阿古智子の両親は大阪の一般人?中学で母を亡くした後に出会った上海の父と母とは

阿古智子の両親は大阪の一般人!中学で母を亡くした後に出会った上海の父と母とは

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東京大学大学院教授として中国の人権問題を発信し続ける阿古智子さん。

そんな阿古智子さんの両親がどんな人なのか、気になっている方は多いのではないでしょうか。

実は中学生のときに母親を亡くし、のちに上海で「もう一組の両親」と出会っていたというから、驚きですよね。

この記事を読むとわかること
・阿古智子さんの母親が亡くなった時期と、父親の仕事や人柄
・「上海の父と母」と呼ぶホームステイ先の夫婦との絆
・「人権派の父」の記事が阿古智子さんの父親ではない理由

阿古智子の両親はどんな人?母との別れと父が守ったうどん店

東大教授として中国の人権問題を発信し続ける阿古智子さんですが、その原点には大阪の実家で過ごした日々がありました。

ここでは、本人が語った母親との別れ、父親の仕事や人柄、そして「もう一組の両親」までを順番に見ていきます。

両親は大阪で暮らした一般人

まず結論からいうと、阿古智子さんの両親は芸能人や学者ではなく、大阪で暮らしてきた一般の方です。

名前や顔写真は公表されていません。

阿古智子さんは1971年5月28日生まれで、大阪府の出身です。

地元の大阪府立八尾高校を1990年に卒業しているので、少なくとも高校卒業まではずっと大阪の実家で育ったことになります。

両親について本人が語っているのは、主に2つの場面です。

ひとつはYahoo!ニュースのエキスパート記事(2024年10月)で、もうひとつは日米学生会議のインタビュー(2026年8月公開)です。

どちらも本人の言葉なので、ここから読み取れることは信頼できる情報といっていいと思います。

項目 内容
母親 阿古智子さんが中学生のときに癌で死去
父親 うどん店を営み、ひとりで子供3人を育てた
きょうだい 阿古智子さんを含めて3人(詳細は非公表)
実家 大阪府内(詳しい場所は非公表)

両親はどちらも一般の方で、本人の寄稿とインタビューから人柄や家庭の様子がわかる、というのが実際のところです。

母は中学時代に癌で亡くなった

阿古智子さんの母親は、阿古智子さんが中学生のときに亡くなっています。

本人はYahoo!ニュースの寄稿で、自分の母を中学の時に癌で亡くしたと書いています。

中学生といえば、まだまだ母親に甘えたい年頃ですよね。

正直、読んでいて胸が痛くなりました。

日米学生会議のインタビューでも「母を早くに亡くし」と振り返っていて、この別れが本人の中で大きな出来事だったことが伝わってきます。

母親の名前や、どんな仕事をしていたかといった情報は公表されていません。

ただ、20代になってから上海のホームステイ先の「母」に毎日のように悩みを聞いてもらったというエピソードを読むと、母親に話を聞いてほしかった気持ちがずっと心のどこかにあったのかもしれない、と感じます。

これはあくまで記事を読んだうえでの個人的な受け止め方ですが、そう思わずにはいられないエピソードなんですよね。

母親を中学時代に亡くしたことは、本人が複数の場で語っている確かな事実です。

父はうどん店を営みながら子供3人を育てた

母親を亡くしたあと、家族を支えたのが父親です。

日米学生会議のインタビューによると、父親はうどん店を営みながら、ひとりで子供3人を育ててきたそうです。

阿古智子さんはこのお店を「父が一人で懸命に営んできたお店」と表現しています。

お店を切り盛りしながら3人の子育てって、想像するだけで大変ですよね。

仕込み、営業、片づけに加えて、子供たちの食事や学校のこと……休む暇なんてほとんどなかったと思います。

お店の名前や場所は公表されていません。

父親は一般の方なので、この記事でもそれ以上は探りません。

父親はうどん店を営み、母親亡きあとの家庭をひとりで支えた人でした。

父と一緒に討論番組を見て議論した家庭

父親の人柄がよく表れているのが、国際情勢への関心です。

阿古智子さんによると、父親は国際情勢にも関心があり、普段から一緒に討論番組を見ながら議論していたといいます。

うどん店の仕事で忙しいなかでも、娘とテレビの討論番組を見てあれこれ意見を言い合う。

……なんか、いいですよね、こういう親子の時間。

今の阿古智子さんは、テレビやラジオで中国情勢を解説する立場です。

食卓で父親と議論していた経験が、人前で自分の考えを話す力につながったのかもしれませんね。

これは本人が因果関係を語っているわけではないので、あくまで想像ですが、そう思いたくなる話です。

本人はこの父親の姿勢があったからこそ、日米学生会議への参加も温かく応援してくれたのだと思う、と振り返っています。

父親は娘と対等に議論し、外の世界に出ることを応援してくれる人だったことがわかります。

日米学生会議の仲間と訪れた実家のうどん店

阿古智子さんは大阪外国語大学の学生だったころ、第44回日米学生会議に参加し、翌年の第45回では実行委員も務めています。

参加のきっかけは、アルバイト先のコンビニの同僚が雑誌の募集広告を見つけて「受けてみたらどう?」と声をかけてくれたことでした。

その日米学生会議でいちばん印象に残っている出来事として本人が挙げたのが、日本開催の本会議中に、参加者全員で実家のうどん店を訪れたことです。

日本とアメリカの学生たちが、大阪の小さなうどん店にずらっと並ぶ光景……想像しただけでほっこりします。

本人は、父が一人で懸命に営んできたお店で日米の仲間たちと思い出を作れたことは「今でも忘れられません」と語っています。

インタビューの記事には、実家のうどん店で撮った学生たちとの写真も載っています。

実家のうどん店は、阿古智子さんにとって家族と国際交流の思い出が重なる特別な場所です。

「上海の父と母」と呼ぶもう一組の両親

阿古智子さんには、実の両親とは別に「上海の父と母」と呼ぶ存在がいます。

大学院生だった1998年から1999年にかけて、博士論文の調査のために約1年間上海で暮らしたとき、ホームステイ先としてお世話になった夫婦です。

Yahoo!ニュースの寄稿では、20代の多感な時期に、上海の母に毎日のように悩みや愚痴を聞いてもらったと書いています。

返さなかった家の鍵

印象的なのが、家の鍵のエピソードです。

調査を終えて帰国するとき、阿古智子さんは借りていた鍵を返そうとしました。

すると上海の母は「いつ帰ってきてもいい」「勝手に鍵を開けて入ってきなさい」と言って受け取らなかったそうです。

阿古智子さんはその鍵を今でも持っていて、上海に行くたびに「ただいま」と自分の鍵で扉を開け、その家に泊まり、母が作った温かいご飯を食べていたといいます。

思わず涙が出そうになるエピソードです。

身長の半分ほどになった手紙

上海の母とはその後も手紙をやり取りし続け、保管している手紙を積み上げると自分の身長の半分ぐらいの高さになるのではないか、と本人は書いています。

上海の父はというと、2人がにぎやかにおしゃべりしているのを横目に読書をしながら、静かに微笑んでいる人だったそうです。

2人とも、すでに亡くなっています。

上海の父と母は、実の母を早くに亡くした阿古智子さんを本当の娘のように迎えてくれた、もう一組の両親でした。

上海の家の温かさと今のあじあんコモンズ

上海の家で受けた温かさは、今の阿古智子さんの暮らし方にもつながっています。

大学教員として生活が安定してから、阿古智子さんは中国の大学生を自宅にホームステイさせるようになりました。

政治犯や貧しい家庭の子が中心だったそうで、今ではみんな日本企業で働いたり、中国で大学教員になったりして自立しているそうです。

現在の自宅には、さまざまな事情を抱えた中国のジャーナリストやアーティスト、弁護士や活動家が入れ替わりで暮らしていて、本人はこの家をあじあんコモンズ(亜州公共圏)と名付けています。

鍵を持たせて「いつでも帰ってきていい」と言ってくれた上海の母と、日米の学生たちを店に迎えてくれた大阪の父。

2つの家の姿が、今のあじあんコモンズに重なって見えるのは私だけでしょうか。

人を迎え入れる家の形は、阿古智子さん自身が上海の家で受け取ったものを次の世代へ手渡している形といえそうです。

父で検索すると出てくる人権派の父は別人

阿古智子さんの名前と「父」で検索すると、「人権派の父」という言葉が入った朝日新聞の記事が上に出てきます。

ここ、ちょっと紛らわしいんですよね。

この記事は2024年6月の天安門事件35年の連載で、主人公は東京で暮らす中国出身の男性・浦効禹さんです。

父親が中国の人権派弁護士だった浦効禹さんの葛藤を描いた記事で、阿古智子さんは専門家としてコメントを寄せているだけです。

記事の「人権派の父」は阿古智子さんの父親ではありません。

ほかにも、阿古智子さんがXで紹介した「人権派元弁護士の娘、日本で死去 父は中国から出国阻まれ面会できず」という記事も、支援してきた中国人留学生とその父親の話です。

中国の人権問題に関わる家族の話を阿古智子さんが発信することが多いため、検索結果で本人の父親の話と混ざりやすいのだと思います。

阿古智子さんの実の父親は、大阪でうどん店を営んできた一般の方です。

阿古智子の両親を調べる人向けの関連情報

ここからは、阿古智子さんの両親とあわせてよく調べられている、国籍や夫、子供、学歴などの情報をまとめていきます。

国籍は日本で大阪府の出身

阿古智子さんの国籍は日本です。

1971年に大阪府で生まれ、大阪で育っています。

中国語が堪能で、中国の人権問題について積極的に発言し、中国で結婚式まで挙げているため、国籍が気になる人も多いようですね。

本人は2024年のYahoo!ニュースの寄稿でも「私も日本人として、一人の母親として」と書いています。

2023年には産経新聞社などが主催する第24回正論新風賞を受賞していて、雑誌『ニューズウィーク』の「世界が尊敬する日本人100人」の特集でも取り上げられました。

阿古智子さんは大阪生まれの日本人で、中国とのつながりの深さから国籍が検索されているようです。

出身高校は大阪府立八尾高校

阿古智子さんの出身高校は大阪府立八尾高校で、1990年に卒業しています(高42期)。

高校時代に天安門事件(1989年)があり、隣国で起きた大きな出来事を見てアジアに関心を持つようになったと本人は語っています。

年 学歴・経歴
1990年 大阪府立八尾高校を卒業
1994年 大阪外国語大学外国語学部中国語学科を卒業
1996年 名古屋大学大学院国際開発研究科修士課程を修了
2001年 在中国日本大使館の専門調査員
2003年 香港大学で教育学のPh.D.を取得
2013年 東京大学大学院総合文化研究科の准教授
2020年 同研究科の教授

大学では英語に加えてアジアの言語を学びたいと考え、最初はベトナム語にも興味があったそうですが、先生の勧めで中国語を選んだといいます。

八尾高校から大阪外国語大学へ進んだことが、中国研究者としての出発点になりました。

夫は中国に長く単身赴任していたジャーナリスト

阿古智子さんは結婚していて、夫がいます。

アメリカの放送局VOA(ボイス・オブ・アメリカ)の中国語版の記事では、夫は当時時事通信の記者だった城山英巳さんと紹介されています。

本人も寄稿で、夫が長く中国で単身赴任していたと書いていて、その間は息子さんと2人で、休みのたびに中国へ通っていたそうです。

夫の実家は三重県にあるとされ、義父の納骨の話や、年末年始に義母も交えて過ごした話が紹介されています。

仕事の都合で家族が離れて暮らす時期も長かったようですが、それぞれの場所で支え合っている家族なんだなと感じます。

夫は中国に深く関わってきたジャーナリストで、夫婦そろって中国と縁の深い家庭です。

結婚式は中国の陝西省楊家溝村で挙げた

阿古智子さんの結婚で驚くのが、結婚式の場所です。

本人はXで、陝西省楡林市の楊家溝村を結婚式をさせてもらった思い出の土地と紹介しています。

VOAの取材では、在中国日本大使館で貧困対策の仕事をしていたときに楊家溝の文化を知り、切り絵や独特の結婚式、花嫁の乗る輿(こし)、そして窯洞(ヤオトン)と呼ばれる洞窟住居に惹かれたと話しています。

結婚式を挙げた年については、VOAが2002年としている一方、当時の現地紙に載ったのは2004年1月とする情報もあり、はっきりしていません。

ここで式を挙げたのは民間の文化交流のためだった、と本人は説明しています。

中国の農村で窯洞を前に結婚式……え、そうだったの!?って感じですよね。

中国の農村で結婚式を挙げたことからも、阿古智子さんと中国の結びつきの強さがわかります。

子供は十代の息子がいる

阿古智子さんには息子さんがいます。

2024年10月の寄稿では「亡くなった男の子と同じ十代の息子を持つ私」と書いていて、当時は十代だったことがわかります。

夫が中国に単身赴任していたころ、息子さんは中国の幼稚園にも通っていたそうです。

阿古智子さんが残業の日には、自宅にホームステイしていた中国の大学生が保育園まで迎えに行ってくれたこともあったといいます。

中国のお兄ちゃん、お姉ちゃんに囲まれて育ったなんて、なかなかできない経験ですよね。

息子さんの名前や学校は公表されていません。

息子さんは日本と中国を行き来しながら、多くの人に見守られて育ってきました。

独身ではなく家族構成は夫と息子の3人

阿古智子さんの名前で「独身」と検索されることがありますが、ここまで見てきたとおり、阿古智子さんは結婚していて独身ではありません。

夫とは違う「阿古」の姓で仕事をしているので、独身だと思われやすいのかもしれませんね。

現在の家族構成は、夫と息子さんとの3人家族です。

家族 内容
父 大阪でうどん店を営んだ一般の方
母 阿古智子さんが中学生のときに癌で死去
きょうだい 阿古智子さんを含めて3人
夫 中国で長く単身赴任していたジャーナリスト
息子 2024年時点で十代

これに加えて、自宅のあじあんコモンズには国籍も背景もさまざまな人たちが入れ替わりで暮らしています。

阿古智子さんは結婚していて、夫と息子の3人家族です。

阿古智子の両親のまとめ

  • 阿古智子の両親はどちらも大阪で暮らした一般人で、名前は非公表
  • 阿古智子は1971年大阪府生まれで、八尾高校を1990年に卒業
  • 母は阿古智子が中学生のときに癌で亡くなった
  • 父はうどん店を営みながら、ひとりで子供3人を育てた
  • 父は国際情勢に関心があり、娘と討論番組を見ながら議論していた
  • 日米学生会議への参加も父が温かく応援してくれたと本人が語っている
  • 日米学生会議の本会議中、参加者全員で実家のうどん店を訪れた
  • 1998〜1999年の上海での調査中、ホームステイ先の夫婦を「上海の父と母」と慕った
  • 上海の母は家の鍵を返させず「いつ帰ってきてもいい」と言った
  • 上海の母と交わした手紙は身長の半分ほどの高さになるという
  • 上海の父と母はすでに亡くなっている
  • 朝日新聞の「人権派の父」の記事は別人の父親の話
  • 国籍は日本で、夫は元時事通信記者の城山英巳と報じられている
  • 結婚式は中国・陝西省の楊家溝村で挙げた
  • 十代の息子がいて、家族構成は夫と息子の3人

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