バレーボール日本代表として2つのオリンピックを戦った迫田さおりさん。
その原点がどこにあるのか、実家について気になっている方は多いのではないでしょうか。
実は引退後、迫田さんは鹿児島の実家と東京を行き来する暮らしを選んでいて、その理由を本人がコラムではっきり語っています。
・迫田さおりの実家がある場所と、地元で過ごした少女時代
・実家の家族構成と、両親がバレーボールを支えてくれたエピソード
・引退後に東京と鹿児島の二拠点生活を選んだ理由
迫田さおりの実家は鹿児島市谷山エリア
迫田さおりさんの実家がどこにあるのか、そして家族はどんな人たちなのか。
ここでは地元での少女時代から、引退後に実家へ戻った現在の暮らしまでを順番に見ていきますね。
実家があるのは鹿児島県鹿児島市
迫田さおりさんの実家があるのは鹿児島県鹿児島市です。
Wikipediaや講演依頼サイトの公式プロフィールなど、複数の媒体が出身地を鹿児島県鹿児島市と記載しています。
より細かい住所や番地までは公表されていませんが、通っていた学校名から、市内でもどのあたりで育ったのかはかなり具体的に絞り込めます。
迫田さんが通ったのは鹿児島市立谷山小学校と鹿児島市立谷山中学校。
いずれも鹿児島市の南部にある谷山地区の公立校です。
小学校から中学校まで地元の公立校に通っていたことを考えると、実家は鹿児島市谷山エリアにあると考えるのが自然ですよ。
谷山エリアはどんな場所?
谷山は鹿児島市の南側に広がる地域で、もともとは谷山市という独立した市でした。
1967年に鹿児島市と合併して現在の形になっています。
市街地と住宅地、そして海と山が近い距離に同居しているエリアで、桜島を望む景色は鹿児島らしさそのもの。
そんな環境で、迫田さんはバレーボールと出会うことになります。
地元の谷山小・谷山中でバレーを始めた
迫田さおりさんがバレーボールを始めたのは鹿児島市立谷山小学校3年生のときでした。
きっかけは、先にバレーボールをしていたお姉さんの影響だとされています。
身近にお手本がいる環境って、子どもにとってはやっぱり大きいんですよね。
「お姉ちゃんがやっているから私も」という自然な流れで競技に入っていったことがうかがえます。
中学校は地元の鹿児島市立谷山中学校へ進み、谷山バレーボール少年団に所属してプレーを続けました。
小学校・中学校と地元の学校で競技を続け、その延長線上に日本代表があるわけです。
迫田さんのバレーボール人生は、鹿児島市谷山という土地の中で始まっているということですね。
父はガラス会社勤務でバレーの指導者
迫田さおりさんのお父さんについては、複数のまとめ媒体で名前や職業が紹介されています。
名前は迫田保行さんで、鹿児島の小園硝子商会という会社に勤務されていたと伝えられています。
さらに興味深いのが、お父さん自身が清和バレーボールスポーツ少年団のコーチを務めていたという点です。
ただしこれらの情報は公式発表ではなく、まとめ媒体が伝えている内容にとどまります。
そのため、あくまで一つの情報として受け取っておくのがよさそうですよ。
とはいえ、家庭にバレーボールを教えられる大人がいたという話は、迫田さんの歩みとよく重なります。
お姉さんがバレーボールをしていて、お父さんも少年団で指導していた。
そう考えると、迫田家はもともとバレーボールが日常の中にある家庭だった可能性が高いと言えそうです。
小学3年生という早い時期に競技を始められたのも、家庭の環境が後押ししたのかもしれませんね。
母の卵焼き弁当が高校時代を支えた
お母さんについて、まとめ媒体で繰り返し紹介されているのが卵焼きのエピソードです。
高校時代、迫田さおりさんは毎日、お母さんが作った卵焼き入りのお弁当を持たされていたと伝えられています。
家族全員がお母さんの卵焼きを大好きだった、という話も添えられています。
……なんか、いいですよね、こういう話。
高校生のアスリートにとって、毎日の食事は競技生活そのものを支える土台です。
全国レベルで戦う選手を、特別なことではなく毎日のお弁当という形で支え続けていたわけですから。
この話も公式発表ではなくまとめ媒体が伝えている内容ですが、実家が迫田さんの競技生活を日常から支えていたことがよく伝わるエピソードだと思います。
姉と弟がいる5人きょうだいの家庭
迫田さおりさんの家族構成についても、まとめ媒体が伝えている情報があります。
それによると、実家の家族は父・母・姉・弟2人という構成です。
迫田さんを含めると、きょうだいは4人ということになりますね。
| 続柄 | 伝えられている内容 |
|---|---|
| 父 | 迫田保行さん。ガラス会社勤務、少年団コーチ |
| 母 | 卵焼き入り弁当で競技生活を支えた |
| 姉 | 迫田さんの2歳上。同じ中学・高校でバレーボール |
| 弟 | 2人いるとされる |
お姉さんは迫田さんの2歳上で、同じ中学・高校でバレーボールをしていたと伝えられています。
2歳差で同じ競技、しかも同じ学校となると、練習も進路もずっと隣で見ていたことになります。
迫田さんが小学3年生でバレーボールを始めたきっかけがお姉さんだったことを踏まえると、この2歳という距離感はかなり大きかったはずですよね。
なお、これらの家族構成に関する情報は本人や所属先の公式発表として確認できるものではありません。
お姉さんの影響でバレーボールを始めたという点だけは、Wikipediaを含む複数の媒体が一致して伝えていますので、ここは信頼度が高い情報と言えます。
引退後に実家の両親のもとへ戻った
迫田さおりさんは2017年5月30日に東レアローズを退団し、現役を引退しました。
2006年に高校を卒業して入団してから、実に11年間の現役生活でした。
そしてこの引退が、実家との関係を大きく変えることになります。
迫田さんは2021年1月から西日本スポーツでコラムを連載しているのですが、その中で東京と鹿児島の二拠点生活について本人が語っています。
現役時代の11年間、迫田さんはご両親と一緒に過ごすことができませんでした。
帰省するたびに年を取ったなあと実感していた、と本人が振り返っています。
これ、実家を離れて暮らしたことがある方なら分かるのではないでしょうか。
久しぶりに会った親の変化って、ふとした瞬間に胸に刺さるんですよね。
迫田さんは競技生活に区切りをつけたら両親のそばにいようと、現役のうちから決めていたそうです。
東京と鹿児島の二拠点生活を選んだ理由
引退後、迫田さおりさんが選んだのが東京と鹿児島の二拠点生活です。
解説やイベントの仕事は東京が中心になりますから、完全に地元へ戻るという選択ではありません。
仕事の拠点は東京に置きながら、鹿児島の実家でご両親と過ごす時間もしっかり確保する。
そのための二拠点生活というわけですね。
本人がコラムで挙げている理由は、はっきりしています。
ご両親の年齢です。
コラム掲載時点でご両親は66歳。
「現役だった11年間は一緒に過ごすことができず、帰省するたびに『年を取ったなあ』と実感していました。だからこそ、競技生活にひと区切りをつけたら2人のそばにいようと決めていました」と、本人が語っています。
引退から二拠点生活へ、という流れがきれいにつながりますよね。
……正直、じんわりくる話だと思います。
11年間を競技に捧げた人が、次に選んだのが実家の家族と過ごす時間だったわけですから。
迫田さんにとって鹿児島の実家は、単なる出身地ではなく、引退後の生き方そのものを決めた場所だったと言えそうです。
迫田さおりの実家を調べる人向けの関連情報
実家や家族のことを調べていると、あわせて気になってくるのが学歴や現在の活動ではないでしょうか。
ここからは迫田さおりさんについて、よく検索されている周辺の情報をまとめていきますね。
出身高校は鹿児島西高校
迫田さおりさんの出身高校は鹿児島県立鹿児島西高等学校です。
2006年に同校を卒業しています。
Wikipediaでも公式プロフィールでも、この校名で一致しています。
ここで少しややこしいのが、ネット上に明桜館高校出身と書いている記事も存在することです。
これは間違いというより、学校側の事情が絡んでいます。
鹿児島西高校は2010年4月、鹿児島県立甲陵高校との再編によって鹿児島県立明桜館高校となりました。
鹿児島西高校自体は2010年に募集を停止し、2012年3月に閉校しています。
| 時期 | できごと |
|---|---|
| 2006年 | 迫田さおりが鹿児島西高校を卒業 |
| 2010年4月 | 甲陵高校との再編で明桜館高校が開校 |
| 2010年 | 鹿児島西高校が募集停止 |
| 2012年3月 | 鹿児島西高校が閉校 |
つまり迫田さんが在学していた当時の校名は鹿児島西高校で、明桜館高校は卒業から4年後にできた学校ということになります。
高校時代の迫田さんはセンターエースとして活躍し、3年時には晴れの国おかやま国体に鹿児島県選抜の一員として出場して3位入賞に貢献したと伝えられています。
現役時代の経歴と2度のオリンピック
迫田さおりさんの現役時代の歩みを整理しておきますね。
高校卒業後の2006年、Vプレミアリーグの東レアローズに入団します。
そして2010年に全日本女子バレーボール代表の登録メンバーとなり、同年の世界選手権で銅メダルを獲得しました。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 2006年 | 鹿児島西高校を卒業し東レアローズ入団 |
| 2010年 | 日本代表登録。世界選手権で銅メダル |
| 2012年 | ロンドン五輪で銅メダル |
| 2016年 | リオデジャネイロ五輪に出場し5位 |
| 2017年5月30日 | 東レアローズ退団・現役引退 |
とくに大きいのが2012年ロンドン五輪の銅メダルです。
日本女子バレーにとって28年ぶりのメダルでした。
2016年のリオデジャネイロ五輪にも出場し、日本は5位という結果でした。
そして翌2017年5月30日に東レアローズを退団し、現役に別れを告げます。
2つのオリンピックを経験し、11年間の現役生活を走り切った選手だったわけですね。
現在の活動は解説とYouTube
引退後の迫田さおりさんは、バレーボールに関わり続けています。
公式プロフィールによれば、スポーツ文化人としてバレーボール主要大会の解説を中心に、テレビ出演、トークショー、バレーボールクリニックなど幅広く活動中です。
引退した2017年のワールドグランドチャンピオンズカップなど、早い時期からテレビ解説者として登場していました。
さらに、YouTubeチャンネル「迫田さおりのりおチャンネル」も開設・運営しています。
りおというのは現役時代からの愛称ですね。
加えて2021年1月からは西日本スポーツでコラム「心の旅」の連載もスタートしました。
解説、動画、そして文章。
競技を離れたあとも、伝える側としてバレーボールと関わり続けているのが今の迫田さんです。
結婚や旦那についての公表状況
迫田さおりさんの結婚について気になっている方も多いと思います。
調べた範囲では、結婚や旦那さんに関する公式な発表は確認できませんでした。
ネット上のまとめ媒体でも、独身である可能性が高いという見方が中心です。
ただし、これは結婚していないと公式に発表されているわけではなく、あくまで発表が見当たらないという状態ですね。
私生活のことですから、公表するかどうかは本人の判断次第です。
ここは断定せずに見ておくのがよさそうですよ。
なお、鹿児島の実家でご両親と過ごす時間を大切にしている今の暮らし方は、本人がコラムで語っている通りです。
結婚の話題については、公表された情報を待つのが正しい向き合い方だと言えます。
身長175cmと愛称リオ
迫田さおりさんのプロフィールも整理しておきますね。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生年月日 | 1987年12月18日 |
| 出身地 | 鹿児島県鹿児島市 |
| 身長 | 175cm |
| ポジション | ウイングスパイカー |
| 愛称 | リオ |
身長は175cm。
ポジションはウイングスパイカー(アウトサイドヒッター)で、攻撃と守備の両方を担う役割です。
愛称のリオは現役時代から親しまれてきた呼び名で、YouTubeチャンネル名にも使われています。
2016年にリオデジャネイロ五輪へ出場したときには、この愛称と開催地の名前が重なって話題にもなりました。
迫田さおりの実家のまとめ
- 迫田さおりの実家は鹿児島県鹿児島市にある
- 詳しい住所や番地は公表されていない
- 通ったのは鹿児島市立谷山小学校と鹿児島市立谷山中学校
- 学校名から実家は鹿児島市谷山エリアと考えられる
- バレーボールを始めたのは小学3年生のとき
- きっかけは先にバレーをしていた姉の影響
- 父は迫田保行という名前で、ガラス会社勤務とされる
- 父は清和バレーボールスポーツ少年団のコーチも務めたとされる
- 母は高校時代、毎日卵焼き入りの弁当を持たせていたとされる
- 家族構成は父・母・姉・弟2人とされる
- 姉は2歳上で、同じ中学・高校でバレーボールをしていたとされる
- 出身高校は鹿児島県立鹿児島西高等学校で2006年卒業
- 鹿児島西高校は2010年の再編で明桜館高校となり2012年に閉校した
- 2017年5月30日に東レアローズを退団し現役引退した
- 引退後は東京と鹿児島の二拠点生活を送っている
- 二拠点生活の理由は、両親のそばにいると現役時代から決めていたから

