東京農業大学のエースとして、箱根駅伝のたびに名前が挙がる前田和摩さん。
活躍を見ていると、どんなお父さんに育てられたのか気になりますよね。
実は父の名前も職業も公表されていないのですが、前田さんが陸上へ進んだ道筋をたどると、意外な人たちの存在が見えてきます。
・前田和摩さんの父について公表されている情報と、されていない情報
・走る才能が父譲りなのかと、陸上を始めたきっかけ
・中学・高校・東農大を選んだ理由から肺気胸からの復帰、卒業後の進路まで
前田和摩の父はどんな人?公表されている情報を整理
前田和摩さんの父については、名前や職業を含めて公表された情報がありません。ここでは、分かっていることと分かっていないことを分けて、前田さんの家庭や生い立ちを見ていきます。
父の名前や職業は公表されていない
まず結論からお伝えすると、前田和摩さんの父の名前・職業・年齢は、2026年9月時点で公表されていません。
スポーツ報知やNumber Webの特集記事、Wikipediaのプロフィールを確認しましたが、父について書かれた部分は見当たりませんでした。
陸上選手を紹介する個人ブログでも「家族については情報が公開されておらず不明」と書かれていて、どこを探しても父の具体的な情報は出てこない状態です。
前田さんは大学生のアスリートで、芸能人のように家族がメディアに登場する立場ではありません。
大会のたびに家族が取材を受ける選手もいますが、前田さんの場合は競技の話が中心で、家族の話題はほとんど報じられてきませんでした。
父が一般の方である可能性が高く、名前や職業が表に出ていないのは自然なことだと思います。
走る才能は父譲り?父の陸上経験は分かっていない
これだけ走れる選手だと、「お父さんも陸上をやっていたのでは?」と考える人は多いですよね。
ただ、父が陸上の経験者だという情報は、調べた範囲では見つかりませんでした。
むしろ前田さん本人の歩みを見ると、生まれつき長距離が得意だったわけではないんです。
Number Webの記事によると、前田さんは小学3年生までは運動が苦手で、校内のマラソン大会でも最下位をぎりぎり免れる程度だったそうです。
変わったのは小学4年生のとき。
サッカーと水泳を始めたことで自然と体力がつき、校内のマラソン大会で10位に入ったといいます。
そこで初めて「長距離走が得意なのかもしれない」と感じ、6年生のころには校内1位になっていました。
……運動が苦手だった子が、のちに日本トップクラスのランナーになるなんて、ちょっと胸が熱くなりませんか。
才能が父譲りかどうかは分かりませんが、前田さんの走力は小学4年生から少しずつ育ってきたものと言えそうです。
陸上へ導いたのは中学と高校の先生だった
二世アスリートの場合、親の影響で競技を始めることが多いですよね。
でも前田さんの場合、陸上へ進むきっかけをくれたのは先生たちでした。
地元の西宮市立深津中学校では、陸上部に入るか少し迷ったものの、サッカー部を選んでいます。
ポジションはディフェンダーの真ん中、センターバックでした。
それでも冬場だけは陸上部に頼まれて、中学1年生から駅伝大会に助っ人として出走していたそうです。
その駅伝大会の走りが、偶然、報徳学園高校の目に留まりました。
前田さん本人は、次のように感謝を語っています(Number Web、2023年10月)。
「駅伝大会に呼んでくれた中学校の先生、僕を見つけてくれた報徳学園の先生には感謝しています。あの出会いがなければ、今の僕はありません」
前田さんを陸上の道へ導いたのは、駅伝に誘った中学の先生と、才能を見つけた報徳学園の先生だったわけです。
報徳学園時代の恩師・平山征志先生からは「焦らずに継続することが大事」と言われ続け、その考えは大学に入ってからも変わっていないそうですよ。
西宮で育った前田和摩の家庭と生い立ち
前田さんは2005年1月16日、兵庫県西宮市で生まれました。
小学校から高校までを地元の西宮で過ごしていて、中学は西宮市立深津中学校、高校も同じ西宮市にある報徳学園高校です。
生い立ちを表にまとめると、次のようになります。
| 時期 | 主な出来事 |
|---|---|
| 小学3年生まで | 運動が苦手で、校内マラソン大会は最下位をぎりぎり免れる程度 |
| 小学4年生 | サッカーと水泳を始め、校内マラソン大会で10位 |
| 小学6年生 | 校内マラソン大会で1位 |
| 中学(深津中) | サッカー部のセンターバック。冬は駅伝大会に助っ人で出走 |
| 高校(報徳学園) | 本格的に陸上を開始。3年時に全国高校総体5000mで日本人トップの4位 |
小学4年生からサッカーと水泳の2つを始めていることを考えると、子どもがやりたいことに挑戦させてあげる家庭だったのかな、と想像できます。
ただ、両親がどんな方針で育てたのか、本人が家族について語った記事は見つかりませんでした。
家庭の具体的な様子は公表されていないものの、地元の西宮でスポーツに打ち込みながら育ったことは、はっきりしています。
母や兄弟など家族構成も公表されていない
父だけでなく、母や兄弟がいるかどうかといった家族構成も公表されていません。
家族がSNSで応援している様子や、大会会場で取材を受けた記事も、調べた範囲では見当たりませんでした。
前田さん自身はInstagramを使っていますが、投稿は競技やチームの話が中心です。
箱根駅伝の時期になると、出場校の選手の家族に注目が集まることがあり、前田さんの父を調べる人が増えているのも、そうした流れの一つだと思います。
今のところ、前田さんの家族について分かることは「西宮で育った」という点までと言えます。
新しい情報が公表されたら、この記事でも追記していきますね。
前田和摩の父を調べる人向けの関連情報
ここからは、前田和摩さんの父を調べている人がよく一緒に気にしている、中学・高校、東農大を選んだ理由、ケガからの復帰、身長、そして現在について見ていきます。
中学は深津中のサッカー部、高校は報徳学園
前田さんの中学は西宮市立深津中学校、高校は報徳学園高校です。
中学ではサッカー部に入っていて、陸上部ではありませんでした。
本人はスポーツ報知の取材で「それほど強いチームではなかったので、すごく仕事量は多かった」と振り返っていて、Number Webでは「そこでスタミナが培われたのかもしれません」と笑って話しています。
報徳学園に入ってから本格的に陸上を始めましたが、入学してすぐにレベルの高い練習に必死でついていくうちに、疲労骨折をしてしまいました。
「あれほどもったいない時間はなかった」と語っていて、この経験が、無理をせず継続する今の練習スタイルにつながっています。
高校では2年生で兵庫県高校駅伝と近畿高校駅伝の1区で区間賞、3年生では全国高校総体の5000mで日本人トップの4位に入り、強豪大学から注目される存在になりました。
東農大を選んだのはなぜ?理由は練習環境
高校時代に実績を残した前田さんなら、箱根駅伝の常連校にも進めたはずです。
それなのに、当時9年連続で箱根駅伝予選会に敗れていた東京農業大学を選んだのはなぜなのか、気になりますよね。
本人の答えは、じっくり練習を積ませてもらえる環境を大切にしたかったからでした。
スポーツ報知の取材では「監督やコーチが親身になって話を聞いてくれて、自分がやりたかったことに近かった」と話しています。
Number Webでは「最終的な目標はオリンピックのマラソン日本代表として世界と戦い、入賞すること。そのためにも、大学ではケガしないように自分のペースで練習をじっくり積ませてもらえる環境を大切にしたかった」と語っていました。
小指徹監督も入学前から報徳学園の平山先生と話し合い、脚を酷使させない育て方を考えていたそうです。
東農大を選んだのは、箱根よりも先にある世界を見すえて、ケガなく長く走るためだったわけですね。
肺気胸からの復帰と大学での主な記録
前田さんの大学生活は、華々しい記録とケガからの復帰の繰り返しでした。
主な出来事を表にまとめます(学年はその時点のものです)。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 2023年6月(1年) | 全日本大学駅伝関東選考会で日本人トップの28分03秒51 |
| 2023年10月(1年) | 箱根駅伝予選会で日本人トップの1時間01分42秒。東農大は10年ぶりの本戦へ |
| 2023年11月(1年) | 全日本大学駅伝2区で区間3位(区間新) |
| 2024年1月(1年) | 11月末の故障の影響で第100回箱根駅伝は7区を走り区間13位 |
| 2024年5月(2年) | 日本選手権10000mで27分21秒52の3位(U20日本記録・日本人学生記録) |
| 2024年10月(2年) | 肺気胸の影響で箱根駅伝予選会を欠場。東農大は1秒差で本戦を逃す |
| 2025年5月(3年) | 約1年ぶりにレースへ復帰 |
| 2025年10月(3年) | 箱根駅伝予選会で個人14位、チームは2年ぶりの本戦へ |
| 2026年1月(3年) | 第102回箱根駅伝で2区を走り区間11位 |
特に日本選手権での27分21秒52は、日本人学生の新記録でした。
そのあと肺気胸でレースに出られなくなり、自分がいない予選会でチームが1秒差で落選したのは、本人にとってかなりつらかったはずです。
……正直、この流れを読むだけで胸が苦しくなります。
2025年の予選会のあと、前田さんは「昨年1秒差の悔しさは1日たりともチーム全体で忘れなかった」と話していました(日本農業新聞)。
身長は177cm、体重は55kg
前田さんの身長は177cm、体重は55kgと紹介されています(スポーツ報知、Wikipedia)。
長距離ランナーとしては背が高めで、とても細身の体型です。
本人は自分の強みを「粘り強さ」と話していて、三浦龍司さんのような圧倒的なスピードはないけれど、粘り強く押し切るのが得意だと語っていました。
前田和摩の現在は副将、卒業後は実業団へ
2026年9月時点で、前田さんは東京農業大学の4年生です。
2026年8月5日に東農大陸上部のブログへ本人が書いた文章によると、新チームでは副将を任されています。
ブログでは、喘息やケガがあり、度重なるケガで思うようにいかなかったことを振り返りつつ、「自身に降りかかる困難に立ち向かい乗り越えていくことに人生の価値というものはある」と前向きに書いていました。
そして卒業後については、実業団で競技を続ける予定と明かしています。
「オリンピックや世界陸上でメダルを獲るという目標は諦めていません」という言葉もあり、本人の目線はずっと世界に向いているんですね。
2026年5月の全日本大学駅伝関東選考会では、最終組で28分25秒97の日本人2番手に入りました(サンスポ)。
ブログには「10/17と1/3を笑顔で終えたい」という言葉もあり、箱根駅伝予選会と本戦を大学生活の最後の目標にしていることが伝わってきます。
なお、2027年の箱根駅伝に出場するかどうかや、どの区間を走るかは、予選会の結果と直前の区間エントリーで決まります。
現在は大学最後のシーズンを副将として戦いながら、卒業後の実業団での挑戦に向けて準備している段階です。
前田和摩の父のまとめ
- 前田和摩の父の名前・職業・年齢は2026年9月時点で公表されていない
- 父は一般の方である可能性が高い
- 父が陸上経験者だという情報は見当たらない
- 母や兄弟などの家族構成も公表されていない
- 2005年1月16日に兵庫県西宮市で生まれた
- 小学3年生までは運動が苦手だった
- 小学4年生でサッカーと水泳を始め、6年生で校内マラソン大会1位になった
- 中学は西宮市立深津中学校でサッカー部のセンターバックだった
- 中学1年生から冬の駅伝大会に助っ人として出走していた
- 駅伝大会の走りが報徳学園の目に留まり、高校から本格的に陸上を始めた
- 陸上へ導いたのは中学と高校の先生で、本人も感謝を語っている
- 東農大を選んだのはケガなくじっくり練習できる環境を求めたため
- 2024年5月の日本選手権10000mで27分21秒52の日本人学生記録を出した
- 肺気胸で2024年の箱根予選会を欠場し、2025年5月に復帰した
- 2026年9月時点で4年生の副将、卒業後は実業団で競技を続ける予定

