大東文化大学の長距離で、いまやチームの柱になりつつある松浦輝仁さん。
2026年の箱根駅伝で4区6位と好走した姿を見て、どんな家庭で育ったのか気になった方も多いのではないでしょうか。
実はお父さんも、同じ大東大のユニフォームで箱根を3回走ったランナーなんです。
・松浦輝仁さんの父・仁一さんの名前と、箱根駅伝3回分の区間と記録
・父が大東大を卒業したあとにホンダで走った実業団時代とマラソンの記録
・母・真喜子さんも実業団ランナーだったことと、中学・高校の歩み
松浦輝仁の父・仁一は箱根を3回走った大東大OB
松浦輝仁さんの父は、大東文化大学で箱根駅伝を3回走った松浦仁一さんです。名前や記録はどこで確認できるのか、卒業後はどうしていたのか、順番に見ていきます。
父の名前は松浦仁一、大東文化大学のOB
まず結論からお伝えすると、松浦輝仁さんの父は松浦仁一(まつうら まさかず)さんです。
「仁一」と書いて「まさかず」と読みます。
この話が広く知られるようになったのは、2025年12月31日、箱根駅伝を実況する文化放送の公式アカウントが「取材こぼれ話」として投稿したのがきっかけでした。
投稿では、父・仁一さんは大東大のOBで、箱根駅伝には2〜4年生のときに3回出場したと紹介されています。
それより前から、ファンの間では「輝仁選手のお父さんって、あの松浦仁一さん?」という声がSNSに出ていました。
大東大の松浦という名前と、箱根の3区を走った経歴が重なっていたからです。
文化放送の投稿で、その答え合わせができた形ですね。
仁一さんの出身校は、埼玉の伊奈学園総合高校です。
箱根駅伝の公式サイトの選手記録にも、大学は大東文化大学、出身高校は伊奈学園と載っています。
息子の輝仁さんも埼玉の坂戸西高校から大東大に進んでいるので、親子そろって埼玉の高校から大東大へ進み、箱根を走ったことになります。
父は箱根駅伝に3回出場、区間と記録
仁一さんが走った3回の箱根駅伝を、公式サイトの記録で並べるとこうなります。
| 大会 | 開催年 | 学年 | 区間 | 区間順位 | 記録 |
|---|---|---|---|---|---|
| 第75回 | 1999年 | 2年 | 8区 | 11位 | 1時間9分13秒 |
| 第76回 | 2000年 | 3年 | 3区 | 11位 | 1時間5分24秒 |
| 第77回 | 2001年 | 4年 | 3区 | 14位 | 1時間12分18秒 |
2年生で復路の8区を任され、3年と4年では往路の3区を走っています。
3区を2年続けて走ったというのは、チームの中で往路の主要区間を任される存在だったということですよね。
ちなみに輝仁さんは、大東大に入ったときの目標を「箱根駅伝3区で区間賞を取ること」と大学の公式SNSで掲げていました。
父が2回走った3区を目標に挙げていたと思うと……なんだか、じんわりきませんか。
もちろん、区間の配置は本番直前に決まるので、次の箱根で輝仁さんが何区を走るかはまだ分かりません。
父が3区を2回走った記録は公式に残っていて、息子の目標もその3区だった、というところまでが確かな話です。
父は卒業後にホンダで走った実業団ランナー
仁一さんの陸上人生は、大学で終わりではありませんでした。
卒業後は実業団に進み、ホンダの陸上競技部で走っています。
ホンダの公式サイトにある陸上競技部の「歴代選手」にも、松浦仁一さんの名前が載っています。
静岡県の陸上の記録を集めたランキングでは、2003年と2004年の5000mで「ホンダ浜松」所属として名前が出てきます。
2007年のホンダの大会結果にも、5000mを走った松浦仁一さんの名前が残っています。
陸上選手の名鑑をまとめた個人ブログでは、伊奈学園総合高校から大東大、NEC、ホンダ浜松、ホンダという経歴で紹介されています。
ただしNECに在籍していた点は、ほかの資料では確かめられませんでした。
びわ湖毎日マラソンで9位、2時間14分47秒
実業団時代のいちばん目立つ記録が、マラソンです。
2006年3月5日の第61回びわ湖毎日マラソンで、仁一さんは埼玉・ホンダの所属として9位、2時間14分47秒でゴールしています。
この大会はアジア大会(ドーハ)の代表選考会を兼ねていて、優勝はスペインのホセ・リオス選手、日本人トップは2位の松宮隆行選手でした。
気温が上がって有力選手の棄権が相次いだ、かなり過酷なレースだったそうです。
そのなかで10位以内に入ったというのは、正直すごいことだと思います。
父は箱根を走っただけでなく、実業団でマラソンまで走り切ったランナーだったんですね。
父の現在の仕事は公表されていない
一方で、競技を引退したあとの仁一さんがどんな仕事をしているかは、公表されていません。
現役を退いたあとは一般の方として暮らしているとみられ、今の職業や勤務先は報じられていません。
父と真名子監督は大東大の同級生
この親子の話でいちばん驚いたのが、ここです。
文化放送の投稿によると、仁一さんは大東大の真名子圭監督と同級生なんです。
真名子監督は三重県の四日市工業高校から1997年に大東大へ入学し、箱根駅伝を4年連続で走っています。
主将を務めた4年生のときには、10区で当時の区間記録を出しました。
仁一さんが箱根を走った1999年〜2001年は、ちょうど真名子監督も同じチームで走っていた時期にあたります。
つまり輝仁さんは、父の大学時代の同級生が監督を務めるチームで走っているということになりますね。
……え、そんなことある!?って思いますよね。
ただ、輝仁さんが大東大を選んだ理由に父と監督の関係があったのかどうかは、本人や監督のコメントとしては出てきていません。
そこは想像で決めつけず、「同級生だった」という事実だけにとどめておきます。
実家は北坂戸、大東大から走って帰れる距離
文化放送の投稿では、松浦家の実家の場所にも触れていました。
実家の最寄り駅は東武東上線の北坂戸駅で、大東大の東松山キャンパスの最寄り駅である高坂駅の隣です。
大学と実家の距離はおよそ4kmで、投稿では「走って帰れます(笑)」と紹介されていました。
長距離の選手にとって4kmなんて、ジョグにもならないくらいの距離ですよね。
輝仁さんは中学も坂戸市立の中学校、高校も坂戸西高校と、ずっと地元で走ってきました。
同じ投稿の続きでは、子どものころからお正月はテレビの前で必ず大東大を応援していたと紹介されています。
父の母校で、しかも家のすぐ近くにある大学。
輝仁さんにとって大東大は、小さいころから身近なチームだったんでしょうね。
父と母譲りのスタミナ、監督の評価
では、輝仁さんの走りに父の影響はあるのでしょうか。
大東大の学生記者が作る「スポーツ大東」は、2025年12月16日に箱根駅伝のエントリー選手について真名子監督に話を聞いています。
そこで監督は輝仁さんについて、1年生のときは力をつけながらもけがで駅伝を走れなかったこと、2年生では予選会と全日本大学駅伝の最終区間を走ったことを挙げています。
そのうえで、輝仁さんを「お父さんお母さん譲りのスタミナ」を持つ選手と評価していました。
父の同級生である監督が「お父さんお母さん譲り」と言っているのは、両親の現役時代を知っているからこその言葉だと思います。
そして実際に、2026年1月の第102回箱根駅伝で輝仁さんは4区を走り、区間6位、1時間1分48秒という結果を残しました。
チームは総合19位と苦しんだなかでの好走で、父と同じ大東大のユニフォームで箱根路を走ったことになります。
正直、お父さんからするとたまらない光景だったんじゃないかなと思います。
松浦輝仁の父を調べる人向けの関連情報
ここからは、父と一緒によく検索されている母や、中学・高校時代のことをまとめます。
母・真喜子も東海銀行で走った陸上選手
文化放送の投稿によると、輝仁さんの母・真喜子さんも実業団の陸上選手でした。
旧姓は川島で、双子の姉の亜希子さんとそろって陸上選手だったそうです。
現役時代は東海銀行に所属し、全国都道府県対抗女子駅伝でも活躍したと紹介されています。
実際、皇后盃全国女子駅伝の公式サイトの記録には「川島真喜子(愛知/東海銀行)」の名前が残っています。
2000年の中部実業団の10000mでも東海銀行の所属で走っていて、記録は33分34秒12でした。
2002年1月の全国女子駅伝を伝えた四国新聞の記事では、愛知が双子の川島真喜子さんを2区、亜希子さんを9区に登録したと報じられています。
東海銀行はのちに合併してUFJ銀行となり、真喜子さんはUFJ銀行の所属でも走っていました。
| 家族 | 名前 | 主な経歴 |
|---|---|---|
| 父 | 松浦仁一さん | 伊奈学園総合高→大東大(箱根3回出場)→ホンダ |
| 母 | 松浦真喜子さん(旧姓・川島) | 東海銀行(のちUFJ銀行)の実業団選手 |
| 母の双子の姉 | 亜希子さん | 母と同じく陸上選手 |
父も母も、そして母の双子の姉まで長距離ランナーという、まさに陸上一家なんです。
監督が「お父さんお母さん譲り」と言った理由が、ここでよく分かりますね。
中学は坂戸市立桜中学校
輝仁さんの中学は、埼玉県の坂戸市立桜中学校です。
埼玉陸上競技協会の記録には、2018年の学校総合体育大会で「松浦輝仁(1)坂戸桜」として中学1年男子1500mを走った記録が残っています。
中学3年生だった2020年7月の県中学生夏季記録会でも、坂戸桜の選手として1500mに出場しています。
中学のころに全国大会で名前が知られていたという話は、調べた範囲では出てきません。
中学から地元・坂戸で1500mを走り、高校・大学で箱根の4区6位まで来たと考えると、地元で少しずつ力をつけてきた選手だと言えそうです。
陸上一家に生まれても、地元の中学から一歩ずつ上がってきたというのは、ちょっと親近感がわきますよね。
高校は坂戸西、大東大での記録
高校は埼玉県立坂戸西高校で、2023年度の卒業です。
坂戸西高校の陸上部のページでも、2026年1月に「本校OBの松浦輝仁が箱根駅伝4区で区間6位」と紹介されていました。
大東大では経営学部に在籍しています。
2026年9月時点での主な記録と歩みは、次のとおりです。
| 時期 | 学年 | できごと |
|---|---|---|
| 2024年度 | 1年 | 力をつけるもけがで駅伝は出場なし |
| 2025年秋 | 2年 | 箱根予選会、全日本大学駅伝の最終区間を走る |
| 2026年1月 | 2年 | 第102回箱根駅伝4区で区間6位(1時間1分48秒) |
| 2026年5月 | 3年 | 全日本大学駅伝の関東地区選考会で10000m 28分51秒98(自己ベスト) |
2026年5月の全日本大学駅伝の関東地区選考会では、各校のエースが集まる最終4組で走り、28分51秒98の自己ベストを出しました。
チームも3位で全日本への出場を決めています。
学年や記録はこの記事を書いた2026年9月時点のもので、次の箱根駅伝のメンバーや区間は大会の直前に決まります。
父が走った箱根の舞台に、息子がもう一度立てるかどうか。これからの大会にも注目したいですね。
松浦輝仁の父のまとめ
- 松浦輝仁の父は松浦仁一(まつうら まさかず)さん
- 父・仁一さんは大東文化大学のOB
- 父の出身高校は埼玉の伊奈学園総合高校
- 父は箱根駅伝に2〜4年生で3回出場
- 1999年は8区11位、2000年は3区11位、2001年は3区14位
- 父は卒業後、ホンダの陸上競技部で走った
- 2006年のびわ湖毎日マラソンで9位、2時間14分47秒
- 父の現在の職業は公表されていない
- 父は大東大の真名子圭監督と同級生
- 実家の最寄り駅は北坂戸で、大東大から約4km
- 子どものころから正月は大東大を応援していた
- 監督は「お父さんお母さん譲りのスタミナ」と評価
- 母・真喜子さん(旧姓・川島)は東海銀行の実業団選手
- 母には双子の姉・亜希子さんがいて、姉も陸上選手
- 本人は坂戸市立桜中学校から坂戸西高校を経て大東大へ進んだ
- 2026年1月の箱根駅伝で4区6位、父と同じ箱根路を走った

