高山都の生い立ちは大阪育ち!19歳で上京し自信を折られた苦労の20代とは

高山都の生い立ちは大阪育ち!19歳で上京し自信を折られた苦労の20代とは

記事内に広告を含みます

高山都さんといえば、洗練されたライフスタイルやおしゃれな料理の発信で人気のモデル・女優。

でも実は、20代のころは「東京で自信をポッキリ折られた」という苦労の時代があったって、知っていましたか?

大阪生まれの高山さんがどんな家庭に育ち、どんな葛藤を経て今の姿になったのか、その生い立ちを詳しくお伝えします。

この記事を読むとわかること
・高山都さんの生い立ちと在日韓国人ルーツの真相
・19歳での上京後、20代の苦労と孤独な時代
・30代の心の変化から結婚・現在の活動まで

高山都の生い立ちと上京まで——大阪で育った素顔と転機

大阪生まれのモデル・高山都さんがどんな家庭に生まれ、どんな若い時代を過ごして今の自分になったのか、気になる方も多いはず。

ここでは、大阪での幼少期から19歳での上京、そして苦労の20代〜30代の心の変化まで、その歩みをたっぷりお伝えします。

生まれ育った大阪府と家族のルーツ

高山都さんは、1982年12月27日に大阪府で生まれました。

大阪生まれ・大阪育ちのいわゆる生粋の関西人で、現在も地元の友人たちとの交流を大切にしており、SNSでもたびたびその様子を発信しています。

高山さんのプロフィールで特に注目されるのが、そのルーツです。

父方のルーツは在日韓国人。日本でごく一般的に暮らす家庭の中で、お父さんが在日韓国人2世(国籍は日本籍)、お母さんが日本人という家庭に生まれました。

いわゆるクォーター(4分の1)ではなく、お父さんが在日韓国人2世でお母さんが日本人ということで、韓国と日本の文化が混ざり合う家庭で育ったとも言えますね。

ただ、日本生まれ・日本育ちであるため、韓国語(ハングル)は特に話せるわけではないとのこと。外見上も「ハーフには見えない」という声が多く、知らなかったというファンも少なくないようです。

高山都さんは大阪府出身で、父が在日韓国人2世・母が日本人というルーツを持つ日本育ちのモデルです。

父は在日韓国人2世・母は日本人のルーツとハーフ疑惑

高山都さんのルーツについては、本人がブログで直接語っています。

「父が在日2世(国籍上では日本籍ですが)で母が日本人なので」という旨をカミングアウトしており、隠すことなくオープンに話しているのが印象的です。

ファンの間では「ハーフなの?」「どこかエキゾチックな雰囲気がある」という声もあります。確かに、よく見ると目元の彫りが深く、日本人離れした印象があるとも言われるのですが、本人曰く「あまりハーフっぽく見えないかも」とも話しています。

お父さんが在日韓国人2世という背景

在日韓国人2世とは、韓国・朝鮮半島にルーツを持ちながら日本で生まれ育った方を指します。

高山さんのお父さんも国籍上は日本籍を持ちつつ、韓国にルーツがあるということで、高山さん自身はWikipediaでも「韓国・朝鮮系日本人」のカテゴリに分類されています。

こうした背景があるにも関わらず、高山さんは常に日本人モデル・女優として活動しており、ハーフであることが前面に出ることはほとんどありません。むしろ、日本的な美意識を体現するライフスタイルや料理の発信で知られていることが、独特な魅力になっているのかもしれませんね。

Wikipediaにも「韓国・朝鮮系日本人」として明記されており、本人もブログで在日ルーツをオープンに語っています。

出身の大阪府立住吉高等学校での学生時代

高山都さんが通ったのは、大阪府立住吉高等学校という公立高校です。

この学校、実は偏差値64〜65という大阪でも有数の進学校として知られています。一般的に芸能人・モデルというと「頭よさそう」というイメージはあまりないかもしれませんが、高山さんはなかなかの秀才だったんですね。

学生時代の高山さんは、地元大阪でファッション誌にも出始めており、クラスの中では少し目立つ存在だったと本人も振り返っています。

「高校生のころからファッション誌に出させてもらっていて『私はみんなとは違う』という意識があって。性格もとんがっていたし、自分でもどこかまわりとは一線を引いていた部分があったんですよね」

……これ、正直すぎてかえって好感が持てますよね。自分のとんがっていた時代を笑いながら話せる、そんな素直さが高山さんらしいと思います。

高校卒業後は大学には進まず、モデルの道へ

偏差値60台の高校を卒業したとなれば、通常は大学進学を考えるのが一般的なケースが多いです。

しかし高山さんは、高校卒業後に大学へは進まず、19歳で単身上京という道を選びます。

モデルへの強い思いと、大阪での経験がその決断を後押ししたのでしょう。「普通の進路」ではなく自分の直感と情熱を選んだ、高山さんらしい選択だと感じます。

高校時代からサロンのカットモデルとしてデビュー

実は高山都さんのモデルとしてのキャリアは、上京よりもずっと前から始まっています。

高校在学中から、地元大阪の有名サロンのカットモデルを経験していたのです。

ヘアサロンのカットモデルとは、美容師がヘアカットやカラーリングの練習・ショーを行う際に使うモデルのこと。一般公募や紹介で集められるケースが多く、10代でも参加できる入り口の広い仕事です。

高山さんはそこから徐々にモデルとしての感覚を磨いていき、雑誌のカットモデルや読者モデルへと活動を広げていきます。Wikipediaには1998年デビューと記されており、これは高山さんが15〜16歳ごろにあたります。

地元の有名サロンでの経験が、後の読者モデル・ビューティモデルとしての活動につながっていったのは間違いないでしょう。大阪という地で着々と下地を作っていたわけですね。

19歳で上京、東京で折られた自信と再スタート

高校を卒業した19歳のとき、高山都さんは大阪を離れ東京へ上京します。

上京のきっかけは「原宿でのスカウト」。当時、原宿でスカウトを受けたことで、多数の有名人のヘアメイクで活躍していたCHIKAのもとで活動を始めることになります。

そこで雑誌のカットモデルや読者モデルとして活動し、その後オフィスエムアンドビーに所属。本格的にビューティモデル・ファッションモデルとして歩みを始めます。

しかし、華やかに見えた上京生活は、当初から順風満帆ではありませんでした。

「東京に出てきたら、もっともっと魅力的な子たちがたくさんいて。狭い世界で積み重ねてきた自信をポッキリと折られました」

……東京ってそういう場所ですよね。大阪で「自分は特別」と思っていたのに、東京に出てきたら同じように輝いている人がごまんといて、一気に現実を突きつけられる。その感覚、分かる気がします。

原宿でのスカウト、CHIKAのもとへ

「CHIKA」というのは、芸能人や著名人のヘアメイクとして広く知られるスタイリスト。そのCHIKAのもとでモデルとして活動できたということは、業界でも一定の評価を得ていたことが伺えます。

こういった経験が後の「ビューティモデル」としての高山さんのポジションを作っていったのでしょう。

20代の孤独と苦労——バイトをしながらのモデル活動

東京に出てきてからの20代は、高山都さん自身が「キラキラした女子たちを横目に見ながら、足早に過ぎていった」と言うほど、孤独で苦しい時期でもありました。

「お金にも心にも余裕がなかったし、自分の生活で精いっぱいだったから、女友達とごはんを食べに行ったり、誕生日プレゼントを渡し合ったり、そういうことが何もできなかったんです」

モデルの仕事とバイトを掛け持ちしながら生活を支える日々。専属モデルになれるわけでもなく、「その日暮らし」に近い状況で頑張っていたと振り返っています。

当時の一人暮らしは「ワンルームにものが溢れていた」と語っており、部屋に花を飾るような余裕は全くなかったとのこと。今の高山さんの洗練されたライフスタイルを知っているだけに、この話は少し驚きですよね。

「モデルとしてコンスタントにお仕事はいただいていましたが、専属モデルではないし、いってみればその日暮らしのようなもの」

そんな状況でも仕事を続けられたのは、やはりモデルへの強い思いがあったからでしょう。20代の高山さんは、苦労しながらもモデルの仕事を続け、地道にキャリアを積んでいったのです。

30代で訪れた心の変化と「自分軸」への転換

さまざまな苦労を経験してきた高山都さんですが、30代に入ってから徐々に大きな変化が訪れます。

「30代の半ばごろ、外へ外へと向いていた意識が少しずつ自分の内側に向くようになりました。人と比べず、自分の流れで生きていこう、と思うようになったんです」

20代は常に誰かと比べて劣等感を感じていた高山さん。モデルとしての背の低さ(158cm)、専属でないこと、”かわいい”にしがみついていたこと……さまざまなコンプレックスがあったと話しています。

それが30代になって、友達が妻になったり母になったり、それぞれのライフスタイルが変化する中で「自分は自分」と思えるようになっていきました。

37〜38歳ごろ、心身のバランスを崩した経験

ただ、その道のりは決して平坦ではありませんでした。

37〜38歳ごろには、仕事の忙しさに加え、周囲から「子どもを産むならもう時間がない」と言われるプレッシャーが重なり、眠れなくなってしまったそう。薬を飲みながら著書の原稿を書いていた時期もあったと語っています。

「好きなことをする気力さえありませんでした。でも、自分しか最後は頑張れないんだと、改めて気付かされました」

その経験を乗り越えた後、「イイ子でいることを辞めた」という高山さん。40歳を前に髪色をハイトーンに変え、「不良になってやろう」と笑いながら語る姿が印象的です。

苦しい経験を通して「自分軸」を手に入れた高山さんの生き様は、多くの女性の共感を呼んでいます。

高山都の生い立ちを調べる人向けの関連情報

生い立ちと合わせて、高山都さんについてよく調べられている気になるポイントをここにまとめています。結婚・著書・女優活動など、知っておきたい情報をチェックしてみてください。

夫・安井達郎との結婚と出会いのきっかけ

高山都さんが結婚を発表したのは、2022年5月26日のことでした。

お相手はモデル・俳優の安井達郎さん。インスタグラムで結婚報告を行い、ファンから大きな祝福の声が上がりました。

2021年夏の出会いから結婚へ

2人の出会いは2021年夏。ともに芸能界で活躍するモデル同士ということもあり、自然な形で交際に至ったものとみられます。

高山さんは結婚報告の中でこのようにコメントしています。「彼は、真面目で誠実で濁りがなく、とても気持ちの良い人です。力をあわせて精進してまいります」

これ、本当に高山さんらしい言葉ですよね。飾らず、でも相手への深い信頼と愛情がにじみ出ていると思いませんか?

安井達郎さんは1988年生まれで、高山さんより6歳年下。モデルとしての活動のほか、映像作家としてMVの監督なども手がけています。

2人はCreemaのCMにも夫婦そろって共演しており、その自然体な雰囲気がファンから大きな支持を集めています。

著書『美食姿』シリーズとインスタでのライフスタイル発信

高山都さんといえば、モデル・女優としての活動と並んで、ライフスタイル発信者としての顔も広く知られています。

きっかけは、2010年頃から始めたInstagramへの料理・生活の投稿でした。「#みやれゴハン」というハッシュタグで料理やうつわを紹介する投稿が人気を集め、フォロワーが23万人超(2022年5月時点)にのぼる人気アカウントへと成長します。

そのインスタグラムの反響がきっかけで、知人の編集者から声をかけられ、2017年に著書『高山都の美食姿 「したたかに」「自分らしく」過ごすコツ』(双葉社)を出版。これが好評を受け、シリーズ化されました。

タイトル 発売年
第1弾 「したたかに」「自分らしく」過ごすコツ 2017年
第2弾 「日々のコツコツ」続いてます 2018年頃
第3弾・第4弾 ほか2冊同時刊行 2020年11月

本の制作中に交際相手との破局があったり、著書の制作時期に心身の不調を経験したりと、決して楽ではない状況でも書き続けた高山さん。その経験から「自分の失敗談が誰かの生き方のヒントになれば」という思いが生まれ、より正直な発信ができるようになっていったそうです。

ドラマ「ガリレオ」「ROOKIES」出演で女優として注目

高山都さんは2006年に一時芸能活動を休業しますが、2007年春にプラチナムプロダクションへ移籍し活動を再開します。

そのタイミングで出演したのが、フジテレビの連続ドラマ『ガリレオ』(2007年)。福山雅治さん主演のこのドラマに「渡辺美雪」役で出演し、一気に注目を集めました。

翌2008年には映画『容疑者Xの献身』にも同じ役で出演。さらに、Yahoo! JAPANとの提携で行われたTBSドラマ『ROOKIES』のインターネット投票オーディションで1位を獲得して出演権を勝ち取るという快挙も達成しています。

一般のインターネット投票で1位というのは、当時としても異例のことで、高山さんの人気と存在感がすでにその頃から際立っていたことがわかります。

その後も、NHK BSプレミアムの『植物男子ベランダー』(2014〜2015年)など、個性的な作品への出演を続けています。

現在の活動とブランド「re:L’aube」立ち上げ

現在の高山都さんは、モデル・女優・ライフスタイル発信者として多方面で活躍しています。

特に注目を集めているのが、2022年3月に立ち上げたオリジナルブランド「re:L’aube(リ・ローブ)」です。

「re:L’aube」はフランス語で「夜明けを再び」という意味を持つとされており、自身のライフスタイルやセンスを形にしたブランドとして注目されています。

ラジオパーソナリティとしても長年活躍しており、TOKYO FMの番組に長年出演してきました。2021年には三重県桑名市の「魅力みつけびと」”食”部門アンバサダーにも就任するなど、食・ライフスタイル分野でのキャリアをさらに広げています。

趣味のマラソンにも精力的で、香川丸亀国際ハーフマラソン(2時間2分)や名古屋ウィメンズマラソン(3時間42分)を完走した記録を持ちます。「走ることで人生を磨いている」というイメージが高山さんらしいですよね。

2022年に結婚した安井達郎さんとともに、夫婦でのCM出演や山歩きなどの活動も発信しており、読者からの反響も大きいです。

高山都さんは今もなお、自分らしいライフスタイルを貫きながら進化し続けています。

高山都の生い立ちのまとめ

  • 1982年12月27日生まれ、大阪府出身のモデル・女優・タレント
  • 父は在日韓国人2世(国籍は日本籍)、母は日本人という家庭に生まれた
  • 本人はブログで在日ルーツをオープンにカミングアウトしている
  • 出身高校は偏差値64〜65の大阪府立住吉高等学校(公立進学校)
  • 高校時代から地元大阪の有名サロンのカットモデルを経験し、モデルとしてのキャリアをスタートさせた
  • 高校生のころからファッション誌に出ており、「自分は特別」という意識があったと本人も振り返っている
  • 19歳で単身上京し、原宿でのスカウトをきっかけにモデル活動を本格化させた
  • 上京後は東京の「もっと魅力的な人たち」に圧倒され、それまでの自信を折られた経験がある
  • 20代はモデルの仕事とバイトを掛け持ちしながら生計を立てる苦労の時期だった
  • 30代半ばから「人と比べず、自分の流れで生きる」という心境に変化していった
  • 37〜38歳ごろ仕事の忙しさとプレッシャーで心身のバランスを崩し薬を服用しながら執筆した時期もあった
  • 2007年のドラマ「ガリレオ」「ROOKIES」への出演で女優としても注目を集めた
  • 2017年から著書『美食姿』シリーズを刊行し、4冊がシリーズ化されるライフスタイル作家としても活躍
  • 2022年3月に自身のブランド「re:L’aube(リ・ローブ)」を立ち上げ
  • 2022年5月26日、モデル・俳優の安井達郎と結婚を発表

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)