写真家でありクリエイターでもある桐島ローランドさんについて、いちばん謎に包まれているのが父親の存在です。
母は作家の桐島洋子さん、姉はモデルの桐島かれんさん。それだけ有名な一族なのに、父親の話だけがぽっかり抜けていると思いませんか。
調べてみると、父親はアメリカ海軍の退役中佐でありながら、世界最深潜水記録を持つダイバーでもあったという、なかなか信じがたい経歴の持ち主でした。
・桐島ローランドの父親の国籍・階級・職業といった具体的な経歴
・母である桐島洋子との出会いから関係が終わるまでの流れ
・姉の桐島かれん・桐島ノエルと父親が同じ人物なのかどうか
桐島ローランドの父親はどんな人物だったのか
写真家として、そして3DCGの分野を切りひらくクリエイターとして知られる桐島ローランドさん。その父親については、ずっと「アメリカ人らしい」という話だけが独り歩きしてきました。ここでは公表されている範囲の情報をたどりながら、父親がどんな人物だったのかを整理していきますね。
父親はスコットランド系アメリカ人の退役海軍中佐
まず結論からいきます。
桐島ローランドさんの父親は、スコットランド系アメリカ人の退役海軍中佐だとされています。
母である作家・桐島洋子さんの経歴をまとめた資料に、この記述がくり返し出てきます。
つまり、日本の芸能界の人でもなければ、実業家でもない。アメリカ海軍で中佐まで務め、その後に退役した軍人というのが、父親の基本的な輪郭です。
ここ、少し意外じゃないですか。
桐島家といえば、母の洋子さんが「翔んでる女」という言葉の元祖として語られ、長女のかれんさんはモデル、次女のノエルさんはエッセイストと、いかにも文化的な一族というイメージがあります。
その始まりに立っているのが軍人だった、というのはちょっと想像しにくいですよね。
なお、父親の氏名については、公的な形で発表されたものが見当たりません。
個人ブログのなかには具体的な名前を挙げているものもありますが、出典がはっきりしないうえ、そもそも父親は芸能活動をしていない一般の方です。
この記事では、名前や居住地といった個人を特定する情報には踏み込まず、公表されている経歴の範囲だけを扱っていきます。
「中佐」という階級はどれくらいの立場か
海軍の中佐は、日本でいえば大きめの艦の艦長クラスにあたる階級です。
士官のなかでも中堅から上の層で、部隊を預かる責任のあるポジション。
若くしてなれるものではないので、それなりに長く軍に身を置いた人物だったと考えるのが自然でしょう。
世界最深潜水記録を持つダイビングの草分け
父親を語るうえで、軍人という肩書き以上におもしろいのがこちらです。
世界最深潜水記録を持つスキューバダイビングの草分け的存在だった、と伝えられています。
これ、地味にすごい話です。
スキューバダイビングという遊び方そのものが世界に広まっていったのは1950年代から60年代にかけて。
つまり父親は、まだ機材も理論も整っていない時代に、人間がどこまで潜れるのかを身体で確かめにいった側の人だったわけですね。
海軍で潜水に関わっていた人物が、そのまま民間のダイビング黎明期を引っぱった――そう考えると、軍人とダイバーというふたつの顔はきれいにつながります。
父親は「海の人」だった、というのがいちばんしっくりくる説明かもしれません。
ちなみに、この「世界最深」がいつの記録で、何メートルだったのかまでは公表されていません。
当時の潜水記録は団体ごとに基準がバラバラだったこともあり、数字を断定するのは難しいところです。
ここは「そういう分野の先駆者だった」という理解にとどめておくのが安全だと思います。
母・桐島洋子とはダイビングで出会った
では、その父親と母・桐島洋子さんはどこで出会ったのか。
答えはやはり海でした。
1962年、ダイビングを通じて2人は知り合っています。
当時の洋子さんは文藝春秋に勤める20代半ば。
日本の女性でスキューバダイビングをする人など、まだほとんどいなかった時代です。
そこへ、潜水の第一人者であるアメリカ人が現れる。
……なんというか、出会うべくして出会った2人という感じがしますよね。
ただ、この関係は最初から穏やかなものではありませんでした。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出会った年 | 1962年 |
| きっかけ | ダイビング |
| 年齢差 | 父親が母より26歳年上 |
| 当時の相手の状況 | すでに婚姻関係にあった |
そう、父親には当時すでに妻がいたのです。
そして年齢差は26歳。
洋子さんが20代半ばだったことを考えると、父親は50歳前後だった計算になります。
26歳差という距離感
26歳という年の差は、親子といってもおかしくない開きです。
しかも相手は外国人で、既婚者で、日本には仕事の関係で滞在している。
どう見ても穏やかに続く関係ではありません。
それでも洋子さんはこの人を選び、のちに3人の子どもを産むことになります。
このあたりの振り切り方が、後年「翔んでる女」と呼ばれた彼女らしいところなのかもしれませんね。
姉のかれんとノエルも父親は同じ人物
ここ、けっこう誤解されているポイントです。
桐島家は3きょうだいですが、それぞれ生まれた年も生まれた場所も違うため、「父親は別々なのでは」と受け取られることがあります。
でも、そうではありません。
かれんさん・ノエルさん・ローランドさんの3人は、いずれも同じ父親の子どもです。
1962年に洋子さんが知り合った、あのスコットランド系アメリカ人ですね。
| きょうだい | 生まれ | 現在の主な肩書き |
|---|---|---|
| 長女・桐島かれん | 1964年 | モデル・女優 |
| 次女・桐島ノエル | 1965年 | エッセイスト |
| 長男・桐島ローランド | 1968年 | 写真家・クリエイター |
3人とも顔立ちにどこか共通したものがあるのは、当然といえば当然だったわけです。
なお、次女のノエルさんは、洋子さんがヨーロッパ旅行から帰国する船の上で生まれたと伝えられています。
マルセイユから日本へ向かう船の、到着直前のクリスマスの朝。
……エピソードの濃さが尋常じゃないですよね。
母は未婚の母として3人を産み育てた
そして、ここが桐島家を語るうえで最大のポイントです。
桐島洋子さんは、3人とも「未婚の母」として出産しています。
父親とは籍を入れないまま、3人を産み、育てた。
1960年代の日本で、です。
いまでこそ多様な家族の形が語られますが、当時の空気を思えば、これがどれだけ風当たりの強い選択だったかは想像に難くありません。
実際、長女のかれんさんを妊娠したときは職場に妊娠を隠し通し、最後の2か月だけ病気休暇という名目で休んで出産、産後1週間で職場に復帰したと伝えられています。
正直、読んでいて胸がざわつきました。
産休も育休もない時代に、ひとりで働きながら3人を育てるという選択をしたわけですから。
ローランドはベトナムで身ごもった子だった
長男であるローランドさんの誕生には、さらに劇的な経緯があります。
1967年、父親がベトナム行きの船の船長を務めることになり、洋子さんはその船に同乗して戦時下のベトナムへ渡っています。
そこで身ごもり、帰国した1968年4月27日にローランドさんが生まれました。
戦争のさなかの国で授かった子、ということになりますね。
桐島ローランドさんという人の出発点には、母のとんでもない行動力がそのまま刻まれているわけです。
小学3年生でニューヨークへ
その行動力は、子育てのフェーズでも変わりませんでした。
ローランドさんは日本の公立小学校に通っていて、英語もまったく話せなかったそうです。
ところが小学3年生のとき、母の決断で一家はニューヨークへ移住します。
本人はのちのインタビューで、この移住を「破天荒な母の急な決断」と表現し、70年代のアメリカでの生活は大きなカルチャーショックだったと振り返っています。
同時に、その経験が「今の自分にとっての土台を作った」とも語っていますよ。
父親が別の女性と結婚して関係は終わった
2人の関係には、はっきりとした終わりがあります。
1968年、父親が別の女性と結婚したことで、洋子さんとの関係は清算されました。
1968年というのは、まさにローランドさんが生まれた年です。
末っ子が生まれた年に、父親は別の家庭を持った。
……これはもう、言葉が出ませんよね。
つまりローランドさんは、物心つく前に父親との関係が事実上終わっていたことになります。
事実、ローランドさんが父親との思い出を公に語った記録はほとんど見当たりません。
インタビューで家庭の話になったときも、語られるのはいつも母・洋子さんのことです。
日経の連載でも「父親のような圧倒的な存在の母」という表現が使われていました。
父親の役割まで母がひとりで担った家庭だった、ということなんだと思います。
なお、父親のその後――健在なのか、いつ亡くなったのか、どこで暮らしていたのか――については公表されていません。
一般の方ですし、この点を詮索するのは筋が違うでしょう。
本名は桐島象太郎でローランドは中間名
父親がアメリカ人だったことは、彼の名前にもはっきり残っています。
桐島ローランドさんの本名は、桐島象太郎(きりしま しょうたろう)さんです。
え、と思いませんでしたか。
「ローランド」は芸名ではなく、ミドルネームなんですね。
日本の戸籍にはミドルネームを登録する欄がないため、戸籍上の表記は桐島象太郎になっている、と説明されています。
本人も、生まれたときからローランドと呼ばれていたと語っています。
ローランドという名前は、フランスの叙事詩に登場する英雄の名としてヨーロッパで広く知られたもの。
スコットランド系の父を持つ子に付けられた名前としては、たしかに筋が通っています。
日本名と欧米名を両方持っていること自体が、父親の存在を示すいちばん確かな証拠なのかもしれませんね。
ちなみに学歴も、その環境をそのまま映しています。
セント・メリーズ・インターナショナル・スクールを卒業したあと、ニューヨーク大学の芸術学部写真科へ進み、1991年に卒業しています。
桐島ローランドの父親を調べる人向けの関連情報
ここからは、父親のことを調べている人がよく一緒に検索している話題をまとめていきます。若い頃の活動から、結婚、そして現在の仕事まで一気に見ていきましょう。
若い頃はモデルとして活動していた
いまでこそ写真家・クリエイターという肩書きが定着していますが、若い頃の桐島ローランドさんはファッションモデルとして活動していました。
長身でハーフの端正なルックス、しかも桐島かれんさんの弟。
90年代の日本のファッション業界で注目されないほうが無理という条件が揃っていましたよね。
ただ、本人はモデル業に留まりませんでした。
ニューヨーク大学で写真を学んだあと、撮られる側から撮る側へ移っていきます。
写真家としてのキャリアは、ニューヨークからスタートしています。
以来30年以上にわたって広告業界に関わり、広告キャンペーンやCMなど数多くのプロジェクトを手がけてきました。
江角マキコとは9か月で離婚した
桐島ローランドさんの名前を一気に世間へ広げたのが、この結婚です。
1996年2月29日、女優の江角マキコさんと結婚しました。
うるう日の入籍というのが、いかにも当時らしい演出ですよね。
ところが、この結婚生活は長く続きませんでした。
およそ9か月というスピード離婚に終わっています。
2人のあいだに子どもはいません。
離婚の具体的な理由について、双方から詳しい説明がされたことはありません。
当時は憶測まじりの報道も出ましたが、確かな裏づけのあるものは見当たらないので、ここで断定的に語るのは避けておきます。
妻は茶道を通じて知り合った一般女性
離婚から数年後、桐島ローランドさんは再婚しています。
2002年、趣味の茶道を通じて知り合った一般女性と再婚しました。
茶道がきっかけ、というのがちょっと意外じゃないですか。
ニューヨーク育ちで最先端のデジタル技術を扱う人が、いちばん日本的な文化の場でパートナーと出会っている。
このちぐはぐさが、なんだかこの人らしい気もします。
お相手は芸能界の方ではありません。
一般の方なので、氏名や職業といった情報は公表されておらず、メディアに顔を出すこともありません。
娘と息子の2人の子供がいる
再婚後、桐島ローランドさんには子どもが生まれています。
娘と息子の2人で、いずれも一般の方として育てられています。
母・洋子さんが未婚の母として3人を育て、父親は別の家庭を持っていた。
そんな家庭で育った人が、自分の家庭では子ども2人を静かに育てている――ここ、個人的にすごくいいなと思うところです。
なお、子どもたちの名前や通っている学校といった情報は公表されていません。
芸能活動もしていないので、この記事でも触れません。
現在は3DCG企業の取締役を務める
現在の桐島ローランドさんは、写真家という枠に収まらない仕事をしています。
2014年、日本初のフォトグラメトリースタジオ「AVATTA」を設立しました。
フォトグラメトリーというのは、大量の写真から人物や物体の立体データを起こす技術のこと。
撮影の技術と3DCGをつなぐ分野で、まさに写真家だからこそ踏み込めた領域ですよね。
このAVATTAは2018年からサイバーエージェントグループに参加し、現在は株式会社CyberHuman Productionsとして事業を展開しています。
桐島ローランドさんは同社の取締役やテクニカルアドバイザーという立場で関わってきました。
30年以上の写真家キャリアを土台に、いまはデジタルヒューマンの領域で最前線に立っている人物です。
葉山でカフェをオープンした
そしてもうひとつ、最近の話題がこちら。
2023年に神奈川県葉山町へ拠点を移し、2024年にカフェ「Felicity Cafe」をオープンしています。
コーヒー1杯がもたらす幸せをテーマにしたお店で、2024年7月にプレオープン、8月にグランドオープンという流れでした。
場所は、カフェレーサーバイクのカスタムビルドショップとして知られた「幸福商會」の跡地。
バイク好きとしても知られる本人らしい引き継ぎ方です。
ちなみに葉山には、姉の桐島かれんさん夫妻も暮らしています。
海の近くで暮らし、海の近くで店を構える。
……父親が「海の人」だったことを思うと、少し不思議な巡り合わせに感じませんか。
桐島ローランドの父親のまとめ
- 父親はスコットランド系アメリカ人の退役海軍中佐とされる
- 世界最深潜水記録を持つスキューバダイビングの草分け的存在だった
- 氏名や現在の状況は公表されておらず、一般の人物である
- 母・桐島洋子とは1962年にダイビングを通じて知り合った
- 父親は母より26歳年上だった
- 出会った当時、父親にはすでに妻がいた
- 長女かれん・次女ノエル・長男ローランドの3人は同じ父親の子である
- 母は3人とも未婚の母として出産している
- 1967年に父親のベトナム行きの船に母が同乗し、そこで長男を身ごもった
- 桐島ローランドは1968年4月27日生まれ
- 同じ1968年に父親が別の女性と結婚し、母との関係は清算された
- 本名は桐島象太郎で、ローランドはミドルネームにあたる
- 小学3年生のときに母の決断でニューヨークへ移住した
- 1996年に江角マキコと結婚し、約9か月で離婚している
- 2002年に茶道で知り合った一般女性と再婚し、娘と息子がいる

