中銀カプセルタワービルを設計し、メタボリズムという建築運動を世界に押し出した黒川紀章さん。
女優の若尾文子さんの夫としても知られていますよね。
ただ、この人の家系図を開くと出てくるのは、妻や子どもだけではありません。父も弟も、そのまた息子も、みんな建築家なんです。
・黒川紀章の家系図を、父・母・弟2人・妻・子どもまで一枚で整理した全体像
・黒川家から建築家が5人も出ている理由と、それぞれが何を手がけたのか
・若尾文子との再婚に7年かかった事情と、弟の結婚で加藤シヅエ家までつながる系譜
黒川紀章の家系図|黒川家は三代続く建築家一族
まず結論からお伝えします。
黒川家は、父・黒川巳喜から数えて三代にわたり、少なくとも5人の建築家を出している一族です。
紀章さん一人が突然現れたわけではなかったんですね。
黒川紀章の家系図を一枚で整理すると
血縁関係を整理すると、次のようになります。
| 続柄 | 名前 | 肩書き |
|---|---|---|
| 父 | 黒川巳喜 | 建築家。黒川建築事務所の創業者 |
| 母 | 黒川澄子 | 金城学院大学家政学科卒 |
| 本人(長男) | 黒川紀章 | 建築家。文化功労者 |
| 弟(次男) | 黒川雅之 | 建築家・プロダクトデザイナー |
| 弟(三男) | 黒川喜洋彦 | 建築家。黒川建築事務所代表取締役 |
| 前妻 | 非公表 | — |
| 長女 | 黒川かこ | 黒川建築研究所 代表取締役 |
| 長男 | 黒川未来夫 | デザインスタジオ代表 |
| 後妻 | 若尾文子 | 女優。本名は黒川文子 |
| 弟の妻 | 加藤タキ | コーディネーター |
| 甥 | 黒川彰 | 建築家 |
建築家は巳喜さん、紀章さん、雅之さん、喜洋彦さん、彰さんの5人。
三兄弟が全員建築家というだけでも珍しいのに、その父も、次の世代もそうなんです。
父は建築家の黒川巳喜、黒川建築事務所の創業者
この一族の出発点が、父の黒川巳喜(くろかわ みき)さんです。
1905年3月に愛知県海部郡蟹江町の蟹江新田で生まれ、1994年1月2日に88歳で亡くなりました。
経歴を並べると、地方の技師から独立して事務所を築いた人だと分かります。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1924年 | 私立東海中学校を卒業 |
| 1927年 | 名古屋高等工業学校 建築科を卒業、愛知県総務部営繕課へ |
| 1940年 | 営繕課の技師に |
| 1944年 | 高野精密株式会社へ転職 |
| 1946年 | 黒川建築事務所を設立 |
| 1968年 | 日本建築家協会 東海支部長に就任 |
| 1973年 | 株式会社黒川建築事務所 代表取締役 |
| 1983年 | 同社 取締役会長 |
代表作は飛島村役場(1961年)や市之倉陶磁器工業協同組合会館(1969年)です。
終戦の翌年に自分の事務所を立ち上げ、東海地方の建築界をまとめる立場まで進んだ人物ですね。
息子3人が全員この道に入ったのは、この父の存在が大きかったと考えるのが自然でしょう。
ちなみに紀章さんが卒業した東海高等学校は、巳喜さんが通った東海中学校と同じ学校法人です。
母は黒川澄子、蟹江町の家に育つ
母親についても記録が残っています。
黒川紀章さんの母は、黒川澄子さんです。
金城学院大学の家政学科を卒業しています。
金城学院は名古屋のミッション系の名門女子校ですから、当時としてはかなり高い教育を受けた女性ということになりますね。
公開されている情報はここまでで、詳しい経歴や生没年は表に出ていません。
ただ建築家の夫を支えながら、3人の息子をすべて建築の道へ送り出したのがこの人だと考えると、家系図の中で軽い存在ではないはずです。
弟の黒川雅之は建築家でプロダクトデザイナー
すぐ下の弟も、兄に劣らず名前の知られた人物です。
次男の黒川雅之(くろかわ まさゆき)さんは、1937年4月4日生まれの建築家・プロダクトデザイナーです。
兄より3歳下ですね。生まれは名古屋市になっています。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1961年 | 名古屋工業大学 建築学科を卒業 |
| 1963年 | 早稲田大学大学院 修士課程修了 |
| 1967年 | 早稲田大学大学院 博士課程修了、黒川雅之建築設計事務所を設立 |
| 2000年 | 株式会社デザイントープを設立 |
| 2002年 | 金沢美術工芸大学大学院 専任教授に就任 |
| 2010年 | 博士(美術)の学位を取得 |
| 2019年 | シンガポールのHERE INTERNATIONALでデザイナーに |
兄が巨大な建築を手がけたのに対し、雅之さんは手のひらサイズの製品でも評価されました。
代表作の「GOMシリーズ」は、ニューヨーク近代美術館の永久コレクションに認定されています。
建築では銀座くのや、パロマ本社、来待ストーンミュージアムなどを設計しました。
兄弟でありながら、扱うスケールがまるで違うのが面白いところです。
三男の黒川喜洋彦は父の事務所を継いだ
もう一人、三男もいます。
三男の黒川喜洋彦(くろかわ きよひこ)さんも建築家で、父が創業した株式会社黒川建築事務所の代表取締役を務めています。
兄2人が東京を拠点に自分の名前で勝負したのに対し、三男は父の事務所を受け継ぐ形になったわけですね。
知名度でいえば紀章さん・雅之さんに及びませんが、黒川建築事務所という名前を現在まで残しているのはこの人です。
三兄弟が全員建築家で、しかも役割がきれいに分かれている。
家系図としてはかなり整った形をしています。
甥の黒川彰も建築家、三代で5人目
そして次の世代にも建築家がいます。
弟・黒川雅之さんの息子である黒川彰さんも建築家です。
紀章さんから見れば甥にあたりますね。
母親の加藤タキさんが42歳のときに生まれた長男です。
これで黒川家の建築家は、巳喜さん・紀章さん・雅之さん・喜洋彦さん・彰さんの5人。
祖父・父・子の三代にわたって建築家が続いていることになります。
血縁で技術と職業が受け継がれていく、典型的な職人一族の形といえます。
黒川紀章の妻と子供|若尾文子との再婚と前妻との1男1女
ここからは紀章さん自身の家庭を見ていきます。
若尾文子さんとの結婚が有名ですが、実はそれ以前に別の家庭がありました。
前妻との間に長女・黒川かこと長男・黒川未来夫
黒川紀章さんは前妻との間に1男1女をもうけています。
前妻の氏名は公表されていません。
子どもは長女の黒川かこさんと、長男の黒川未来夫(みきお)さんです。
| 続柄 | 名前 | 生年 |
|---|---|---|
| 長女 | 黒川かこ | 1963年 |
| 長男 | 黒川未来夫 | 1965年 |
「未来夫」という名前は、いかにもメタボリズムを提唱した建築家の子らしいですよね。
2人とも、父の名前を冠した会社に関わることになります。
長女の黒川かこは黒川建築研究所の代表取締役
長女の黒川かこさんは1963年生まれです。
現在は株式会社黒川建築研究所の代表取締役を務めているとされています。
ただし、この点については情報が割れています。
陶芸家として活動していると伝える情報もあり、職業についてはソースによって記述が異なる状態です。
いずれにしても表に出るタイプの活動ではないため、公開情報が少ないのが実情ですね。
なお、父の離婚が長引いた理由に、この長女の存在が関わっていたとされています。
長男・黒川未来夫と事務所の倒産
長男の黒川未来夫さんについては、比較的多くの情報が出ています。
1965年生まれで、東京藝術大学を卒業。美術家や写真家、専門学校の講師として活動していました。
建築家として父の跡を継いだわけではないんですね。
ところが2007年に父が亡くなると、事情が変わります。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 2008〜2016年 | 黒川紀章建築都市設計事務所の代表取締役 |
| 2014年 | 同事務所が倒産し、日本工営へ事業譲渡 |
| 2017年 | MIRAIKUROKAWA DESIGN STUDIO 代表取締役に |
| 2019年 | 父の別荘「カプセルハウスK」を買い戻す |
父の死から7年後の2014年、黒川紀章建築都市設計事務所は倒産しました。
事業は日本工営へ譲渡されています。
その後、未来夫さんは自身のデザインスタジオを立ち上げました。
そして2019年には、長野県にある父の別荘「カプセルハウスK」を買い戻して民泊として活用しています。
カプセルハウスKは1973年に完成した建物で、中銀カプセルタワービルと同じカプセル建築です。
父の代表作である中銀カプセルタワービルは2022年に解体されました。
その一方で、息子が別のカプセル建築を買い戻して残した。
建築家としてではなく、別の形で父の仕事を継いだといえるかもしれません。
妻は女優の若尾文子、7年越しの再婚
そして黒川紀章さんといえば、この結婚です。
黒川紀章さんの妻は、女優の若尾文子さんです。1983年に結婚しました。
若尾文子さんは1933年11月8日生まれ、東京都豊島区の出身で荒川区育ちです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 黒川文子 |
| デビュー | 1951年、大映の第5期ニューフェイス |
| 主演本数 | 260本以上 |
| 代表作 | 『女は二度生まれる』『赤線地帯』『卍』 |
| 最初の結婚 | 1963年、デザイナーの西館宏幸と(1969年に離婚) |
2人が出会ったのは1976年、テレビ番組での共演がきっかけでした。
紀章さんは若尾さんの美しさを「君はバロックのようだ」と表現したと伝えられています。
ところが結婚までには7年かかりました。
紀章さんの前妻が「娘が20歳になるまでは」として離婚に応じなかったためです。
1983年に離婚が成立し、同じ年に若尾さんと結婚しています。
どちらも50歳を超えてからの再婚でした。
この結婚は、2007年に紀章さんが亡くなるまで24年間続きます。
若尾文子との間に子供はいない
気になる方も多い点なので触れておきます。
黒川紀章さんと若尾文子さんの間に子どもはいません。
結婚した時点で2人とも50代でしたから、年齢的にも自然な流れですね。
つまり黒川紀章さんの子どもは、前妻との間の1男1女だけということになります。
なお紀章さんは、2007年4月に東京都知事選、7月に参議院選挙へ立て続けに出馬しました。
そして同じ年の10月12日、東京女子医科大学病院で心不全のため73歳で亡くなっています。
選挙に出た半年後の急逝でした。
若尾文子さんは2026年時点で92歳になり、都内で静かに暮らしていると伝えられています。
弟の妻は加藤タキ、加藤シヅエと加藤勘十の娘
家系図をもう一段広げると、思わぬところにつながります。
弟・黒川雅之さんの妻は、コーディネーターの加藤タキさんです。
そしてこの加藤タキさんの両親が、日本の近代史に名前が残る2人なんです。
| 続柄 | 名前 | 肩書き |
|---|---|---|
| 父 | 加藤勘十 | 元国会議員 |
| 母 | 加藤シヅエ | 婦人解放運動家。衆院2期・参院4期 |
加藤シヅエさんは戦後初の衆議院議員総選挙で当選した女性議員の一人で、産児制限運動の先駆者として知られる人物です。
両親そろって、戦後初の衆院選で当選しています。
加藤タキさん自身は1945年3月30日生まれ。米国オレゴン州のマルトノマ大学を卒業し、1975年にタキ・オフィスを設立しました。
オードリー・ヘプバーンの来日を手がけたコーディネーターとしても有名ですね。
1969年に一度結婚して4年で離婚したのち、黒川雅之さんと再婚しています。
つまり黒川家の家系図は、弟の結婚によって政治家一族の加藤家ともつながっているわけです。
黒川紀章の経歴と代表作
最後に本人の歩みも整理しておきます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生没年 | 1934年4月8日〜2007年10月12日(73歳没) |
| 出身 | 愛知県海部郡蟹江町 |
| 高校 | 東海高等学校(1953年卒) |
| 大学 | 京都大学工学部建築学科(1957年卒) |
| 大学院 | 東京大学大学院 博士課程 単位取得退学(1964年) |
| 死因 | 心不全 |
京都大学では西山夘三に、東京大学大学院では丹下健三の研究室で学んでいます。
1959年、浅田孝・大高正人・槇文彦らとともに建築理論「メタボリズム」を提唱しました。
建物を生物の新陳代謝のようにとらえ、部分ごとに取り替えていくという考え方です。
それを形にしたのが1972年の中銀カプセルタワービルでした。
1989年の広島市現代美術館では日本建築学会賞を受賞し、文化功労者にも選ばれています。
そして晩年の2007年、共生新党を率いて東京都知事選と参議院選挙に出馬しました。
得票は都知事選で2.9%、参院選の個人得票で1.16%にとどまっています。
建築家として世界的な評価を得ながら、最後は政治の舞台に立った。
その半年後に亡くなったことを思うと、あの出馬は最後の作品だったのかもしれません。
黒川紀章の家系図についてのまとめ
- 黒川家は父・黒川巳喜から三代にわたり、少なくとも5人の建築家を出している一族
- 父の黒川巳喜は1946年に黒川建築事務所を設立し、1968年に日本建築家協会東海支部長を務めた
- 母は黒川澄子で、金城学院大学の家政学科を卒業している
- 三兄弟は全員建築家で、長男が紀章、次男が雅之、三男が喜洋彦
- 次男の黒川雅之はプロダクトデザインでも評価され、GOMシリーズがニューヨーク近代美術館の永久コレクションになった
- 三男の黒川喜洋彦は父の会社である株式会社黒川建築事務所の代表取締役を務めている
- 弟・雅之の息子である黒川彰も建築家で、三代目にあたる
- 黒川紀章には前妻との間に1男1女がいるが、前妻の氏名は公表されていない
- 長女の黒川かこは1963年生まれで、黒川建築研究所の代表取締役とされる(陶芸家とする情報もある)
- 長男の黒川未来夫は1965年生まれで東京藝術大学を卒業し、2008年から父の事務所の代表を務めた
- 黒川紀章建築都市設計事務所は2014年に倒産し、日本工営へ事業譲渡された
- 未来夫は2019年に父の別荘「カプセルハウスK」を買い戻し、民泊として活用している
- 妻は女優の若尾文子で、1976年の出会いから7年を経て1983年に結婚した
- 前妻が娘の成人まで離婚に応じなかったため、再婚まで時間がかかった
- 若尾文子との間に子どもはおらず、紀章の子どもは前妻との1男1女だけ
- 弟・雅之の妻は加藤タキで、その両親は元国会議員の加藤勘十と婦人解放運動家の加藤シヅエ
- 黒川紀章は2007年10月12日、東京女子医科大学病院で心不全のため73歳で亡くなった

