットで検索されやすいのが、お子さんの話です。

現時点で、平山あやさんと速水もこみちさんに子どもが生まれたという公式な発表は確認できません。

出産に関する報道もなく、お二人が子どもについて具体的に語った内容も出てきていない状況です。

ネット上では出産したのではという憶測が流れたこともありますが、いずれも裏づけのある情報ではありません。

こうしたプライベートな部分は、公表がない以上そのまま受け止めておくのがよさそうですね。

病気の噂の元になった急性咽頭炎

サジェストに「病気」という語が並ぶので不安になった方もいるかもしれませんが、現在闘病中といった情報はありません。

元になっているのは、かなり前の出来事です。

平山あやさんは2008年に急性咽頭炎を発症し、出演予定だった舞台を降板しています。

その後、約1か月の自宅療養に入りました。

舞台の降板は大きく報じられるので、この時のニュースが検索ワードとして残っている可能性が高そうです。

つまり病気の話題は18年ほど前の一件が元になっていて、現在の健康状態を示すものではないということになります。

現在はインスタの私服コーデが話題

デビューから四半世紀以上が経ち、平山あやさんは2026年8月時点で42歳になりました。

30代以降は、女優としての出演だけでなくインスタグラムやWEARに投稿するファッションコーデが注目を集めています。

ドラマ『ごくせん』や映画『ウォーターボーイズ』で見せていた10代のころのイメージとは、また違う魅力ですよね。

なお、平山あやさんは2003年1月に「平山綾」から「平山あや」へ改名しています。

本人は改名の理由について、漢字だけの表記よりひらがなが混じったほうが柔らかく可愛い印象になるからと説明しています。

昔の記事で「平山綾」表記を見かけるのは、この改名前のものというわけですね。

栃木の田んぼに囲まれた実家から上京して27年。

現在の平山あやさんは、女優業とライフスタイル発信の両輪で活動を続けています。

平山あやの実家のまとめ

  • 実家は栃木県那須塩原市にある
  • 生まれた当時の地名は黒磯市で、2005年の合併で那須塩原市になった
  • 実家があるのは市の郊外で、田んぼに囲まれた土地とされる
  • 待ち合わせ場所が「誰々さんちの田んぼの前」だったと語られている
  • 父親・母親の職業はいずれも公表されていない
  • 実家が資産家だという情報も確認できない
  • 玄関には「平山家10ヵ条」という家訓が貼られていた
  • 門限は午後4時、食事中は正座などの条項が伝わっている
  • 父親は巨人ファンで、勝った日は家族で焼肉に行っていたとされる
  • 家族構成は父・母・5歳年上の姉と本人の4人で、本人は次女
  • 姉は一般の方で、具体的な情報は公開されていない
  • 遠縁の親戚に森三中の大島美幸がいて、続柄は従叔母とされる
  • 大島美幸も栃木県出身で、出身は隣接する大田原市
  • 実家を出たのは1998年の第23回ホリプロタレントスカウトキャラバンがきっかけ
  • 応募総数38,127通の中からグランプリを受賞し、15歳で上京した

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)