NHK Eテレ『きょうの料理』で、やわらかい語り口とダジャレでおなじみの後藤繁榮さん。
料理番組を25年以上も担当している人ですが、実はご本人の実家が「食」と真正面からつながっているのをご存じでしたか。
しかもその実家、かつて昭和天皇が視察に訪れているんです。
この記事では、後藤繁榮さんの実家について確認できている事実を、家業の中身から創業の経緯まで順番に整理していきます。
・後藤繁榮の実家がどんな仕事をしている家なのか
・昭和天皇が視察に訪れたという話の中身
・実家の会社が守り続けている純国産鶏のこと
後藤繁榮の実家は岐阜県岐阜市の後藤孵卵場
まずは「実家は何をしている家なのか」という、いちばん知りたいところから見ていきますね。
結論からいうと、実家はニワトリのヒヨコを養鶏家に届ける仕事をしている家でした。
実家は良質な卵を産むヒヨコを養鶏家に供給する仕事
後藤繁榮さんの実家について調べると、まず出てくるのがこの一行です。
実家は、品種改良をして良質な卵を産むヒヨコを養鶏家に供給する仕事をしています。
ここ、ちょっと分かりにくいので順番にほどきますね。
わたしたちがスーパーで買う卵は、養鶏場で飼われているニワトリが産んだものです。
ではその養鶏場のニワトリはどこから来るのか、というと、ヒヨコを専門に育てて供給する会社があるんですね。
そこが「孵卵場(ふらんじょう)」と呼ばれる仕事で、後藤繁榮さんの実家はまさにこれにあたります。
しかも単にヒヨコを増やすだけではありません。
品種改良によって「おいしい卵をたくさん産む鶏」そのものを作り出しているのが、この家の仕事です。
つまり卵の一歩も二歩も手前、卵を産む鶏の血統をつくるところから関わっているということですね。
料理番組で25年以上、素材の話を聞き続けてきた人の実家がここだった、と知るとちょっと納得してしまいませんか。
実家の会社名は後藤孵卵場
その実家にあたる会社が、岐阜県の後藤孵卵場です。
創業は1942年(昭和17年)。
戦時中に立ち上がって、そこから80年以上も国産の鶏にこだわり続けてきた会社です。
報道によれば、後藤孵卵場は純国産鶏「さくら」「もみじ」の育種改良を行なっている会社として紹介されています。
育種というのは、世代をまたいで少しずつ良い性質を選び抜いていく作業のこと。
一年二年でどうにかなるものではなく、何十年という単位で積み上げていくものなんですね。
その積み重ねの上に、いま全国のスーパーに並ぶ卵の一部がある、というわけです。
本社は岐阜市西野町から各務原市へ移っている
会社の場所についても、動きがあります。
2015年9月28日、岐阜県各務原市須衛町に新しい本社孵卵工場が完成し、竣工式が行われました。
それまでの本社は岐阜市西野町にあり、建物は建ててから57年が経っていたそうです。
新しい工場は敷地1万7308平方メートルのうちの一部に建てられ、建物の面積は1447平方メートル。
ですので「後藤繁榮さんの実家はどこか」と言われれば、生まれ育った場所としては岐阜県岐阜市が答えになります。
後藤繁榮さん自身の出身地も、岐阜県岐阜市と各所で紹介されていますよ。
昭和天皇が視察に訪れた実家の孵卵場
実家の話でいちばん驚くのが、ここだと思います。
この実家には、かつて昭和天皇が視察に訪れたことがあるんです。
え、そうだったの!?って感じですよね。
一民間企業の、しかもヒヨコを育てる現場に天皇が足を運ぶというのは、そうそうあることではありません。
それだけこの家の仕事が、当時の日本の食料事情のなかで重く見られていたということなのだと思います。
報道によれば、この視察があったのは後藤繁榮さんが中学生のころのこと。
自分の家に天皇がやってくる。
中学生の目に、その日がどう映ったのか。
……ちょっと想像するだけでも、すごい体験ですよね。
ゴトウ106が漫画「美味しんぼ」で紹介された
実家の鶏は、意外なかたちでも世に出ています。
それが漫画『美味しんぼ』です。
旨い鶏卵を生むニワトリとして「ゴトウ106」が『美味しんぼ』で紹介されました。
『美味しんぼ』は食の世界を細かく取材することで知られた作品です。
その作中で品種名を挙げて紹介されるというのは、業界のなかで一目置かれていた証拠と言ってよさそうですね。
「ゴトウ106」という名前の「ゴトウ」は、そのまま後藤孵卵場の名前から来ています。
つまり実家の名前が、そのまま鶏の品種名として全国に流通していたということです。
個人的に、ここがいちばん面白いところだと思っています。
純国産鶏さくらともみじを守り続けている
後藤孵卵場を語るうえで外せないのが、純国産鶏という言葉です。
いまスーパーに並ぶ卵を産む鶏は、その多くが海外の育種会社の系統に頼っています。
そのなかで後藤孵卵場は、国内で何世代も独自に育種してきた純国産鶏「さくら」「もみじ」の育種鶏群を保有しています。
生活協同組合が扱う「さくら卵」なども、この系統から生まれたものです。
日本の気候や環境に合った鶏を、創業以来ずっと国内でつないできた。
言葉にすると一行ですが、これは相当に地道な仕事です。
なんか、じんわりしますよね。
父が卵を一生の仕事に決めた創業のいきさつ
では、そもそもなぜこの家は卵の道に進んだのか。
ここについては、実家を取材した記事のなかで語られています。
それによると、明治生まれの父親が若いころに結核を患い、毎日卵を食べ続けて完治したのだそう。
その経験から「卵を一生の仕事にしたい」と決心したことが、創業のきっかけになったと紹介されています。
自分を救ってくれた食べものを、そのまま仕事にする。
……なんというか、いい話じゃないですか、これ。
なおこの創業のいきさつは、確認できた範囲では一つの媒体の取材記事にもとづくものです。
複数の資料で裏づけが取れているわけではないため、そのつもりで読んでいただければと思います。
岐阜空襲のなかで原種鶏を守った
創業してすぐ、この家は戦争にぶつかっています。
1945年7月9日の岐阜空襲のとき、創業者は自分たちが食べるのを我慢してでも鶏に餌をやり、大切な原種の鶏を守り抜いたと伝えられています。
空襲のさなかに、人ではなく鶏の餌を優先する。
これはきつかったでしょうね…。
ですが、そこで守られた血統が戦後の「さくら」「もみじ」につながっていったと考えると、意味のある我慢だったのだと思います。
9人きょうだいの末っ子として育った
家族の人数についても、はっきりした情報があります。
後藤繁榮さんは9人きょうだいの末っ子です。
いまの感覚だとかなりの大所帯ですが、家業を抱えた家としては珍しくなかったのかもしれません。
長兄とは21歳離れている
きょうだいの年齢差もなかなかのものです。
いちばん上の兄とは21歳離れていると本人が語っています。
21歳差ということは、兄というより親子に近い距離感ですよね。
末っ子として、上のきょうだいや家業の大人たちに囲まれて育った。
『きょうの料理』での、あの角の立たない話し方の土台には、こういう環境もあるのかなと思ったりします。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 実家の家業 | 良質な卵を産むヒヨコを養鶏家に供給する(孵卵場) |
| 会社名 | 後藤孵卵場 |
| 創業 | 1942年(昭和17年) |
| 所在地 | 岐阜県岐阜市西野町 → 2015年以降は各務原市須衛町 |
| 扱う鶏 | 純国産鶏「さくら」「もみじ」の育種改良 |
| 知られている話題 | 昭和天皇の視察、「ゴトウ106」が『美味しんぼ』に登場 |
| きょうだい | 9人きょうだいの末っ子(長兄とは21歳差) |
後藤繁榮の実家を調べる人向けの関連情報
ここからは、実家と一緒に検索されることの多い話題をまとめていきますね。
出身地や学歴、いまの活動まで順に見ていきましょう。
出身は岐阜県岐阜市
プロフィール上の出身地は、岐阜県岐阜市です。
生まれは1951年7月3日で、2026年8月時点で74歳になります。
実家の後藤孵卵場も長く岐阜市に本社を置いていましたから、出身地と家業の場所は一致していますね。
テレビでは標準語で話される方ですが、根っこは岐阜の人ということです。
学歴は南山高校から日本大学芸術学部
学歴もはっきりしています。
南山高校男子部を経て、日本大学芸術学部を卒業しています。
南山高校男子部は愛知県名古屋市にある私立の進学校です。
岐阜の実家から愛知の学校へ、というルートですね。
そして大学は日本大学芸術学部。
放送や映像を学ぶ人が多く進む学部で、アナウンサーを多く輩出していることでも知られています。
家業を継ぐのではなく、放送の道を選んだというのが進路からも見えてきます。
9人きょうだいの末っ子という立場も、そこには関係していたのかもしれませんね。
NHK入局から現在までの経歴
アナウンサーとしての歩みも、けっこう長いです。
1975年、アナウンサーとしてNHKに入局。
その後は鳥取・富山・札幌といった放送局を回り、東京へ異動しています。
1991年から1998年までは労働組合の専従を経験、2000年6月からはNHK放送研修センター日本語センターへ出向しました。
そして2011年にNHK本体を退職して日本語センターへ移籍し、2016年にフリーとなっています。
『きょうの料理』の担当は2000年から。
ラジオ第1『ラジオ深夜便』も2014年から担当しています。
2004年度には第42回ギャラクシー賞の奨励賞も受賞していますよ。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1951年 | 7月3日、岐阜県岐阜市に生まれる |
| 1975年 | アナウンサーとしてNHKに入局 |
| 1991年〜1998年 | 労働組合専従 |
| 2000年 | 『きょうの料理』の担当が始まる |
| 2011年 | NHK本体を退職し日本語センターへ移籍 |
| 2014年 | ラジオ第1『ラジオ深夜便』を担当 |
| 2016年 | フリーアナウンサーになる |
きょうの料理でダジャレを言うようになった理由
後藤繁榮さんといえば、やっぱりダジャレですよね。
あれ、最初からキャラとしてやっていたわけではないそうです。
報道によれば、番組の初期に料理研究家の鈴木登紀子さんから「ぼーっと立っていないで何か手伝ってちょうだい」と言われたことがきっかけ。
こしょうを振るように頼まれたものの、ふたが閉まったままで出てこず、そこで「なんだ故障しているのかと思いました」と口にしたのが最初のダジャレでした。
とっさに出た一言が、25年以上続く名物になってしまったわけです。
料理愛好家の平野レミさんとのやり取りでも、このダジャレが場をうまく着地させる役割を果たしていると評されています。
著書にも『「きょうの料理」のヒミツ』『後藤アナのダジャレ教室』『笑顔を引出す会話力』などがあり、ダジャレはもはや芸のひとつになっていますね。
家族や結婚についてわかっていること
実家の話とあわせて気になるのが、ご本人の家族です。
ここについては、公的に確認できる情報がほとんどありません。
個人ブログなどでは1977年に結婚し息子が1人いるといった記述も見かけますが、一次資料にたどり着けるものは見当たりませんでした。
お相手についても一般の方とされており、年齢や出身地といった情報は出てきません。
裏づけの取れない話をここで断定するのは避けておきますね。
一方で、実家のきょうだい関係については本人が公の場で語っています。
9人きょうだいの末っ子で長兄とは21歳差、という部分は本人の言葉として残っている情報です。
後藤繁榮の実家のまとめ
- 実家は品種改良で良質な卵を産むヒヨコを養鶏家に供給する仕事
- 実家にあたる会社は岐阜県の後藤孵卵場
- 後藤孵卵場の創業は1942年(昭和17年)
- 本社は長く岐阜市西野町にあった
- 2015年9月に各務原市須衛町へ新本社孵卵工場が完成
- 純国産鶏「さくら」「もみじ」の育種改良を行っている
- かつて昭和天皇が実家に視察に訪れた
- 視察は本人が中学生のころだったとされる
- 「ゴトウ106」が漫画『美味しんぼ』で紹介された
- 創業のきっかけは父が卵で結核を治した経験とされる
- 1945年の岐阜空襲では原種鶏を守り抜いたと伝えられる
- 本人は9人きょうだいの末っ子
- 長兄とは21歳離れていると本人が語っている
- 出身は岐阜県岐阜市で1951年7月3日生まれ
- 学歴は南山高校男子部から日本大学芸術学部

