元宝塚歌劇団月組トップ娘役で、退団後も女優として活躍を続けている映美くららさん。
上品な立ち居振る舞いから「実家はどんな家なんだろう」と気になっている方も多いのではないでしょうか。
実は映美くららさん本人が実家について語った、祖母の着物にまつわる印象的なエピソードがあるんです。
・映美くららの実家がある熊本県菊池郡菊陽町のこと
・実家の建て替えで祖母から受け継いだものと、そのエピソード
・両親や兄について公表されていること・されていないこと
映美くららの実家は熊本県菊陽町|家族構成と生い立ち
映美くららさんの実家がどこにあるのか、どんな家族に囲まれて育ったのかを、公表されている情報と本人のインタビューから順番に見ていきますね。
実家は熊本県菊池郡菊陽町
映美くららさんの実家があるのは熊本県菊池郡菊陽町です。
熊本市の北東にあり、阿蘇山の麓に広がる町ですね。
熊本市のベッドタウンとして人口が増えている一方で、田畑と住宅地が同居しているような、のんびりした空気の残るエリアでもあります。
町名を聞いてもピンとこない方が多いかもしれませんが、熊本市の隣という位置関係です。
都会でも田舎でもない、ちょうど中間くらいの距離感の町だと思ってもらえると近いかなと思います。
映美くららさん本人はプロフィールで「熊本県出身」とだけ表記されることが多く、市町村まで書かれているケースはそう多くありません。
ただ、複数の情報サイトが揃って菊陽町を挙げていて、そこに食い違いはないんですよね。
実家の具体的な住所や建物が特定できるような情報は公表されていませんが、育った町がどこかという点については、ほぼ一致した情報が出ています。
実家は2016年の熊本地震で被災している
見逃せないのが、2016年4月の熊本地震です。
菊陽町は震源となった益城町のすぐ近くにあり、映美くららさんの実家も被災したと複数のサイトが伝えています。
ご家族が一丸となって復旧に取り組んだとされていて、当時の映美くららさんはすでに東京を拠点に活動していました。
離れた場所から地元と実家を思う時間があったことは、想像に難くありません。
……これは、きつかっただろうなと思います。
家族は父・母・兄の4人家族
映美くららさんの実家の家族構成は、父親・母親・兄・本人の4人家族とされています。
| 家族 | 分かっていること |
|---|---|
| 父親 | ユーモアのある人柄。娘婿を「兄妹みたい」と評したエピソードあり |
| 母親 | 宝塚入団を全面的に応援。芸名「映美」を考えた人物とされる |
| 兄 | 昔から仲が良く、互いに支え合う関係と紹介されている |
一般の方なので、名前や職業、年齢といった具体的な情報はどこにも公表されていません。
「実家がお金持ちなのでは」という切り口で語られることもある方ですが、両親の職業や実家の資産について書かれた確かな情報は見当たりませんでした。
宝塚を目指すとなるとバレエや音楽のレッスン代がかかるのは事実ですが、そこから資産額を逆算するような話は、根拠のある情報とは言えないんですよね。
なお、ひとつだけ補足しておくと、まとめサイトのなかには「兄弟姉妹の情報は公表されていない」と書いているものもあります。
同じ記事のなかで兄の存在にも触れているので、書き手側の整理が追いついていないだけの可能性が高そうですが、そういう食い違いがあることは頭の片隅に置いておいてください。
母は宝塚を支えた芸名の名づけ親
映美くららさんが宝塚を目指すきっかけになったのは、中学の修学旅行で宝塚歌劇を観劇したことでした。
舞台を観て「ここに立ちたい」と思った、という流れですね。
その気持ちを受け止めて全力で応援したのが母親だったと紹介されています。
さらに、芸名の「映美」を考えたのは母親だったという話も出ています。
こちらは一つのサイトにしか記載がなかったので、確定情報として扱うのは避けておきますね。
ただ、もし本当なら、宝塚の舞台で呼ばれ続けた名前を母親が付けたことになります。
……なんか、いいですよね、それ。
ちなみに宝塚音楽学校は一度で受かったわけではなく、中学卒業後に2度の挑戦を経て合格したという記述もあります。
10代半ばの子どもが受験に2回向き合うわけですから、家族の支えなしには続かなかったはずです。
父が娘婿に語ったエピソード
父親については、人柄が伝わるエピソードがひとつ残っています。
2015年に映美くららさんが結婚したとき、父親が本人と夫について「兄妹みたい、雰囲気が似ている」と話したというものです。
娘の結婚相手に対して、堅い言葉ではなくこういう表現が出てくるあたり、ユーモアのある方なんだろうなと感じます。
結婚相手を紹介されたときの父親って、もっと構えるものだと思っていたので、個人的にはちょっと意外でした。
こちらもソースは限られているため、確定した事実というより「そう伝えられているエピソード」として受け取ってもらうのが正確です。
実家の建て替えと祖母の着物
実家について、映美くららさん本人がはっきり語っている数少ない話がこれです。
雑誌クロワッサンのインタビューで、「8年前に実家を建て替えることになり、祖母の着物などを整理しました」と話しているんですね。
そのとき、祖母や母が持っていた着物のほとんどを、映美くららさんが受け継ぐことになったそうです。
母親はお宮参りや七五三といった子どもの節目には着物を着ていたものの、日常的に着る人ではなかったから、という理由でした。
祖母については、もう少し踏み込んだ話が語られています。
昭和初期生まれで、普段から着物をよく着ていた方。
子どもの頃、大晦日にお節の仕度で家族が慌ただしく動き回るなか、祖母だけは髪をきちんと結い上げて格のある着物を着ていた——その姿が素敵で憧れていた、と振り返っています。
紬から訪問着までさまざまな着物を受け継いだそうで、「祖母から受け継いだのですから楽しまなければ」とも語っていました。
実家の建て替えという出来事が、祖母の着物を受け継ぐきっかけになったわけですね。
家を建て替えると、それまで押し入れにしまわれていたものが一度全部表に出てきます。
そこで捨てるか残すかを決める時間が生まれたことが、結果的に三代をつなぐことになった。
……なんだか、じんわりする話だなと思いました。
幼少期のバレエと熊本信愛女学院
映美くららさんは幼少期からバレエを習っていて、日本舞踊にも親しんでいたと紹介されています。
進学したのは熊本信愛女学院中学校・高等学校。
熊本市内にあるカトリック系の女子校で、地元では知られた学校です。
学校生活を送りながらバレエを続け、そのまま宝塚音楽学校へ——という流れですね。
宝塚に入団したのは1999年、85期生としてでした。
入団時の成績は40人中11番と、上位での入学だったと伝えられています。
熊本の実家を離れて兵庫の宝塚音楽学校へ進むわけですから、家族と暮らした期間は15年ほど。
その後の人生の大半は実家の外で過ごしていることになります。
実家についての世間の声
映美くららさんの実家をめぐる話題として、ネット上でよく見かけるのは次のような反応です。
- 熊本出身と知って親近感がわいた、という地元からの声
- 熊本地震のときに実家は大丈夫だったのか心配する声
- 上品な雰囲気から「良家の出身では」と推測する声
- 着物を受け継いだエピソードに触れて「素敵な家族」と評する声
とくに多いのは、熊本地震と絡めた反応ですね。
被災地出身の芸能人として名前が挙がる機会があるので、そこで初めて出身地を知った方も多いようです。
一方で「実家がお金持ち」という話は、あくまで印象から出てきた推測の域を出ません。
本人も家族も、経済状況について語ったことは確認できませんでした。
映美くららの実家を調べる人向けの関連情報
ここからは、実家と一緒によく調べられている項目をまとめて整理しておきますね。
本名は公表されているのか
映美くららさんの本名は、所属事務所の公式プロフィールでもWikipediaでも非公表とされています。
一部のサイトでは「麻衣子」「本山麻衣子」という表記も見られますが、公式に確認できる情報ではありません。
サイトによって書いていることが食い違っている状態なので、ここでは断定を避けておきます。
現時点で本名は非公表、というのが正確な答えです。
夫は会社経営者で子どもは2人
映美くららさんは2015年に3歳年上の会社経営者の男性と結婚しています。
共通の友人を通じて知り合い、約1年半の交際を経ての結婚でした。
プロポーズは特別な演出があったわけではなく、いつも通りの日常のなかで突然手紙と指輪を渡されたと語られています。
その後、2017年に長男、2019年に長女が誕生しました。
現在は2児の母として、女優業と家庭を両立させています。
宝塚時代は最速クラスのトップ娘役
宝塚時代の経歴は、かなり異例です。
1999年に入団し、初舞台は雪組『再会』『ノバ・ボサ・ノバ』。
その後2001年6月に月組へ組替えとなり、7月にはもう月組トップ娘役に就任しています。
入団3年目でのトップ就任は、宝塚のなかでも最速クラスの抜擢でした。
相手役は紫吹淳さん、のちに彩輝直さん。
2004年10月、『飛鳥夕映え』『タカラヅカ絢爛II』を最後に25歳で退団しています。
若い頃と似てると言われる藤間爽子
若い頃の映美くららさんを検索する人が多いのは、宝塚時代の娘役としての姿を見たい方が多いからでしょうね。
清楚な雰囲気と抜擢の早さで、当時から注目度の高い娘役でした。
また「似てる」で検索されることも多く、名前が挙がりやすいのが女優の藤間爽子さんです。
顔立ちの雰囲気が近いという声が複数見られますが、血縁関係があるわけではありません。
大河ドラマや豊臣兄弟で検索される理由
近年は大河ドラマ関連のワードと一緒に名前を見かける機会が増えています。
2025年の『べらぼう』、2026年の『豊臣兄弟!』といった作品名と並べて検索されることが多く、退団から20年以上経った今も映像作品で活躍を続けています。
2012年には『鈴子の恋 ミヤコ蝶々女の一代記』でドラマ初主演を務め、ミヤコ蝶々を演じました。
映美くららの実家のまとめ
- 映美くららの実家は熊本県菊池郡菊陽町にあるとされる
- 菊陽町は熊本市の北東、阿蘇山の麓に位置する町
- 実家の住所や建物が特定できる情報は公表されていない
- 実家は2016年の熊本地震で被災したと伝えられている
- 家族構成は父・母・兄・本人の4人家族
- 両親の名前・職業・年齢はいずれも非公表
- 実家の資産や年収に関する確かな情報はない
- 母は宝塚入団を全面的に応援した人物とされる
- 芸名「映美」は母が考えたという説がある
- 父は娘と婿を「兄妹みたい」と評したと伝えられる
- 本人が語った実家の話は、8年前の建て替えと祖母の着物の継承
- 祖母は昭和初期生まれで普段から着物を着ていた
- 幼少期からバレエを習い、日本舞踊にも親しんでいた
- 出身校は熊本信愛女学院中学校・高等学校
- 中学の修学旅行での観劇が宝塚を目指すきっかけになった

