黒田知永子の実家は住所非公開!お金持ち説の根拠は成城学園に通った16年

黒田知永子の実家は住所非公開!お金持ち説の根拠は成城学園に通った16年

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『VERY』『STORY』『eclat』と、創刊のたびに表紙を任されてきたモデルの黒田知永子さん。長く第一線にいる人なのに、実家の話になると途端に情報が出てこないのをご存じでしょうか。

住所も両親の職業も非公表。それなのに「実家はお金持ち」という説だけが広く出回っているんですよね。調べていくと、その根拠は意外なほどシンプルなものでした。

この記事では、黒田知永子さんの実家について分かっていることを、確認できた事実と推測に分けて整理していきます。

この記事を読むとわかること
・実家の住所や両親の職業が公表されているのかどうか
・お金持ち説と世田谷区成城説がどこから出てきたのか
・旧姓や家族構成など、実家について確認できる情報

黒田知永子の実家はどこ?金持ち説の根拠

まずは「実家はどこなのか」「本当にお金持ちなのか」という、いちばん知りたいところから見ていきますね。

結論を先にお伝えすると、住所そのものは出てきません。ただ、お金持ち説がここまで広まった理由ははっきりしています。

実家の住所は公表されていない

黒田知永子さんの実家について調べていくと、最初にぶつかるのがここです。

実家の住所も、両親の名前も職業も、公式には一切公表されていません。

デビューから40年以上が経ち、女性誌の表紙モデルだけで21年という長いキャリアを持つ人ですが、家族に関する情報だけはきれいに出てこないんですよね。

これは隠しているというより、モデルという仕事の性質が大きいのかなと思います。

俳優やタレントと違って、雑誌のモデルはバラエティ番組で家族の話を掘り下げられる機会がほとんどありません。

本人が語っているのは、あくまで自分自身のことと、離婚や娘さんとの暮らしといった「今の家族」のこと。

生まれ育った家について本人が具体的に語ったインタビューは、確認できませんでした。

ネット上で「実家はここ」と書かれている記事もありますが、そのほとんどが後述する学歴からの推測で、一次情報にたどり着けるものは見つかりません

ここ、期待して調べに来た方には少し肩透かしかもしれませんね。

ただ、情報がゼロというわけではないんです。

公表されている経歴の中に、実家の暮らしぶりを推し量れる材料がいくつか残っています。

世田谷区成城周辺という説が出た理由

実家の場所について、ネット上でよく見かけるのが「東京都世田谷区の成城周辺なのでは」という説です。

この説が出てくる理由は、実はとてもシンプルでした。

黒田知永子さんが成城学園に通っていたからです。

成城学園は世田谷区成城にある一貫校で、キャンパスの最寄り駅は小田急線の成城学園前駅。

小学校にあたる初等学校から通っていたとなると、当時まだ幼い子どもが毎日通える距離に住んでいたはず、という発想ですね。

そこから「実家も成城の周辺なのでは」という話につながっていったわけです。

成城といえば、都内でも屈指の高級住宅街として知られるエリア。

芸能人や文化人が多く住む街というイメージもあって、この説は「実家はお金持ち」という話ともきれいに噛み合ってしまいました。

ただ、ここは慎重に見ておきたいところです。

成城学園に通っていたという事実は確認できますが、実家が成城にあったという記述はどこにも見当たりません。

小田急線沿線からの通学だった可能性も、まったく別のルートだった可能性も残ります。

学校の場所と自宅の場所を同じものとして語るのは、やっぱり少し飛躍があるかなと思います。

「成城説」は、あくまで通学圏から逆算した推測として受け止めておくのがよさそうです。

金持ち説の根拠は成城学園の学費

では、お金持ち説そのものの根拠はどこにあるのか。

こちらは成城説よりもう少し材料がしっかりしています。

根拠になっているのは、小学校から短大まで、ずっと私立の成城学園に在籍していたという経歴です。

初等学校から短大までとなると、在籍期間はおよそ16年。

私立の一貫校に16年間通わせるとなれば、学費だけでもかなりの負担になります。

さらに小学校受験の場合、入学までに準備や面接対策が必要になるケースも多く、家庭側の意識や余裕も問われるところですよね。

つまり、少なくとも私立一貫校に長く通わせられる経済力と、教育に熱心な家庭だったことは推測できるというわけです。

もっとも、ここで注意しておきたいことがひとつあります。

学費から言えるのは「一定の余裕があった」というところまでで、資産額や年収の話にはつながりません。

ネット上では「実家は大富豪」「相当な資産家」といった表現も見かけますが、その裏づけになる情報は確認できませんでした。

数字の話はあくまで一般的な目安として受け取り、断定しないほうがよさそうです。

小学校から短大まで通った成城学園

お金持ち説の土台になっている学歴を、もう少しだけ具体的に整理しておきますね。

段階 学校名
小学校 成城学園初等学校
中学校 成城学園中学校
高校 成城学園高等学校
短大 成城短期大学(現在は閉校)

高等学校と短大については、Wikipediaをはじめ複数の媒体が一致して記載しています。

初等学校と中学校についても、学歴を扱う専門メディアが同じ内容を伝えていました。

小学校から短大まで、一度も外に出ずに成城学園で過ごしたことになります。

なお、在籍していた成城短期大学は現在すでに閉校しており、当時の教養科という学科もいまは存在しません。

中学・高校はバスケットボール部だった

学生時代の様子について、ひとつだけ具体的な話が残っています。

中学時代と高校時代、どちらもバスケットボール部に在籍していたという情報です。

長身を活かして活躍していたとのことで、モデルらしいスタイルは学生の頃からのものだったんですね。

ちなみに大学1年のときにスカウトされてモデルの世界に入っているので、部活に打ち込んでいた時期からそれほど間を置かずに『JJ』の専属モデルになった計算になります。

……なんだか、絵に描いたような青春ですよね。

ただしこの部活の情報は、確認できたのが単独のソースのみでした。

複数媒体で一致しているわけではないので、そういう話もある、という程度で受け止めておくのがよさそうです。

両親と弟の4人家族という情報

家族構成についても、わずかですが情報が残っています。

学歴を扱う専門メディアによると、両親と弟の4人家族だったとのこと。

つまり黒田知永子さんは長女で、下に弟がひとりいる、ということになります。

同じ媒体には、子どもの頃から厳しく躾けられていたという記述もありました。

私立の一貫校に通わせる家庭という背景を思うと、教育や生活習慣に対して考えを持った家だったのかなと想像はできます。

ただ、この家族構成の話も裏づけは1媒体のみで、本人が語ったものとして確認できたわけではありません。

弟がいるという話も含めて、確定情報として扱うには根拠が足りないのが実際のところです。

弟さんの名前・年齢・職業といった具体的な情報は、どこにも出てきませんでした。

両親の職業は公表されていない

実家の話で読者がいちばん知りたいのは、たぶんここですよね。

両親は何をしている人だったのか。

結論から言うと、父親・母親ともに職業は公表されていません。

会社員だったのか、自営業だったのか、それを判断できる材料が本当に何も出てこないんです。

「実家がお金持ち」という話がここまで広まっているのに、その源泉である親の仕事だけが分からない。

このねじれが、この人の実家がずっと話題になり続けている理由なのかなと思います。

ちなみに両親について、本人がわずかに触れている場面がひとつだけありました。

雑誌のインタビューで体型の話になったとき、「もともとそんなには太らない体質。両親も太ってないし、それはありがたいですね」と語っています。

職業でも家柄でもなく、体質の話。

公の場で両親に言及したものとして確認できたのは、この一言だけでした。

逆にいえば、それだけ家族のことを表に出さずにきた人だということでもありますよね。

旧姓は樫本で東京都出身

最後に、実家の名字についても触れておきます。

黒田知永子さんの旧姓は「樫本」で、旧名は樫本知永子さん。

WikipediaやWeblio、プロフィールを扱う媒体が一致して記載している情報なので、ここは確度が高いと言っていいと思います。

つまり「黒田」は結婚後の姓ということですね。

ここで少し面白いのが、2007年5月に離婚したあとも黒田姓のまま活動している点です。

離婚時には、一人娘の親権を本人が持ち、今後も黒田姓で活動するという内容が伝えられています。

『VERY』や『STORY』の表紙で「黒田知永子」という名前が完全に定着していた時期でしたから、自然な判断だったのかもしれません。

出身は東京都。

これは複数の媒体が一致して記載しており、実家が東京にあったこと自体は間違いなさそうです。

生まれも育ちも東京で、旧姓は樫本、そして実家の詳細は非公開。ここまでが確認できる事実になります。

黒田知永子の実家を調べる人向けの関連情報

ここからは、実家と一緒に検索されることの多い話題をまとめていきます。

若い頃のこと、元旦那さんや娘さん、そして現在の活動まで、気になるところをひと通り押さえていきますね。

若い頃はJJの看板モデルだった

黒田知永子さんのキャリアは、成城短期大学の在学中に始まっています。

大学1年のときにスカウトされ、ファッション雑誌『JJ』の専属モデルに。

当時の『JJ』といえば、女子大生のファッションを牽引していた存在で、その看板モデルとして在学中から活躍していました。

ただ、そのまま芸能界を突き進んだわけではないんです。

24歳前後で一度モデルを引退し、就職して社会人に。

その後は結婚して専業主婦になり、いわゆる表舞台からは完全に離れています。

本人はこの時期について「当時は、その世代に合わせた女性誌もなかったので、また復帰して働こうという感覚もなく、毎日子どもと公園に行って、家中心の日々を過ごしていた」と振り返っています。

一度きっぱり辞めて、専業主婦として何年も過ごしていた人だった、ということですね。

その後1995年、『VERY』の創刊とともにモデル業へ復帰。

創刊号から表紙モデルを務め、そこから第二のキャリアが始まりました。

なお、引退の年齢については23歳としている媒体と24歳としている媒体があり、ここは情報が分かれています。

元旦那はアパレル会社勤務だった

結婚したのは28歳のとき。

お相手は2歳年上でアパレル会社に勤めていた男性で、学生時代から交際していた相手だったと伝えられています。

一般の方ということもあり、名前や現在の状況といった具体的な情報は出てきません。

結婚した年については、1989年と記載する媒体と、28歳での結婚とだけ記す媒体があります。

1961年6月生まれなので、どちらの書き方でも1989年から1990年のあいだということになりますね。

そして2007年5月に離婚。

このとき黒田知永子さんは45歳で、娘さんはまだ高校生でした。

離婚の具体的な理由については、本人からも周囲からも語られていません。

娘は1990年生まれの一人娘

お子さんは1990年8月に生まれた女の子がひとり。

本人の言葉を借りると「28歳で結婚して、29歳で娘を出産」という流れです。

離婚のときに親権を持ったのは黒田知永子さんで、そこからはシングルマザーとして娘さんを育てています。

娘さんについては留学の経験があるとされ、親子仲も良好と伝えられています。

ただ、こちらも複数ソースで確認できた話ではないので、そういう情報がある、というところに留めておきますね。

一般の方ですから、名前や職業といった詳しい情報は公開されていません。

45歳での離婚を本人が語った言葉

離婚について、本人が雑誌のインタビューでかなり率直に語っている場面があります。

これが個人的に、この人の人となりがよく出ている言葉だなと思いました。

「45歳で離婚。シングルマザーになってからは、落ち込む暇もなく、無我夢中であまり覚えていないけれど、むしろ頭の後ろがすっきりして、心身ともに元気になれました」

さらに、こうも続けています。

「自分自身で考えて出した結論。決して衝動的ではない納得した結論です」

衝動ではなく、自分で考えて出した結論だと言い切っているんですよね。

そして娘さんについては、こう語っていました。

「当時まだ高校生だった娘には申し訳なかったし、娘にも思うことはいっぱいあっただろうけれど、私には何も言わなかったですね」

……ここ、読んでいて少し胸が詰まりました。

高校生の娘さんが何も言わなかったという事実の重さが、そのまま伝わってくる言葉だなと思います。

離婚を語るときに悲壮感が一切ないのが、この人の言葉の特徴です。

現在もeclatの表紙モデルとして活躍

現在の活動についても見ておきましょう。

黒田知永子さんの表紙モデルとしての歩みは、ざっと次のような流れになります。

時期 活動
1995年 『VERY』創刊号から表紙モデル
2002年 『STORY』創刊号から表紙モデル
2008年3月号 『STORY』を卒業
2008年10月〜 『eclat』の表紙モデル

創刊のたびに表紙を任されてきたという、なかなかない経歴です。

女性誌の表紙モデルを務めた期間は通算21年にのぼります。

60代を迎えたいまも第一線で活動を続けていて、同世代の読者にとっては長く並走してきた存在なんですよね。

2022年にブランドディレクターへ就任

モデル業以外の動きもあります。

2022年には、新ブランド「ブリゼ フォー チエコクロダ」のディレクターに就任。

さらに2024年には、ボディバッグが付いたムック本も発売されています。

表紙に立つ側から、服やモノをつくる側へも活動を広げているということですね。

10代の終わりに『JJ』でスカウトされてから、引退・専業主婦・復帰を経て、いまはブランドを持つところまで来た。

改めて並べてみると、ずいぶん長い道のりだなと感じます。

黒田知永子の実家のまとめ

  • 実家の住所は公表されておらず、公式な情報は出ていない
  • 実家が世田谷区成城周辺だという説があるが、通学圏からの推測にすぎない
  • お金持ち説の根拠は、小学校から短大まで成城学園に通った学費とされる
  • 成城学園の在籍期間はおよそ16年におよぶ
  • 学費から言えるのは経済的な余裕までで、資産額の裏づけはない
  • 学歴は成城学園初等学校・中学校・高等学校を経て成城短期大学
  • 成城短期大学は現在すでに閉校している
  • 中学・高校ともバスケットボール部だったとされる(単独ソース)
  • 家族構成は両親と弟の4人家族とされる(単独ソース)
  • 子どもの頃は厳しく躾けられていたという情報もある
  • 両親の職業・氏名はいずれも公表されていない
  • 本人が両親に触れたのは「両親も太っていない」という体質の話のみ
  • 旧姓は樫本で、旧名は樫本知永子
  • 出身は東京都で、生まれも育ちも東京とされる
  • 離婚後も黒田姓のまま活動を続けている

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