声優・俳優・アーティストとして活動し、いばらき大使も務める安達勇人さん。
その実家がどこにあるのか、どんな家庭で育ったのかが気になっている方は多いのではないでしょうか。
実は父親は市役所職員でありながら剣道の指導者という顔を持っていて、安達さん自身も実家の裏山で2年間ひたすら竹刀を振り続けた過去があるんです。
・安達勇人の実家がある茨城県桜川市の場所と、岩瀬エリアとのつながり
・市役所職員で剣道指導者だった父親と、武道一家で育った幼少期のエピソード
・実家の一室が「僕の博物館」と呼ばれている理由と、いまの地元との関係
安達勇人の実家は茨城県桜川市
まずは一番知りたいところ、安達勇人さんの実家がどこにあるのかから見ていきましょう。
家族のことや幼少期の過ごし方まで、公表されている情報をまとめて整理していきますね。
実家があるのは桜川市の岩瀬エリア
安達勇人さんの実家があるのは、茨城県桜川市です。
これはWikipediaや本人のオフィシャルサイトのプロフィール、地元のLuckyFM茨城放送のパーソナリティ紹介、ENCOUNTのインタビュー記事など、複数の媒体がそろって同じ表記をしています。
ときどき「栃木県出身では?」という情報を見かけますが、一次情報にあたるとすべて茨城県桜川市で一致していますよ。
桜川市は2005年に岩瀬町・真壁町・大和村が合併してできた市で、県の西側に位置しています。
そのなかでも安達さんとゆかりが深いのが岩瀬エリアです。
理由は2つあって、ひとつは母校が岩瀬日本大学高等学校であること。
もうひとつは、2023年4月に開催された地元凱旋のアリーナワンマンライブの会場が、桜川市岩瀬体育館だったことです。
活動の拠点が笠間市に移ったいまでも、地元の看板を掲げるときには岩瀬の名前が出てくるんですよね。
なお、番地レベルの住所や実家の外観については、本人からも事務所からも公表されていません。
ご家族が現在も生活している場所ですから、そこは詮索しないのが筋かなと思います。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 安達勇人(あだち ゆうと) |
| 生年月日 | 1988年7月28日 |
| 出身地 | 茨城県桜川市 |
| 身長・体重 | 172cm・58kg |
| 高校 | 岩瀬日本大学高等学校 |
| 大学 | 日本大学経済学部(2011年3月卒業) |
| 肩書 | 声優・俳優・アーティスト/株式会社ADACHI HOUSE代表 |
| 主な大使職 | いばらき大使、笠間特別観光大使、茨城新聞親善大使、JA水郷つくば大使 |
つまり、実家は茨城県桜川市の岩瀬地区周辺にあると考えるのが自然です。
「コンビニすらない田舎」と語った地元
安達さんは自分が育った町のことを、かなりストレートな言葉で表現しています。
ENCOUNTのインタビューでは「コンビニすらない田舎」と語っていました。
別のインタビューメディアであるthinc Journalでも、小学生時代を「電車も通っていないようなマチ」と振り返っています。
言葉こそ違いますが、どちらも同じ景色の話ですよね。
そして小学6年生のときの夢は、歌手や俳優になることでした。
ただ、それを口にすると周囲からは「無理だ」と返ってきたそうです。
本人いわく、電車の本数も限られているような町の人間にとって、芸能界は完全に別世界の話だったとのこと。
……この距離感、なんとなく想像できませんか。
否定されたのは知らない誰かからではなく、身近な大人たちからでした。
親戚からは「田舎者に芸能界なんて無理」と言われ、悔し涙を流した経験も明かしています。
そりゃ傷つきますよ、そんなこと言われたら。
実家のある町は、安達さんにとって夢の出発点であると同時に、最初に夢を否定された場所でもあったわけです。
父は市役所職員で剣道の指導者
安達勇人さんの実家を語るうえで外せないのが、お父さんの存在です。
ENCOUNTの取材によると、父親は剣道の指導者であり、市役所職員という顔を持つ人物でした。
平日は行政の仕事、そのほかの時間は道場で子どもたちに剣道を教える。
かなり厳格な人だったと紹介されています。
安達さん自身も「武道一家」で育ったと語っていますから、家庭のなかに剣道が生活として根づいていたんでしょうね。
お母さんや兄弟についての詳しい情報は、本人からも各媒体からも公表されていません。
そのため、家族のなかで具体的な職業まで分かっているのは現時点でお父さんだけということになります。
「日本一になったら大学で好きなことをしていい」
お父さんの人物像がいちばん伝わるのが、この一言です。
安達さんは高校時代、父親から「日本一になったら大学で好きなことをしていい」と言われていたと明かしています。
条件付きの許可、という形ですよね。
芸能界に進みたいという息子の希望を頭ごなしに潰すのでもなく、かといって簡単に認めるわけでもない。
剣道の指導者らしい、ものすごく分かりやすいハードルの出し方だなと思います。
そしてこの一言が、このあと出てくる裏山での2年間につながっていきます。
武道一家で幼稚園から剣道を始めた
安達さんが竹刀を握り始めたのは幼稚園のときです。
これはthinc JournalとENCOUNTの両方で語られている、確定情報といっていい部分ですね。
自分で選んだというより、武道一家に生まれた流れとして自然に始まったものでした。
その積み重ねはいまも肩書として残っていて、公式プロフィールの資格・特技欄には剣道三段と記載されています。
LuckyFM茨城放送のパーソナリティ紹介でも、趣味・特技として釣りや温泉、カフェ、ドライブと並んで剣道(三段)が挙げられていますよ。
芸能活動を本格化させたあとも、剣道を経歴の飾りとして扱っていないところに実家で過ごした時間の重さが出ている気がします。
つまり剣道は、安達さんにとって実家そのものと言い換えてもいい存在です。
実家の裏山で竹刀を振り続けた2年間
ここが今回いちばん驚いたエピソードかもしれません。
安達さんが進んだ岩瀬日本大学高等学校の剣道部は、全国から集められた特待生がそろう環境でした。
そのなかで入部当初の安達さんの立ち位置は、13人中13番目。
つまり最下位です。
幼稚園から続けてきた競技で、いきなり一番下に置かれる。
これはきつかったでしょうね……。
そこから安達さんが選んだのが、部活が終わったあとに実家の裏山に籠もり、スギの木に竹刀を打ち込むという自主練でした。
相手も審判もいない、木を打つだけの練習です。
それを2年間続けたと語られています。
結果として安達さんは主将となり、山内旗・倉澤杯争奪全国高校剣道大会で優勝を果たしました。
父親が出した「日本一になったら」という条件を、本当に満たしてしまったわけです。
実家の裏山は、安達さんが芸能界へ進む切符を自力で手に入れた場所だったということになります。
実家の一室は写真が並ぶ「博物館」
いまの実家がどんな場所なのかについては、本人のオフィシャルブログに書かれた記述が参考になります。
2017年に投稿された「久しぶりの実家♪」という記事のなかで、安達さんは実家の一室のことを「僕の博物館みたいになってまして」と表現しています。
その部屋に飾られているのは、時代ごとの写真です。
ミュージカル『忍たま乱太郎』で善法寺伊作を演じていた頃、幼少期、剣道をしていた時代、舞台巡業の時代、テレビ出演の時代。
安達さんは「色々な時代をこの部屋にいるとタイムスリップするかのような感覚になります」と書いていました。
……なんか、いいですよね。
飾っているのは本人ではなく、実家に残っているご家族のはずです。
「田舎者に芸能界なんて無理」と言われた家から出ていった息子の記録が、部屋ひとつぶん並んでいる。
そう考えると、この部屋の意味がちょっと変わって見えてきます。
帰省したときはこたつでのんびり
同じブログ記事のなかでは、帰省中の過ごし方にも触れられています。
実家のこたつでぬくぬく過ごす予定、と書かれていました。
全国を飛び回っている人でも、実家では結局こたつなんだなと思うと妙に親近感がわきます。
安達さんにとって実家は、いまも肩の力を抜ける帰る場所であり続けているようです。
実家と地元に対する世間の声
安達さんと地元の関係については、SNSの反応よりも先に見ておきたい事実があります。
というのも、地元側からの評価がそのまま実績として形になっているからです。
まず、2010年に第十代笠間観光大使に任命されたのが最初の接点でした。
thinc Journalによると、これは自分から笠間市観光大使に応募して選ばれたもので、市内では初の男性大使だったそうです。
その後の展開が下の表になります。
| 時期 | 地元からの評価・実績 |
|---|---|
| 2010年4月 | 第十代笠間観光大使に任命 |
| 2017年6月 | 茨城新聞第1号親善大使、笠間特別観光大使に任命 |
| 2018年1月 | いばらき大使に任命 |
| 2022年8月 | 笠間納涼盆踊り花火大会を実行委員長として立ち上げ、1万人を動員 |
| 2024年9月 | 地元団体の熱望を受けJR友部駅南口にカフェをオープン |
| 2024年10月 | IBARAKI DREAM LAND2024で1万5千人が来場 |
| 2025年1月 | 笠間市表彰を受賞 |
とくに2024年9月のカフェ開業は、茨城新聞が「地元団体が熱望」と報じています。
有名人が地元に凱旋したというより、地元の側から呼ばれている形なんですよね。
かつて「無理だ」と言われた場所から、いまは名指しで頼られる存在になっているというのが、地元との関係のいちばん分かりやすい答えだと思います。
安達勇人の実家を調べる人向けの関連情報
ここからは、実家と一緒に検索されることが多い家族構成や学歴、いまの活動についてまとめていきます。
気になっていた部分がきっと拾えるはずですよ。
家族構成と妹についてわかっていること
安達勇人さんの家族について、本人が公の場で具体的に語っているのはお父さんと祖父のことです。
お父さんについては先ほど触れたとおり、剣道の指導者であり市役所職員。
そして祖父からは、忘れられない言葉をもらっています。
thinc Journalによると、「勇人の笑顔は人を幸せにできるから、笑顔を大切にしなさい」と言われたそうです。
いまの安達さんの活動を見ていると、この一言がずっと効いているように見えて仕方ありません。
思わずじんわりするエピソードですよね。
一方、兄弟については、まとめ系サイトで「3歳下の妹がいて仲が良い」と紹介されているものがあります。
ただし、これを裏づける公式のプロフィールや大手媒体の記事は確認できませんでした。
兄弟に関しては噂の域を出ないため、この記事では確定情報としては扱いません。
お母さんについても、職業や名前などの情報は公表されていない状況です。
母校は岩瀬日本大学高校と日本大学
学歴は実家の場所を裏づける材料にもなるので、あわせて見ておきましょう。
高校は地元にある岩瀬日本大学高等学校で、剣道部の主将として全国優勝を経験しています。
大学は日本大学経済学部で、Wikipediaには2011年3月28日に卒業したと記載されています。
ここで思い出したいのが、お父さんの「日本一になったら大学で好きなことをしていい」という条件です。
高校で全国優勝し、大学では芸能活動を始めている。
約束どおりの順番なんですよね。
芸能界デビューは2007年9月の映画『BOYSLOVE 劇場版』で、大学在学中には舞台やモデルの仕事も並行していました。
昔の夢は歌手と俳優だった小学生時代
「安達勇人 昔」という検索も多いので、子ども時代の話も補足しておきます。
小学6年生の時点で、将来の夢はすでに歌手や俳優でした。
ただ、当時の安達さんは人前が得意なタイプではなかったといいます。
転機になったのは中学時代です。
当時人気だったハモネプの影響で仲間とグループを組み、ステージでアカペラを披露しました。
そこで拍手を浴びた経験が、人見知りを克服するきっかけになったと語られています。
表現する喜びを最初に知った場所は東京ではなく、地元の学校のステージだったわけです。
上京のきっかけは表参道でのスカウト
芸能界への入口は、まったくの偶然でした。
ENCOUNTによると、高校3年生のときに表参道を歩いていてスカウトされたのが始まりです。
thinc Journalでは、学校行事で東京を訪れた際にモデルのスカウトを受けたと紹介されています。
どちらも「高校生のときに東京で声をかけられた」という点では共通していますね。
その場ですぐ活動を始めたわけではなく、大学に進学したあと、カフェで再会したスカウト担当者からモデル活動をスタートさせています。
Wikipediaには18歳のときに渋谷でスカウトされ、渋谷プロダクションに所属したと記載されています。
そこから編集長の紹介で舞台俳優へ、さらに声優へと広がっていきました。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 2007年9月 | 映画『BOYSLOVE 劇場版』で俳優デビュー |
| 2008年5月 | 雑誌「Fine」6月号で月刊読者モデルグランプリ獲得 |
| 2009年4月 | 美輪明宏演出・主演の舞台『毛皮のマリー』で舞台初出演 |
| 2012年1月 | ダンスボーカルグループ「NEVA GIVE UP」結成 |
| 2013年6月 | ミュージカル『忍たま乱太郎』善法寺伊作役 |
| 2015年7月 | テレビアニメ『ナルどマ』で声優デビュー |
地元へ戻りADACHI HOUSEを設立
そして安達さんの経歴でいちばん大きな決断が、東京から地元へのUターンです。
thinc Journalのインタビューでは、東京での仕事が順調だった最中に「この仕事は僕じゃなくてもできる」と考えたことが語られています。
そこから茨城での活動に特化するため、東京の仕事をセーブする決断をしました。
順調なときに手放す判断って、なかなかできないですよね。
その後の動きは早いです。
2017年3月に所属事務所との契約を終了し、同年4月にNEVA GIVE UPを卒業。
そして2017年6月に茨城活性化プロジェクト「ADACHI HOUSE」を立ち上げました。
2019年1月1日には株式会社ADACHI HOUSEを設立し、代表を務めています。
カフェ・ブランド・フェスまで地元で展開
現在の事業は、音楽活動だけにとどまりません。
2018年4月に笠間稲荷門前通りへCAFE&DINING「ADACHI HOUSE」をオープン。
2019年7月28日にはファッションブランドAYHが誕生し、2021年2月には第一号店が笠間にオープンしています。
2023年4月にはキッチントレーラーのADACHI HOUSE DRIVE INが加わり、2024年9月には友部駅南口にADACHI HOUSE DRIVE IN+が開業しました。
さらに2024年10月には笠間芸術の森公園でIBARAKI DREAM LAND2024を初開催し、1万5千人を集めています。
「マチおこしは人おこしから」という言葉どおりの動き方ですよね。
結婚や彼女の情報は公表されている?
最後に、検索候補によく並ぶ結婚や彼女についてです。
結論からいうと、結婚や交際相手に関する公式な発表は確認できません。
本人のオフィシャルサイトのプロフィールにも、Wikipediaの記述にも、配偶者やパートナーに関する項目はない状況です。
大手メディアが報じた形跡もありませんでした。
地元での事業展開や大使としての活動が発信の中心になっていることもあり、プライベートについてはほとんど表に出していないタイプといえます。
現時点では、結婚も交際も公表されていないというのが正確なところです。
安達勇人の実家のまとめ
- 安達勇人の実家があるのは茨城県桜川市
- 桜川市は2005年に岩瀬町・真壁町・大和村が合併して誕生した市
- 母校の岩瀬日本大学高等学校や地元凱旋ライブ会場から岩瀬エリアとの縁が深い
- 番地レベルの住所や実家の外観は公表されていない
- 本人は地元を「コンビニすらない田舎」「電車も通っていないようなマチ」と表現
- 小学6年時の夢は歌手や俳優だったが周囲には否定された
- 親戚から「田舎者に芸能界なんて無理」と言われ悔し涙を流した過去がある
- 父親は剣道の指導者であり市役所職員という厳格な人物
- 父からは「日本一になったら大学で好きなことをしていい」と言われていた
- 武道一家で育ち、剣道は幼稚園から。現在は剣道三段
- 高校剣道部では当初13人中13番目の実力だった
- 実家の裏山でスギの木に竹刀を打ち込む自主練を2年間継続
- 主将として山内旗・倉澤杯争奪全国高校剣道大会で優勝
- 実家の一室は本人いわく「僕の博物館」で各時代の写真が並ぶ
- 帰省時は実家のこたつで過ごすとブログに記している
- 兄弟は3歳下の妹がいるとする説があるが公式の裏づけは確認できない
- 祖父から「笑顔を大切にしなさい」と言われたことが原点とされる
- 高校3年時に東京でスカウトされ2007年に俳優デビュー
- 東京での仕事をセーブし2017年に茨城活性化プロジェクトADACHI HOUSEを立ち上げ
- 結婚や交際相手に関する公式発表は確認できていない

