真田幸光の家系図は真田信之から14代目!曽祖父は伯爵・幸正、祖母は米沢上杉家の長女

真田幸光の家系図は真田信之から14代目!曽祖父は伯爵・幸正、祖母は米沢上杉家の長女

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テレビやラジオで世界経済を解説する、愛知淑徳大学教授の真田幸光さん。

名字と口ぶりから「もしかして、あの真田家の人?」と思った方も多いはずです。

結論からいうと、その通りです。ただ家系図をたどっていくと、真田幸村の子孫でもなければ、今の真田家の当主でもない、という少し複雑な立ち位置が見えてきます。

この記事を読むとわかること
・真田幸光が真田信之から14代目にあたる根拠と、分家になった経緯
・曽祖父・真田幸正と祖母(米沢上杉家の長女)という、両家をまたぐ婚姻関係
・同じ「真田家14代」を名乗る慶應義塾大学教授・真田幸俊との違い

真田幸光の家系図|真田信之から14代目、曽祖父は伯爵の真田幸正

まずは家系のほうから整理していきます。

真田幸光さんの家系図は、戦国から昭和までを一本でつないだ形になっています。

真田幸光は戦国武将・真田信之から数えて14代目

真田幸光さんは、戦国武将・真田信之から数えて14代目の子孫です。

信之は真田昌幸の長男で、弟が真田幸村(信繁)にあたります。

関ヶ原で父・昌幸と弟・信繁が西軍につき、兄の信之だけが東軍についた——あの分かれ方をした側の、東軍のほうの家系ですね。

信之はその後、上田から松代へ移り、松代藩10万石の初代藩主になりました。

つまり幸光さんは、大坂の陣で散った幸村の血ではなく、江戸時代を大名として生き延びた兄・信之の血を引いています。

曽祖父・真田幸正は松代真田家の当主で伯爵だった

家系図を近い世代から見ていくと、まず出てくるのが曽祖父です。

曽祖父の真田幸正(さなだ ゆきまさ)さんは、松代真田家の第11代当主で、爵位は伯爵でした。

松代藩は戊辰戦争で官軍側について戦い、明治2年に賞典禄3万石を下賜されています。

そのため真田家は当初の子爵から一段上がり、1891年(明治24年)4月23日付けで伯爵に陞爵しました。

幸正さんはその伯爵家の当主だった人物です。

幸光さんから見れば、ひいおじいさんが華族の当主だった、ということになりますね。

祖父・真田幸尚の代で分家になった

ここが家系図を読むうえで一番大事なところです。

幸光さんの祖父・真田幸尚(さなだ ゆきひさ)さんの代で、この家は分家になりました。

理由はシンプルで、祖父が次男だったからです。

当主の座と家督は長男の系統が継ぎ、次男の家は分かれる。江戸から昭和にかけての武家では、ごく普通の形ですね。

本人も「祖父の代より分家となり、現在では本家ではない」と説明しています。

「真田信之から14代目」なのは事実だが、「真田家の当主」ではない。この二つが両立しているのが、幸光さんの立ち位置です。

祖母は米沢上杉家15代当主・上杉憲章の長女

母方ならぬ、祖母のほうにも大名家が出てきます。

幸光さんの祖母は、米沢上杉家の第15代当主・上杉憲章(うえすぎ のりあき)の長女です。

上杉といえば、上杉謙信から続く越後・米沢の名門です。

真田家と上杉家、戦国期にはどちらも信濃をめぐって渡り合った家同士ですよね。

その両家の血が、明治以降の婚姻で一つに合流している。

幸光さんはインタビューで、自分を「真田家と上杉家のハイブリッド」と表現しています。

血統をたどると伊達宗城の男系子孫にあたる

さらに家系図を厳密に見ると、意外な家名が出てきます。

血統上、真田幸光さんは宇和島藩主・伊達宗城(だて むねなり)の男系子孫にあたります。

からくりは幕末にあります。

人物できごと
真田幸教9代藩主。跡を継ぐ男子に恵まれなかった
真田幸民宇和島藩主・伊達宗城の子。養子に入り、慶応2年(1866年)に最後の松代藩主となる
真田幸正幸民の跡を継ぐ。幸光の曽祖父

幕末に伊達家から養子が入ったため、「真田」を名乗る家の男系は、そこから先は伊達の血に切り替わっています。

家として真田信之から14代目であることと、生物学上の男系が伊達であることは、矛盾しません。

武家の家系図では、家名の継承と血のつながりは別々にたどる必要がある、という典型例ですね。

「真田家14代当主」の真田幸俊とはどういう関係か

検索すると、もう一人「真田家14代当主」を名乗る人物が出てきます。

慶應義塾大学理工学部教授の真田幸俊(さなだ ゆきとし)さんです。

1969年生まれの工学者で、無線通信の研究者。15歳のときに早くに亡くなった父を継いで当主になった、と伝えられています。

二人の違いを並べると分かりやすくなります。

真田幸光真田幸俊
生年1957年1969年
本職愛知淑徳大学ビジネス学部教授(国際金融)慶應義塾大学理工学部教授(無線通信)
家の立場祖父の代からの分家松代真田家の当主

明治以降の当主は幸民 – 幸正 – 幸治 – 幸長 – 幸俊と続いており、本家の当主の座を継いだのは幸俊さんのほうです。

幸光さんの曽祖父・幸正が共通の先祖にあたるので、二人は同じ家から分かれた親戚同士ということになります。

どちらも大学教授というのは、偶然にしては面白い一致ですね。

真田幸村の子孫ではない点に注意

「真田」と聞いて幸村を思い浮かべた方のために、ここは押さえておきたいところです。

真田幸光さんは、真田幸村(信繁)の子孫ではありません。

幸村の子孫は仙台真田家などに残ったとされますが、幸光さんがつながるのはあくまで兄・信之の系統です。

大名として明治まで続いたのは信之の家のほうなので、爵位や当主の話が出てくるのも当然この系統になります。

「真田の末裔=幸村の子孫」ではない、というのが家系図を見るときの一番の注意点です。

真田幸光のプロフィールと、家系が今の仕事につながった理由

ここからは本人の経歴と、家の教えがどう仕事に出ているかを見ていきます。

肩書きは大学教授ですが、経歴の中身は完全に銀行員です。

1957年東京生まれ、慶應義塾大学法学部政治学科卒

真田幸光さんは1957年(昭和32年)9月23日、東京都の生まれです。

初等・中等教育は筑波大学附属の学校で過ごし、1981年に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業しました。

経済学部ではなく、政治学科の出身なんですね。

のちに専門にする国際金融が、経済だけでなく各国の政治まで踏み込んだ内容になるのは、この土台と無関係ではないでしょう。

東京銀行から延世大学留学、ソウル勤務を経て大学へ

大学卒業後は金融の世界に進みます。

できごと
1981年東京銀行に入行
韓国・延世大学に留学
1997年東京三菱銀行ソウル支店 主任支店長代理
1997年ドレスナー銀行東京支店 企業融資部長
1998年愛知淑徳大学 ビジネス・コミュニケーション研究所 助教授

韓国留学とソウル駐在という経歴が、この人の解説の土台になっています。

なお延世大学へ留学した年は、1984年とする資料と1995年とする資料があり、記述が割れています。

日本の銀行員としてアジアの現場に長く身を置いた点は、どの資料でも共通しています。

現在は愛知淑徳大学ビジネス学部教授

現在は愛知淑徳大学ビジネス学部・ビジネス研究科の教授で、ビジネス研究科長も務めています。

大学に移ってからの動きは次の通りです。

できごと
1998年ビジネス・コミュニケーション研究所 助教授
2002年コミュニケーション学部 教授
2004年ビジネス学部 教授

専門は国際金融論で、『最新アジア経済・金融用語事典』『韓国経済の解剖』『早わかり韓国』など著書も多数あります。

官民の顧問やアドバイザー、メディア出演、寄稿と、大学の外での活動量も相当なものですね。

家訓は「死ぬまで生きよ」

家系の話に戻ると、真田家には代々伝わる家訓があります。

それが「死ぬまで生きよ」という言葉です。

幸光さんはこれを「生に固執せよ」「とにかく生き延びろ」という意味だと説明しています。

背景にあるのは、やはり関ヶ原です。

父・昌幸と弟・信繁が西軍、兄・信之が東軍。どちらが勝っても真田家は残る、という形をあえて作った家ですから、この家訓の重みも分かります。

祖母の教育は書道と美術館、褒められた記憶がない

幼少期のしつけを担ったのは、上杉本家の長女だった祖母でした。

幸光さんは、この祖母から他の孫よりも厳しく育てられたと語っています。

具体的には次のような教育です。

内容やり方
書道幼稚園の頃から。姿勢が乱れると竹のものさしで背中を指された
美術館「あなたどう思う?」と問い続けられた

「きれいだね」と答えると、「何がどうきれいなの?」とさらに突っ込まれたそうです。

褒めることをせず、とにかく考えさせる。

感想を言葉で分解させる訓練を幼児期から受けていた、ということになりますね。

昌幸の「情報収集→分析→結論→行動→責任」が今の仕事に

先祖の思考法が、そのまま現在の仕事の型になっているという話もあります。

真田昌幸が実践したとされるのが、情報収集・分析・結論・行動・責任という五段階のプロセスです。

小勢力ながら大国のあいだを生き抜いた昌幸にとって、情報の精度は生死に直結していました。

幸光さんはこの手順を、各国の政治経済を読む仕事に当てはめていると語っています。

「情報戦を学生に教え込む14代目」と紹介されたこともあるほどです。

世界中に独自の情報網を築いて動向を追うスタイルは、家の遺伝と言えなくもありません。

まとめ:真田幸光の家系図は信之14代目、当主ではなく分家の系統

最後に、家系図の要点をまとめます。

項目内容
本人真田幸光(1957年9月23日生まれ・愛知淑徳大学ビジネス学部教授)
家系真田信之から数えて14代目
曽祖父真田幸正(松代真田家11代当主・伯爵)
祖父真田幸尚(次男のため、この代から分家)
祖母米沢上杉家15代当主・上杉憲章の長女
男系の血統宇和島藩主・伊達宗城の子孫(幕末の養子縁組による)
本家の現当主真田幸俊(慶應義塾大学理工学部教授)

真田信之の家系でありながら、当主ではなく分家。男系をたどれば伊達で、祖母は上杉。

一つの家系図に、真田・上杉・伊達という三つの大名家が入っている形です。

家訓の「死ぬまで生きよ」も、祖母の「何がどうきれいなの?」も、いまの解説の仕事にそのまま出ている。

肩書きの裏側を知ると、ニュース番組でのあの慎重な語り口が、少し違って聞こえてくるかもしれませんね。

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