テレビ朝日のディレクターとして体を張った企画で知られる友寄隆英さんの実家が、どこにあるのか気になっている方は多いのではないでしょうか。
調べてみると出身地までははっきりしている一方で、その先がぱたりと出てこないという、少し変わったテーマでした。
そして生い立ちをたどると、13歳で家を出ていたという事実に行き当たります。
・友寄隆英の実家が兵庫県のどこまで分かっているか
・13歳で親元を離れて寮生活に入った生い立ちの経緯
・両親や兄弟の情報が公表されていない理由と現在の家族
友寄隆英の実家は兵庫県のどこ?
ナスDの愛称で知られる友寄隆英さんの実家がどこにあるのか、まずはここからはっきりさせていきますね。
分かっている部分と、いくら探しても出てこない部分がきれいに分かれているテーマです。
実家は兵庫県と紹介されている
友寄隆英さんの実家について調べると、まず出てくるのが出身地の情報です。
Wikipediaをはじめ、テレビ番組の出演者プロフィール、芸能系のまとめ記事まで、どの媒体も出身地を「兵庫県」と記載しています。
複数のソースで一致しているので、ここは信頼していい情報だと思います。
つまり、友寄隆英さんの実家は兵庫県にあると考えて間違いなさそうです。
ただ、ここから先がなかなか出てきません。
芸能人の実家というと「◯◯市の商店街にある」「地元では有名な旧家」といった話が出てくることも多いのですが、友寄さんの場合はそういった情報がほとんど流通していないんですよね。
理由は考えてみると分かりやすくて、友寄さんはもともと制作側の人だからです。
タレントとして事務所がプロフィールを出しているわけではなく、テレビ局の社員ディレクターとして番組に映り込むうちに人気が出た方なので、生い立ちが取材されて記事になる機会そのものが少なかったわけです。
生年は1975年と1974年で表記が分かれている
細かい話ですが、生まれ年についてはソースによって少し食い違いがあります。
Wikipediaや複数のプロフィールサイトは1975年生まれとしていますが、一部のまとめ記事では1974年生まれと書かれています。
学歴の年月(中学入学が1987年4月)から逆算すると1975年生まれのほうが自然ではありますが、公式に発表された誕生日そのものが見当たらないため、断定はできません。
実家の話をするうえで年齢はそこまで重要ではありませんが、「どのサイトを見るかで数字が変わる人」だという点は、頭に入れておくといいかもしれません。
実家の市町村までは公表されていない
では兵庫県のどこなのか、という話です。
神戸市なのか、姫路なのか、それとも但馬や淡路のほうなのか。
ここ、いちばん知りたいところですよね。
結論から言うと、兵庫県内のどの市町村なのかを示した情報は見つかりませんでした。
本人が番組内で地元トークをした形跡も、インタビューで町の名前を挙げた記録も確認できません。
ネット上のまとめ記事も、そろって「兵庫県出身」で止まっています。
現時点では、実家の所在地は兵庫県という県単位までしか分かっていないのが実態です。
なお、これは友寄さんに限った話ではありません。
テレビ局の社員は芸能人と違って個人情報の公開範囲が狭く、住所に近い情報はまず出てきません。
ましてや実家となると家族が今も暮らしている可能性が高いわけで、本人が話さないのはむしろ自然な判断だと思います。
両親の職業や資産は分かっていない
実家の話でセットで検索されるのが、ご両親のことです。
父親は何をしている人なのか、母親はどんな人なのか、実家はお金持ちなのか。
こちらも調べましたが、父親・母親の職業や年収、実家の資産に触れた情報は一件も確認できませんでした。
家族構成をまとめている記事にも「家族構成に関する情報はありませんでした」とはっきり書かれているものがあり、これは調べた側が匙を投げたということだと思います。
ただ、まったく手がかりがないわけでもありません。
友寄さんは兵庫県の実家から、岡山県にある私立の中高一貫校へ中学受験で進学しています。
しかもその学校は寮制です。
県外の私立中学に通わせて、さらに寮費まで負担するとなると、家庭にそれなりの余裕があった可能性は考えられます。
とはいえこれはあくまで進学先から逆算した推測なので、実家が裕福だったと断定できる材料は今のところありません。
奨学金や特待の制度を使っていた可能性もありますし、ここは想像で埋めないほうがいい部分だと思います。
13歳で実家を離れて寮生活へ
友寄さんの生い立ちで、いちばん実家らしいエピソードがここです。
兵庫県で生まれ育った友寄さんは、中学入学と同時に岡山県の寮へ入り、13歳で親元を離れています。
小学校を卒業した春に、家族と離れて他県で暮らし始めたわけです。
13歳ですよ。
いま思い返すと、中学一年生って親に反抗しながらもまだべったり甘えている年頃じゃないですか。
その年齢で洗濯も朝の支度も自分でやる生活に切り替わったというのは、なかなかの環境だと思います。
しかも当時の友寄さんは、寮で勉強に熱中していたと伝えられています。
進学校の寮に入って勉強漬けというと窮屈そうにも聞こえますが、のちに世界中を飛び回って現地の人と暮らし、川に潜って魚を突くようになる人の原点が「13歳で家を出た経験」だと考えると、なんだか腑に落ちるものがありますよね。
知らない土地に放り込まれても平気でいられる感覚は、案外この時期に身についたのかもしれません。
つまり友寄隆英さんが実家で過ごしたのは、小学校を卒業するまでの12年間ということになります。
高校も同じ学校へ内部進学しているので、10代の後半もほぼ岡山で過ごした計算です。
実家の情報が出てこない背景には、地元で過ごした時間そのものが短いという事情もあるのかもしれません。
幼少期のあだ名は動物博士
実家で過ごしていた小学生時代の友寄さんについては、いくつかエピソードが残っています。
とにかく動物が好きな子どもだったそうで、小学校時代のあだ名は「動物博士」。
当時の夢は、猿を飼うことだったと伝えられています。
猿ですよ、猿。
犬や猫ではなく猿というあたりに、すでにあの人らしさが出ている気がしませんか。
ジャングルの奥地に入って現地の動物と平然と触れ合うあの姿は、大人になってから作られたキャラクターではなく、兵庫の実家にいた頃からの地続きだったということになります。
もうひとつ、毎日プラモデル屋に通って新商品が入荷していないかチェックしていた、という話も残っています。
好きなものに対する粘着質なまでの熱中ぶりは、このころからだったようです。
実家での友寄さんは、生き物と工作に夢中な、いかにも探究心の強い子どもだったようです。
なお、これらは一つの媒体にしか載っていない情報なので、そういう話が伝わっているという程度に受け取っておくのがよさそうです。
高校時代はものまねが得意だった
寮に入ってからのエピソードも少し補足しておきます。
高校時代の友寄さんは、教室で目立つタイプではなかったそうです。
ただ同級生の証言として、クラスメイトの日常のものまねをよくしていた、という話が紹介されています。
面白いことに対してストイックで、興味を持ったことはじっくり考察しておかしく語ってくれた、プロデューサーのような素質があったのかもしれない、という趣旨のコメントです。
人の癖を観察して笑いに変える力って、まさに今の仕事そのものですよね。
友寄という名字は沖縄がルーツ
実家の話でもうひとつ触れておきたいのが、名字です。
友寄という名字を見て、沖縄を思い浮かべた方もいるんじゃないでしょうか。
実際、「友寄」は旧琉球、つまり沖縄県に由来する名字とされています。
名字の由来を扱うサイトによると、かつての東風平間切友寄という地名が起源で、琉球王国時代の記録にも残る古い地名だそうです。
現在も沖縄県、とくに浦添市などに集中している名字だと紹介されています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 起源 | 旧琉球・東風平間切友寄の地名 |
| 系統 | 恵姓の門中と、薩摩から移住した平姓の2系統 |
| 分布 | 沖縄県に集中(浦添市など) |
| 読み | ともよせ・ともより |
ここで注意したいのは、これはあくまで名字そのものの由来だという点です。
友寄隆英さん本人や、その実家が沖縄にルーツを持つと明かした情報は確認できませんでした。
名字が沖縄由来だからといって、その家系が必ず沖縄から来ているとは限りません。
とはいえ、本州ではあまり見かけない名字であることは確かで、「友寄って沖縄の名前だよね」と気になって検索する人が多いのも納得です。
本人がルーツについて語る機会があれば、そのときにはっきりするテーマだと思います。
友寄隆英の実家を調べる人向けの関連情報
実家と一緒によく調べられているのが、学歴や家族、そして現在の状況です。
ここからは、実家の話から自然につながる周辺情報をまとめて見ていきますね。
出身中学と高校は岡山白陵
友寄さんが13歳で移った先が、岡山県にある岡山白陵中学校です。
そのまま系列の岡山白陵高校へ内部進学しています。
| 時期 | 学校 |
|---|---|
| 1987年4月〜1990年3月 | 岡山白陵中学校(寮生活) |
| 1990年4月〜1993年3月 | 岡山白陵高校 |
| 1993年4月〜1997年3月 | 茨城大学農学部 |
岡山白陵は県内でも指折りの進学校で、高校の偏差値は73前後と紹介されています。
兵庫県から越境して受験し、寮に入ってまで通う学校としては納得の水準ですよね。
ひとつ添えておくと、この学歴はネット上で広く共有されているものの、本人が公表したものではないと指摘している媒体もあります。
複数のサイトが同じ学校名を挙げているので信ぴょう性は高そうですが、公式に発表された経歴ではないという点は覚えておいたほうがよさそうです。
大学は茨城大学農学部で獣医志望
高校卒業後、友寄さんは茨城大学農学部へ進学します。
小学生時代のあだ名が動物博士だったことを思い出すと、この進路はまっすぐですよね。
もともとは獣医師を目指していたと伝えられています。
ところが大学生活の途中で進路が大きく変わります。
ドラマにはまったことをきっかけに劇団へ入り、俳優を志すようになったんだそうです。
動物の医者を目指して農学部に入った人が、気づいたら舞台に立っていたわけで、この振れ幅がすでに只者ではありません。
その後オーディションに落ちたことで役者の道は諦め、テレビ業界の裏方へ進みます。
19歳のころから制作会社のアシスタントディレクターとしてアルバイトを始め、フリーのディレクターを経て、2003年にテレビ朝日へ入社しました。
実家を出てから大学卒業までのあいだに、獣医から俳優、そしてテレビの作り手へと進路が二度切り替わっています。
卒業旅行で選んだのはインドだった
大学時代のエピソードで象徴的なのが、卒業旅行です。
一般的な卒業旅行といえば南の島やヨーロッパあたりですが、友寄さんが選んだのはインドの内戦エリアだったと紹介されています。
学生のうちからそこへ行くという発想が出てくる時点で、後年のあの企画の数々は必然だったのかもしれません。
兄弟がいるかは公表されていない
家族構成についても触れておきます。
兄がいるのか、弟や妹がいるのか、それとも一人っ子なのか。
調べた範囲では、兄弟姉妹の有無に触れた情報はまったく見つかりませんでした。
家族をテーマに掘り下げているまとめ記事でさえ、両親と兄弟の情報はないと書いています。
実家の家族については、人数も構成も分かっていないのが現状です。
先ほども触れたとおり、友寄さんは芸能事務所に所属するタレントではなく、テレビ局の社員です。
家族が取材の対象になる立場ではないので、この状態が今後大きく変わることは考えにくいと思います。
嫁は料理研究家の森崎友紀
実家の情報が乏しい一方で、今の家庭についてははっきりしています。
友寄さんの妻は、料理研究家でタレントの森崎友紀さんです。
出会いは2012年の春ごろで、友寄さんが担当していた番組へ森崎さんが出演したことがきっかけだったと紹介されています。
作り手と出演者として出会って、そこから夫婦になったわけですね。
結婚は2015年です。
一部の記事では2016年と書かれているものもありますが、2015年12月としているものが複数あります。
年齢差についても5歳年下とする記事と6歳年下とする記事があり、細かい数字は媒体によって揺れています。
確実に言えるのは、2015年前後に料理研究家の森崎友紀さんと結婚したという事実です。
子供の人数は情報が割れている
お子さんについては、情報がかなりばらついています。
第一子が2016年に生まれたという点は複数の記事で共通していますが、そこから先が媒体によって違うんです。
| 媒体 | 子供の人数 |
|---|---|
| 家族系まとめサイトA | 1人(2016年生まれの女の子) |
| まとめサイトB | 2人(2016年・2018年) |
| まとめサイトC | 3人 |
こうして並べると、書かれた時期の違いがそのまま人数の違いになっている可能性が高そうです。
2016年時点の情報を更新していない記事なら1人のままですし、最近書かれたものほど人数が増えている。
そう考えると、実際には複数のお子さんがいる可能性が高いと見るのが自然だと思います。
ただ、お子さんの名前や人数は正式に公表されていないため、確定した数字として扱える情報はありません。
一般の方であるご家族のことなので、ここは詮索しすぎないほうがいいところですよね。
現在はテレビ朝日で異動
最後に、現在の状況にも触れておきます。
友寄さんは2003年にテレビ朝日へ入社し、2010年にゼネラルプロデューサー、2020年7月にはエグゼクティブディレクターへと昇格しました。
2020年4月からは自身の冠番組も始まり、制作者としては異例のポジションを築いていました。
しかし2025年3月、状況が大きく変わります。
スタッフへのパワーハラスメントと経費の不適切な使用により、降格処分を受けたことがテレビ朝日から発表されました。
不適切な経費の額は517万円と報じられています。
これに伴い、2020年から続いていた冠番組も2025年2月をもって打ち切りとなりました。
その後は人事局付を経て、2025年6月にアーカイブ運用センターへ異動したと伝えられています。
現在は番組制作の第一線からは離れた部署に在籍しているとみられます。
体を張った企画で幅広い層に知られた人だっただけに、この形での区切りは複雑な気持ちになりますね。
友寄隆英の実家のまとめ
- 友寄隆英の実家は兵庫県にあるとされる
- 出身地を兵庫県とする記載は複数の媒体で一致している
- 兵庫県内のどの市町村かを示す情報は公表されていない
- 父親・母親の職業や年収に関する情報は確認できない
- 実家が裕福だったかどうかを裏づける材料もない
- 兄弟姉妹がいるかどうかも公表されていない
- 中学入学と同時に岡山県の寮へ入り13歳で親元を離れた
- 実家で暮らしたのは小学校を卒業するまでの期間とみられる
- 小学生時代のあだ名は動物博士だったとされる
- 当時の夢は猿を飼うことだったと伝えられる
- 名字の友寄は旧琉球・沖縄県由来の地名姓とされる
- 本人や実家が沖縄にルーツを持つと明かした情報はない
- 中学・高校は岡山白陵で高校の偏差値は73前後とされる
- 大学は茨城大学農学部で当初は獣医師を志望していた
- 妻は料理研究家の森崎友紀で結婚は2015年とされる
- 子供の人数は媒体によって1人から3人まで記載が割れている
- 2025年3月にパワハラと経費の不適切使用で降格処分を受けた

