高橋一生さんの生い立ちが、実はとても壮絶だということをご存じですか。
父親が3人もいた異父兄弟として育ち、10年近く母親と絶縁し、弟たちのおむつを替えながら高校時代を過ごした——そんな話、なかなか想像できないですよね。
本記事では、高橋さんが本人の口から語った家族の話や子役時代のエピソードを、詳しくまとめました。
・高橋一生さんの父親が3人いた異父兄弟の家庭事情
・毒親だった母親との10年絶縁と、最後の感動的な和解の経緯
・弟・安部勇磨(never young beach)や堀越高校での岡田准一との親友エピソード
高橋一生の生い立ちは壮絶!複雑な家庭で育った長男の半生
高橋一生さんの生い立ちについて、気になって調べている方はきっと多いと思います。
「カルテット」「民王」などの作品で見せる深みのある演技の裏側に、実は非常に複雑な生い立ちがあることをご存じでしたか?ここでは、本人がテレビ番組で語ったエピソードをもとに、詳しく解説していきます。
実父とは5歳で離れ離れ。父親が3人いた家庭の事情
高橋一生さんの家庭環境は、一言でいうと「複雑」という言葉では追いつかないほど、特殊なものでした。
高橋さんは5人兄弟の長男です。それだけ聞けばよくある話に思えるかもしれませんが、驚くのはその兄弟関係。なんと、5人のうち父親が3人も異なる、いわゆる異父兄弟なんです。
2017年1月にTBSの「A-Studio」に出演した際、高橋さんは「父親が3人違います。母親が1人です」とはっきり告白しました。知ったときびっくりしませんでしたか?本人がこんなにさらっと話してくれたことに、逆に驚いた方も多いと思います。
各兄弟と父親の関係をまとめると、以下のようになります。
| 順番 | 父親 |
|---|---|
| 長男(高橋一生) | 1人目の父親 |
| 次男・三男 | 2人目の父親 |
| 四男・五男 | 3人目の父親 |
高橋さんの実父とは、高橋さんが5歳のときに離れ離れになっています。離婚によるものとも、亡くなったとも伝えられており、詳細は定かではありません。ただ、幼少期にすでに父親不在の環境に置かれていたことは事実です。
2人目・3人目の父親もすでに他界
さらに痛ましいことに、2人目の父親も3人目の父親もすでに亡くなっているとされています。
母親が3度の結婚を経験し、それぞれの相手が次々に亡くなっていくという事実は、高橋さん自身の人生に何らかの影を落としてきたのではないかと思います。もちろん、高橋さん本人がそれを詳しく語ることはほぼなく、あくまで断片的な情報からわかることではありますが……それだけでも、並大抵の家庭環境ではないと感じます。
18歳で産んだ母親との10年絶縁と最後の和解
高橋一生さんの生い立ちの中でも、特に多くの人が胸を打たれるのが「母親との関係」についてのエピソードです。
高橋さんの母親は、18歳という若さで高橋一生さんを産んでいます。つまり母親はまだ高校生を卒業したばかりの年齢で、子育てを始めることになった。それだけでも、いかに特殊な状況だったかが伝わりますよね。
母親は3度の結婚・離婚を繰り返しながら、5人の子供を育ててきました。しかし、その育て方が問題だったとされており、高橋さんは一時期、母親との縁を完全に切っています。絶縁状態が続いたのは、10年近くにもおよんだと言われています。
その後、2015年に弟から「お母さんが癌で長くない」という連絡を受けた高橋さんは、すぐには駆けつけませんでした。「顔を合わせるとケンカになる。もう少し弱ってから会いに行く」という言葉が、2人の関係の複雑さを物語っています。
しかし最終的に高橋さんは病院に行きます。久しぶりに再会した母親はやせ細り、弱りきっていました。そのとき母親は「ごめんね、今まで」と何度も謝ったといいます。これに対して高橋さんは「もう大丈夫。弟はなんとかするからゆっくり休んで」と伝えたそうです。
……正直、読んでいて胸が痛くなりました。
10年という時間の重みと、最後に交わしたその短いやりとり。言葉の意味を考えると、胸が締め付けられます。その一週間後、母親は53歳という若さで他界しました。
「もう大丈夫」最後の面会に込められた想い
この「もう大丈夫。弟はなんとかするからゆっくり休んで」という言葉には、高橋さんの複雑な感情が凝縮されているように思います。
恨みや怒りを超えて、最後には「許す」という選択をした。もちろん、その場にいたわけでもなく、高橋さんの心の内は本人にしかわかりません。ただ、この言葉からは、長男としての責任感と、人としての優しさが滲み出ているように感じます。
金遣いが荒い毒親が語った壮絶エピソード
高橋さんの母親は「毒親」と呼ばれることがあります。その根拠となるエピソードが複数、本人の口から明かされています。
まず、母親は金遣いが非常に荒く、何度も事業を立ち上げては失敗を繰り返していたとされます。裕福だった時期もあったようですが、常にお金が足りない状態が続いていました。
そして驚くのが、その穴埋めの方法です。子供の友達に「100万円借りてこい」と命令したり、子供たちの私物を勝手に売り払ってお金にしたりしていたというのです。これはちょっとひどいですよね、正直。
高橋さん自身が最もショックを受けた出来事は、自分が所有していた車を、母親に無断で売られてしまったことでした。これが「縁を切る」と言って家を出るきっかけになったとされています。
また、鶴瓶さんとのトーク番組では、こんな言葉を母親から言われていたことも打ち明けています。「あんた、たいした顔してないんだから近所のにいちゃん役したらいいのよ」「あんたなんか」という言葉を、しょっちゅう言われていたというのです。
そりゃ傷つきますよ、親からそんなこと言われたら。
しかし、高橋さんはそんな環境の中で傷つきながらも、俳優の道を歩み続けました。その壮絶な経験が、今の深みのある演技に繋がっているのだとしたら、なんとも言えない気持ちになります。
幼少期はふさぎがち。祖母の勧めで劇団に入ったきっかけ
高橋一生さんが俳優になったきっかけは、なんと「祖母」にあります。
幼少期の高橋さんはふさぎがちな性格で、あまり外に出たがらない子供だったとのこと。それを心配した祖母が、水泳・ピアノ・ドラム・エレクトーンなど、さまざまな習い事をさせてくれたそうです。ただ、どれも長くは続かなかったといいます。
そんな中、ある日祖母が高橋さんを児童劇団に入れてくれたのです。最初は「また長続きしないだろう」という感じだったかもしれません。ところが、劇団の発表会を見に来た祖母が、舞台上の高橋さんを見て大喜びで泣いていたというエピソードがあります。
それを見た高橋さんは、大きな衝撃を受けたと語っています。「親族が自分のことでこんなに喜んでくれることが初めてだった」という言葉が、とても印象的です。……なんか、じんわりしますよね。
祖母の涙が、高橋一生という俳優の原点になった。それを思うと、あの深みのある演技の源泉がどこにあるのか、少しだけわかるような気がします。
こうして高橋さんは子役としての活動を続け、1990年公開の映画「ほしをつぐもの」でデビューしました。ビートたけしさんが主演した映画への出演が、彼のキャリアの第一歩です。
弟たちの父親代わりになった少年時代
高橋一生さんは長男として、弟たちのために本当に多くのことをしてきました。
一番下の五男は、高橋さんが高校生のときに生まれています。つまり末弟との年齢差は19歳。まだ高校生だった長男が、赤ちゃんのおむつを替え、ミルクを人肌に温め、面倒を見るという生活。現代でいう「ヤングケアラー」そのものです。
「A-Studio」に出演した際には、「すごいスピードでおむつ替えができるようになった」と笑って話していましたが、内情を想像すると笑えない部分も多いですよね。
さらに大人になってからも、高橋さんは弟たちに「家計簿をつけるように」と言い聞かせていました。理由を聞かれると「若い頃っていうのは、抑圧をかけないといけない。ちゃんと規律的なことをやってからの自由が一番美しい」と語っています。これは厳しいお父さんの言葉そのものですよね。
また、五男が「寿司職人になりたい」と言ったときには、知人を紹介して就職先を世話したといいます。「本当に料理がうまいんですよ」と兄バカ全開で語る高橋さんの姿も、A-Studioで紹介されていました。
次男・三男・四男・五男のその後
高橋さんの弟たちは、それぞれ独自の道を歩んでいます。
| 兄弟 | 現在の職業・活動 |
|---|---|
| 次男 | デザイン系の仕事 |
| 三男(安部勇磨) | ロックバンド「never young beach」のボーカル・ギター |
| 四男 | 詳細不明 |
| 五男 | 寿司職人の見習い |
母親が亡くなった後、高橋さんは兄弟たちを集め「お前らちゃんとしないといけないよ」と話したそうです。父親代わりでもあり、精神的支柱でもあった高橋一生さんの存在が、兄弟たちにとっていかに大きかったかが伝わってきます。
壮絶な生い立ちに対する世間の声まとめ
高橋一生さんの生い立ちが広く知られるようになったのは、2017年の「A-Studio」がきっかけでした。この番組で高橋さんが語ったエピソードは大きな反響を呼び、SNSでも多くのコメントが寄せられています。
よく見られる反応としては次のようなものがあります。
- 「壮絶な過去があるからこそ、あんなに感情豊かな演技ができるんだと思った」
- 「母親との最後の和解のシーン、聞いていて涙が出た」
- 「弟たちの面倒を見る高橋一生が、すでにお父さんみたいで尊い」
- 「こんな家庭で育ちながら、あれだけ穏やかでいられるのが不思議」
確かに、このような複雑な生い立ちを経ながらも、ねじれたり卑屈になったりせずに、温かく深みのある人間性を持った俳優として活躍している姿は、それだけで十分すごいことだと思います。
ネガティブな過去を糧にしながら、自分自身の芸と向き合い続けてきた高橋さん。その生き方が、多くのファンの心を掴んでいるのは間違いないでしょう。
高橋一生の生い立ちを調べる人向けの関連情報
高橋一生さんの生い立ちを調べているとき、「弟って誰?」「耳をすませばに出てたの?」「学歴はどこ?」といった関連情報も気になる方は多いはず。
ここではそういった気になる周辺情報を、わかりやすくまとめてご紹介します。
弟の安部勇磨はnever young beachのボーカル
高橋一生さんの弟の中で、特に有名なのが三男の安部勇磨さんです。
安部勇磨さんは、インディーロックバンド「never young beach(ネバーヤングビーチ)」のボーカル・ギターを担当しており、2017年にメジャーデビューを果たしています。バンドは2014年に安部勇磨さんと松島皓さんの2人で活動をスタートし、その後メンバーが加わって5人体制になりました。
高橋一生さんと安部勇磨さんは、母親が違う相手との子供であるため苗字も違います(高橋・安部)。見た目もあまり似ていないと話題になることがありますが、それは父親が異なるためで、兄弟であることは本人たちが公言しています。
「A-Studio」では安部勇磨さんからのサプライズコメントが紹介され、高橋さんが照れながら喜ぶ場面が印象的でした。兄弟仲は非常に良好で、高橋さんは弟たちと気兼ねなく連絡を取り合っていると語っています。
母親が亡くなる前、弟たちは「高橋さんに連絡すると、母親にお金の無心に行かされる」という理由から連絡をためらっていたそう。母親の死後に初めて、兄弟として自由に連絡が取れるようになったというのも、何とも切ないエピソードです。
耳をすませばで天沢聖司の声を担当していた
「高橋一生さんって、もしかして耳をすませばに出ていた?」と気になっている方もいるかもしれません。実は高橋一生さんは、1995年公開のスタジオジブリ映画『耳をすませば』で、ヒロイン・月島雫の相手役である天沢聖司の声を担当しています。
このとき高橋さんはまだ中学3年生、14〜15歳。変声期を迎える前のあどけない声が残った状態で収録されており、「あの声が高橋一生だったの!?」と驚いた方も多いはずです。知ったときびっくりしませんでしたか?
この仕事が高橋さんにとって「役者を続けたい」と思う大きなきっかけになったとされており、耳をすませばが声優経験のみならず、俳優人生を方向づけた作品でもあります。テレビ放送のたびに話題になり、今でも注目されるエピソードです。
学歴は堀越高校。同級生・岡田准一との親友エピソード
高橋一生さんの学歴は以下の通りです。
| 学歴 | 学校名 |
|---|---|
| 小学校 | 港区立青南小学校 |
| 中学校 | 港区立青山中学校 |
| 高校 | 堀越高校(トレイトコース) |
| 大学 | 進学なし |
堀越高校は芸能人御用達として知られる私立高校です。高橋さんはトレイトコース(芸能コース)に在籍し、芸能活動を続けながら学んでいました。
そしてこの堀越高校時代の同級生が、なんと岡田准一さん(V6)。現在も仲の良い親友同士として知られています。
最初は「お互いいけ好かなかった」と言い合っていた2人が、ひょんなことからテスト勉強を一緒にするようになり、急激に親友関係になったそうです。岡田さんが洗濯や食事のために高橋さんの家に泊まりに来るほどで、「2人ができているんじゃないか」という噂が学校中に広まったとか(笑)。
2014年放映の大河ドラマ「軍師官兵衛」では、2人は念願の共演も果たしています。高校時代から「いつか一緒に仕事したいね」と語り合っていた夢が、十数年越しに実現した形です。
ちなみに同学年には新山千春さんや野波麻帆さんも在籍しており、1学年上にはKinKi Kidsの堂本剛さんもいたという豪華な環境でした。
カルテットでブレイクした長い下積み時代
高橋一生さんは今でこそ人気俳優として知られていますが、10歳でデビューしてから35歳でブレイクするまで、実に25年以上の下積み期間があります。
子役時代からドラマや映画に端役・脇役として出演し続け、舞台でも精力的に活動してきました。しかし、なかなか主役クラスの仕事には恵まれず、「なんとなく続けた」と本人が語るほど、モチベーションの浮き沈みもあったようです。
転機が訪れたのは2015年。テレビ朝日のドラマ「民王」に出演したことで、初めて広く注目を集めます。このドラマで助演男優賞を受賞し、一気に知名度が上がりました。
そして2017年のTBSドラマ「カルテット」で、高橋さんの人気は爆発的に高まります。4人の弦楽奏者による愛と謎に満ちたストーリーの中で、高橋さんが演じた「佐野晶」は視聴者の心をつかみ、ドラマアカデミー賞の助演男優賞も受賞しました。Yahoo!検索大賞2017の俳優部門にもノミネートされ、ここで完全に「時代の人」となった感があります。
なお、下積み時代も努力を怠らなかった高橋さんは、2012年に舞台「4four」で第67回文化庁芸術祭賞 演劇部門 芸術祭新人賞を受賞しています。舞台俳優としての高い評価が、後の映像作品での躍進につながった面も大きいと言えるでしょう。
長い下積みを経て花開いたその演技力は、やはり年月と経験が積み重なったものだということを実感します。
飯豊まりえとの結婚で幸せをつかんだ現在
高橋一生さんは2024年5月に女優・飯豊まりえさんとの結婚を発表しました。
飯豊まりえさんは1998年生まれで、高橋さんより17歳年下。モデルとして活躍しながら女優としても数々の作品に出演している注目の人物です。2022年に2人の熱愛が報じられ、交際期間を経て結婚に至りました。
複雑な家庭環境の中で育ち、長年にわたって弟たちの面倒を見てきた高橋さんが、自分自身の幸せをつかんだという事実に、多くのファンが喜びのコメントを寄せました。「こんなに苦労してきた人だからこそ、幸せになってほしかった」という声も多く見られます。
この結婚は、壮絶な生い立ちを経てきた高橋さんの人生における、一つの大きな節目と言えるのかもしれません。
高橋一生の生い立ちのまとめ
- 1980年12月9日生まれ、東京都港区赤坂出身の俳優
- 5人兄弟の長男で、弟4人とは父親が異なる異父兄弟
- 実父とは5歳のころ離れ離れになり、2人目・3人目の父親もすでに他界
- 母親は18歳のときに高橋一生を出産した
- 母親は金遣いが荒く、子どもに友人からお金を借りさせるなどの問題行動があった
- 所有していた車を母親に無断で売られたことで「縁を切る」と家出、10年近く絶縁状態に
- 2015年、癌が進行した母親と再会し和解。その一週間後に母親は53歳で他界
- 幼少期はふさぎがちで、祖母が児童劇団に入れてくれたことが芸能活動のきっかけ
- 祖母が発表会で喜んで泣く姿を見て、俳優を続けることを決意
- 1990年映画「ほしをつぐもの」で子役デビュー、1995年「耳をすませば」で天沢聖司の声を担当
- 高校は堀越高校トレイトコース出身。同級生の岡田准一(V6)と大親友
- 大学には進学せず、俳優一本で活動を続けた
- 末弟(五男)とは19歳差で、高校時代から親代わりとなってケアしてきた
- 三男・安部勇磨はnever young beachのボーカルとして活躍する有名バンドマン
- 2015年の「民王」でブレイク、2017年「カルテット」で大人気俳優の仲間入りを果たした
- 2024年5月、17歳年下の飯豊まりえさんとの結婚を発表し幸せをつかんだ

