「産んでくれてありがとう」という一言で、14年ぶりに再会した実母を抱きしめたジェジュンさん。
恨むどころか感謝の言葉を口にしたその人間性に、思わず胸が熱くなりますよね。
4歳で養子に出された壮絶な生い立ちを持つジェジュンさんの、幼少期から現在までを詳しくまとめました。
・ジェジュンが養子に出された本当の理由と実母の壮絶な事情
・姉8人の大家族での幼少期と複雑な家族構成
・デビュー後に実現した実母との14年ぶりの感動の再会エピソード
ジェジュンの生い立ちが壮絶!養子として歩んだ幼少期と実母との感動の再会
ジェジュンさんの生い立ちは、多くの人が知るとびっくりするほど波乱に満ちたものです。
養子に出された理由から、実母との14年越しの再会まで、そのエピソードを詳しくご紹介します。
養子に出された背景:実母が選んだ苦渋の決断
ジェジュンさんの生い立ちを語るうえで、まず知っておきたいのが「なぜ養子に出されたのか」という部分です。
ジェジュンさんは1986年1月26日、韓国・忠清南道公州市で「ハン・ジェジュン(韓在中)」として生まれました。
生後まもない頃から、家庭環境は決して恵まれたものではありませんでした。
実母のオ・ソジンさんは若くして結婚し、ジェジュンさんを授かりましたが、夫からのDV(家庭内暴力)に長く苦しんでいました。
「当時の韓国には夫の暴力から妻を守る法律もなく、女性はただ我慢するしかない時代でした」
オ・ソジンさんはそう振り返っています。
やがて離婚を選択したオ・ソジンさんでしたが、その後の生活は想像を絶するほど過酷なものでした。
約30世帯が共同でトイレや水道を使う集落に暮らし、食堂で働きながらなんとか生計を立てていました。
食堂の客が残した食事を持ち帰ることもあったといいます。
養子を決めた知人の助言
そんな状況のなか、知人からある提案を受けます。
「娘が8人いるキムさんの家なら余裕があるから、あなたの息子を任せてみては?」
オ・ソジンさんは悩みに悩んだ末、この提案を受け入れる決断をしました。
「これ以上、息子に惨めな思いをさせたくない。息子の将来を考えたら、別の家庭に預けるしかなかった」
オ・ソジンさんがのちに語ったこの言葉には、母親としての苦しさと覚悟がにじんでいます。
こうしてジェジュンさんは3〜4歳のころにキム家に養子として迎えられることになりました(年齢については諸説あり)。
実母が選んだのは「捨てる」という選択ではなく、「息子に生きてほしい」という切実な愛情の決断だったのです。
養母の愛情:初めて抱きしめた瞬間に「ママ」と呼んでくれた
養子として迎えてくれたキム家の養母・ユ・マンスンさんもまた、決して余裕のある生活をしていたわけではありませんでした。
すでに8人の娘がいる大家族。知人から「一人、引き取ってみてはどうか」と勧められたとき、ユさんの正直な気持ちは「そんな余裕はない」というものでした。
ところが、実際にジェジュンさんに会った瞬間、気持ちが変わったといいます。
「初めて抱きしめたとき、この子は『ママ』と言いながら、私の首にぎゅっと抱きついてきたんです」
ユ・マンスンさんはそのときの光景を涙ながらに振り返っています。
「うまく育てられないかもしれないけれど、それでも一緒に暮らしてみよう。子どもは子どもたちの中で育つもの。裕福には育てられなくても、我が家で一度育ててみよう」
そう心に決めたユさんは、ジェジュンさんを家族として受け入れました。
「箸とスプーンをもうひとつ加えて、ご飯を一杯多く盛れば育てられる」と語ったユさんの言葉は、シンプルですが、その覚悟の深さが伝わってくるようです。
そして数十年が経った今、ユさんは語ります。
「そうして受け入れたら、とても立派で親孝行な息子になってくれました」
思わずこちらまで温かくなるエピソードですよね。
ジェジュンさんを育てたのは、血のつながりではなく、一瞬の出会いで生まれた「家族になろう」という選択と愛情でした。
姉8人の大家族で末っ子長男として育った日々と家族構成
キム家に迎えられたジェジュンさんは、姉が8人いる大家族の末っ子長男として育ちました。
姉の名前はジニさん、ソニさん、ミギョンさん、スクジンさん、ユンスさん、ミンギョンさん、アヨンさん、ソヨンさんといい、にぎやかな家庭だったことが想像できます。
8人もの姉がいる環境で男の子が一人。当然ながら姉たちにかわいがられながら育ったことでしょう。
ただ、ジェジュンさん自身はあるエピソードも語っています。
「自分のせいで、末の姉はずっと誕生パーティーができなかった」
一番下の姉とジェジュンさんは年齢が非常に近く、誕生日の時期が重なっていたため、末の姉がパーティーをしてもらえなかったことがあったようです。
恵まれているようで、こういった小さな遠慮や気遣いも生まれやすい環境だったのかもしれません。
実家側の異父兄弟3人
ジェジュンさんの家族関係は養家だけではありません。
実母のオ・ソジンさんにはその後の生活のなかで子どもが生まれており、ジェジュンさんには母親が同じで父親が異なる異父兄弟が3人(姉・弟・妹)います。
つまり、養家の姉8人+実家側の異父兄弟3人を合わせると、合計11人の兄弟姉妹がいるという複雑な家族構成です。
2023年には、ジェジュンさん自身がコンサートの場で「姉8人、甥・姪13人、両親と義兄まで含めると32人の大家族」と語ったこともあり、今もにぎやかな家族関係が続いていることがわかります。
| 家族 | 人数 | 備考 |
|---|---|---|
| 養家の姉 | 8人 | キム家の実娘たち |
| 養父母 | 2人 | キム家の両親 |
| 実家側の異父兄弟 | 3人 | 姉・弟・妹(母親が同じ) |
| 甥・姪(2023年時点) | 13人 | 養家の姉たちの子ども |
血のつながりや複雑な経緯を越えて、ジェジュンさんには多くの家族がいます。その関係を今も大切にしているのが伝わってきますね。
ソウル上京と苦労の時代:新聞配達・工事現場で夢をつかんだ
ジェジュンさんが芸能界への扉を開いたのは、2001年のことでした。
当時15歳、SMエンタテインメントが開催した「第2回SMベスト選抜大会」に応募し、スタイルトップ部門で見事1位を獲得。練習生として採用が決まります。
しかし、練習場があるのは首都ソウル。地方出身の15歳の少年が、一人でソウルに出てきたのです。
……想像するだけでも、相当なプレッシャーだったと思います。
家族に頼れる環境でもなく、ソウルでの生活費を自分でまかなうために、ジェジュンさんはアルバイトで生計を立てながらレッスンに通い続けました。
早朝からの新聞配達、牛乳配達、工事現場での肉体労働、食堂での仕事…と、複数のアルバイトを掛け持ちしながら、夢に向かって歩み続けたのです。
ただ練習生として合格しただけでなく、そのあとも地道に自分の足で立ち続けたジェジュンさん。
そして2年後の2003年12月26日、ついに東方神起の一員としてデビューを果たします。
苦労の時代があったからこそ、デビューの喜びも格段に大きなものだったに違いありません。
二重戸籍問題:実父の訴訟とキム・ジェジュンとして生きる決断
ジェジュンさんの生い立ちには、もう一つ複雑なエピソードがあります。「二重戸籍問題」です。
ジェジュンさんがキム家に養子に入る際、本来であれば戸籍を正式に切り替える手続きが必要でした。
ところが、養父母はジェジュンさんを「実子」として戸籍に登録。そのため、元の戸籍(ハン家:「ハン・ジェジュン」)とキム家の戸籍(「キム・ジェジュン」)が両方に存在するという「二重戸籍」の状態になってしまいました。
この問題が表面化したのは、2005年頃のことです。
ジェジュンさんの実父がこの状況を知り、「実子確認訴訟」を起こしたのです。
二重戸籍のまま放置すると、兵役を2回こなさなければならない可能性もあるなど、ジェジュンさんにとって重大な問題でした。
最終的には、ジェジュン本人が「キム・ジェジュンとして生きていく」という意志を示したことで、訴訟は円満に解決されました。
生まれた名前「ハン・ジェジュン」ではなく、育ててもらった「キム・ジェジュン」として生きる。
その決断には、養家への感謝と、自分自身のアイデンティティへの覚悟が込められていたのではないでしょうか。
この問題を乗り越えて、ジェジュンさんは「キム・ジェジュン」という名とともに歩んでいます。
14年ぶりの再会:「産んでくれてありがとう」と実母を抱きしめた瞬間
東方神起としてデビューし、韓国中の注目を集めるようになったジェジュンさん。
そんな頃、実母のオ・ソジンさんとの運命的な再会が訪れます。
2004年頃、オ・ソジンさんは京畿道のあるお店で、東方神起のCDを購入しに来た女子高生と会話を交わします。
「東方神起が好きなんですか?」
「ええ、実は東方神起のジェジュンは私の甥っ子なんですよ」
するとその女子高生は、「ジェジュンお兄さんとお友達です」と言い、ジェジュンさんの連絡先を教えてくれたのです。
オ・ソジンさんはメッセージを送りました。
すぐに返信が届き、電話で話すことになりました。
「泣いたりしないで、笑顔で会おう」
お互いにそう約束して、2人は14年ぶりに再会しました。
実母の前に現れたジェジュンさんは、ゆっくりとオ・ソジンさんを抱きしめてこう言ったといいます。
「産んでくれてありがとう。これからはふたつの両親に孝行しながら生きてゆきます」
……読んでいてこちらまで胸が熱くなります。
恨むどころか、感謝の言葉を口にしたジェジュンさんの言葉は、当時韓国でも大きな反響を呼びました。
オ・ソジンさんもこう振り返っています。
「再会したとき、私の話を聞いて十分に理解してくれた。私を恨むよりも、受け入れてくれた」
養子に出されたことへの恨みではなく、命をつないでくれたことへの感謝。ジェジュンさんの人間的な大きさが伝わるエピソードです。
壮絶な生い立ちへの世間の声と評価
ジェジュンさんの生い立ちが広く知られるようになったのは、実母のオ・ソジンさんが韓国のテレビ番組に出演して告白したことがきっかけでした。
日本のファンを中心に、SNSや掲示板では多くの声が上がっています。
- 「養子に出されたことを恨まず、感謝の言葉をかけられるジェジュンがすごすぎる」
- 「実母とのエピソードを知って号泣した。こんなに壮絶な過去があったとは」
- 「養母のユさんの言葉も感動的。キム家に引き取られたことが、ジェジュンにとって幸運だったと思う」
- 「苦しい生い立ちを乗り越えて、あれだけ輝いているのは本当に尊敬できる」
- 「家族への孝行を大切にしているところが、アーティストとしてだけでなく人間として好き」
また、一部には「なぜ今さら実母が出てきたのか」という疑問の声もありましたが、多くのファンは「過去のことよりも、現在の関係が大事」という意見で落ち着いています。
波乱万丈の生い立ちを持ちながら、ファミリーへの愛を大切にするジェジュンさんは、アーティストとしての才能以上に、その人間性で多くの人を引きつけています。
ジェジュンの生い立ちを調べる人向けの関連情報
ジェジュンさんの生い立ちとあわせて気になる、東方神起時代のこと・タトゥーの意味・現在の活動・基本プロフィールをまとめました。
東方神起デビューから脱退へ:信念を貫いた契約問題の真相
2003年12月26日、ジェジュンさんは東方神起のメンバーとしてデビューします。
グループは日韓を中心に爆発的な人気を誇り、「東方神起」という名前はK-POPの代名詞的な存在になっていきました。
しかし2009年、ジェジュンさんを含む3人(ジェジュン・ユチョン・ジュンス)が所属事務所のSMエンタテインメントを相手取り法的措置に動くことになります。
問題の根本にあったのは、専属契約の内容でした。
SMエンタとの収益分配問題
SMエンタとの契約では、メンバーが得る収益の割合が不公平に設定されているとされていました。また、契約期間も一般的な基準を大きく超えるものだったとされています。
東方神起として活動していた時代には、「Rising Sun」のパフォーマンス中にケガを負うほどの過酷な練習が課されていたとも伝えられています。それほどまでにSMエンタでの活動は肉体的にも精神的にも厳しいものだったのかもしれません。
ジェジュンさんは当時をこう振り返っています。
「全てを失ってしまっても、信念だけは守り抜く」
これは左胸に刻んだタトゥーの言葉ですが、まさにあの時代の覚悟を象徴しているようです。
翌2010年、ジェジュン・ユチョン・ジュンスの3人はJYJとして新たな活動を開始します。
ただ、脱退後も長期間にわたって韓国の音楽番組への出演制限がかかるなど、簡単ではない道が続きました。
それでもジェジュンさんは「和解の場があることを願う。元メンバーへのリスペクトは変わらない」という言葉を残しており、グループへの敬意を忘れない姿勢は変わりませんでした。
自分の信念を守るために大きなリスクを取ったジェジュンさん。その生い立ちで培った「何があっても折れない」精神がここでも発揮されました。
タトゥーに刻んだ覚悟:「Always keep the faith」の意味
ジェジュンさんといえば、体に複数のタトゥーがあることでも知られています。
そのなかで最も有名なのが、左胸に刻まれた言葉です。
「Always keep the faith」(いつも信念を守れ)
ジェジュンさん自身はこのタトゥーについて、こう語っています。
「自分が持っているものを失うというのは恐ろしいことだ。でも、あらゆるものを全て失っても、信念だけは最後まで守るという意味でこの言葉を刻んだ」
SMエンタとの対立が激しかった時代に刻まれたこの言葉には、「それでも音楽を続ける」という覚悟が込められていました。
背中には大天使の羽根、腰には「MICKY JUNSU」の文字。これはJYJのメンバー、ユチョン(MICKY)とジュンスへの友情の証です。
一方でジェジュンさんは「女性の名前はどんなことがあっても刻まない」と断言しています。
「もし息子が生まれたら、息子の名前は刻みたい。でも妻を含め、女性の名前は絶対に入れない」
……これはこれで、独自の美学がある気がしますね。
ジェジュンさんのタトゥーは単なるファッションではなく、その人生のターニングポイントとなった覚悟の記録なのです。
現在の活動:日本アリーナツアーで輝き続けるソロアーティスト
2017年に兵役から除隊したジェジュンさんは、ソロアーティストとしての活動を本格化させています。
特に日本でのファンベースは強く、JYJ時代から変わらない根強い人気を誇っています。
2025年には日本アリーナツアー「2025 JAEJOONG JAPAN ARENA TOUR RE:VERIE」を開催。
東京・福岡・神奈川・大阪の4都市、計8公演という規模で、ソロアーティストとしての実力を見せつけました。
2023年には芸能事務所iNKODEエンターテインメントを設立し、2024年には8人組ガールズグループSAY MY NAMEのプロデュースも担当するなど、アーティストとしてだけでなくプロデューサー・経営者としての顔も持ち始めています。
2026年にはマカオとシンガポールで「GALAXY 1986」ファンコンサートの開催も予定されており、アジア全体でのプレゼンスを広げ続けています。
壮絶な生い立ちを乗り越え、東方神起でのデビュー、JYJでの挑戦、そしてソロでの飛躍。ジェジュンさんの歩みは、まだ続いています。
プロフィールまとめ:身長・血液型・学歴・出身地
最後に、ジェジュンさんの基本プロフィールをまとめておきます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | キム・ジェジュン(金在中) |
| 出生名 | ハン・ジェジュン(韓在中) |
| 生年月日 | 1986年1月26日 |
| 出身地 | 韓国・忠清南道公州市 |
| 身長 | 180cm |
| 体重 | 67kg |
| 血液型 | O型 |
| 出身小学校 | 公州中洞小学校 |
| 出身中学 | 公州大学校師範大学部属中学校 |
| 出身高校 | 河南高校(休学後卒業) |
| 大学 | 慶煕サイバー大学(通信制) |
| デビュー | 2003年12月26日(東方神起) |
| 事務所 | iNKODEエンターテインメント(2023年設立) |
出身地の忠清南道公州市は、韓国の古都としても知られる歴史ある街です。
ジェジュンさんは15歳でその街を離れ、単身ソウルへ上京。自分の力でスターへの道を切り開いていきました。
プロフィールに並ぶ数字の背後に、壮絶な生い立ちと苦労の歴史があることを知ると、ジェジュンさんへの見方がまた変わりますよね。
ジェジュンの生い立ちのまとめ
- キム・ジェジュンの出生名はハン・ジェジュン(韓在中)で、1986年1月26日に忠清南道公州市で生まれた
- 実母オ・ソジンさんがDVによる離婚・極貧生活のなか、息子の将来を案じて3〜4歳のころに養子に出した
- 養家のキム家には娘8人が既にいる大家族で、ジェジュンは末っ子長男として迎えられた
- 養母ユ・マンスンさんは「初めて抱きしめた瞬間に『ママ』と呼んでくれた」と語り、裕福ではない中でも愛情深く育てた
- 養家の姉8人+実家側の異父兄弟3人を合わせると、合計11人の兄弟姉妹がいる複雑な家族構成
- 養父母が実子として戸籍登録したことで二重戸籍が生じ、2005〜2006年ごろに裁判問題に発展した
- ジェジュン本人が「キム・ジェジュンとして生きる」意志を示したことで裁判は円満解決した
- 2001年、15歳で単身ソウルへ上京しSMエンタのオーディションで1位を獲得し練習生になった
- 上京後は新聞配達・工事現場・食堂などのアルバイトで生計を立てながらレッスンに通い続けた
- 2003年12月26日に東方神起の一員としてデビュー、日韓で爆発的な人気を誇った
- 実母とは東方神起デビュー後の2004年頃に14年ぶりに再会、「産んでくれてありがとう」と抱きしめた
- 2009〜2010年にSMエンタとの契約問題からJYJを結成し独立、その後ソロ活動へ
- 左胸のタトゥー「Always keep the faith」はSMとの対立時代に刻んだもので「信念を最後まで守る」という覚悟の証
- 2017年除隊後はソロアーティストとして活動し、2025年には日本アリーナツアーを開催するほどの人気を維持
- 現在は自身の事務所iNKODEエンターテインメントを経営し、プロデューサーとしても活躍している
