三重ノ海の家系図は角界から芸能へ三代!孫・嵐翔真が受け継いだ祖父の下駄

三重ノ海の家系図は角界から芸能へ三代!孫・嵐翔真が受け継いだ祖父の下駄

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第57代横綱として土俵に立ち、引退後は武蔵川部屋を興して横綱・武蔵丸を育てた三重ノ海剛司さん。その家系図をたどると、三代がすべて人前に立つ仕事に就いていることが分かります。

しかも代が進むにつれて舞台が変わっていくんです。祖父は土俵、父は俳優、そして孫はファッション誌のモデル。同じ家系なのに、居場所がまったく違います。

なかでも印象的なのが、孫が祖父から受け継いだあるものの話でした。順番に見ていきましょう。

この記事を読むとわかること
・三重ノ海の家系図に並ぶ長男・石山俊明と孫・嵐翔真の歩み
・本名の石山という姓が次の世代でどう使われたか
・孫が祖父から受け継いだトレードマークの正体

三重ノ海の家系図でたどる角界三代

第57代横綱として土俵に立ち、引退後は武蔵川部屋を興した三重ノ海剛司さん。

その家系図をたどると、角界から芸能界へと少しずつ形を変えながら三代が続いていることが見えてきます。

家系図で見る石山家三代のつながり

まずは全体像から整理していきますね。

三重ノ海さんの家系図は、祖父・父・孫の三代がすべて相撲と関わっているのが大きな特徴です。

初代にあたるのが三重ノ海さん本人。

二代目が長男の石山俊明さん。

三代目が孫の嵐翔真さんです。

そして面白いのが、代を追うごとに活動の場が変わっていることなんです。

三重ノ海さんは横綱まで上り詰めた力士。

長男の俊明さんは力士から俳優へ転じ、孫の翔真さんはモデルとして芸能界に入りました。

土俵から画面へ、そして誌面へ。三代かけて舞台が移っていった家系図だと言えます。

続柄氏名主な活動
本人三重ノ海剛司(石山五郎)第57代横綱・元武蔵川親方
1974年に結婚
長男石山俊明元力士・俳優
嵐翔真メンズノンノ専属モデル

なお、三重ノ海さんに長男以外の子どもがいるかどうかについては、公表されている情報が見当たりません。

家系図として確認できるのは、この石山俊明さんの系統になります。

本名は石山五郎で三重県松阪市の出身

家系図を見るときにまず押さえておきたいのが、「石山」という姓です。

三重ノ海というのは四股名で、本名は石山五郎(いしやま ごろう)さんといいます。

生まれは1948年2月4日、三重県松阪市です。

四股名の「三重ノ海」は、この出身地の三重県から取られたものですね。

そして家系図をたどるうえで大事なのは、この「石山」という本名がのちの世代にそのまま出てくることです。

長男の石山俊明さんは、力士になったときに四股名を作らず、本名の「石山」をそのまま四股名として使いました

父が地名で四股名を作ったのに対し、息子は本名で土俵に上がったわけです。

ここ、ちょっと味わい深いところだと思いませんか。

三重ノ海という大きすぎる名前を継がず、かといって別の名前に逃げるでもなく、そのまま石山として出ていった。

家系図のうえで見ると、この選択がけっこう象徴的に見えてきます。

結婚は横綱昇進の5年前だった

三重ノ海さんが結婚したのは1974年9月25日のことでした。

東京プリンスホテルで挙式を行っています。

このとき26歳。

まだ横綱にも大関にもなっていない時期の結婚です。

三重ノ海さんが大関に上がるのは1976年、横綱になるのは1979年ですから、結婚は横綱昇進の5年前ということになります。

つまり奥さんは、夫がまだ上を目指している途中の段階から一緒にいたことになりますね。

……これ、地味にすごい話だと思います。

三重ノ海さんは31歳を過ぎてから横綱になった、いわゆる遅咲きの力士でした。

その長い上り坂の途中から支えていた人がいる、ということですから。

奥さんの氏名や出身については公表されておらず、詳しいことは分かりません。

ただ日刊ゲンダイのインタビューでは、現在も夫婦2人で暮らしていることが語られています。

50年以上連れ添っている計算になります。

長男・石山俊明は力士から俳優へ

家系図の二代目にあたるのが、長男の石山俊明さんです。

俊明さんの経歴は、なかなか珍しい二段構えになっています。

まず力士として角界に入りました。

本名の「石山」を四股名として、三段目まで昇進しています

1993年には「元三重ノ海の長男が角界入り」として報じられ、1994年の初場所で初土俵を踏んだと伝えられています。

横綱の息子が力士になる。

当時はかなり注目されたはずです。

ただ、そこから幕内へ上がるまでには至りませんでした。

そして引退後、俊明さんが選んだのが俳優の道でした。

『GTO』や『暴れん坊将軍』といった作品に出演したと紹介されています。

力士としての体格と存在感を、そのまま演技の世界へ持ち込んだかたちですね。

父と同じ土俵に立ちながら、最後は別の場所で自分の居場所を作った人。

家系図のまんなかにいるのが、こういう経歴の持ち主だというのは面白いところです。

なお、俊明さんは再婚をしており、嵐翔真さんには異母の兄姉がいると伝えられています。

孫の嵐翔真がモデルとしてデビュー

家系図の三代目にあたるのが、モデルの嵐翔真さんです。

2006年12月5日生まれ、東京都台東区の鶯谷出身。身長は190cmあります。

そして所属は芸能事務所のLIBERAです。

嵐さんが世に出たきっかけは、2024年10月に行われたメンズノンノのモデルオーディションでした。

ここで準グランプリを獲得し、同誌の専属モデルに就任しています。

このとき17歳。

祖父が31歳で横綱になったのに対し、孫は17歳で雑誌の専属モデルになったわけです。

遅咲きの祖父と、早咲きの孫

同じ家系図に並んでいるのに、上がっていくスピードが正反対なのは面白いですよね。

ちなみに嵐さんは、憧れの俳優として阿部寛さんと木村拓哉さんの名前を挙げています。

靴のサイズは29.5cm、血液型はA型です。

190cmで29.5cmの靴。

数字を並べるだけで、体格の大きさが伝わってきます。

母はロシア出身という長身一家

嵐翔真さんの家系図で、もうひとつ触れておきたいのが母方のことです。

嵐さんの母はロシア出身で、身長は約180cmあると伝えられています

女性で180cmというのは、かなりの長身ですよね。

そして父方をたどると、祖父の三重ノ海さんが180cm、父の石山俊明さんが185cm。

両親も祖父も揃って高身長という、家系図そのものが長身で埋まっている一家です。

嵐さんの190cmという身長は、まさにこの家系の集大成といったところでしょうか。

ネット上では嵐さんについて「ハーフなのか」という検索が多く見られますが、母がロシア出身であることを考えれば、そう見られるのは自然なことだと思います。

家系図の観点で言うと、日本の角界とロシアが1つの系図の中で結びついているわけですね。

相撲部屋の家系にロシアの血が入り、その子が日本のファッション誌の顔になる。

……なんというか、時代を感じます。

祖父譲りの下駄がトレードマーク

嵐翔真さんを紹介する記事で、必ずといっていいほど出てくるのが下駄の話です。

嵐さんは祖父・三重ノ海さん譲りという年季の入った下駄を履いていることがトレードマークになっています。

190cmのモデルが、足元は下駄。

このギャップ、けっこう強烈ですよね。

家系図の話としてこれが面白いのは、受け継いだのが四股名でも部屋でもなく、下駄という具体的なモノだったという点です。

相撲の世界では、力士は日常的に下駄を履きます。

つまりあの下駄は、角界の暮らしそのものの象徴なんです。

孫は力士にはなりませんでした。

でも祖父が使っていた下駄を履いて、まったく違う世界に立っている。

……個人的に、すごく好きなエピソードです。

血や名前ではなく、道具で家がつながっている。

家系図をいくつも見ていても、こういう継ぎ方はなかなか見かけません。

三重ノ海の家系図を調べる人向けの関連情報

ここからは、家系図とあわせて調べられることの多い三重ノ海さん本人の歩みをまとめていきます。

集団就職から角界に入った少年時代

三重ノ海さんの出発点は、決して恵まれたものではありませんでした。

幼いころは貧しい家庭で育ち、中学卒業後は集団就職でアルミ工場に勤めています

角界の名門の出でもなければ、早くから注目された素材でもなかったわけです。

そこから相撲の世界へ入ったのが1963年7月場所。

出羽海部屋から初土俵を踏みました。

15歳のときですね。

家系図の観点で見ると、ここが重要です。

石山家はもともと相撲の家系ではなく、三重ノ海さん一代で角界とつながった家だということになります。

代々の親方の家に生まれた人ではない。

工場で働いていた少年が土俵に上がり、そこから横綱まで行き、部屋を興し、協会の理事長にまでなった。

そう考えると、この家系図はまるごと一代で作られたものだと言えます。

31歳5か月での横綱昇進と早い引退

三重ノ海さんの相撲人生は、上がるのに時間がかかったことで知られています。

初土俵は1963年、十両昇進は1969年1月場所。

初優勝が1975年11月場所で、翌1976年1月場所に大関へ昇進しました。

ただ、その大関の座も一度は手放しています。

1976年5月場所で陥落してしまうんです。

ところが同じ年の7月場所で10勝を挙げ、わずか1場所で大関に復帰しました。

落ちてすぐ戻る。

これはなかなかできることではありません。

そして1979年9月場所、ついに第57代横綱へ昇進します。

このとき31歳5か月。初土俵から16年をかけての昇進でした

ただ、横綱でいられた時間は長くありませんでした。

1980年11月場所の3日目に現役を引退しています。

32歳9か月でした。

上がるのに16年、横綱でいたのは1年ちょっと。

……この数字の対比、ちょっと切なくなりますよね。

武蔵川部屋を興し武蔵丸を育てた

引退後の三重ノ海さんは、指導者として大きな仕事をします。

1981年8月、出羽海部屋から分家独立して武蔵川部屋を創設しました。

そして育て上げたのが、のちの横綱・武蔵丸です。

ハワイ出身の力士を横綱まで導いたわけですね。

武蔵川部屋からはほかにも関取が育ち、一時期の角界で大きな存在感を持つ部屋になりました。

家系図の話に戻すと、ここに面白いねじれがあります。

相撲の技と部屋は弟子たちへ渡り、血縁は芸能の世界へ進んだということです。

長男の俊明さんは三段目までで、部屋を継ぐ立場にはなりませんでした。

武蔵川の名跡は、弟子である武蔵丸が継いでいます。

血のつながりと相撲の継承が、きれいに分かれた家なんですね。

相撲協会の理事長を務めた晩年

三重ノ海さんは、親方としてだけでなく協会の運営でも重い立場に就きました。

2008年9月8日、第10代日本相撲協会理事長に就任しています

集団就職から角界に入った人が、最終的に協会のトップに立ったわけです。

在任は2010年8月12日まで。

そして2013年2月3日に停年退職を迎えました。

現在は邸宅で妻と2人で穏やかに暮らしているとインタビューで語っています。

孫弟子たちの活躍を見るのが楽しみのひとつだそうです。

土俵で戦い、弟子を育て、協会を動かし、いまは見守る側にいる。

そして孫はまったく別の世界で名前を売り始めている。

家系図としては、これ以上ないほど新しい章が始まっているところだと思います。

家系図をめぐる世間の声

三重ノ海さんの家系図については、ネット上でもいくつか目立つ反応があります。

いちばん多いのは、やはり「嵐翔真が三重ノ海の孫だと知らなかった」という驚きです。

姓も芸名もまったく違うので、言われるまで気づかなかったという声が多く見られます。

次に多いのが、父の石山俊明さんが力士から俳優になっていたことへの反応です。

三代続けて表に出る仕事をしているという点に、感心する声が集まっています。

そして下駄のエピソードは、かなり評判がいいようです。

祖父から受け継いだ下駄を履いてモデルをしているという話に、「かっこいい」「粋だ」といった反応が寄せられていました。

一方で、三重ノ海さんの奥さんや、長男以外の家族についての情報がほとんど出てこないため、家系図の全体像が見えにくいという指摘もあります。

角界の家は家族の情報を出さない傾向が強いので、これはある程度仕方のないところかもしれません。

調べてみて感じたのは、石山家は「継がせる家」ではなく「それぞれが立つ家」なのだろうということでした。

三重ノ海の家系図のまとめ

  • 三重ノ海剛司は1948年2月4日生まれ、三重県松阪市出身の元横綱
  • 本名は石山五郎で、四股名は出身地の三重県に由来する
  • 幼少期は貧しく、中学卒業後は集団就職でアルミ工場に勤めた
  • 1963年7月場所に出羽海部屋から初土俵を踏んだ
  • 1976年1月場所で大関、1979年9月場所で第57代横綱に昇進した
  • 横綱昇進は31歳5か月と遅く、初土俵から16年かかった
  • 1980年11月場所3日目に32歳9か月で現役を引退した
  • 1974年9月25日に東京プリンスホテルで挙式し、現在も夫婦2人で暮らしている
  • 長男は石山俊明で、本名を四股名として三段目まで昇進した元力士
  • 俊明は引退後に俳優へ転じ、『GTO』などへの出演が紹介されている
  • 孫は2006年12月5日生まれのモデル・嵐翔真
  • 嵐翔真は2024年10月のメンズノンノのオーディションで準グランプリを獲得した
  • 嵐翔真の母はロシア出身とされ、一家は祖父180cm・父185cm・本人190cmの長身
  • 嵐翔真は祖父譲りの下駄を履くのがトレードマークになっている
  • 1981年に武蔵川部屋を創設し、部屋と名跡は弟子の武蔵丸へ受け継がれた

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