ニュース解説でおなじみの池上彰さんですが、ご自身の家族についてはほとんど語られていません。
そんな池上彰さんの家系図をたどっていくと、長野県松本市から東京へ移ってきた三代の歩みと、47歳で池上さんを授かった父親の姿が浮かび上がってきます。
あの落ち着いた語り口がどこから来たのか、父親の本棚のエピソードを知ると納得してしまうと思います。
・池上彰の家系図が祖父・父・本人・子供の四代でどうつながっているか
・銀行員から通訳へ転じた父親と、松本出身の母親の人物像
・兄弟の有無と、池上正樹が息子だという噂が成り立たない理由
池上彰の家系図でたどる祖父から子供までの四代
池上彰さんは、家族についての情報をほとんど公にしていません。
それでも、ご本人の著書やインタビュー、公表されているプロフィールをつなぎ合わせると、祖父の代から現在の子供たちまでの流れはかなりはっきり見えてきます。
まずは家系図の全体像から順に見ていきましょう。
家系図の全体像は祖父・父・本人・子供の四代
公表されている情報から組み立てられる池上彰さんの家系図は、次のような形になります。
| 世代 | 人物 | わかっていること |
|---|---|---|
| 祖父の代 | 池上家 | ルーツは長野県松本市。祖父の代に東京へ移り住んだ |
| 父 | 父親 | 銀行員。定年退職後にフリーランスの通訳へ |
| 母 | 母親 | 松本の人。父が転勤で赴任していた松本で出会った |
| 本人 | 池上彰 | 1950年8月9日、長野県松本市生まれ。育ちは東京都練馬区 |
| 配偶者 | 妻 | 一般女性で非公表 |
| 子 | 長男・次男・長女 | 3人。いずれも一般人で非公表 |
縦にたどると、松本から東京へ出た祖父、東京で就職して松本へ赴任した父、その松本で生まれた本人、そして東京で育った子供たち、という往復の流れになっています。
池上家にとって松本は、ただの出生地ではなく二代にわたって縁のある土地なんですね。
祖父の代に松本から東京へ移り住んだ
池上家のルーツは長野県松本市にあり、東京へ出てきたのは祖父の代とされています。
つまり池上彰さんから見れば、東京暮らしはまだ三代目ということになります。
この祖父については、名前や職業といった具体的な情報は公表されていません。
それでも「池上家が松本の家である」という一点は、池上彰さんが松本市で生まれた事情を理解するうえで欠かせない前提になっています。
父は東京で就職し転勤先の松本で母と出会った
池上彰さんの父親は、東京で就職して銀行員になりました。
そして転勤で赴任した松本で、松本の女性だった母親と出会っています。
池上彰さんが1950年に長野県松本市で生まれているのは、この父親の転勤があったからです。
祖父の代に一度東京へ出た池上家が、父の転勤で再び松本と結びつき、そこで池上彰さんが生まれた、という順序になります。
父は銀行員から国家資格を取って通訳になった
池上彰さんの父親について、ご本人はインタビューで「父は銀行員でしたが、エリートコースではなかった」と語っています。
注目したいのはその後です。
父親は銀行員として働きながら英語の勉強を続け、通訳の国家資格を取得しました。
そして銀行を定年退職したあとは、フリーランスの通訳として仕事をしていたといいます。
会社勤めのかたわらで語学を積み上げ、定年後に第二の職業として独立する。
今でこそ珍しくない生き方ですが、当時としてはかなり異色だったはずです。
父が47歳のときに生まれた子だった
池上彰さんは、父親が47歳のときに生まれた子供です。
そのため池上さんが小学生になったころには、父親はすでに最初の銀行を定年退職していました。
同級生の父親がまだ現役で働いている年ごろに、自分の父は家で英語の勉強をしている。
この年齢差が、池上彰さんの子供時代の風景をかなり特徴的なものにしていたことがうかがえます。
父の本棚が読書好きの原点になった
池上彰さんは、勉強したり本を読んだりしている父親の姿を見て育ったと振り返っています。
実家の本棚には『夏目漱石全集』などが並んでいて、雨で外に遊びに行けない日は、その本棚を眺めて過ごしていたそうです。
なかでも父親から手渡された吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』は、池上さんが強い影響を受けた一冊として繰り返し挙げています。
難しいことをかみ砕いて伝える池上彰さんのスタイルは、この父親の本棚から始まっていたわけです。
母は松本の人で家庭を守っていた
池上彰さんの母親は、父親が赴任していた松本の女性です。
名前や生年などは公表されておらず、専業主婦として家庭を支えていたと紹介されることが多いのですが、こちらは出典が限られる情報のため確定とはいえません。
池上彰さんは家族のプライバシーを非常に厳しく守っており、母親についてもエピソードとして語られる機会はほとんどないのが実情です。
兄弟の情報はなく実家は3人家族とされる
池上彰さんに兄弟がいるかどうかについては、公式なプロフィールにも著書にも記載がありません。
そのため紹介記事の多くは、実家の家族構成を「父親・母親・池上彰さん」の3人としています。
ただしこれは「兄弟について語られた形跡がない」ことから導かれた見方で、公表された事実ではない点は押さえておきたいところです。
父親が47歳のときの子であることを踏まえると、年の離れた家族がいた可能性も完全には否定できません。
生まれは長野県松本市で育ちは東京都練馬区
池上彰さんは1950年8月9日に長野県松本市で生まれ、幼いうちに東京へ移っています。
ご本人は「長野県に生まれて、3歳のとき東京へ引っ越してきました」と語っていますが、4歳としている紹介記事もあり、細かい時期には幅があります。
いずれにせよ、実際に子供時代を過ごした実家は東京都練馬区でした。
出身地を松本市、育ちを練馬区と分けて書いている資料が多いのは、この引っ越しがあったためです。
池上彰の家系図を調べる人向けの関連情報
家系図をたどっていくと、次に気になってくるのが現在の家族のほうです。
妻や子供、そして「息子ではないか」と噂される人物まで、周辺で語られている話を整理しておきましょう。
妻は一般女性で顔も名前も非公表
池上彰さんには妻がいますが、一般女性のため名前も顔写真も公表されていません。
NHK時代に最初の勤務地で出会ったとする説が紹介されることもありますが、ご本人や事務所が認めた話ではないため、あくまで噂の域を出ません。
池上彰さんは仕事では家族の話題をほぼ封じており、この徹底ぶりが逆に家系図への関心を集めている面もありそうです。
子供は息子2人と娘1人の3人
池上彰さんの子供は、長男・次男・長女の3人です。
妻を含めた5人家族ということになり、子供たちはすでに全員成人しています。
3人とも一般人で、職業や勤務先は明かされていません。
ジャーナリストの跡を継いだといった情報も、公式には確認されていない状況です。
息子が武蔵高校という話はどこまで確かか
2人の息子が中高一貫の武蔵高校に通っていたという話が、複数のまとめ記事で紹介されています。
ただし出典が示されているものは見当たらず、そこから「娘も同系統の学校ではないか」と推測を重ねている記事もあります。
子供たちは一般人ですので、この学校名についても確定情報として扱わないほうがよさそうです。
池上正樹が息子という説は年齢差で否定できる
池上彰さんの家系図を調べていると、ジャーナリストの池上正樹さんが息子ではないか、という話に行き当たります。
同じ「池上」姓で、同じくジャーナリストという肩書きが重なるためです。
しかしこれは成り立ちません。
池上彰さんが1950年生まれ、池上正樹さんが1962年生まれで、その差はわずか12歳です。
12歳差で親子になることはできませんから、この噂は年齢を確認するだけで否定できます。
学歴は練馬の公立から慶應義塾大学へ
池上彰さんの学歴は、練馬区立光和小学校、練馬区立開進第三中学校、東京都立大泉高等学校、慶應義塾大学経済学部という流れです。
小学校から高校まで地元の公立に通っており、育った練馬区の中で完結しているのが特徴です。
小学6年生のときに新聞記者を扱ったドキュメント本を読んで記者を志し、中学では天文気象部、高校では地理歴史研究部に所属していました。
大学卒業後の1973年にNHKへ記者として入局し、2005年に退職してフリーランスになっています。
大津綾香が娘という噂に根拠はない
「池上彰の娘ではないか」という文脈で大津綾香さんの名前が挙がることがあります。
ただし池上彰さんの子供は長男・次男・長女の3人で、いずれも一般人として名前が公表されていません。
両者を結びつける根拠のある情報は確認できず、姓も異なることから、この話も噂として扱うのが妥当です。
家系図からわかったルーツのまとめ
池上彰さんの家系図を整理すると、次のようになります。
- 池上家のルーツは長野県松本市で、東京へ出たのは祖父の代
- 父は東京で就職した銀行員で、転勤先の松本で母と出会った
- 池上彰さんは父が47歳のときの子で、1950年に松本市で生まれ練馬区で育った
- 父は銀行員として働きながら通訳の国家資格を取り、定年後は通訳として独立した
- 兄弟についての情報はなく、実家は3人家族とされることが多い
- 現在は妻と長男・次男・長女の5人家族だが、いずれも非公表
公表されている範囲はけっして広くありませんが、その中でも「銀行員をしながら語学を積み上げた父」という一点は、池上彰さんの仕事ぶりと重ねて見るととても腑に落ちます。
家系図をたどることは、あの分かりやすさの原点をたどることでもあったわけです。

