戦前から戦後にかけて銀幕を沸かせ、日本で初めての「歌う映画スター」と呼ばれた高田浩吉さん。その家系図をたどると、子どもの世代にも孫の世代にも役者が並ぶ、かなり濃い一家であることが見えてきます。
なかでも驚かされるのが孫の存在です。俳優の大浦龍宇一さんは高田浩吉さんの孫にあたるのですが、その血縁が世に出たのは祖父が亡くなったあとのことでした。
息子・娘・孫それぞれの歩みと、名前を売ることに慎重だったこの一家の姿勢を整理していきます。
・高田浩吉の家系図に並ぶ息子・次女・三女・孫それぞれの人物像
・孫の大浦龍宇一が祖父との血縁を長く伏せていた背景
・芸名は高田・大浦と分かれても本名は全員が梶浦姓という事実
高田浩吉の家系図でたどる芸能一家三代
戦前から戦後にかけてスクリーンを沸かせた高田浩吉さん。
その家系図をたどると、子どもの世代にも孫の世代にも役者が並ぶ、なかなか濃い一家であることが見えてきます。
家系図で見る高田家三代のつながり
まずは全体の並びから押さえていきましょう。
高田浩吉さんを起点にすると、子どもの世代に3人、孫の世代に1人の芸能関係者が確認できます。
息子が元俳優の高田由紀夫さん。
次女が女優の高田美和さん。
三女が元女優の高田瞳さん。
そして由紀夫さんの息子、つまり浩吉さんの孫にあたるのが俳優の大浦龍宇一さんです。
つまり高田家は三代続けて芸能の世界に身を置いてきた一家ということになります。
これ、けっこうすごくないですか。
しかも浩吉さんの奥さん、大浦さんから見た父方の祖母も元女優だったと伝えられています。
夫婦そろって映画の世界にいたところから始まっている家系なんですね。
| 続柄 | 氏名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 本人 | 高田浩吉 | 俳優・歌手 |
| 妻 | 宏橋照子 | 元女優 |
| 息子 | 高田由紀夫 | 元俳優 |
| 次女 | 高田美和 | 女優 |
| 三女 | 高田瞳 | 元女優 |
| 孫 | 大浦龍宇一 | 俳優(由紀夫の息子) |
ちなみに高田美和さんが「次女」と紹介されていることから、上に長女がいたことになります。
ただ、長女についての情報は公表されているものが見当たりません。
芸能の道に進まなかった家族については、表に出ていないということだと思われます。
本名は梶浦武一で兵庫県の生まれ
家系図を見るときに最初に押さえておきたいのが、高田家の「本当の姓」です。
高田浩吉さんの本名は梶浦武一(かじうら たけいち)さんといいます。
つまり「高田」は芸名なんですね。
ここ、意外と知られていないポイントかもしれません。
そして興味深いのは、子どもや孫の本名にもきちんと梶浦姓が受け継がれていることです。
次女の高田美和さんの本名は梶浦美知子さん。
孫の大浦龍宇一さんの本名は梶浦靖博さん。
芸名では高田・大浦とバラバラですが、戸籍のうえでは全員が梶浦家という一本の系図でつながっています。
生まれは1911年11月7日、兵庫県川辺郡園田村です。
いまでいうと尼崎市の東園田町にあたります。
大阪と神戸のあいだにある町の出身で、そこから京都の撮影所へ入っていくことになります。
歌う映画スター第1号になるまで
高田浩吉さんが映画界に入ったのは1926年、15歳のときでした。
松竹下加茂撮影所に研究生として入り、『照る日くもる日』でデビューしています。
同じ時期の下加茂には長谷川一夫さんと坂東好太郎さんがいて、この3人はまとめて「松竹下加茂三羽烏」と呼ばれました。
若手の看板役者、といった立ち位置ですね。
そして高田浩吉さんの名前を決定的にしたのが1935年です。
主演した『大江戸出世小唄』で、なんと主題歌まで自分で歌ったんです。
この曲が大ヒットし、高田浩吉さんは日本における「歌う映画スター第1号」と言われる存在になりました。
いまでこそ俳優が歌うのは当たり前ですが、当時はまったく新しいことでした。
戦時中はいったん映画から離れ、劇団を率いて地方を回っています。
戦後の1951年に美空ひばりさんとの共演作で映画界へ復帰し、「伝七捕物帖」シリーズなどで再び人気を集めました。
1960年に松竹を退社して東映へ移り、1960年代前半からは舞台とテレビが活動の中心になっていきます。
『春琴抄 お琴と佐助』『残菊物語』といった作品にも出演し、歌のほうでも『伊豆の佐太郎』などのヒットを残しました。
役者と歌手を両方本気でやり切った人、という言い方が近いと思います。
息子・高田由紀夫は元俳優だった
家系図の二代目にあたるのが、息子の高田由紀夫さんです。
由紀夫さんも俳優として活動していました。
ただ正直に言うと、父の浩吉さんや妹の美和さんに比べると、表に出ている情報はかなり少ないです。
出演作のリストや詳しい経歴が広く知られている、という状態ではありません。
それでも家系図のうえでは、この由紀夫さんがとても重要な位置にいます。
というのも、孫の大浦龍宇一さんは、この由紀夫さんの息子だからです。
浩吉さん → 由紀夫さん → 龍宇一さん。
三代のまんなかをつないでいるのが由紀夫さんということになりますね。
親が大スターで、妹も人気女優。
そのあいだで俳優をやるというのは、想像するとなかなかしんどい立場だったんじゃないかなと思います。
次女・高田美和は大映の清純派スター
子ども世代でいちばん名前が知られているのが、次女の高田美和さんです。
1947年1月5日生まれ、京都市左京区の下鴨の出身。
本名は梶浦美知子さんです。
父と同じ道に進んだのは高校在学中のことでした。
大映京都撮影所に入り、1962年に『青葉城の鬼』でデビューしています。
まだ15歳の年ですね。
そこから1960年代の大映を代表する清純派スターとして人気を集めました。
1968年に大映を退社してからは、テレビと舞台に本格的に軸足を移します。
そして1982年には、にっかつロマンポルノの大作『軽井沢夫人』に主演して話題になりました。
清純派として売り出した人がこの作品に出るというのは、当時としてはかなりの驚きだったはずです。
父・浩吉さんが歌と芝居の両方に挑んだように、美和さんもイメージを固定させずに役の幅を広げていった女優だと言えそうです。
血のつながりというより、生き方の似方のほうが面白いなと個人的には思います。
三女・高田瞳も女優だった
高田浩吉さんの三女が高田瞳さんです。
瞳さんも元女優として活動していました。
つまり高田家は娘が2人とも女優になっていることになります。
姉の美和さんと妹の瞳さん。
姉妹そろって同じ道に進んだわけですね。
ただ、瞳さんについては公開されている情報が少なく、詳しい出演歴や現在の様子はほとんど伝わっていません。
家系図の「枝」としては確認できるものの、そこから先が追いにくい人物、というのが正直なところです。
芸能一家といっても、全員が同じだけ表に出るわけではない。
このあたりは、有名人の家系図を調べていてよくぶつかる壁だと思います。
孫・大浦龍宇一が血縁を伏せた理由
高田浩吉さんの家系図で、いちばん驚かれるのがこの部分だと思います。
俳優の大浦龍宇一さんは浩吉さんの孫にあたりますが、この血縁が公表されたのは、祖父が亡くなったあとのことでした。
大浦さんは1968年11月17日生まれ、京都市の出身です。
立命館高校から立命館大学経済学部へ進み、1994年にフジテレビのドラマ『この世の果て』のオーディションに合格して俳優デビューしました。
1996年には『夏の午後』で歌手としてもデビューしています。
デビューから数年間、大浦さんは「あの高田浩吉の孫」という看板をいっさい使っていなかったわけです。
え、そうだったの?と思いませんか。
祖父は歌う映画スター第1号、叔母は大映の看板女優。
使おうと思えばいくらでも使える肩書きなのに、それを伏せてオーディションを受けている。
ここには本人の意思だけでなく、祖父・高田浩吉さん側の姿勢も関係していたと考えられます。
その理由は、次の付き人時代の話を読むとすっと腑に落ちると思います。
付き人だった孫に伝えた2つの戒め
デビュー前、大浦龍宇一さんはいくつかのアルバイトを経たあと、祖父・高田浩吉さんの付き人兼運転手を務めていました。
孫が祖父の車を運転して現場へ送る。
家族としてはごく自然な光景に見えます。
ところが浩吉さんは、仕事場では孫だと明かさなかったそうです。
周囲からは「普通の若い子が運転してる」としか見えない状態を、あえて保っていました。
……これ、なかなかできることじゃないですよね。
孫を連れ歩けば「跡取りだ」と喜ばれる場面はいくらでもあったはずなのに、そこを一切やっていない。
大浦さんが血縁を伏せてデビューしたのも、この祖父の姿勢を間近で見ていたからではないか、と考えると筋が通ります。
「博打をするな、女遊びはするな」
役者になると決めた大浦さんに、浩吉さんが伝えたのはとてもシンプルな教えでした。
「博打をするな、女遊びはするな。それさえ守ればいい」という言葉です。
演技論でも人脈の話でもなく、生活の話なんですよね。
ここ、じんわりきませんか。
長く芸能界にいた人だからこそ、才能より先に崩れるのは私生活だと分かっていたのだと思います。
大浦さんは付き人時代について「こづかいをいただきますし、そばにいると、いいものが食べられる」と振り返っています。
孫らしい、ちょっとかわいい言い方ですよね。
厳しい教えと、こういうやわらかい時間の両方があったのが、この祖父と孫の関係だったようです。
高田浩吉の家系図を調べる人向けの関連情報
ここからは、家系図と一緒に調べられることの多い妻や娘の結婚、そして晩年についてまとめていきます。
妻は元女優の宏橋照子
高田浩吉さんの妻は、元女優の宏橋照子さんだと伝えられています。
孫の大浦龍宇一さんから見て、父方の祖母にあたる人です。
つまり高田家は、夫婦そろって映画の世界にいたところから始まっている家系ということになりますね。
子どもが3人とも芸能の道に進んだのも、家の空気を考えれば自然だったのかもしれません。
そして印象的なのが、浩吉さんの奥さんへの向き合い方です。
大浦さんは祖父について「とにかくおばあさんが大好きな人」だったと語っています。
外で食事をするより、家族と食卓を囲むことを優先する人だったそうです。
スクリーンの中では颯爽とした二枚目、家では奥さん一筋。
……なんか、いいですよね。
孫に「女遊びはするな」と言った人が、実際にそういう生き方をしていた。
言葉に重みが出るのは、そこが揃っているからだと思います。
高田美和と片岡秀太郎の結婚と離婚
家系図の枝としてもうひとつ大きいのが、次女・高田美和さんの結婚です。
美和さんは1973年、歌舞伎俳優の片岡秀太郎さん(2代目)と結婚しました。
映画一家の娘と、上方歌舞伎の名門。
芸能の世界のなかでも、系統がまったく違う家同士の縁組みです。
これが続いていれば、高田家の家系図は歌舞伎の名跡ともつながることになっていました。
ただ、2人はのちに離婚しています。
離婚の時期や理由について、はっきりした情報は出てきません。
家系図としては、「一時期、片岡家と姻戚関係にあった」というかたちで記録されるのが正確なところだと思います。
このあたり、詳しく知りたい人が多い割に情報が薄い部分なんですよね。
86歳での死去と晩年
高田浩吉さんは1998年5月19日、86歳で亡くなりました。
亡くなった場所は京都市北区、死因は肺炎と伝えられています。
1926年のデビューから数えると、70年を超える芸歴です。
戦前・戦中・戦後を通して第一線にいた役者はそう多くありません。
そして家系図の話に戻ると、この1998年の死去が、孫・大浦龍宇一さんの血縁が世に出るきっかけになりました。
祖父が生きているあいだは伏せておいて、いなくなってから明かす。
孫の側からすると、これは「自分の力で立ってから名乗る」という順番を守り切ったということでもあります。
デビューが1994年ですから、4年ほどは完全に自力で勝負していた計算になりますね。
家系図をめぐる世間の声
高田浩吉さんの家系図については、ネット上でもいくつかの反応が目立ちます。
いちばん多いのは、やはり「大浦龍宇一が高田浩吉の孫だと知らなかった」という驚きです。
姓が違うため、言われるまで気づかなかったという声がかなりあります。
次に多いのが、高田美和さんと大浦さんが叔母と甥の関係だと知って驚くパターン。
2人がテレビで並んで祖父の思い出を語る場面もあり、そこで初めて関係を知った人も多いようです。
また、「歌う映画スター第1号」という肩書きそのものに驚く声もあります。
俳優が歌うのが普通になった今の感覚からすると、その第1号がいたことにピンとこないんですよね。
一方で、息子の高田由紀夫さんや三女の高田瞳さんについては情報が少なく、家系図の全体像がつかみにくいという意見もあります。
このあたりは、芸能一家といっても表に出る人と出ない人がはっきり分かれているということだと思います。
調べていて感じたのは、高田家は「名前を売る」ことに対してかなり慎重な家だったんじゃないか、ということです。
孫に血縁を明かさせなかった祖父の姿勢が、その象徴のように見えました。
高田浩吉の家系図のまとめ
- 高田浩吉は1911年11月7日生まれ、1998年5月19日に86歳で死去した俳優・歌手
- 本名は梶浦武一で、高田は芸名にあたる
- 出身は兵庫県川辺郡園田村(現在の尼崎市東園田町)
- 妻は元女優の宏橋照子とされ、夫婦ともに映画界の出身
- 息子は元俳優の高田由紀夫
- 次女は女優の高田美和で本名は梶浦美知子
- 三女は元女優の高田瞳
- 孫は俳優の大浦龍宇一で、本名は梶浦靖博
- 大浦龍宇一は高田由紀夫の息子にあたり、高田美和の甥
- 芸名は高田・大浦と分かれているが本名はいずれも梶浦姓
- 1926年に松竹下加茂へ入り『照る日くもる日』でデビュー
- 長谷川一夫・坂東好太郎と「松竹下加茂三羽烏」と呼ばれた
- 1935年『大江戸出世小唄』で歌う映画スター第1号となった
- 高田美和は1973年に歌舞伎俳優の片岡秀太郎と結婚し、のちに離婚
- 大浦龍宇一が高田浩吉の孫だと公表されたのは祖父の死後だった

