「14歳で母親をバットで殴り、家を追い出された」——安部敏樹さん自身がそう公言するほど、波乱に満ちた生い立ちを持つ起業家です。
不登校、路上生活、学年最下位から東大合格、そしてリディラバの設立へ。その軌跡は、まるで漫画の主人公のようなストーリーです。
この記事では、安部敏樹さんの生い立ちと事件の詳細を、家族エピソードも含めてじっくりご紹介します。
・14歳のバット事件の経緯と、その後の路上生活の真相
・学年最下位から「ドラゴン桜プロジェクト」で東大に合格した逆転劇の詳細
・父・母・弟・妹との家族関係と、現在の関係性
安部敏樹の生い立ちと事件:非行少年が東大へ至るまで
安部敏樹さんの生い立ちは、「リアルドラゴン桜」という言葉だけでは語り切れないくらい、波乱に満ちたものでした。
貧困、家庭内暴力、不登校、路上生活——そこから東大へ、そして起業へ。その道のりを一つひとつ見ていきましょう。
貧乏な幼少期と「夜逃げバッグ」がある不安定な家庭環境
安部敏樹さんは、「子供時代に良い記憶がまるでない」とたびたびインタビューで語っています。
その理由の大きなひとつが、家庭の経済的な不安定さでした。
安部さんの父親は、もともとは会社員でしたが、安部さんが小さい頃に脱サラして独立。しかし、その事業がなかなかうまくいかなかったようです。家庭の財政は常に危うい状態で、借金取りに追われるような生活が続いていたと言います。
そして、安部さんが子供の頃から常識のように言われていたのが「夜逃げバッグ」の存在でした。
大事なものを一つにまとめておくバッグを常に用意し、何かあったらすぐ逃げられるように——寝るときは枕元にそのバッグを置いておくよう、クドいほど言われていたそうです。
安部さん自身のSNSには、こんな言葉が残っています。
「子供の頃から『何かあったら夜逃げしてるから祖母に連絡しろ』とか、『倒産したら離婚して母親と妹はブルーシート、上二人は一人で生きろ』とかそういう言葉をずっと聞かされて育ったので今さら大変な話が出てきても驚きはしない。」
これ、読んでいて胸が痛くなりませんでしたか。
子供が「夜逃げ」「倒産」「離婚」という言葉を当たり前に聞いて育つ環境というのは、どれだけの不安と緊張感があったことか。
林間学校に行くときも「帰ってきたら家族が夜逃げしてるかもしれないから、祖母とイトコの連絡先を持っていけ」と言われていたというエピソードも残っています。
それでも安部さんが現在、「社会の無関心を打破する」という理念を掲げてリディラバを経営しているのは、この不安定な幼少期が根っこにあるからかもしれません。
不登校・野球への傾倒と14歳で起こしたバット事件
中学生になった安部さんは、横浜国立大学附属中学校の2年生頃から不登校気味になっていきます。
学校には行かなくなっても、ずっと続けていたのが野球でした。アルバイトをしながら野球チームに通い続けていた安部さんにとって、野球は当時の生きがいだったといいます。
そんな中で起きたのが、のちに本人が「14歳で母親をバットで殴り家を出された」と公言している事件です。
母親が目の前で野球チームを辞めさせる電話をかけ始めた瞬間、怒りに任せてバットで母親を殴ってしまい、怪我をさせてしまいました。
……なんとも言えない重さがある話ですよね。
怒りの感情がそこまで爆発してしまった背景には、家庭内の長年の緊張関係や、学校にも居場所がない中で野球だけが拠り所だったという文脈があります。ただ暴力がいけないのは当然として、その背後にある少年の孤独や抑圧を想像すると、単純には断罪できないものがあります。
安部さん自身も、後年のインタビューで「自分自身が社会問題だった」と話しており、この経験が後のリディラバ設立の原点になっているとも語っています。
この事件の後、安部さんは家を出て父方の祖母の家に預けられますが、そこにも居つくことができず、横浜駅周辺でたむろしながらしばらく路上生活を送っていたそうです。
| 出来事 | 時期・内容 |
|---|---|
| 不登校開始 | 中学2年生頃 |
| バット事件 | 14歳・母親をバットで殴り家を出される |
| 路上生活 | 横浜駅周辺でしばらく生活 |
家出・路上生活から学習院高校の補欠枠へたどり着いた経緯
横浜駅周辺で路上生活を送っていた安部さんを心配したのが、祖母でした。
祖母が動いて探してくれたのが、学習院高等科の補欠枠でした。もともと学習院は中高一貫校なので、高校からの外部入学者は非常に少なく、安部さんが入学した年も5〜10名ほどしかいなかったといいます。
ところが、環境が変わっても安部さんの不登校は続きます。
高校でも授業にはほとんど出ず、成績は学年最下位。2年生になっても仮進級の状態が続き、評定平均は1.8、校内順位は201人中201位という状況でした。
そして3年生になったとき、担任の先生からクラス全員の前で「このままでは内部進学は難しい」と言い渡されます。
クラス全員の前でそれを告げられる……なかなかきつい状況ですよね。普通ならそこで折れてしまっても不思議ではありません。
ただ、安部さんにとってこの場面が、大きな転換点になっていきます。
学年最下位からドラゴン桜プロジェクトで東大合格
内部進学不可を告げられた安部さんを見て、クラスメイトたちと先生が面白い動きをします。
当時流行していた漫画「ドラゴン桜」にちなんで、「学年最下位の安部が東大に合格したらドラゴン桜超えじゃん」というノリで、「ドラゴン桜プロジェクト」が立ち上がったのです。
安部さん本人は後に「他人に関心を持たれたことがすごく嬉しかった」と話しています。不登校で孤立しがちだった彼にとって、クラスメイトが自分のために何かをしてくれるという体験は、大きな原動力になったのでしょう。
そこから安部さんは「死ぬ気で」勉強を始めます。
ただ、さすがに現役ではハードルが高く、現役では横浜国立大学経済学部に合格。しかし、そこで諦めずに横浜国立大学在籍中に仮面浪人を決行し、翌年に東京大学文科二類に合格を果たします。
評定平均1.8から東大合格。これはもう、リアルドラゴン桜そのものですよね。
その後、東大では進学振り分けで理転し、教養学部広域科学科を卒業。さらに大学院(総合文化研究科広域科学専攻)の修士課程を修了し、博士課程にも進学しています。研究テーマは「個と群れの相互作用」という複雑系の分野でした。
| 学歴 | 詳細 |
|---|---|
| 小学校 | 横浜国立大学教育人間科学部附属横浜小学校 |
| 中学校 | 横浜国立大学教育人間科学部附属横浜中学校(2年から不登校) |
| 高校 | 学習院高等科(補欠枠で入学) |
| 大学1 | 横浜国立大学経済学部(仮面浪人) |
| 大学2 | 東京大学文科二類→教養学部広域科学科卒業 |
| 大学院 | 東京大学大学院総合文化研究科修士修了・博士課程 |
非行少年時代の経験がリディラバ設立へとつながった
東大入学後、安部さんは川人ゼミ(社会問題の現場を訪れる活動)で多くの社会問題の現場に足を運ぶようになります。
そこで感じたのは、「自分がかつてそうだったように、社会問題は当事者でなければなかなか見えない。そして見えていない人は無関心になってしまう」という気づきでした。
こうして2009年、東京大学在学中に学生団体「リディラバ」を設立します。「社会の無関心を打破する」という理念のもと、社会問題の現場を学ぶスタディツアーを企画・提供する活動をスタートさせました。
また、24歳のときには史上最年少で東京大学教養学部の「社会起業」についての授業を担当するという異例の経験も積んでいます。
「私自身が社会問題だった」——安部さんはそう語ります。
路上生活、家庭内暴力、不登校。これらはすべて社会問題の文脈で語られるテーマです。かつてその当事者だったからこそ、現場の「見えなさ」が身に染みてわかる。それがリディラバの根っこにある原体験なのです。
その後リディラバは2012年に一般社団法人化、2013年には株式会社Ridiloverとして本格的に事業を拡大。スタディツアーにとどまらず、調査報道メディア「リディラバジャーナル」の立ち上げ(2018年)、企業向け社会課題体験研修、経産省「未来の教室」実証事業への参画など、幅広く展開しています。
安部敏樹の生い立ちと事件を調べる人向けの関連情報
安部敏樹さんの生い立ちや事件について調べていると、家族のこと、現在の活動、炎上エピソードまで気になってくるはず。
ここでは関連する情報をまとめて紹介します。
父親はハラスメント気質の元会社経営者
安部さんの父親は、もともとは会社員でしたが安部さんが幼い頃に独立して会社経営を始めました。
ただ、その事業はなかなか軌道に乗らず、家族は常に経済的な不安と隣り合わせの生活を送っていたといいます。
父親の人物像について、安部さんはリディラバジャーナルの中でこんなふうに語っています。
「ちなみにオレには親父がいた。いや、今もいる。今はきわめてニコニコ顔の好々爺だが、昔は凄い亭主関白のハラスメント野郎であった。普段は人情派で通っていたが非常に気の短い男で、切れると顔を真っ赤にし、しかもつるっぱげなもんだから頭まで赤くなってタコみたいになる男だ。」
なかなか強烈な描写ですよね。
かつては亭主関白でハラスメント気質だった父親が、現在はニコニコした「好々爺」になっているというのも、時間の経過と家族の関係性の変化を感じさせます。
また、安部さんが中学生の頃に「教育を放棄する」と言って家を出てしまったこともあったそうです。先に家を出たのは父親の方だったというのも、なんとも複雑なエピソードです。
現在は親との関係も良好で、「お互いに成長した」と安部さんは語っています。
母親との現在の関係
母親については、安部さんは「しつこいおばさん」という表現を使っていたそうです。「タコ親父としつこいおばさんの組み合わせだ。今でも酒を飲むと喧嘩している」とも語っています。
読んでいて思わず笑ってしまうような、でもリアルな家族の姿ですよね。
そして現在、安部さんはかつてバットで殴ってしまった母親と同じ野球チームに所属しています。安部さんが監督を務め、母親がその総務を担当しているというのです。
これには少し驚きませんか。あれだけの出来事があっても、今は一緒に野球チームを運営しているというのは、なんとも不思議でほっこりするエピソードです。時間と対話が、関係を回復させていくんだなと感じます。
弟と妹との家族仲はどうなった?
安部さんには1歳下の弟と、6歳下の妹がいます。5人家族の長男です。
弟さんは幼少期に体が弱くアレルギーを持っていたため、母親がかかりっきりになることが多かったといいます。安部さん自身も「親に甘えることを我慢していたかもしれない」と振り返っています。
それでも子供の頃は、野球も喧嘩も弟が一番のライバルだったそうです。安部さんのSNSにも「いつの間にか先を走ってるのは弟になっていたみたい」という言葉が残っており、弟への複雑な思いとライバル意識がにじんでいます。弟さんは現在、大阪在住で社会人として働いています。
妹の不登校と3浪での大学進学
6歳下の妹さんについては、安部さんが「私が起こしてしまった事件を理由に小学校2年生からほぼ登校拒否に陥っていた」と語っています。
兄のバット事件がトラウマとなり、幼い妹さんの学校生活に大きな影響を与えてしまった——これは安部さんにとっても、相当重く残っている出来事だと思います。
妹さんは高校になってから徐々に学校に通えるようになりましたが、小学校低学年から積み重ねられなかった学力のブランクは大きく、大学受験では3浪を経てようやく合格。
安部さんは「基礎学力の積み重ねがあればおそらく現役か一浪で大学進学は容易だったろう」とも述べており、自分の行動が妹に与えた影響を今でも深刻に捉えていることがうかがえます。
現在は妹さんとラインでやり取りをしたり、お土産を贈り合ったりと仲は良好。家族として関係を取り戻しています。
マグロ漁師として19歳から働いた異色の経歴
安部さんの経歴の中で、多くの人が「え!?」となるのがマグロ漁師時代ではないでしょうか。
幼い頃(3〜4歳)にポナペ島で過ごした経験から海が大好きになった安部さんは、19歳のときにオーストラリアへ渡り、「ツナキング」と呼ばれる漁師のもとで修行を始めます。
ダイバースーツで海に潜り、マグロを素手で捕まえるというスタイルの漁で、これを24歳まで続けたといいます。
東大生がマグロを素手で捕まえているって、なかなかのインパクトですよね。
この漁師時代の収入は、東大在学中に立ち上げたリディラバの活動資金にも充てられていたとのことで、起業家と漁師の二刀流という、他では聞かないユニークな時期でもありました。
本人のXには「19歳で漁師になり毎日素手でマグロと格闘」という一文も残っており、当時の奮闘ぶりがうかがえます。
リディラバとはどんな会社か
安部さんが設立した「リディラバ」という名前、一度聞いたら印象に残りますよね。
この名称は「ridiculous things lover(バカバカしいことが好きな人)」の略から作られた造語で、「社会問題のようなマジメなテーマを、よりバカバカしく、よりおもしろく、よりかっこよく伝えたい」という姿勢が込められています。
2009年の学生団体設立から始まり、2012年に一般社団法人化、2013年に株式会社Ridiloverとして本格事業をスタートさせました。
主な事業内容は以下のとおりです。
- 社会課題スタディツアー:社会問題の現場を訪れ、当事者と対話する体験型プログラム
- 調査報道メディア「リディラバジャーナル」(2018年〜):社会問題に特化したウェブメディア
- 企業向け社会課題体験研修:企業の人材育成を社会問題の現場学習で行うプログラム
- 政策立案・事業開発:行政と連携した社会問題解決の実装事業
2017年には米Forbes誌が選ぶ「アジアのU-30(30歳以下のアジアの若手社会起業家)」に選出されており、国際的にも評価されています。
テレビ出演時のトレードマーク・リディラバロゴ入りTシャツも、この会社の認知度を上げるための一種のブランド戦略といえるかもしれません。
結婚や彼女はいるのか
気になる安部さんの恋愛・結婚事情ですが、現時点では未婚・独身の状況が続いています。
結婚しているという公式情報はなく、特定の交際相手についての公表もされていません。
ただ、安部さんは過去のインタビューなどで、失恋が人生の大きな転機になってきたというエピソードを語っています。東大受験を決めたタイミングも、リディラバを法人化したタイミングも、どこか恋愛と連動していたとのこと。失恋エネルギーを原動力に変えてきた人なのかもしれません。
恋愛観については「情けない自分を知っていく過程や、相手の方とパートナーシップを築いていく作業が面白い」と語っており、恋愛そのものには前向きなスタンスを持っているようです。
年収はどのくらいか
安部さんの年収は公式には公表されていないため、あくまで推測の範囲になります。
主な収入源としては以下が考えられます。
- 一般社団法人リディラバ代表理事としての報酬
- 株式会社Ridilover代表取締役としての役員報酬
- テレビ番組(モーニングショー・ABEMAプライムなど)のコメンテーター出演料
- 講演料(大学・企業向けの講演活動)
一部のメディアでは、これらを合算した年収推定として1,500万円前後という数字が上がっていますが、根拠が薄い推測の範囲ですので、あくまで参考程度にとどめてください。
リディラバの社員募集要項での「想定年収350万円」という記載から逆算した推計なども出回っていますが、代表者の収入は事業規模や配当など複合的な要素が絡むため、単純比較はできません。
ガーシー擁護発言での炎上騒動とその後
安部さんが大きな注目を集めたのが、2023年2月22日の「羽鳥慎一モーニングショー」でのガーシー議員に関する発言です。
当時、ガーシー議員(東谷義和氏)への懲戒処分として「議場での陳謝」を求めることが国会で議論されていました。
この問題を議論する中で、安部さんは「障がい者など社会的弱者が権利を訴えること」と「ガーシー議員が逮捕を避けるために国会を欠席すること」を同列に論じるような発言を繰り返したとされています。
さらに「陳謝をオンライン化すべき」「”不逮捕特権を確保します”と言えばいい」といった主張も行い、共演の玉川徹さんが「分けて考えるべき」と何度も釘を刺す場面もありました。
この発言に対して視聴者からの苦情が相次ぎ、ネット上でも批判が集中。ちょっとした炎上状態になりました。
一方で、安部さんは「社会の少数派や弱者の視点から物事を考える」という姿勢を一貫して持っており、そのスタンスがいつもとは異なる文脈で発動してしまった結果ともいえます。ただ、さすがにこのケースでは論点のずれが大きかったようで、放送後にSNSで「お騒がせしています」とコメントを出す事態になりました。
その後のモーニングショーでは、しばらくガーシー関連の話題が完全に回避される状況が続きましたが、安部さんのコメンテーター出演自体は継続しています。
安部敏樹の生い立ちと事件のまとめ
- 1987年7月7日生まれ・京都府長岡京市出身・神奈川県横浜市育ち
- 幼少期は父親の事業失敗による経済的不安定な家庭で育った
- 「夜逃げバッグ」を枕元に置いて寝るよう言われていた幼少期
- 父親はかつてハラスメント気質の亭主関白で、安部の中学時代に家を出たこともあった
- 中学2年頃から不登校気味となり、野球チームだけが唯一の居場所だった
- 14歳のとき、母親が野球チームを辞めさせようとしたことに激高し、バットで殴り怪我をさせた
- 事件後に家を追い出され、横浜駅周辺で路上生活を送った
- 祖母の力で学習院高等科の補欠枠を確保し進学するも、不登校継続・成績最下位
- クラスメイトと先生が立ち上げた「ドラゴン桜プロジェクト」が転機になった
- 横浜国立大学に現役合格後、仮面浪人を経て東京大学文科二類に合格
- 東京大学大学院修士課程を修了し博士課程にも進学・研究テーマは複雑系
- 19〜24歳にかけてオーストラリアでマグロ漁師(素手でマグロを捕まえる漁)を経験
- 2009年、自身の非行少年経験を原点にリディラバを設立・代表に就任
- 2017年にForbes選出アジアU-30に社会起業家として選ばれた
- 2023年のガーシー議員に関する発言で炎上騒動を経験した
- 妹が自分の事件をきっかけに小2から不登校になり、3浪して大学進学したという重い過去もある
- 現在は父母・弟・妹との家族仲は良好に回復している

