湊かなえの生い立ちは因島の柑橘農家!トンガから主婦を経て本屋大賞作家への軌跡

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「イヤミスの女王」湊かなえさんの生い立ちは、瀬戸内海に浮かぶ因島の柑橘農家から始まっています。

通勤バスの中吊り広告がきっかけでトンガに渡り、帰国後は淡路島で主婦になり、30歳を過ぎてから小説を書き始めた──この軌跡を知ると、湊さんの作品がなぜあれほど人間の奥深くを描けるのか、少しわかる気がします。

この記事では、湊かなえさんの生い立ちから作家デビューまでの道のり、そして家族や性格に関する情報まで詳しくまとめました。

この記事を読むとわかること
・湊かなえさんの因島での幼少期からトンガ、作家デビューまでの経歴
・本名や結婚相手、子供など家族に関する情報
・イヤミスの女王と呼ばれる湊さんの意外な素顔と性格

湊かなえの生い立ちから作家デビューまでの軌跡

「イヤミスの女王」として知られる湊かなえさんですが、その生い立ちは華やかな文壇とはかけ離れた、瀬戸内海の小さな島から始まっています。

ここでは、因島での幼少期からトンガでの海外生活、そして主婦から小説家への転身まで、その軌跡を詳しくたどっていきます。

因島の柑橘農家に生まれた幼少期

湊かなえさんは1973年1月に広島県因島市中庄町(現在の尾道市因島中庄町)で生まれました。

実家は因島で柑橘農家を営んでおり、2人姉妹の長女として育っています。

因島はみかん農業が盛んな地域で、山の斜面にはみかん畑が広がり、そのすぐ向こうには海が見える、自然豊かな環境でした。

子供のころは、川遊びをしたり夏には毎日のように海に行ったりと、瀬戸内の自然のなかでのびのびと過ごしていたそうです。

こうした島での暮らしが、後に作品『望郷』の舞台となる島のモチーフにも影響を与えているんですよね。

また、幼いころから空想が大好きな女の子だったといいます。

小中学校の図書室で江戸川乱歩や赤川次郎の作品に親しみ、とくに江戸川乱歩作品では『少年探偵団』や『一寸法師』が印象に残っているそうです。

柑橘農家の家庭で育ちながら、空想好きで読書にのめり込む少女時代が、イヤミスの女王としての原点になっています。

因島の自然環境と遊び

因島は瀬戸内海に浮かぶ島で、山と海が近い独特の地形をしています。

湊さんは田舎の子供として、夏は毎日のように海で遊び、川遊びも楽しんでいたそうです。

都会のような娯楽は少ない環境だったからこそ、自然と読書や空想の世界にのめり込んでいったのかもしれませんね。

母親が育んだ読書習慣と想像力

湊かなえさんが読書好きになった最大のきっかけは、読書好きの母親の存在でした。

母親は毎朝、畑に出かける前に「今日はこれを読んでみて」と、娘の年齢に合わせた本を机の上に置いてくれていたそうです。

学校が夏休みの間は、朝の涼しいうちに作業をするため母親は早い時間に家を出ます。

湊さんが起きてくると、1冊の本が机の上にある──それが日常の光景だったんですね。

……なんか、いいですよね、このエピソード。

なかでも『怪盗ルパン』シリーズにハマったのが、読書にのめり込む大きなきっかけになりました。

家にあったシリーズのうち、抜けている巻は学校の図書室で見つけて読んでいたそうです。

同じ棚に並んでいた江戸川乱歩の作品にも手を伸ばし、「現実にはあるわけがないけれど、もしかしたらあるかもしれない」という非日常の世界にワクワクしていたといいます。

この感覚が、今の作品づくりにつながっているとご本人も話しています。

さらに、母親は作文が得意な人で、読書感想文や日記にも具体的なアドバイスをくれたそうです。

「もっと比喩を使って」「もっと掘り下げて」など、小学生に対してなかなかレベルの高い要求をしてきたとか。

母親の口癖は「たとえ途中で犯人がわかっても最後まできちんと読みなさい」。

感想を聞くときも、他の登場人物や結末がどうなったか、なぜそういう感想をもったのかを掘り下げて訊ねてきたそうです。

この母親の読書教育が、湊かなえさんの「読む力」と「書く力」の両方を鍛え上げたといっても過言ではありません。

因島高校から武庫川女子大学への進学

湊かなえさんの学歴をまとめると、以下のようになっています。

学校名 時期
因島市立因北小学校 小学校
因北中学校 中学校
広島県立因島高等学校 高校
武庫川女子大学 家政学部 被服学科 大学

高校までは因島で過ごし、大学は兵庫県の武庫川女子大学に進学しています。

家政学部の被服学科を選んでいるあたり、この時点では作家の道はまったく考えていなかったことがわかりますね。

ご本人も「子どものころは作家になるなんて想像すらしていませんでした。小説家は東京に住んでいる人がなるもので、自分とはまったく縁のない職業だと思っていた」と振り返っています。

大学時代のサイクリング同好会

大学ではサイクリング同好会に所属し、自転車旅行で日本各地を旅していたそうです。

社会人になっても続けられるアウトドアスポーツとして先輩から登山を勧められ、大学4年の時に登った妙高山で登山の魅力にハマりました。

この登山趣味は後に小説『山女日記』の創作につながっており、家庭・仕事・趣味を自らの三本柱としているそうです。

トンガでの青年海外協力隊の経験

大学卒業後、湊かなえさんはアパレルメーカーに就職し、京都の百貨店に1年半勤務しています。

しかし転機は突然やってきました。

通勤バスの中で見かけた青年海外協力隊の中吊り広告がきっかけです。

説明会に参加したところ、トンガ王国で女子高の生徒に家庭科を教えるという要請を発見。

小学生の時に読んだ「天国に一番近い島」の影響で南の島に興味を持っていたこともあり、「これは私が行く案件だ!」と確信したそうです。

大学4年の時に阪神淡路大震災を経験したことも、「出来る時に、出来ることに挑戦してみたい」という気持ちにつながったと話しています。

二次面接ではフィジーの案件を勧められましたが、「絶対トンガに行きたい」と一生懸命アピールして、無事にトンガへの派遣が決まりました。

1996年から1998年の2年間、23歳の最年少世代で青年海外協力隊員としてトンガに赴任し、家庭科教師として栄養指導に携わりました。

当時のトンガでは生活習慣病が問題になっていましたが、活動は一筋縄ではいかなかったようです。

先生たちもミルクティーに砂糖を大匙4杯入れていたり、「神様のそばにいけるから死ぬのは怖くない」と言われたりして、2年の任期が終わったときには「結果は残せなかった」と感じていたそうです。

ところが2015年にトンガを再訪した際、当時の校長先生がすっかり痩せていて、甘いミルクティーの代わりに庭で採れたハーブティーを飲んでいたのだとか。

……これは嬉しかったでしょうね。

トンガで人生最多の読書量

トンガでの2年間は、日本語が恋しくて人生で一番本を読んだ時期でもあったそうです。

過去の隊員たちがそれぞれお気に入りの本を厳選して持参し、残していっていたため、興味深い本が多くありました。

また、日本にいる友人や訓練所で仲良くなった人たちと手紙をやり取りする中で、人のいろんな面が見えることが面白かったといいます。

トンガ語で「暑い」を表す表現が8種類もあり、今日の「暑い」はこれかな?と使ってみたら現地の人に違うと言われる──そんな言葉への感受性も磨かれた時期だったんですね。

淡路島で主婦から小説家への転身

トンガから帰国した湊かなえさんは、大学時代の恩師の紹介で淡路島の高校に家庭科の非常勤講師として赴任しています。

27歳の時に高校の国語教師の男性と結婚し、28歳で第1子(女の子)を出産しました。

主婦として家庭を築くなかで、第2子になかなか恵まれなかったことが転機になります。

「家で出来る何か新しいことに挑戦したい」と思い、雑誌『公募ガイド』を購入して、2004年から川柳や脚本の投稿を始めたのです。

翌2005年には第2回BS-i新人脚本賞で佳作入選を果たしますが、授賞式でプロデューサーから「地方在住の新人がプロの脚本家を目指すのは難しい」と指摘されて悔しさを味わいます。

この言葉がバネになり、次は脚本と小説のコンクールで一番になることを目標に掲げたそうです。

30歳を過ぎてから書き始め、家政学部卒のアパレル出身・元家庭科教師という、文学とは無縁の道を歩んできた湊さんが小説家になれたのは、子供のころから本を読んできた蓄積があったからだと語っています。

BS-i新人脚本賞の悔しさがバネに

2005年に第2回BS-i新人脚本賞で佳作入選を果たしたものの、授賞式の場でプロデューサーから「地方在住の新人には難しい」と言われたエピソードは、湊さんにとって大きな転換点でした。

この悔しさをバネに、脚本だけでなく小説のコンクールでも一番を目指すという明確な目標が定まったのです。

イヤミスの女王と呼ばれるまでの快進撃

2007年、湊かなえさんは2つの賞を受賞し、一気に文壇の注目を集めました。

作品 受賞
2007年 「答えは、昼間の月」 第35回創作ラジオドラマ大賞(金戸美苗名義)
2007年 「聖職者」 第29回小説推理新人賞
2009年 『告白』 第6回本屋大賞
2010年 映画『告白』 興行収入38.5億円、日本アカデミー賞4冠
2012年 「望郷、海の星」 第65回日本推理作家協会賞(短編部門)
2016年 『ユートピア』 第29回山本周五郎賞

「聖職者」を第一章とした連作長編『告白』は、2008年の「週刊文春ミステリーベスト10」で国内部門1位に選出されています。

そして2009年には第6回本屋大賞を受賞。

デビュー作での本屋大賞ノミネート・受賞は、いずれも本屋大賞史上初の快挙でした。

2010年には松たか子さん主演、中島哲也監督で映画化され、興行収入38.5億円を記録。

日本アカデミー賞では最優秀作品賞・最優秀監督賞・最優秀脚本賞・最優秀編集賞の4冠を達成しています。

書籍の売上は累計300万部を超える大ベストセラーとなり、「イヤミス(読んだ後に嫌な気分になるミステリー)」という新しいジャンルを世に広めました。

その後も『夜行観覧車』『Nのために』『リバース』『母性』『人間標本』など次々とヒット作を生み出し、多数の作品がドラマ化・映画化されています。

主婦業と並行して、夜10時から翌朝4時ごろまで執筆し、朝家族を送り出してから睡眠をとるという生活を続けているそうです。

因島の柑橘農家に生まれ、トンガでの海外生活を経て、淡路島の主婦から日本を代表するミステリー作家になった──湊かなえさんの生い立ちは、まさに「人生なんて、きっかけひとつ」を体現しています。

湊かなえの生い立ちを調べる人向けの関連情報

湊かなえさんの生い立ちに興味を持った方は、本名や家族構成についても気になりますよね。

ここでは結婚や子供、性格など、読者からよく検索されている関連情報をまとめてお伝えします。

本名は金戸美苗でペンネームの由来

湊かなえさんの本名は金戸美苗(かなと みなえ)さんです。

旧姓は松浦で、高校・大学時代は松浦美苗さんでした。

ペンネーム「みなと かなえ」の由来はとてもユニークで、本名の「かなと みなえ」の文字を入れ替えて作ったものなんです。

「かなと」→「みなと」、「みなえ」→「かなえ」という具合ですね。

え、そうだったの!?って感じですよね。

ちなみに、2007年に受賞した第35回創作ラジオドラマ大賞では、本名の金戸美苗名義で受賞しています。

つまり、湊かなえというペンネームは本名のアナグラム(文字の入れ替え)から生まれたものだったんです。

結婚相手は高校の国語教師

湊かなえさんは2000年、27歳の時に一般男性と結婚しています。

お相手は高校で国語を教えている教師で、出会いの場は淡路島の高校でした。

トンガから帰国した湊さんは、大学時代の恩師の紹介で淡路島の高校に家庭科の非常勤講師として赴任しており、そこで知り合ったようです。

つまり、トンガに行かなければ淡路島に来ることもなく、夫とも出会えなかったということになりますね。

通勤バスで見た中吊り広告が、巡り巡って結婚につながっているわけです。

現在も淡路島に住み、外に仕事場を設けず自宅で執筆活動を行っています。

優先順位について湊さんは「いちばんが家庭、つぎが小説」と明言しており、小説を書くことで家族にしわ寄せがいくなら潔く筆を折る覚悟だとも話しています。

夫への文句を創作に活用

ちょっと面白いエピソードがあります。

湊さんは作品に人間の悪意を描くために、日常で感じた怒りをため込んでおくのだそうです。

吐き出してしまうと創作に使えなくなるため、夫に何か文句があっても、その場ではぐっと我慢。

ため込んだ感情を作品に反映させることで、同じ既婚者の女性が「わかるわかる」と共感できる描写が書けるのだとか。

あるとき非常に強い怒りを感じて、心の中で夫が事故で亡くなる想像をしたことがあったそうです。

ところがその想像を膨らませていくと、夫の素晴らしいところも見えてきて、無事に帰宅した時にほっとしたのだとか。

……なかなか独特な夫婦関係ですけど、これも作家ならではですよね。

子供は一人娘で存在を隠していた過去

湊かなえさんには2001年(28歳の時)に生まれた一人娘がいます。

実は、デビュー当初は娘の存在を公表していませんでした。

その理由は、初期作品の作風が暗かったから。

「告白」に代表されるように、人間のダークな部分を描く作品を発表している作家に子供がいると知られることへの配慮だったようです。

2015年に長女が中学に進学するタイミングで公表し、翌2016年には文芸部門で第9回ベストマザー賞を受賞しています。

また、第2子になかなか恵まれなかったことが、執筆活動を始めるきっかけにもなりました。

「家でできる何か新しいことに挑戦したい」という気持ちが、公募ガイドを手に取る行動につながったのです。

デビューした頃は子供が小学1年生の夏休みで、取材などで外出した日はクタクタになることも多かったそうです。

ある日帰宅したら、子供が見よう見まねでお米を炊いてくれていたというエピソードも。

きちんと教えたことはなかったのに、親が大変なことを子供なりに感じ取っていたんですね。

「子どもは親が思っているより、意外と自分で考え、行動できる」という実感が、湊さんの子育て観の根底にあるようです。

性格は意地悪?創作に活かす観察力

イヤミスの女王という異名があるだけに、湊かなえさんの性格についても気になる方は多いようです。

「どうしてこういうストーリーが思いつくのか」という質問に対して、湊さんは「意地悪なんでしょうね」とユーモアたっぷりに答えています。

相手がダメージを受けそうな言葉を考えたり、逆に喜ぶことを考えたりするのが楽しいのだとか。

ただし、ご本人いわく実際の性格は冷酷だとか腹黒いというわけではないとのこと。

素顔は「関西のおばちゃん」だという報道もあり、デイリースポーツのインタビューでそう紹介されたこともあります。

行動力の面で見ると、協力隊への参加や登山への情熱など、やりたいことは躊躇せず行動に移すタイプです。

二次面接でフィジーを勧められても「絶対トンガ」と譲らなかったり、脚本賞で「地方在住では難しい」と言われて奮起したりと、目標を定めたら突き進むパワーが感じられます。

人並み外れた観察力と妄想力で人間の心の裏側を描き出す一方、本人は行動力と温かさを兼ね備えた人物像が浮かび上がってきます。

家族構成は夫と娘の3人暮らし

湊かなえさんの現在の家族構成をまとめると、以下のとおりです。

続柄 詳細
本人 湊かなえ(1973年1月生まれ)
高校の国語教師(一般人)
長女 2001年生まれ

淡路島で家族3人で暮らしています。

締め切りが近い時期は自宅がぐちゃぐちゃになることもあるそうですが、そんな時は夫や娘が気づいて家事をやってくれるのだとか。

「気になる人が片付けたらいいじゃん、という感じ」と語っており、ほこりが気になるなら自分で掃除すればいいし、洗濯物がたまっていると思った人がやればいい──という柔軟なスタイルです。

家族それぞれが異なる感覚を持っていることを尊重しつつ、無理なくお互いを支え合っている家庭の姿が伝わってきますね。

湊かなえの生い立ちのまとめ

  • 1973年1月、広島県因島市の柑橘農家に2人姉妹の長女として生まれた
  • 本名は金戸美苗(かなと みなえ)、旧姓は松浦
  • ペンネーム「みなと かなえ」は本名の文字を入れ替えたもの
  • 母親が読書好きで、毎朝畑に出る前に本を机の上に置いてくれていた
  • 怪盗ルパンシリーズや江戸川乱歩の作品に親しんで読書好きに成長
  • 因島市立因北小学校、因北中学校、広島県立因島高校を経て武庫川女子大学家政学部被服学科に進学
  • 大学卒業後はアパレルメーカーに1年半勤務
  • 1996年〜1998年、23歳で青年海外協力隊員としてトンガに赴任し栄養指導を担当
  • 通勤バスの中吊り広告がトンガ行きのきっかけだった
  • 帰国後、淡路島の高校で家庭科の非常勤講師に
  • 27歳で高校の国語教師と結婚、28歳で一人娘を出産
  • 第2子になかなか恵まれず、自宅でできる挑戦として2004年から投稿活動を開始
  • 2007年に「聖職者」で小説推理新人賞を受賞し作家デビュー
  • 2009年に『告白』で本屋大賞受賞(デビュー作での受賞は史上初)
  • 「イヤミス(読んだ後に嫌な気分になるミステリー)」という新ジャンルを世に広めた

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