『王様戦隊キングオージャー』のジェラミー役で一気に名前が知られた池田匡志さん。
あの落ち着いた雰囲気はどんな家で育まれたのか、実家のことが気になっている方は多いのではないでしょうか。
調べていくと、実家は徳島県。サッカーに明け暮れた12年間や、中学1年で兄と組んだバンド、母親が作り置きしていた焼きおにぎりまで、家族の温度が伝わってくる話がいくつも出てきましたよ。
・池田匡志さんの実家がある場所と、地元で過ごした少年時代
・父・母・兄それぞれについて本人が語ってきたエピソード
・実家を出て上京し、俳優になるまでの流れ
池田匡志の実家は徳島県のどこにある?
まずは実家の場所から見ていきましょう。
あわせて、その家でどんな少年時代を過ごしたのか、家族についての発言も順番に整理していきますね。
実家があるのは徳島県松茂町とされる
池田匡志さんは1999年12月13日生まれ、徳島県の出身です。
所属事務所のプロフィールでも、Wikipediaでも、地元紙である徳島新聞の記事でも出身地は徳島県で一致していますから、ここは動きません。
では県内のどこかというと、複数のまとめ記事が挙げているのが徳島県板野郡松茂町です。
徳島空港(徳島阿波おどり空港)がある町で、吉野川の河口に近く、田畑と住宅が混じり合ったのどかな場所ですよ。
ただし、松茂町という町名は本人や事務所が公表したものではありません。
後述する中学校の情報から逆算して書かれているものが多く、出どころをたどると同じ話に行き着きます。
実家が徳島県にあることは確かですが、町名まではあくまで「そう言われている」段階だと押さえておくのが正確です。
徳島空港のある町という土地柄
松茂町は人口1万5000人ほどの小さな町で、県外へ出るときの玄関口にあたります。
四国から東京へ出るのは決して近い距離ではありませんが、空港が生活圏にある環境だったとすれば、後年の上京もそこまで遠い出来事ではなかったのかもしれませんね。
小学校から高校まで12年続けたサッカー
実家での日々を語るうえで外せないのがサッカーです。
池田匡志さんは小学校から高校3年生まで、12年間ずっとサッカーを続けていました。
中学時代は徳島ヴォルティスの下部組織であるジュニアユースに所属していたと伝えられています。
Jクラブの育成組織ですから、放課後も休日も練習と試合。
親御さんの送り迎えや洗濯、遠征の付き添いを思うと、家族ぐるみでサッカーに向き合っていた12年だったはずです。
……なんか、いいですよね。
実家は「サッカー少年の家」だった、というのが少年時代のいちばん分かりやすい輪郭です。
中学1年で兄とバンドを組んだ
もうひとつ、実家の様子が見えてくる話があります。
ORICON NEWSのインタビューで、中学1年生のときに高校生だった兄とバンドを組み、ライブハウスで演奏したと語っているんです。
中1と高校生の兄弟がひとつのバンドを組む。
これ、けっこうすごくないですか。
兄の側からすれば、自分の友人たちの前に弟を連れていくわけですから、それだけ仲が良かったということでしょう。
楽器の練習をする場所として、実家がそれを許す家だったことも想像できます。
特技の欄にドラムとアコースティックギターが並んでいるのも、この頃の延長線にあるものですね。
サッカーと音楽が同時に走っていた家。それが池田匡志さんの実家の空気感です。
「僕のヒーローは父」と語った父親
父親について、池田匡志さんはインタビューではっきりした言葉を残しています。
ヒーローは父だと語り、家庭を支えている姿がまず格好いいという趣旨のことを話しているんです。
さらに、自分を自由に育ててくれたことへの感謝も添えています。
ここ、じんわりしませんか。
12年間のサッカーも、兄とのバンドも、上京して俳優を目指す選択も、止めずに見守る側に立ち続けたということですから。
父親の職業や年齢は公表されていませんが、息子が大人になってから「ヒーロー」と呼ぶ父親だった、という一点だけで十分に伝わるものがあります。
母が作り置きしていた焼きおにぎり
母親については、雑誌のインタビューで実家の食べ物の話が出ています。
小腹が空いたときにさっと食べられる焼きおにぎりを、母親がいつも作り置きしてくれていたという内容です。
豪華な料理ではなく、焼きおにぎり。
それが大人になっても好物として口をついて出てくるところに、日常の積み重ねが見えますよね。
サッカーで腹を空かせて帰ってくる息子が2人いる家だと考えると、作り置きが常にあった理由もなんとなく分かります。
派手なエピソードではありませんが、実家の温度がいちばん伝わってくる話だと思います。
家族構成は父と母と兄の4人
ここまでの情報を整理すると、家族構成が見えてきます。
| 続柄 | 分かっていること |
|---|---|
| 父 | 本人が「ヒーロー」と語る存在。職業は非公表 |
| 母 | 焼きおにぎりを作り置きしていた。職業は非公表 |
| 兄 | 本人が中1のときに高校生。一緒にバンドを組んでいた |
| 本人 | 1999年12月13日生まれ。次男にあたる |
父・母・兄・本人の4人家族という形で、姉や妹の存在は確認できません。
兄との年齢差については3歳から5歳上とする記事が多いのですが、これは中1と高校生という発言から逆算した推測です。
兄が高校1年なら3歳差、3年なら5歳差、という幅の中の話ですね。
4人家族という点は各所で一致していますが、兄の学年までは確定していません。
両親の職業や実家の家業は公表されていない
「実家」で検索する方が気にされるのが、家業や両親の仕事だと思います。
結論からいうと、両親の職業も、実家が事業をしているかどうかも公表されていません。
芸能一家だという情報もなく、いわゆる一般家庭とみられます。
なお、検索していると同姓同名の別の方の情報が混ざってくることがあります。
奈良の伝統工芸品「奈良団扇」を扱う老舗の六代目に、同じ漢字の池田匡志さんがいらっしゃるんです。
実家が老舗という情報を見かけたら、それは俳優の池田匡志さんではなく奈良の別の方の話なので、混同しないよう注意してください。
池田匡志の実家を調べる人向けの関連情報
ここからは、実家を出るまでとその後の歩みをまとめていきます。
学歴やサッカーの実績、俳優になったきっかけまで、あわせて知っておくと人物像がぐっとつかみやすくなりますよ。
出身高校は徳島県立徳島北高校
高校は徳島県立徳島北高等学校です。
英語教育に力を入れている県立校として知られています。
実家から通える範囲の県立校に進んでいるわけで、この時期はまだ地元での生活が続いていたことになりますね。
中学については松茂町立松茂中学校とする記述が見られますが、こちらは公表されたものではなく推測にとどまります。
確実に言えるのは高校が徳島北高校であることで、実家の場所を推し量る手がかりもここから来ています。
背番号10で全国高校サッカー選手権に出場
サッカーの実績は、趣味の域をはるかに超えています。
高校1年の頃からトップチームで出場し、プリンスリーグも1年生から経験。
そして高校3年時、背番号10を背負って第96回全国高校サッカー選手権に出場しています。
徳島県予選の決勝を1点差で制しての初出場だったと伝えられており、創部以来初の全国という重みつきです。
本人もこの経験を一生の思い出だと語っていますよ。
のちにサッカー映画への出演が決まった際には、不思議な縁を感じるという趣旨のコメントも残しています。
実家で過ごした18年の集大成が、この選手権だったと言っていいと思います。
大学は立教大学に進学
高校卒業後は立教大学に進学し、実家を離れて上京しています。
2022年3月には自身のInstagramで大学を卒業したことを報告しました。
俳優の仕事が始まってからも学業を続け、きちんと卒業しているところに人柄が出ていますよね。
徳島の実家を出たのは大学進学のタイミング、というのが人生の区切りになっています。
ジュノン・スーパーボーイ・コンテストでベスト15
上京後、大学1年のときに大きな転機があります。
2018年の第31回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストでベスト15に選出されているんです。
数千人規模の応募から絞り込まれる中での上位ですから、この時点ですでに注目されていたことになります。
サッカー一色だった少年が、上京してすぐ別の舞台に立っている。
この振れ幅、なかなかないですよ。
上京中のスカウトが俳優デビューのきっかけ
俳優としての第一歩については、語られ方に少し幅があります。
Wikipediaには大学入試のために上京した際に現所属のエープラスから声を掛けられたとあり、一方で地元紙の徳島新聞は大学3年時にスカウトされ、4年生になった21歳から芸能活動を始めたと伝えています。
声を掛けられた時期については情報が分かれている、というのが正直なところです。
はっきりしているのは、2021年のドラマ『TOKYO MER〜走る緊急救命室〜』が俳優デビュー作だということ。
そして2023年には『王様戦隊キングオージャー』でジェラミー・ブラシエリ/スパイダークモノス役を1年間演じ、一気に知名度を上げました。
2024年10月にはファンクラブを設立し、初のカレンダーも発売しています。
徳島の実家を出てから数年で、全国区の役をつかんだことになります。
身長175cmで特技はサッカーとドラム
最後にプロフィールを整理しておきますね。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生年月日 | 1999年12月13日 |
| 出身地 | 徳島県 |
| 身長 | 175cm |
| 血液型 | O型 |
| 所属 | エープラス |
| 特技 | サッカー、バスケットボール、ドラム、アコースティックギター |
特技の欄を見てください。
サッカーもドラムもギターも、すべて実家で過ごした時期に身につけたものです。
プロフィール欄が、そのまま徳島時代の記録になっているんですよね。
池田匡志の実家のまとめ
- 池田匡志の実家は徳島県にある
- 県内では徳島県板野郡松茂町とされるが、本人・事務所の公表ではない
- 松茂町は徳島空港がある吉野川河口近くの町
- 生年月日は1999年12月13日、血液型はO型
- 家族構成は父・母・兄・本人の4人とみられる
- 父については本人が「ヒーロー」と語り、自由に育ててくれたと感謝している
- 母は焼きおにぎりを作り置きしてくれていたと本人が明かしている
- 兄は本人が中学1年のときに高校生で、一緒にバンドを組んでライブもした
- 兄との年齢差は3〜5歳とされるが、発言からの推測
- 両親の職業や家業は非公表で、一般家庭とみられる
- 奈良団扇の老舗六代目は同姓同名の別人
- 小学校から高校3年まで12年間サッカーを続けた
- 中学時代は徳島ヴォルティスジュニアユースに所属したとされる
- 高校は徳島県立徳島北高校で、背番号10で全国高校サッカー選手権に出場
- 実家を離れたのは立教大学への進学時で、2022年3月に卒業を報告

