ヨットで単独世界一周を成し遂げた海洋冒険家、白石康次郎さん。
あれほど型破りな人生を選べた背景に、どんな実家があったのか気になりますよね。
実は小学1年生でお母さんを亡くし、お父さんと祖母に育てられた家庭だったと知ると、あの「自分で決める」という生き方の原点が見えてきます。
・白石康次郎さんの実家がどこにあり、どんな家族構成だったのか
・小学1年生で母を亡くしてからの暮らしと、父・鉱造さんの教え
・水産高校進学やヨット購入を、実家がどう後押ししたのか
白石康次郎の実家は神奈川県鎌倉市
白石康次郎さんの実家は、海の近さで知られる神奈川県鎌倉市にあります。
生まれた場所と育った場所が違うこと、そして小学1年生でお母さんを亡くしていることなど、実家をめぐる話には知られていない部分が多いんです。
実家は神奈川県鎌倉市で生まれは東京都
白石康次郎さんは1967年5月8日に東京都で生まれています。
ただ、育ったのは東京ではありません。
幼いころに一家で移り、少年時代を過ごしたのが神奈川県鎌倉市でした。
プロフィールで「東京都生まれ、神奈川県鎌倉市育ち」と併記されているのはそのためですね。
鎌倉は由比ヶ浜や材木座といった海水浴場を抱える街で、少し歩けば相模湾が広がります。
のちに「水平線の向こうに何があるのかを見てみたい」と語ることになる人が、海のそばで育ったというのは、なんだか出来すぎた話にも思えますよね。
実家の詳しい住所については公表されていません。
一般のご家族が暮らす家ですから、そこは伏せられているという理解でよさそうです。
つまり白石康次郎さんの実家は、東京生まれ・鎌倉育ちという二段構えの経歴のうち、後半の「鎌倉」にあたる家ということになります。
通っていたのは横浜国立大学附属の小・中学校
白石康次郎さんが通ったのは、横浜国立大学教育学部附属鎌倉小学校・中学校です。
国立大学の附属校で、地元では名門として知られる学校ですね。
ここに通えていたという事実だけでも、実家が教育に無関心な家ではなかったことがうかがえます。
そしてこの中学校時代に、いつか船で大海原を渡りたいという夢を抱くことになります。
小学1年生で母を交通事故で亡くしている
実家の話をするうえで避けて通れないのが、お母さんのことです。
白石康次郎さんは小学1年生のときに、母親を交通事故で亡くしています。
7歳前後という年齢です。
正直、ここを読んだときは胸が詰まりました。
まだ甘えたい盛りの子どもが、ある日突然お母さんを失ってしまったわけですから。
白石康次郎さんは兄と妹にはさまれた三人きょうだいの真ん中で、残された子ども3人をお父さんが男手ひとつで育てることになりました。
お母さんについての詳しい情報、たとえば名前や職業といったことは公表されていません。
ご本人がインタビューで語るのも、亡くなった経緯と、その後の家族の暮らしぶりが中心です。
白石康次郎さんの実家は、早くに母を失い、父と祖母が支えた家庭だったということですね。
父と祖母、兄と妹で暮らした家族構成
お母さんが亡くなったあと、実家で一緒に暮らしていたのは、お父さん、祖母、兄、妹の5人です。
はじめはお父さんがひとりで3人を育て、のちに祖母が家に入って生活を支えたと語られています。
家族構成を整理すると、次のようになります。
| 続柄 | わかっていること |
|---|---|
| 父 | 名前は鉱造(こうぞう)さんと伝えられる。躾には厳しかったが、進路には口を出さなかった |
| 母 | 康次郎さんが小学1年生のときに交通事故で死去。詳細は非公表 |
| 祖母 | 母の死後に同居し、家庭を支えた |
| 兄 | 3人きょうだいの長男。一般の方のため情報は非公表 |
| 妹 | 3人きょうだいの末っ子。一般の方のため情報は非公表 |
お父さんの名前については「鉱造」さんと紹介されることが多いものの、公式なプロフィールに載っている情報ではありません。
そのため、ここは断定せずに受け止めておくのがよさそうです。
兄と妹についても、一般の方なので公表されている情報はほとんどありません。
ただ、父ひとりで3人を育てた時期があったという事実は、ご本人が繰り返し語っています。
最初の冒険は実家から赤羽の伯父の家まで
白石康次郎さんは、自分の「最初の冒険」についてこう振り返っています。
鎌倉の実家から、赤羽にある伯父の家までひとりで行ったことだ、と。
鎌倉から東京都北区の赤羽までは、電車を乗り継いで1時間半ほどの距離です。
大人からすればただの移動ですが、子どもにとっては立派な単独行ですよね。
わからないことは自分で駅員さんに聞いて進む。
のちに東京駅まで出向き、電話帳で調べた住所を頼りにヨットマンの多田雄幸さんの自宅へ押しかけて弟子入りする行動力は、このころにはもう芽生えていたようです。
……この話、個人的にすごく好きなんですよね。
父・鉱造の口ぐせは「自分で決めろ」
実家の空気を決めていたのは、間違いなくお父さんです。
白石康次郎さんによれば、お父さんは礼儀や躾にはとても厳しい人でした。
一方で、子どもが自分で決めたことにはあれこれ口を出さなかったといいます。
返ってくるのは「そうか」の一言。
そして「自分で決めろ」。
この2つだけだったそうです。
白石康次郎さんは、父から自分の夢を邪魔されたことがなかったと語っています。
さらに「自分には反抗期がまったくなかった」とも話しています。
反抗する理由がなかった、という言い方のほうが近いかもしれませんね。
子どもに恐れや制限を植えつけない家だったから、反発するものがそもそもなかったという理屈です。
厳しさと放任が同居した父の姿勢が、白石康次郎さんの実家を語るうえで一番の特徴だといえます。
わからないことは自分で聞かせる育て方
お父さんの教育方針を象徴するのが、外出先でのやり取りです。
子どもが道や乗り換えに迷ったとき、代わりに答えるのではなく、駅員さんに自分で聞いてきなさいと促したといいます。
わからないことは自分で調べる。
この習慣を、幼いうちから体で覚えさせていたわけです。
のちに単独で何か月も海の上にいる仕事を選ぶ人ですから、この訓練は効いていたのだろうと思います。
水産高校への進学を止めなかった父
中学時代に海への夢を抱いた白石康次郎さんは、進学先に神奈川県立三崎水産高等学校(現・神奈川県立海洋科学高等学校)を選びます。
入学は1986年です。
国立大学の附属中学に通っていた子が、進学校ではなく水産高校を選ぶ。
普通の家なら一悶着ありそうな進路ですよね。
けれどお父さんは反対しませんでした。
20歳で世界一周の航海に出るという、さらに突拍子もない目標を打ち明けたときも同じです。
返事は「そうか」の一言だったといいます。
白石康次郎さんは同校の専攻科(機関科)まで進み、船の機関について学びました。
大学へは進学していません。
「白石康次郎 大学」で検索する人が多いのですが、経歴としては水産高校の専攻科修了までとなります。
実家が進路に一切ブレーキをかけなかったことが、海の世界へ進む決定打になったということです。
ヨット購入で父が出した500万円
実家の話でもっとも印象に残るのが、ヨットの購入資金にまつわるエピソードです。
白石康次郎さんが単独無寄港世界一周に使った艇は「スピリット・オブ・ユーコー」。
師である多田雄幸さんの名を冠した船です。
この船を手に入れるとき、お父さんはこう言ったと伝えられています。
冒険には金は貸せない、と。
ところが、条件のいいヨットが売りに出ていて、それが欲しいのなら買ってやってもいい、と解釈を変えたのだそうです。
そして500万円を用立てました。
言葉の上では筋を通しながら、実際には夢の入り口を開けてあげている。
……なんというか、不器用でかっこいい話じゃないですか。
奥さんの海夕希さんも、お父さんのことを「分かりやすく愛情を表現しないけれど、愛情深く凛とした男」と評しています。
ちなみに世界一周に挑むための資金は、1回あたりおよそ3億円とされ、最初の航海に出るまでには8年かかりました。
500万円は全体からすればごく一部です。
それでも、最初の一歩を実家が押し出したという事実は変わりません。
白石康次郎さんの実家は、口では突き放しながら、要所で背中を押す家だったということですね。
白石康次郎の実家を調べる人向けの関連情報
実家や生い立ちと合わせて調べられることが多いのが、現在の家族や学歴、収入まわりの話です。
ここからは関連する情報をまとめて見ていきましょう。
妻は元テレビ東京アナウンサーの海夕希
白石康次郎さんは2000年に、元テレビ東京アナウンサーの海夕希さんと結婚しています。
海夕希さんはアナウンサーを経て、気象予報士やファイナンシャルプランナー、ジュエリー作家など、いくつもの分野に挑戦してきた方です。
夫が海で挑戦を続けるあいだ、妻も陸で挑戦を重ねてきたという形ですね。
先ほど紹介した義父への評価も、この海夕希さんの言葉です。
家族として長く見てきた人の言葉だと思うと、重みがあります。
娘の真未帆と現在の暮らし
白石康次郎さん夫妻には、真未帆さんというひとり娘がいます。
2004年生まれとされ、家族は3人です。
おもしろいのは、娘さんが父のヨットに乗ったことがないという点です。
白石康次郎さんは世界一周のことを娘さんにほとんど話さなかったといい、自分の挑戦を子どもに背負わせない姿勢を貫いています。
「子どもを信じろ。親なんだから信じるんだよ」という言葉も残しています。
これ、自分が父から受け取ったものをそのまま返しているように見えませんか。
2013年にはイエローリボン賞のベスト・ファーザーにも選ばれています。
現在の住まいについては横浜だとする情報もありますが、公式に公表されているわけではありません。
高校は三崎水産高校の専攻科
学歴をあらためて整理しておきます。
| 区分 | 学校名 |
|---|---|
| 小学校 | 横浜国立大学教育学部附属鎌倉小学校 |
| 中学校 | 横浜国立大学教育学部附属鎌倉中学校 |
| 高校 | 神奈川県立三崎水産高等学校(現・神奈川県立海洋科学高等学校) |
| その後 | 同校専攻科(機関)を修了。大学への進学はなし |
三崎水産高校は三浦市にあり、実習船での航海実習がある学校です。
在学中に、日本人の多田雄幸さんが単独世界一周レース(BOCチャレンジ)で優勝したニュースに触れ、弟子入りを決意しました。
収入とDMG MORIのスポンサー契約
収入について、具体的な金額は公表されていません。
ただ、活動の資金規模は公になっています。
世界一周のレースに1回挑むための費用は、およそ3億円とされています。
この規模を個人で背負うのは不可能で、スポンサーの存在が不可欠です。
2018年10月30日にはDMG森精機が日本初のプロ外洋セーリングチーム「DMG MORI SAILING TEAM」を設立し、白石康次郎さんがスキッパーを務めることが発表されました。
収入源としては、このスポンサー契約に加え、全国での講演活動やメディア出演、著書などが挙げられます。
ネット上には年収1000万円以上といった推測も出回っていますが、これらはあくまで第三者による見立てで、根拠のある数字ではありません。
著書『精神筋力』と代表的な名言
白石康次郎さんは著書も複数出しています。
代表作のひとつが『精神筋力 困難を突破し、たくましさを育てる。』です。
講演でもよく引かれる言葉には、次のようなものがあります。
- 夢を見るのに理屈はいらない
- 「時」が来なければ芽は出ないし、花も咲かない
- 諦めるとは、明らかに見極めるという意味
どれも、自分で決めろと言われて育った人の言葉だなと感じます。
ちなみに主な航海の実績は次のとおりです。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1993〜94年 | 26歳で単独無寄港世界一周を達成。176日間で当時の史上最年少記録 |
| 2006〜07年 | VELUX 5 OCEANSで日本人初挑戦、総合2位 |
| 2016〜17年 | ヴァンデ・グローブにアジア人として初参戦 |
| 2020〜21年 | ヴァンデ・グローブをアジア人で初完走 |
| 2021年 | 海洋立国推進功労者表彰(内閣総理大臣賞) |
| 2024〜25年 | ヴァンデ・グローブを2度目の完走 |
白石康次郎の実家のまとめ
- 実家は神奈川県鎌倉市にあり、生まれは東京都
- 詳しい住所は公表されていない
- 1967年5月8日生まれの海洋冒険家
- 横浜国立大学教育学部附属鎌倉小・中学校に通った
- 小学1年生のときに母を交通事故で亡くしている
- 母の名前や職業は公表されていない
- 兄と妹がいる3人きょうだいの真ん中
- 母の死後は父が男手ひとつで3人を育て、のちに祖母が同居した
- 父の名前は鉱造さんとされるが公式情報ではない
- 父は躾には厳しい一方、進路には口を出さなかった
- 水産高校への進学も世界一周の夢も「そうか」の一言で見守られた
- 最初の冒険は実家から赤羽の伯父の家までひとりで行ったこと
- ヨット購入時に父が500万円を用立てたと伝えられる
- 世界一周の挑戦資金は1回あたり約3億円とされる
- 妻は元テレビ東京アナウンサーの海夕希さんで、ひとり娘の真未帆さんがいる

