公務員の父親を持つエリート家庭に生まれながら、なぜ日本初の「女性暴力団員」として国に認定される道を歩んだのか——西村まこさんの生い立ちは、あまりにも波乱に満ちています。
テストで100点以外は竹の棒で叩かれた幼少期から、少年院に2回収容、20歳でヤクザの盃を受け、日本刀で自ら指を落とすまで。でも今、彼女は元ヤクザや元受刑者の更生支援に命がけで取り組んでいます。
知れば知るほど、「どうしてこういう人生になったんだろう」と思わずにはいられない。そんな西村まこさんの生い立ちを、時系列で詳しく見ていきましょう。
・西村まこさんがなぜヤクザになったのか、エリート家庭からの生い立ち
・日本初の女性暴力団員として国に認定されるまでの経緯
・更生支援活動に転換したきっかけと現在の活動内容
西村まこの生い立ち:エリート家庭からヤクザへの壮絶な半生
「女ヤクザ」という言葉を聞いて、多くの人はどんなイメージを持つでしょうか。西村まこさんの場合、そのバックグラウンドはあまりにも意外なものでした。愛知県庁勤務の公務員の父親を持つ、いわゆるエリート家庭のお嬢様として生まれながら、なぜ日本初の「女性暴力団員」として国に認定される道を歩んだのか。その生い立ちには、読んでいてどこかせつなくなるエピソードが詰まっています。
プロフィール:1966年愛知県生まれ、通称「まこ」の由来は悪魔の子
西村まこさんは1966年生まれ、愛知県育ち。
本名は「西村和代」で、通称の「まこ」は「悪魔の子」が由来だと本人が語っています。こう聞くと恐ろしい印象を受けますが、これはヤクザ時代の経歴から生まれたニックネームで、実態はのちほど詳しく紹介していきます。
現在は、NPO法人「五仁會」広報部長兼岐阜支局長として、元ヤクザや元受刑者の更生支援活動に力を注いでいる女性です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 西村和代 |
| 通称 | 西村まこ(由来:「悪魔の子」) |
| 生年 | 1966年 |
| 出身 | 愛知県育ち |
| 現職 | NPO法人「五仁會」広報部長兼岐阜支局長 |
| 著書 | 「女ヤクザ」とよばれて(清談社Publico、2024年3月) |
日本で初めて国から「女性暴力団員」として認定された人物として、2024年には自身の半生を綴った書籍も出版し、大きな話題を呼びました。
父親の超スパルタ教育と家庭環境
西村さんが育った家庭環境は、傍から見れば「恵まれた家庭」そのものでした。
父親は愛知県庁に勤める公務員で、親戚の中には東京大学出身の裁判官もいたといいます。客観的に見れば、何不自由なく育ったはずの家庭です。
でも、実態はまったく違いました。
父親の教育方針は、今の時代の言葉で言えば「体罰を伴う超スパルタ」。学校のテストは100点を取るのが当たり前で、少しでも点数が悪いと竹の棒でビシビシと叩かれました。西村さんは「テストで90点取っても父は褒めてくれなかった」と語っています。
テストの点数だけではありません。食事のマナーにも非常に厳しく、箸の持ち方がわずかでも間違っていたり、食べるときに音を立てたりすると、その場で竹の棒が飛んできました。
食事マナーへの厳しさ
食事中に音を立てることを禁止するのは理解できなくもないとして、箸の持ち方ひとつで叩かれるというのは、子どもにとってはかなり過酷な環境です。
西村さんは「子どもの頃、父の影を見るとビクビクだった。テストでいい点を取りたかったのは、単純に父親の竹の棒制裁が怖かったから」と当時を振り返っています。
100点を取っても褒めてもらえず、90点では叩かれる。「頑張っても認められない」という感覚が積み重なっていったのかもしれません。これはきつかったでしょうね……。当時の西村さんの気持ちを想像すると、胸が痛くなります。
中学2年で不良の道へ、少年院に2回収容される
厳しすぎる家庭環境の中で育った西村さんが変わったのは、中学校2年生のとき。
この頃から不良の道に入り、ケンカざんまいの日々を送るようになります。「どうせ悪くなるんだったら一番悪くなりたいと思った」と、西村さんは後に語っています。
エリート家庭のお嬢様が一転、「一番の悪」を目指した——。その変化の背後に、父親のスパルタ教育による抑圧があったことは、想像に難くありません。
やがて西村さんは少年院に2回収容されることになります。2度目の少年院収容は、岐阜県で2番目の特別少年送致という記録的なものでした。
中学2年から非行→少年院2回という経歴は、当時の感覚でも相当に「筋金入り」のレベル。ただ、少年院時代には意外な一面も。
少年院でのレース編みと金賞エピソード
少年院ではさまざまな技能を学ぶプログラムがあります。西村さんはそこでレース編みを習得し、なんと院内で金賞を受賞するほどの腕前になったといいます。
のちに自らの手でこのレース編みの才能が失われることになるわけですが、そのエピソードはまた後述します。
不良の仮面の下に、手先が器用で真剣に取り組める一面があったというのは、なんか……複雑な気持ちになりませんか。違う環境だったら、もっと違う人生があったかもしれないという思いがよぎります。
20歳でヤクザの盃を受け、日本初の女性ヤクザ組員に
1度目の少年院収容の前から、すでにヤクザ見習いとして活動していた西村さん。
20歳のとき、杉野組の杉野良一親分の盃を受けることになります。「杉野の親分から『まこちゃん、女でもいいからヤクザをやれ』と言われて『やります』と即答。杉野の親分には、私が傷害事件でパクられたときにお世話になった恩義もありましたからね」と語っています。
こうして西村さんは日本初の女性ヤクザ組員となりました。
「女ヤクザ」と「極道の妻(姐さん)」は全く別の存在です。西村さん自身がその違いをこう説明しています。
「極道の妻は”姐さん”として、組の若衆の食事を作ったり、身の回りの世話をするのが仕事です。一方、”女ヤクザ”の私は女とついているだけで、実態は男のヤクザとすべて同じ。紋付袴を着て盃を受けたその日から、若衆たちと一緒に”部屋住み”が始まりました」
部屋住みとは、ヤクザの下積み修業期間のこと。組事務所や組長の家で生活し、幹部の世話・事務所の掃除・組長の飼い犬の散歩などの雑用をこなします。「部屋住み時代は男と交ざって雑魚寝が当たり前。私はずっと格闘技をやっていて、学生時代からケンカざんまいだったので、襲われても負けない自信がありました。そもそも女扱いされていないので、襲われる心配もなかったですね」と振り返っています。
ヤクザとしての活動は、借金の債権回収や覚醒剤代の取り立て、かつて”売春島”と呼ばれていた三重県の渡鹿野島に女性を売るなど「女のシノギ」にも関わっていたことを本人が明かしています。
杉野組に入ることが決まった際、西村さんの母親は組の事務所に「これから娘がお世話になります」と挨拶に行ったというエピソードも。後に「お母さんが行ったのはヤクザの事務所だよ」と教えたら、非常に驚いていたとのこと。どこか笑えない笑い話ですよね。
指詰めとレース編みが叶わなくなった日
組員になって間もない頃、西村さんは「指詰め」を経験します。
杉野組は建前上、覚醒剤(シャブ)が禁止されていましたが、実際には薬物中毒ばかりで、主なシノギはシャブ屋でした。ある日、組員のシャブ乱用が親分にバレてしまいます。
「私が代表して指を詰めることになり、その日のうちに日本刀で左手の小指の先を落としました」
一度では切断できず、二度刀を振るったとも伝えられています。
「指を詰めてヤクザとして箔がつきましたが、残念だったのは”レース編み”ができなくなったこと。実は、少年院時代にレース編みを習得して院内で金賞をもらうほどの腕前だったんです。でも、小指がなくなってからはレースがうまく編めなくなってしまって……。そのとき初めて『ケッ』と思いましたね」
少年院で金賞を獲るほどの腕前を誇ったレース編みが、指詰めによって二度とできなくなった——。
この一件で「ケッ」と思ったというのが、西村さんらしいというか。ヤクザとしての箔よりも、好きだった手仕事を失ったことの方が悔しかったのかもしれません。個人的にこのエピソード、なんかずっと頭に残るんですよね。
「指落としの名人」として他の組員からも依頼されるようになった話
この一件以来、西村さんは「指落としの名人」という異名を持つようになります。
自分自身が指詰めを経験したことで技術を習得してしまい、その後は他の組員からも小指落としを依頼されるようになったというのですから、驚きです。指詰めという行為自体の是非はさておき、どんな状況でも「やるなら極める」という姿勢は、西村さんの一貫したキャラクターを感じさせます。
覚せい剤で逮捕、国が初認定した「女性暴力団員」
1987年、西村さんは覚醒剤取締法違反で逮捕され、懲役2年6か月の実刑判決を受けます。
笠松刑務所に服役中、仮釈放を得るために「ヤクザの脱退届」を書くことになりました。ところがここで予期せぬ問題が発生します。
西村さんが女性のヤクザ組員として珍しすぎたため、刑務官から何度も書き直しを要求されたのです。最終的に刑務官から「あんたが日本初(の女ヤクザ)だから、こんなに時間かかるんよ」と言われ、日本初の「女性暴力団員」として国が正式に認定した人物となりました。
釈放時に2列の組員が門前に並んだエピソード
釈放の日、女子刑務所の門前に杉野組の組員が2列に並び、出所した西村さんに向かって「お疲れさまでした!」と一斉に頭を下げるという光景が繰り広げられました。
男子刑務所では珍しくない放免風景かもしれませんが、女子刑務所では前代未聞。女性の所長も「こんな光景は初めて見た」と慌てていたそうです。
結婚・出産と、シャブを売って子供を育てた日々
出所後、杉野組に復帰した西村さんでしたが、やがて破門されます。
その後、20代後半で一時的にヤクザ稼業を離れ、他の暴力団組長と結婚し、2人の男の子をもうけます。
しかし夫は生活費を全く出しませんでした。子どもを育てるお金が必要な中、介護や医療事務の資格も取りましたが、入れ墨があるために雇ってもらえなかったと語っています。
「子どもが寝静まったのを見計らって。ここ(リビングのテーブル)で覚醒剤を100グラムずつあるじゃないですか、それを10グラムずつ分けて販売していました。相手(夫)は全くお金を出さない。子ども育てるのにお金が必要じゃないですか、どうしてもやめられなくて」
子どもを高校まで進学させるために、覚醒剤の販売を続けた——。正義と感情の間で、どこか整理がつかないような話ですよね。それでも「この子のためなら死ねると思った」と語っている言葉には、母親としての愛情が確かに感じられます。
「もうちょっと頭使って、正業のほうに力を入れて育ててあげれば(逮捕されて)新聞に載ることもなかったし。それはすごい反省しています」という言葉が、今の西村さんの本音を物語っています。
西村まこの生い立ちを調べる人向けの関連情報
西村まこさんの生い立ちを調べている方の中には、現在の家族関係や活動内容についても気になる方が多いようです。ここでは関連情報をまとめてお伝えします。
旦那はヤクザの親分、生活費はゼロだった
西村さんが結婚した相手は、他の暴力団団体のヤクザの組長でした。
この結婚によって西村さんは「姐さん」の立場を担うことにもなりましたが、夫は生活費を全く入れなかったといいます。「相手(夫)は全くお金を出さない」という状況の中で、子どもたちを育てるために西村さんは様々な方法を模索しました。
資格を取得して正業に就こうとしたものの、入れ墨があることで就職ができなかったという現実。ヤクザの世界で生きてきた代償が、まともな仕事の機会を奪っていたわけです。現在の旦那との関係については公表されていません。
息子2人との絶縁と長男・大輝との衝撃の再会
西村さんには2人の息子がいます。長男・大輝さん(28歳)と、次男(20歳)。
2人とも、ヤクザ稼業の母親を見限り、10年近くにわたって絶縁状態が続いていました。それでも西村さんの部屋には、子どもたちが幼い頃使っていたベッドが今も置かれています。「昔子どもが寝ていたベットです。思い出があるんで手放したくない。この子のためなら死ねると思った」。
ヤクザをやめて更生の道を歩み始めた西村さんは、2人の息子に会って謝りたいという気持ちを募らせていきます。
2024年6月、西村さんは長男・大輝さんが住む東京のマンションを訪ねました。新幹線の中で息子の写真を見つめながら、「ちゃんとお金を持っているのかとか、ちゃんと食べてるのかどうか」と心配する姿は、どこにでもいる普通の母親そのものでした。
しかし、玄関のドアをノックした瞬間、現実は残酷でした。
「出て行け、調子こくなよこの野郎」「うるせえバカ野郎、出て行け」
大輝さんはドアを開けることなく、激しい言葉で拒絶しました。西村さんが手紙を郵便受けに入れると、3日後、大輝さんは自身のYouTubeチャンネルにその手紙を破り捨てる映像を公開。「二度と来るな」というメッセージを世間に発信しました。
10年以上の空白と積み重なった怒りは、そう簡単に消えるものではなかった——。
思わず言葉が出なくなるようなシーンですよね。大輝さんにとっては、覚醒剤販売で逮捕され、新聞に名前が載った母親の存在は、それほど深い傷を残していたということなのでしょう。
なお、長男・大輝さんは格闘技のプロとして活動しており、高校卒業後に上京してプロを目指しているとのこと。
ヤクザをやめて更生への道を歩んだきっかけ
40代後半、西村さんは再び杉野組に戻ります。しかし、かつての仁義ある世界はすでになく、「ただの詐欺集団に成り下がっていた」と感じてすぐに離脱しました。
転機は2012年の除籍後。2017年頃から個人的に、昔の仲間や居場所のない人たちの面倒を見るようになりました。
しかし1人での活動は難しく、居候させていた元プロボクサーに殺されかけるという命がけの経験もしています。瀕死の重傷を負ったことが、更生支援という生き方を本格的に考えるきっかけになったと語っています。
そんな矢先、NPO法人「五仁會」の竹垣悟会長と出会います。四代目山口組・竹中正久親分の元側近を務めたほどの人物が、額に汗して地域の清掃活動をする後ろ姿に深く感銘を受けました。「更生するラストチャンスだ」と感じた西村さんは、五仁會への参加を決意します。
五仁會での活動と岐阜・柳ヶ瀬での支援活動
五仁會は、元暴力団員や元受刑者、元非行少年などの自立と就労支援を通じて、犯罪減少と地域社会の安全を目指すNPO法人です。
西村さんは五仁會の広報部長兼岐阜支局長として、岐阜県最大の歓楽街・柳ヶ瀬にある「ロアビル」を拠点に活動しています。
このビルには、前科がある人・薬物依存・ひきこもりなど、さまざまな「ワケアリ」の人たちが住んでいます。トラブルは日常茶飯事で、警察が出動することも珍しくないほど。それでも、立ち上げメンバーたちは冷静に対処し続けています。
西村さんが薬物依存の専門家から学んだことがあります。それは、「薬物依存症の人は常に不安や孤独を抱えており、社会とのつながりが必要」だということ。
「クスリよりも五仁會の活動のほうが楽しい」と話してくれる会員もいて、西村さんはそこにやりがいを感じています。「行き場のない人々の”よりどころ”になりたい」というのが、今の西村さんの目標です。
「過去をいかして人を更生させてあげるっていうことが、自分たちにしかできない」——この言葉が、西村さんの活動のすべてを表しています。
書籍「女ヤクザとよばれて」に込めた想い
2024年3月24日、西村さんは自身の半生を綴った書籍『「女ヤクザ」とよばれて ヤクザも恐れた「悪魔の子」の一代記』(清談社Publico、税込1870円)を出版しました。
出版のきっかけは、五仁會の竹垣悟会長から本の執筆を提案されたこと。書籍はYouTube「竹垣悟チャンネル」での出演回がトップクラスの再生数を記録したことも話題を呼んでいます。
| 書籍情報 | 内容 |
|---|---|
| タイトル | 「女ヤクザ」とよばれて ヤクザも恐れた「悪魔の子」の一代記 |
| 著者 | 西村まこ |
| 出版社 | 清談社Publico |
| 価格 | 税込1870円 |
| 発売日 | 2024年3月24日 |
書籍は8章で構成されており、「悪魔の子」とよばれて/少年院に落ちるまで/ヤクザも恐れた最強伝説/女子刑務所ぶっちゃけ話/「女ヤクザ」というお仕事/アウトローだって恋したい/「母親」から「姐さん」へ/更生への道、という流れで半生がまとめられています。
読者からは「説教や訴えではなく、読んで何を思うかは各読者の判断に任せる感じ」「壮絶な体験を書き綴った」という感想が届いています。
ABCテレビのドキュメンタリー「追跡スペシャル」でも西村さんの密着ドキュメンタリーが放送され、大きな反響を呼びました。
西村まこへの世間の声と評価
西村まこさんのことが知られるようになって以来、ネット上でもさまざまな声が上がっています。
「生い立ちを知ると、なぜヤクザになったかが少し理解できる気がする」「父親の教育が影響しているのでは」という声がある一方で、「どんな事情があっても、子どもの前で覚醒剤を売るのは許せない」「息子たちへの影響が心配」という厳しい目線も存在します。
また、現在の更生支援活動については「元ヤクザだからこそできる支援がある」「本物の更生とはこういうことだ」と評価する声も多く聞かれます。
それまで社会の暗部を生きてきた人間が、同じような境遇にいる人たちのために働く——。その説得力は、きれいな経歴の人間には絶対に出せないものがあるのかもしれません。
書籍の感想にも「ただの不良自慢ではない」「親の価値観の押し付けという問題を考えさせられた」というものがあり、単なる”武勇伝”ではない深みが評価されているようです。
西村まこの生い立ちのまとめ
- 1966年生まれ、愛知県育ち。本名は西村和代
- 通称「まこ」の由来は「悪魔の子」
- 父親は愛知県庁勤務の公務員で、超スパルタ教育を受けて育つ
- テストで100点以外は竹の棒で体罰、食事マナーにも厳しかった
- 中学校2年で不良の道に入り、少年院に2回収容される
- 少年院ではレース編みを習得し、院内で金賞を受賞するほどの腕前だった
- 20歳で杉野組の盃を受け、日本初の女性ヤクザ組員となる
- 組員の薬物乱用の責任を取り、日本刀で自ら左手の小指を切断
- 以後「指落としの名人」として他の組員からも依頼された
- 覚醒剤所持で逮捕・服役し、脱退届を提出して国から初の「女性暴力団員」として認定される
- 他団体の組長と結婚して2人の息子をもうけるが、夫は生活費を出さなかった
- 子育てのため覚醒剤を販売するという選択をしたことを深く反省している
- 息子2人(長男・大輝さん、次男)と10年近く絶縁状態にある
- 2024年に長男に直接会いに行ったが「出て行けバカ野郎」と拒絶された
- 2012年の除籍後、元仲間や居場所のない人たちの面倒を個人で見始める
- 居候の元プロボクサーに殺されかけたことが更生支援の本格化のきっかけに
- NPO法人「五仁會」竹垣悟会長と出会い「更生するラストチャンス」と感じて参加
- 現在は五仁會広報部長兼岐阜支局長として岐阜・柳ヶ瀬で活動中
- 「過去をいかして人を更生させてあげるのが自分たちにしかできないこと」と語る
- 2024年3月に書籍「女ヤクザとよばれて」を清談社Publicoから出版

