長山洋子の実家は大田区蒲田!父が買い与えた三味線の値段とは

長山洋子の実家は大田区蒲田!父が買い与えた三味線の値段とは

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演歌歌手として活躍する長山洋子さんの実家が、どこにあるのかご存じでしょうか。

調べていくと出てきたのは東京都大田区の蒲田エリアで、デビュー30周年には実家近くの神社で凱旋コンサートまで開いていました。

さらに、小学4年生の長山洋子さんに父親が買い与えた三味線が、あとで聞いたら車1台分の値段だったというから驚きですよね。

この記事を読むとわかること
・長山洋子の実家がある場所と、蒲田八幡神社との深いつながり
・父親が買い与えた三味線と、民謡教室から始まった生い立ち
・実家がお金持ちと言われる理由と、公表されていない父親の職業

長山洋子の実家は東京都大田区蒲田にあった

長山洋子さんの実家がどこにあるのか、そしてどんな家庭だったのかを、報道と本人の発言からたどっていきます。

実家は大田区蒲田で京急蒲田駅の近く

まず結論からいきますね。

長山洋子さんの実家があるのは、東京都大田区の蒲田エリアです。

出身地としてプロフィールに載っているのは「東京都大田区」で、これはWikipediaや各メディアの表記が一致しています。

そのなかでも、より細かい場所として複数のまとめ記事が挙げているのが京急蒲田駅の近くという情報です。

ただ、こちらは出どころがはっきりしたソースではないので、あくまで「そう言われている」というレベルで受け取っておくのがよさそうです。

一方で、実家が蒲田にあること自体は、本人の活動からしっかり裏づけが取れます。

というのも、2013年にデビュー30周年を記念して、長山洋子さんは大田区の蒲田八幡神社で凱旋ミニコンサートを開いているんですよ。

このときデイリースポーツは、同神社が「長山にとって実家に近く」と報じています。

大手スポーツ紙が実家の近さに触れているわけですから、蒲田という土地が本人にとっての地元であることは、まず間違いないと考えていいでしょう。

蒲田は京急線とJR線が交わる交通の便のいい街で、商店街が今も元気な、いわゆる下町の空気が残るエリアです。

演歌歌手としての長山洋子さんのイメージと、なんだかしっくり重なる場所だなと感じませんか。

デビュー30周年の凱旋コンサート

この蒲田八幡神社でのコンサートは、2013年8月21日に行われました。

デビュー30周年記念シングル「もう一度…子守歌」の発売にあわせた企画で、境内には約500人のファンが集まったと報じられています。

歌ったのは新曲と、アイドル時代を経て演歌に転向してからの代表曲「捨てられて」など、全6曲でした。

本人は「地元でこういうイベントをやるのは初めて」とコメントしていて、30年かかってようやく地元の神社の前に立てた、というニュアンスがにじんでいます。

……なんか、いいですよね、こういうの。

蒲田八幡神社は七五三参りの思い出の場所

先ほど出てきた蒲田八幡神社ですが、長山洋子さんにとっては単なる「地元の神社」ではありません。

デイリースポーツの記事によると、ここは子どものころに七五三参りをした思い出の場所なんだそうです。

つまり、幼い長山洋子さんが晴れ着で手を引かれて歩いた場所と、デビュー30周年の歌手として500人の前に立った場所が、同じ境内だったということになります。

実家の近くにあるこの神社が、長山洋子さんの生い立ちと現在をつなぐ一本の線になっているわけです。

七五三でお参りした神社に、大人になって歌を届けに帰ってくる。

読んでいて、思わずじんわりしてしまうエピソードでした。

なお、この神社の場所は公開情報ですが、実家そのものの住所や建物については一切明かされていません。

ご家族は一般の方ですから、そこは触れずにおくのが筋かなと思います。

父親は民謡好きで毎週教室に通っていた

長山洋子さんの実家を語るうえで、いちばん大きな存在が父親です。

というのも、長山洋子さんが音楽の世界に入るきっかけを作ったのが、この父親だからです。

Wikipediaにも本人のラジオでの発言にも共通して出てくるのが、4歳の頃、父親が通っていた民謡教室に付いていったという話。

お父さんが毎週のように民謡を習いに出かけていて、その背中に付いていった小さな娘が、そのまま民謡に惹かれて自分も通い始めた、という流れです。

一部のまとめ記事では、父親が民謡を習いに出かけていたのは毎週月曜の夜だったとも書かれています。

自分の趣味に子どもを連れて行っただけ、といえばそれまでなんですが、その一回が娘の人生をまるごと決めてしまったと考えると、なかなかすごい話ですよね。

家庭の雰囲気については「民謡と演歌しか流れていないような家庭で育った」という表現も見つかりました。

こちらは1つのメディアにしか出てこない表現なので断定はできませんが、父親が民謡愛好家だったことは複数のソースが一致して伝えているので、家のなかで日常的に邦楽が鳴っていたという情景は、そう外していないはずです。

なお、この父親の職業については、実はどのソースにも明記されていません

「自営業だったのでは」と書いているサイトもありますが、根拠は示されていませんでした。

ここは後ほど改めて触れますね。

父が買ってくれた三味線は車1台分

長山洋子さんの実家の話でいちばん知られているのが、この三味線のエピソードだと思います。

小学4年生、10歳のときに民謡教室の講師にすすめられて三味線を始めることになり、父親が楽器を買い与えました。

その三味線の値段が、後になって分かったところ車1台分だったというんです。

本人はラジオ番組でこう語っています。

「あとで知ったのですが、その三味線は、車1台分の値段がしたそうです。いまもずっと愛用し、ステージで弾いているのですが、いいものを買い与えてくれた父にとても感謝しています」

これ、金額そのものより「40年以上たった今もその一挺を舞台で弾いている」という部分に、じんとくるものがありませんか。

小学生の習い事に車が買えるほどの楽器を用意するというのは、普通に考えればかなりの決断です。

しかも、その時点では娘がプロの歌手になるかどうかなんて、誰にも分からなかったわけですから。

この一挺の三味線が、長山洋子さんの実家がどんな家だったのかを、いちばん雄弁に語っているように思います。

ちなみに、津軽三味線については澤田流の名取にもなっていて、名取名は澤田勝姫(さわだ かつき)といいます。

演歌歌手が舞台で三味線を弾くというスタイルは、この幼少期の積み重ねがあってこそ成立しているものなんですね。

母は健在で姉と2人姉妹の家庭

長山洋子さんの家族構成についても見ていきましょう。

分かっている範囲でまとめると、次のようになります。

家族 分かっていること
父親 民謡と演歌の愛好家。娘に三味線を買い与えた。職業は非公表
母親 一般の方。現在も健在とされる
一般の方。2人姉妹の姉で、今も仲が良いとされる
本人 1968年1月13日生まれ。2人姉妹の妹

長山洋子さんは、姉がひとりいる2人姉妹の妹です。

これは複数のメディアが一致して書いていて、ほぼ確定情報とみていいでしょう。

ただしお姉さんは一般の方なので、名前も職業も年齢も公表されていません。

長山洋子さん自身がブログで、娘さんの誕生日会を姉家族に祝ってもらったと綴っていたという話もあり、大人になってからも姉妹の行き来が続いている様子がうかがえます。

母親についても一般の方で、詳しいプロフィールは出ていません。

あるまとめ記事では、両親が今も元気で「年中ケンカしてます」と語られていたとされています。

こちらは単独ソースの情報なので確定とはいえませんが、事実だとしたら、なんだかとても健康的な老夫婦の姿が浮かびますよね。

門限は夜7時だったという話

実家の家庭の雰囲気を伝えるエピソードとして、門限が夜7時だったという話も出てきます。

こちらも1つのメディアにしか見当たらない情報なので、参考程度に受け取ってほしいのですが、事実だとすればかなり厳しめのご家庭だったことになります。

小学生のうちから習い事をいくつも掛け持ちし、門限は7時。

規律のある家だったからこそ、10歳で始めた三味線が途中で放り出されずに続いたのかもしれない、と考えると納得感はあります。

実家がお金持ちと言われる理由と父親の職業

「長山洋子の実家はお金持ちなのか」という点も、よく検索されているテーマです。

ここは慎重に整理しておきますね。

まず前提として、実家の資産や年収に関する公式な情報は、いっさい公表されていません。

そのうえで、お金持ちではないかと言われる材料として挙がっているのは、次の3つです。

材料 内容 確度
三味線の値段 小学4年生の娘に車1台分の楽器を購入 本人がラジオで発言
習い事の数 そろばん・習字・英会話・三味線・琴 1メディアのみ
ひな人形 娘の初節句にひな人形を用意した 1メディアのみ

このうち確度が高いのは、やはり本人が自分の口で語っている三味線の件です。

車が1台買える金額の楽器を、小学生の習い事のために出したという事実は、それだけでも家計にある程度の余裕があったことを示していると考えられます。

ただし、ここから「実家は資産家だった」と決めつけるのは早いかなとも思うんですよね。

娘の音楽に対して父親が特別に力を入れていた、という読み方もできるからです。

自分が民謡を習うほど好きだった人ですから、娘が同じ道に興味を示したとき、他の出費を削ってでもいい楽器を持たせたかった。

そう考えると、金額の大きさは「裕福さ」ではなく「入れ込みようの深さ」の表れという見方もできます。

父親の職業についても同じで、はっきりした情報は出ていません。

一部で自営業ではないかという推測が書かれていますが、その根拠として示されているものはなく、平日の夜に定期的に習い事へ通えていたという状況証拠だけです。

会社勤めでも夜の教室に通うことは十分できますから、この推測だけで職業を確定させるのは無理があります。

実家がお金持ちだったかどうかは、公表された事実だけでは判断できないというのが正直なところです。

長山洋子の実家を調べる人向けの関連情報

ここからは、実家と一緒に検索されることが多い学歴や現在の家族についても押さえておきましょう。

小学校と中学校は大田区立東蒲

実家が大田区蒲田にあることは、通っていた学校からも裏が取れます。

複数のメディアが一致して伝えているのは、小学校は大田区立東蒲小学校、中学校は大田区立東蒲中学校という経歴です。

どちらも公立で、しかも同じ「東蒲」という地名が付いた学校ですから、家からそう遠くない範囲で小中学校時代を過ごしたことになります。

出身校が2つとも大田区立であることは、実家が蒲田にあったという話とぴったり整合します。

芸能界に入る前の長山洋子さんは、この蒲田の街で、学校に通いながら民謡教室と三味線に通う小学生だったわけですね。

高校は堀越高校で大学には進学せず

中学を卒業したあとは、芸能人御用達として知られる堀越高等学校へ進みます。

こちらはWikipediaにも記載があり、複数のメディアが一致している確定情報です。

コースについては芸能活動向けのコースだったとされていて、この時点ですでに歌手として活動していたことがうかがえます。

大学へは進学していません。

10代のうちからアイドル歌手として仕事を持っていた人ですから、進学ではなく現場を選んだかたちですね。

実家が大田区、高校は都内の堀越。

生活の拠点はずっと東京にあり、地方から出てきたタイプの歌手ではないという点も、押さえておくと人物像がつかみやすいと思います。

三味線を始めたのは10歳のとき

改めて音楽の入口を時系列で並べておきます。

時期 出来事
4歳頃 父親が通う民謡教室について行き、自分も通い始める
10歳(小学4年) 講師のすすめで三味線を始める。父が車1台分の三味線を購入
小学4年〜中学3年 ビクター少年民謡会に在籍
高校 堀越高等学校へ進学

つまり長山洋子さんは、芸能界に入る前からすでに10年近い民謡と三味線のキャリアを持っていたことになります。

演歌に転向してからの三味線パフォーマンスが本格的なのは、大人になってから習ったものではなく、実家で始まった積み重ねだからなんですね。

ビクター少年民謡会と全員集合でのスカウト

小学4年から中学3年までは、ビクター少年民謡会の一員として活動していました。

Wikipediaによると、この民謡会で『8時だョ!全員集合』に出演した際、その場で所属事務所の社長にスカウトされたとされています。

こちらは単独ソースの情報なので断定は避けますが、事実だとすれば、父親に連れられて始めた民謡が、そのまま芸能界の入口になったということになります。

実家の父親が娘を教室に連れて行かなければ、アイドル歌手・長山洋子も演歌歌手・長山洋子も存在しなかったかもしれない。

そう考えると、あの車1台分の三味線がますます重く見えてきます。

旦那はアメリカ人の会社経営者

現在の家族についても触れておきます。

長山洋子さんは2009年4月6日、アメリカ人男性と結婚しています。

お相手は人材派遣会社を経営している方で、日本語は演歌と民謡を通じて覚えたと伝えられています。

演歌歌手の夫が演歌で日本語を覚えたというのは、できすぎた話のようで、なんだか微笑ましいですよね。

結婚の翌年には娘さんが誕生しています。

娘さんはインターナショナルスクールに通っているとされ、家庭内では日本語を使っているという話も出ています。

こうした家庭の様子は本人のブログやテレビ出演を通じて少しずつ語られてきたもので、実家の両親や姉との行き来も続いているようです。

蒲田の実家で民謡を聞いて育った少女が、いまは自分の家庭を持って三味線を弾いている、という流れになります。

現在も三味線を弾き続けている

長山洋子さんは今も演歌歌手として活動を続けていて、ステージでは三味線を手にした姿がおなじみです。

その三味線が、小学4年生のときに父親が買ってくれたあの一挺だというのは、先ほど本人の言葉で紹介したとおりです。

40年以上、同じ楽器を使い続けているということになります。

楽器は使い込むほど鳴りが変わっていくといわれますから、いい物を最初に持たせてもらったことが、そのまま現在の音につながっているのかもしれません。

実家というと住所や資産の話になりがちですが、長山洋子さんの場合、実家から受け取ったいちばん大きなものは、この三味線と民謡の記憶なんだろうなと思います。

……そう考えると、なかなか贅沢な実家ですよね。

長山洋子の実家のまとめ

  • 実家があるのは東京都大田区の蒲田エリア
  • 京急蒲田駅の近くとされるが、確定した公式情報ではない
  • 出身地としてのプロフィール表記は東京都大田区で各メディアが一致
  • 2013年にデビュー30周年で実家近くの蒲田八幡神社で凱旋コンサートを開催
  • 蒲田八幡神社は子どもの頃に七五三参りをした場所
  • 父親は民謡と演歌の愛好家で、毎週民謡教室に通っていた
  • 4歳の頃に父親の民謡教室について行ったのが音楽の入口
  • 10歳(小学4年)で講師のすすめにより三味線を始めた
  • 父が買い与えた三味線は後に車1台分の値段だったと本人が明かしている
  • その三味線を現在もステージで愛用している
  • 家族構成は父・母・姉・本人の4人で、2人姉妹の妹にあたる
  • 母親と姉は一般の方で、名前や職業は公表されていない
  • 門限が夜7時だったという話もあるが単独ソースの情報
  • 父親の職業は公表されておらず、自営業説は根拠が示されていない
  • 実家の資産や年収に関する公式情報はなく、お金持ちかどうかは断定できない

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