川原琉人の父親はどんな人?陸上の指導役が祖父だった五島の家族とは

川原琉人の父親はどんな人?陸上の指導役が祖父だった五島の家族とは

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順天堂大学の川原琉人さんの父親がどんな人なのか、気になって調べた方も多いと思います。

実は川原さんの陸上の物語に、いちばん長く付き合ってきた家族は祖父なんです。

この記事では、父親について分かっていることと、川原さんを支えてきた家族の姿を、記事やニュースで確かめられた範囲でまとめました。

この記事を読むとわかること
・川原琉人さんの父親について分かっていること
・陸上を教えた祖父・高弘さんと、箱根を走った叔父の存在
・五島列島から箱根駅伝までの歩みと、2026年10月時点の近況

川原琉人の父親はどんな人?

まずは検索されている父親について、分かっていることから見ていきます。あわせて、父親の代わりによく名前が出てくる家族についても整理しました。

川原琉人の父親の名前や職業は公表されていない

先に答えを書いておきます。

2026年10月時点で、川原琉人さんの父親の名前・職業・スポーツ歴は公表されていません。

今回、テレビ長崎・NCC長崎文化放送・THE ANSWER・日刊スポーツなどの記事や、順天堂大学駅伝部のページを確かめました。

どの記事にも、父親についての記述は見当たりませんでした。

川原さんはまだ大学生で、ご家族は一般の方です。

名前や職業が出てこないのは、ごく自然なことかなと思います。

ここ、知りたかった方には少し物足りないかもしれませんね。

ただ、川原さんの家族の話をたどると、父親よりもはっきり記録に残っている家族が2人います。

それが、陸上を教えた祖父と、箱根駅伝を走った叔父です。

父親より先に名前が出てくるのは祖父・高弘さん

川原さんの陸上の話になると、必ずと言っていいほど出てくるのが祖父の高弘さんです。

テレビ長崎は2021年4月の放送で、川原さんに陸上の基礎を教えたのは祖父・高弘さんだったと伝えています。

番組のタイトルも「日本一に導いた祖父の教え」でした。

高弘さんは陸上の経験者で、川原さんが通った中学校に陸上部がなかったため、指導役を引き受けていたそうです。

家族の中に陸上を教えられる人がいた、というのは本当に大きかったと思います。

父親の情報が出てこない一方で、川原さんの陸上の土台をつくったのは祖父だったことがはっきりしています。

高校で転校したあとも祖父と練習

祖父との練習は中学だけで終わりませんでした。

川原さんは高校2年の夏に地元の五島南高校へ移り、そこでも再び祖父と二人三脚で練習していたと紹介されています。

……なんか、いいですよね。

孫の夢にここまで付き合える祖父って、なかなかいないと思います。

陸上を始めたきっかけは箱根を走った叔父

もう1人の大事な家族が叔父です。

川原さんは、山梨学院大学で箱根駅伝を走った叔父に憧れて、小学1年生のときに「陸上やる!」と決めたそうです。

身近な家族が箱根路を走っていたら、それは憧れますよね。

なお、叔父の名前については、一部のブログが山梨学院大のOBから推測した名前を挙げています。

ただ、本人や大学が名前を明かしたわけではないので、この記事では名前は書かずにおきます。

叔父が父方なのか母方なのかも、記事からは分かりませんでした。

陸上を始めるきっかけは叔父、走り方を教えたのは祖父という家族の中で、川原さんは育ってきたわけです。

家族の元を離れた高校時代

中学を卒業した2021年春、川原さんは長崎本土にある陸上の強豪・松浦高校へ進みました。

テレビ長崎は、このとき川原さんが家族のもとを離れて新しい生活を始めたと伝えています。

五島列島の福江島から本土へ渡っての寮生活です。

15歳で島を出るのは、本人にとっても家族にとっても大きな決断だったと思います。

その後、川原さんは2年生の夏に福江島の五島南高校へ転校しました。

転校の理由について、本人や学校がくわしく説明した記事は見つかりませんでした。

ネット上には理由を推測する書き込みもありますが、確かめられた話ではないので、ここでは触れずにおきます。

川原琉人の家族が見守った五島から箱根駅伝までの歩み

ここからは、家族に支えられてきた川原さんの歩みを時系列で見ていきます。学年や記録は、それぞれの記事が出た時点のものです。

川原琉人のプロフィール

まずは基本的なプロフィールを表にまとめます。

項目 内容
名前 川原琉人(かわはら りゅうと)
生年月日 2006年1月6日
出身 長崎県五島市(五島列島・福江島)
中学 五島市立三井楽中学校(陸上部なし)
高校 長崎県立松浦高校 → 長崎県立五島南高校
大学 順天堂大学 スポーツ健康科学部(2026年10月時点で3年)

福江島の出身で、中学も高校も島と本土を行き来しながら走ってきた選手です。

陸上部のない中学で3000m全国1位

川原さんが通った三井楽中学校には、陸上部がありませんでした。

それでも祖父の指導で力をつけ、中学3年で3000mの全国1位のタイムを出しています。

中学3年の3月に長崎県の記録会で出した8分20秒42は、中学の歴代3位にあたる記録だと紹介されています。

新型コロナの影響で大きな大会が次々と中止になった年のことでした。

部活もない、大会もない、という中でこの記録ですから……正直、驚きました。

五島南高校でほぼ1人で練習した日々

転校先の五島南高校の陸上部は部員5人で、長距離は川原さんだけでした。

THE ANSWERによると、指導者もおらず、練習メニューは自分で考えていたそうです。

朝5時半から朝練をして、放課後はいったん家に帰ってから、近所の農道や土のグラウンドを1人で走り込む毎日でした。

大会のたびに、フェリーで3〜4時間かけて本土へ渡っていたといいます。

これはきつかったでしょうね…。

都道府県駅伝で1区の区間賞

そんな環境から、結果はしっかりついてきました。

高校3年の2024年1月21日、全国都道府県対抗男子駅伝の1区7kmを19分31秒で走り、区間新記録で区間賞を取りました。

長崎の選手が1区で区間賞を取ったのは初めてだったそうです。

五島市役所を訪れた川原さんは「お世話になった五島の皆さんに恩返しが出来て良かった」と話していました。

寄付金で出場したインターハイ

高校3年の夏のインターハイ(北海道)は、学校のOBらの寄付金を集めて出場がかなった大会でした。

5000m決勝は17位でしたが、序盤から前に出る走りで陸上ファンを沸かせたと伝えられています。

家族だけでなく、島の人たちにも背中を押されて走っていたことが伝わってきます。

順天堂大学で2年続けて箱根駅伝を走った

高校卒業後は、順天堂大学に進みました。

OBの三浦龍司さんに憧れていたことや、「トラックでもロードでも、やりたいことをやる」という雰囲気が自分に合っていたことを理由に挙げています。

箱根駅伝には1年生から出場しました。

大会 学年 区間
第101回(2025年) 1年 5区(山上り)・区間13位
第102回(2026年) 2年 4区(当日変更で起用)

2026年の大会で、順天堂大学は総合3位に入っています。

叔父と同じ箱根路を、川原さんも2年続けて走ったことになります。

小学1年で叔父に憧れた少年が本当に箱根を走ったと思うと、じんわりしますよね。

川原琉人の現在(2026年10月時点)

最後に、2026年10月時点の近況です。

川原さんは2026年9月18日、自身のInstagramで、箱根駅伝のあと陸上を休んでいたことを報告しました。

理由はプライベートなことなので、くわしくは触れずにいてほしいとしています。

そのうえで、遊びたいといった理由ではなく静養のためだったこと、離れている間も運動は続けていたことを説明しました。

今は復帰に向けて少しずつ体づくりをし、練習を重ねているそうです。

本人がお願いしている以上、理由をあれこれ詮索するのはやめておきたいところです。

次の箱根駅伝に出るかどうかは、まだ分かりません。

まずは無理なく走る姿を見せてくれる日を、家族と同じように待ちたいですね。

川原琉人の父親のまとめ

  • 川原琉人の父親の名前・職業・スポーツ歴は2026年10月時点で公表されていない
  • 大手の記事や大学のページにも父親の記述は見当たらない
  • 陸上の基礎を教えたのは陸上経験者の祖父・高弘さん
  • 中学に陸上部がなく、祖父が指導役を務めた
  • 五島南高校へ転校後も祖父と二人三脚で練習した
  • 陸上を始めたきっかけは山梨学院大で箱根を走った叔父
  • 小学1年で叔父に憧れて陸上を始めると決めた
  • 叔父の名前は本人や大学から明かされていない
  • 2006年1月6日生まれ、長崎県五島市・福江島の出身
  • 中学3年で3000mの全国1位のタイムを出した
  • 高校は松浦高校に進み、2年夏に五島南高校へ転校した
  • 2024年の都道府県駅伝1区で区間新・区間賞を取った
  • 順天堂大学で1年は5区、2年は4区と箱根駅伝を2年続けて走った
  • 2026年9月、箱根駅伝のあと静養のため陸上を休んでいたと報告した
  • 現在は復帰に向けて練習を重ねている

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